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「若者はなぜイスラム国を目指すのか」   一考   

 

 池内恵さんの「若者はなぜイスラム国を目指すのか」と題するインタビューがある。イスラム国に関する、もっとも優れた記事である。わが国でここまで真摯にイスラム教徒を咀嚼し理解した例は希有である。
 池内さんはまず、「グローバル・ジハード」から書き起こす。
 「イスラム国に外国からの戦闘員が流入しているのはなぜか。この問題を理解するためには、まずイスラム国の唱える「グローバル・ジハード」の理念や歴史を知らねばならない。
 そもそもイスラム教徒は、自らが神と一対一の関係で結ばれており、一人一人が神の命令に従って義務を果たす責任を負っていると考える。つまり、世界のどこにいても、国家や民族を超えた一つのイスラム共同体に帰属している、という意識がある。そこから、たとえ他国であっても、異教徒に支配された国があれば、自ら戦いに赴いてジハード(聖戦)で解放する義務があるという考え方が出てくる。これがグローバル・ジハードだ。」

 http://www.yomiuri.co.jp/feature/yokoku/20150203-OYT8T50221.html

 さらに、近代自由主義の中で生きる人間に固有の問題を提起する。
 「西欧社会では「自分が何をなすべきか」は自由意思に任されている。逆に言えば絶対に正しい答えというものはなく、自ら判断しなければならない。そのような自由は時として重荷になってしまう。ところが、何か権威あるものに従うことにすれば、自分で決めなくても良い。自ら判断する自由を捨ててナチスドイツの台頭を許した人々の心理を分析した社会心理学者、エーリヒ・フロムの言葉でいえば、彼らは「自由からの逃走」を図ろうとする。ましてやイスラム教の「神の啓示」は、なすべきことを全部教えてくれる。先進諸国からイスラム国を目指す若者が出ているのは、このような理由があるからではないだろうか」

 池内さんは欧州の移民がイスラム入りする動機は差別や貧困ではなく、「自由からの逃走」だと大書する。
 ドイツの国家意識、フランスの国家主権を賭しての表現の自由、そうした欧州の伝統そのものを超えたところにイスラム共同体があるとしながらも、イスラムの暴力的な側面に関して極めて批判的である。

 「イスラム教の解釈の方法論や体系そのものの改革を行わなければ、過激思想を退けることはできない。例えば、「コーランの中の異教徒への抑圧や個人の権利を侵害しかねない特定の章句は、現代社会では適用されない」と明確に宗教者が議論し、コンセンサスとして大多数のイスラム教徒に広まっていかなければ「イスラム国」の思想は論駁できない。いわばイスラム教の「宗教改革」だが、しかしその可能性はかなり厳しいといわざるを得ない」
 「そのような改革を実現するには、ヨーロッパ中世が経験した宗教戦争の惨禍や、ルネサンスの熾烈な思想闘争がなければならない」と池内さんは結論づける。

追記
 池内恵さんは池内紀さんのご子息である。昔、池内紀さんの二冊目の著書を拵えたのを惹い起こす。池内恵さんは「現代アラブの社会思想」以来、嘱目している。


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2015年02月05日 19:20に投稿された記事のページです。

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