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修行  | 一考    

 クリニックの室温は27度から29度に保たれている。為事をしているとうっすらと汗ばむ温度だが、こちらは身動きできず寝ているだけ、従って寒く感じるときもある。
 体感温度は体内へ戻す血液の温度に大きく影響される。冬場は体温プラス0.5度が適温らしい。わたしの体温は36.0度から36.2度なので36.5度が相応しい。回りを見回すと37.0度がほとんどである。透析をはじめたのは去年の八月末だが年内は36.0度、年が明けてから36.5度を選択している。
 透析は四時間だが、わたしは新米なので順番が最期になる。従って拘束時間は五時間。この間はトイレに行かれない。みなさんは食事したりお茶を飲んだりなさっているが、わたしにそうした余裕はない。わたしは男性だからまだしも、尿道の短い女性だと大変だろうと思う。朝起きるとまずトイレへ行って便意を調整するのが日課だが、便秘や下痢は禁物、二日酔も厳禁である。熱も風邪も食あたりも、とにかく下痢に結びつくことは一切禁止されている。禁止と書いたが、意志力だけで風邪を引かずに済むものかどうか、わたしには自信がない。これは一種の修行のようなものに違いない。
 飲酒は土曜日の深夜に限られるが、ギネスの小瓶一本に収めている。ほんとうは燗酒が飲みたいのだが、癖になると困るので遠慮している。今頃は真澄のあらばしりが旨いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月19日 21:25 | 固定ページリンク




内視鏡  | 一考    

 穿刺の際の「事故」は滅多にないようですが、起こるのは事実で、看護師という職業は大変だと思います。「針刺し元の患者さんへの採血」はわたしが通うクリニックでも行っています。「マナーを当然の事として事業を行うのは、職場管理上、より問題がある」に関しては確かにそのように思います。マナーで処理するのは軽率に過ぎるようです。

 エリスロポエチンの分泌は順調、赤血球は増えています。骨粗鬆症はかなり改善されてきたようです。理由は分かりませんが、骨密度の検査では年齢相応で異常なしと云われました。もっか風邪に注意するよう五月蠅く云われています。もしも風邪を引けば、同室の六十人の透析患者に危機が及びます。命にかかわることなので、この種のプレッシャーには困惑させられます。
 痛み止めなしで大腸の内視鏡検査をしました。内視鏡恐怖症に陥りました。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月18日 22:51 | 固定ページリンク




看護師の検査  | 山崎利彦    

連続での書き込み、御許し下さい。
通常の病院では針刺し「事故」が発生した場合、その看護師への採血等は労災として扱い、病院側が負担します。病院の取り扱いに寄りますが、東京都立病院のように強力に官僚支配が行われる場合には、針刺し元の患者さんへの採血も行います(この費用は病院負担の場合と、御本人に請求する場合が両方あるようです)。また、気付かずに感染する場合も当然ありますので、定期的に感染症等の検査は病院が行っています(これは病院の開設者の意識にもよります)。私の診療所でも年に1度は感染症の検査は私が支払います。その場合、診療所の福利厚生扱いですので経費計上が出来ますから、必ずしも損失とは言えません。患者さん側が「マナーとして」普段感染症を検査しておくと云う発想、私には思い付きませんでした。大変有り難いお心遣いではありますが、「マナー」を当然の事として事業を行うのは、職場管理上、より問題があると私は思います。どちらかと云うと、風俗に通う場合にこそ、そのマナーを求めたいとは思いますが(笑)。

追伸:昨年末より、病院入院中の方々の在宅への導入がより進行し始め、私の診療所でも在宅診療が多数に成って来ました。午後の診療が極めて不定期になりつつありますので、不在の折は御容赦下さい。と、同時に、殆ど浦和を出るのが叶わぬ状況にあり、お店にもなかなか伺う事が出来ず、すっかり御無沙汰しておりますが、何とか近々伺いたいとは思っております。


投稿者: 山崎利彦      日時: 2011年01月17日 21:02 | 固定ページリンク




死因  | 一考    

 ブラックアウトのような処理仕切れない痛みはどうにもならないが、昨今の穿刺による痛みは異なる感慨をもたらした。まず生きているとの実感、言い換えれば生に対する執着である。執着するほどの未練があるわけではないが、このようなことで死んでたまるかとの気概である。
 痛みというのは不思議なもので、限界を超えるとひとは受け身にならざるを得ない。しかし臨界点以前だと無性に戦闘意欲が湧いてくる。
 わたしの余命はと云う前に、こんなことでは死なないな、と思う。かつて憩室から下血した折にも同じように思い、そして死ななかった。思い込みがすべてとは云わないが、寿命が近づいてきたとき人はそれとなく悟るものである。透析をはじめて四箇月、少なくともわたしの死因は別なところに在ると信じるに至った。
 震災で生き延びて十六年、下血で生き延びて一年余、腎不全で死に損なって半年、まるで悪霊にでも取り憑かれているようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月17日 20:32 | 固定ページリンク




マナーとは  | 一考    

 無音に過ぎゆき、こちらこそ恐縮しております。実はわたしの先行きに関し、ご相談致したきことあり、近々お伺いしようと思っております。
 感染症予防に関する制度はよく分かりました。「透析期間中に定期的にSTDやHIVの検査を行うのは、検査料金として医療機関が全て負担する場合を除くと不可能です」も納得です。ただ、危険にさらされる看護師のことを考えると合点が行きません。わたしが通うクリニックの看護師によると、注射針を誤って刺してしまったときは自ら検査を受けると云っていました。この場合、自腹を切ることになるのでしょうね。
 私的検診と保険診療の違いは当然だと思います。わたしが云いたいのは私的検診に金数を使うのがマナーでないだろうかと云うことです。日頃血液を出したり入れたりしていると、その感を強くします。それでなくても、肺炎の予防接種や動脈硬化の検査など、保険適用外の診療は多くあります。だとすれば、そこにSTDやHIVの検査も入れるべきだと思うのです。毎回、お世話になる技師や看護師に対する、せめてもの心遣いでないかと。
 もっとも保険適用外になると、ほとんどの受診者は拒否します。現実には難しいでしょうね。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月17日 17:11 | 固定ページリンク




>マナー  | 山崎利彦    

御無沙汰しております。良い透析先が見付かった様子で、取り敢えずは安堵しております。
さて、感染症予防に関しまして「マナー」として御記述がありましたので、「制度」としての投稿をさせて頂きます。
「マナー」としてのマスクの着用に関しましては一考さんの御指摘の通り、日本人は外国人(欧米人に限らず)と比較して極めて敏感です。新型インフルエンザ騒ぎの際に、成田空港に到着した外国人達が大層驚いていたと云うのは何度か報道もされています。これは多くのワイドショー等で多くのコメンテーターが推奨していた事にも原因はありますが、それ以上に元々「花粉症」の有病率が高く、多くの国民がマスクの着用に馴れていた事も原因ではないでしょうか?インフルエンザはウイルス性疾患ですので、本来マスクでの予防効果は市販の物では低く、「N-95(浮遊粉塵等の95%以上の除去効果がある物)」以上の性能を有し、かつゴーグルと手袋を併用、頻繁に使い捨てて手洗いとうがいを積極的に行う必要があります。実際に手荒いやうがいを行う一般市民を殆ど目にしませんので、マスクのみが流行するのはこうした背景があるのではないでしょうか?
 では、マスクは全く無効であるかと云うと、逆の立場では有効です。即ち、自分から他人に伝染させない効果です。呼吸器感染症の多くは「飛沫感染」で、咳きに伴う「しぶき」に多くの病原体が含まれています。これは通常のマスクでブロック出来ますので、他人への配慮としては有効です。実際、医療従事者が患者さんの前で咳きをしまくると、患者さんは相当不安に成ると思います。欧米人も、「自分が重度の感染症を発症した時は」マスクを着用します。逆に、診療の際に直接飛沫を浴びる可能性が高い医療従事者の場合は、N-95以上のレベルのマスク+ゴーグル、場合によってはガウン着用+手袋に成り、その頻度や程度により増減します。因に私のクリニックではマスクと手袋は支給して、着用は本人の自覚に任せています。
 STD(性行為感染症:性病と云う表現は性病予防法の範疇の疾患との混乱を防ぐ意味で最近私達はあまり使いません)の検査ですが、「マナーとして」はあくまでも「私的検診」の扱いに成りますので、保険診療では行えません。自覚症状があった、又はパートナーが有病者である場合にのみ可能と云う事に成ります(混合診療の是非に付いてはこの場では敢えて触れません。必要であれば御呈示下さい)。ある程度の侵襲的処置(手術等)を伴う医療行為の場合には、梅毒反応、ウイルス性肝炎(B型とC型)は保険適応がありますが、その後は算定不能です。HIVに関しましても施行は可能ですが、その際は患者さんの同意が必要です。北里で書面を要求されたのは同意を得た旨の証拠が必要だからです。従って、透析期間中に定期的にSTDやHIVの検査を行うのは、検査料金として医療機関が全て負担する場合を除くと不可能です。別の医療機関で新たに手術その他を行う場合は、当然初診扱いに成りますので、再度検査が可能ですから、術前検査として行っています。
 以上、あくまで「制度」の問題なのですが、保険診療を行う以上、制度に外れた請求を行うと医療機関か患者さんのどちらかが莫大な負担をしなければ成りませんので少々解説致しました。


投稿者: 山崎利彦      日時: 2011年01月17日 13:05 | 固定ページリンク




マナー2  | 一考    

 埼玉にはダイソーという店が沢山ある。百円ショップで拙宅の近所にもあって先頃灰皿を買いに出掛けた。何から何まで揃っているのに驚いた。序でに鉄製のフライパンと靴下とパンツを買った。百円だけあって、パンツには社会の窓が開いていない、横から引っ張り出すタイプである。もっとも、わたしは立ちションは滅多にしないので、これで十分である。
 通常、男性は立ちションで済ませる。当然、回りへ飛び散ることになる(徒散るは朽葉ばかりで結構)。飛び散ったところで、自分で掃除するならそれで良い。しかし、ほとんどの場合は他人もしくは連れ添いが掃除する。それが嫌でわたしは洋便器なら必ずしゃがむようにしている。
 旅の恥は掻き捨てと云うが、人は家の恥まで掻き捨てている、みなさんは何時から転蓬となったのであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月16日 20:03 | 固定ページリンク




マナー  | 一考    

 欧州では原則マスクをしない。全くしないというわけではないが、それは塗装とか手術中の医師とかに限られる。飛行場へ降り立った日本人がマスクを掛けているのを見て、外国人は驚くようである。そしてわたしが通うクリニックは全員がマスク着用である。そこで訊いてみた。
 血液を触る場合は本当はゴーグルをしないといけないらしい。しかし、そのような完全装備だと患者に負担をかける。そこでマスクと手袋の着用に及ぶそうな。さらに質問。血液検査は二週間ごとだが、HIVや各種性病、HTLV-1や肝炎などの検査はしているのかと。
 かかる検査はしていないとの返事が返ってきたのには驚かされた。わたしは輸血の前後は当然として、それからは病院が変わるたびにその種の検査を繰り返している。北里ではHIVの検査のため、捺印した書面まで提出させられた。当然、クリニックでもしていると思い込んでいた。
 心当たりがないならともかく、もしあれば(例え相手が連れ添いであろうとも)性病検査ぐらいは受けるのがマナーだと思う。かつてわたしの女友達も毎年検査はしていた。先進国は減り続けているのにわが国の性病患者は増え続けている、理由はそのようなマナーの欠落にあるに違いない。
 口にマスクをするのなら下のマスクもお忘れなくと云いたいところだが、どうやらあのマスクは単に流行りでしているようである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月16日 19:59 | 固定ページリンク




ユーパッチ二分割  | 一考    

 五箇月目に入って穿刺に使っている箇所の皮膚が硬化してきた。技師によると硬化したところから瘤のように膨らんでくるらしい、そして硬化した部分は神経も麻痺し痛みがなくなると。ところが、わたしの場合は硬化した部分に限って大層痛い。これも個体差なのかもしれない。
 血管というものは畝っている。最初は真っ直ぐに見える血管も太く発達すればするほど上下左右に歪んでくる。穿刺には四、五センチの真っ直ぐな部分が必要なのだが、そのような箇所は現在のところ二箇所しかない。他の患者を見ていても、肩から手首まで腕の表裏のさまざまなところを穿刺している。みなさんがそれなりに四苦八苦しているのが分かる。
 今は静脈を用いているが、ずっと動脈へ血液を戻していた。その傷跡があと一週間ほどで癒える。癒えれば血液の採取口として使いたいのだが、謂わば血管の支線であって本線でない。よって充分な血量が採れるかどうか不明である。貰えるユーパッチ(痛み止め)は二枚のみ、従ってユーパッチを二分割して用いるしかない。間違いのない箇所と不明の箇所の双方である。どうあっても痛みは避けたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月15日 21:49 | 固定ページリンク




自決  | 一考    

 動脈、静脈ともに位置を変えてうまくいった。刺し直しがあったが、久しぶりに痛みを伴わない透析だった。ただ、静脈の止血に失敗、回りを少々血で汚した。静脈側はバンド、動脈側は手で圧さえて止血する。手のセンサーはすぐれているがバンドはそうはいかない、たまには血が吹き出ることもある。
 それにしても針が刺さってくるときの痛みというか、皮膚の引き攣った感がないというのは嬉しい。痛みを顧みながら穿刺の位置を自分で決めなければならないのがよく分かった。看護師や技師はこちらの注文を注意深く聴いてくださる。黙っていては分からない、痛い目に合うのは自分である。
 看護師によると穿刺の痛みに耐えかねて透析を諦める方がいるそうな。当然、命を失うわけだが、そこまで行くまえにどうして看護師や技師と話し合わなかったのかと思う。受け身でいてはなにひとつ解決しない。痛みに耐えるのが闘いでなく、看護師や技師と共に痛みを避けるための方策を探す、病と闘うとはその探求心のことでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月14日 18:23 | 固定ページリンク




異音  | 一考    

 ゆっくりと走り出せば音はしないが、わたしの癖でアクセルは突き当たりまで踏む。その度にバーンバーンと車が唸る。まるでドアを強く開け閉めしているようである。後方から聞こえるが、車で異音が出るのはエンジンルームに決まっている。他に異常はなさそうなのでこの二週間ほど捨て置いた。それがこの二、三日マフラーがパンパンと詰ったような爆発音をだすようになった。周章ててボンネットを開けると思ったとおり、エンジンが一気筒抜けているようである。前回の車検でキャブは交換済みなので、コイルか点火コードだと思われる。
 わたしの車のエンジンは水平対向四気筒1800ccだが、思い切り吹かしていると煙りが出てくる。右エンジンの後方下部のOリングからオイル洩れ。これは簡単だが、穿刺のせいで腕が動かない。片腕ではなにもできないので、とりあえず戸田の修理屋まで。高速道路を走って、なおのこと修理箇所が明白になった。車はノーマルのままなので180キロまでしか出ない。で、1××キロ(違法速度なので記載できない)からの加速が思うに任せない。たまに三気筒で走っているようである。
 必要なパーツは月曜日に入る。ついでに戸田の市役所で昨年の納税証明書とロジャーズで靴を買う。久しぶりのロジャーズだが、三郷にあればよいのにと願うことしきり。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月13日 00:24 | 固定ページリンク




蜂蜜  | 一考    

 幹郎さんから栗の花の蜂蜜を頂戴した。わたしは基本的に甘いものを食さなかったので、食べ方がよく分からない。蜂蜜で馴染みなのは少量カレーに入れるか、コーヒーノキから作った黒褐色の蜂蜜のみ。後者は砂糖と比して独得の風味(微かにジャスミンの香)があって珈琲とすこぶる相性が合う。こちらも上島珈琲で教わった。ちなみに、ホットケーキやフレンチトーストとも合う。喫茶店で働いていたときに実証済みである。
 季村さんが元町五丁目の茜屋珈琲店について書いていらっしゃる。コーヒーノキ(コーヒーの木)はアカネ科コーヒーノキ属に属する植物の総称、屋号はそこから取られている。今では全国区の喫茶店だが、本店は神戸三宮駅北側にある。茜屋軽井沢店の柘榴のジュースとコンコード(過去掲示板で何度か触れている)の葡萄ジュースはわたしの好物だった。共に生ジュースで、季節限定メニューである。ちなみに、茜屋珈琲店元町店に入浸っていた俳文堂主人有川さんは砂糖の取りすぎで糖尿病に罹り、それが理由で死に至った。
 余談ながら福原のハイボールセンター100万ドルではじめて飲ませてもらった飲料が明治屋のグレナデンジュースを炭酸で割ったもの。小学生の時のはなしだが、爾来柘榴ジュースには特別の思いがある。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月12日 21:04 | 固定ページリンク




痛み  | 一考    

 腎臓を病んでから感染症、特に風邪には注意するように云われている。確実に肺炎に罹るからである。罹ると癒らない、それほどに抵抗力がなくなっている。木造家屋だと室内温度は外気温と比して二、三度高いだけである。ところがマンションは下がっても十二度はある。ちょっと暖めれば十六度になる。引っ越してよかったと思う。
 二輪だと体感温度は五度以上下がる。今日の気温は二度、だとすればマイナス三度以下になる。そこで男性用ストッキングを履いていた。今年から二輪は乗らなくなったのでストッキングの類いも不要になった。履かない方が脚は具合よい、体毛が逆向きになって気持悪いのである。
 食欲がなくなるほどではないが、今日も穿刺が痛かった。四箇月間痛いと思わなかったが、最近は怺えることが多くなった。それだけ血管や皮膚が傷ついてきたのであろう。
 アメリカでは人工血管を用いる。人工血管の利点は穿刺の痛みが伴わないこと、欠点は三箇月から半年しか維持できないこと。ただし、アメリカの場合は移植までの期間が短いので人工血管で十分なのである。比して日本では移植は原則あり得ない。透析を死ぬまで続けるしかなく、内シャントしか方法がない。これは医療でなく、文化の違いである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月11日 23:00 | 固定ページリンク




寒鰤  | 一考    

 一切れ食べただけで氷温で置いていた鰤を食べる。実に美味い、さすがに寒鰤である。この土日は食事に一切制限を設けない。刺身とミニステーキと肉豆腐を喰う。塩分やカリウム、リン含有量の多い食品の他、脂溶性ビタミン類、ビタミンC等も危険な食品だが、今日に限ってお構いなし、それほどに空腹だった。明日の月曜日に体重を整えればよい。
 好きなものを飲み、好きなものを喰う、そんな日があっても良いと思いつつ、久しぶりに食べていると涙が出てくる。命永らえるのを交換条件での食事制限であり透析である。それ以上望むものが何処にあろうか。思わず、箸を置く。こうした迷いがこれからも続くのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月10日 00:07 | 固定ページリンク




留置針  | 一考    

 通常、血流は動脈にあっては身体の端々へ流れ、静脈は心臓へ向かって流れる。ところで内シャントによって静脈を動脈に改造した血管の流れは当然心臓を向いている。要するに透析の際に用いる血管は動脈でありながら心臓へ流れ込む。これが心臓に負担をかける理由である。
 二本穿刺する血管内留置針、すなわち血液を抜き出す側と戻す側は血流に沿って互い違いに刺される。ただし、取血側は血量が十分に取られれば逆でも差し障りはないし、戻す側は静脈であれば全身どこでも構わない。
 穿刺は心臓から離れるほど痛みが増すと云われる。肩より腕、腕より指先の方が痛い。臂の内側のような関節部も痛みは少ないが、血管内留置針は長さが三十ミリほどあって、平坦な部位でないと血量が確保できない。ちなみに血管内留置針は、少々の動きで抜けたり血液が滲んだりしないように、柔軟性があって生体適合性の良い材料で造られている。
 静脈は細く表皮を匍うように流れ、動脈は太く体内深く隠されている。斬り方にもよるが、動脈を截断すれば二、三分で死ぬ、静脈は止血すれば滅多なことで死ぬものでない。リストカットは手首を切る自傷行為だが、切っているのは静脈であって動脈ではない。手首の動脈は十ミリほど深いところにあり、手首を切り落とす覚悟で刳らなければ死ぬのはかなわない。もっとも死んでしまえば自傷行為を通り越し、自殺行為になる。
 今まで透析には穿刺する二箇所共に、動脈に改造した血管を用いてきた。太く発達しているので穿刺しやすいからである。しかし、同じところを使っていると血管が早く傷つく。痛んだ箇所は荒廃し、血管が団子のように膨らむ理由のひとつになる。ゴム製の管を想像していただければ分かるが、いつしか弾性を失って止血が効かなくなる。
 注射針が太いので穿刺の傷跡が消えるのに五、六日はかかる(糖尿病の場合は血管が脆くなっているのでさらに日数がかかる)。動脈側はできるだけ真っ直ぐなところを撰んで使うしかないが、静脈側は幅広く穿刺する方が個々の血管の痛みが少なくて済む。そこで穿刺箇所を他の静脈に変え、血液を戻していた箇所も取血に使おうと思ったのである。そして針を反対側から刺せば、穿刺箇所はさらに拡がる。
 前回「針を反対方向から刺してもらった」と書いた理由である。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月09日 23:21 | 固定ページリンク




穿刺  | 一考    

 火曜日から木曜日は食事を抜き、金曜日は深夜の一食のみ、火曜日の穿刺が痛かったからである。おそらく神経に触ったのだと思う。透析中から違和感はあったものの、透析中の四時間半ほどは身動きできない。針を抜いた辺りから激痛に見舞われた。
 血管内留置針は金属(人工臓器用穿刺針、AVフィスチュラ)とカニュ−ラ(テフロンやポリプロピレン製)があって、わたしが通うクリニックはポリプロピレンを用いている。針本体は十センチほどの長さでステンレス製だと思うが、その上をスライドさせてカニュ−ラを刺す、序で金属針を抜き出すという二重構造になっている。
 激痛と書いたが、そのことを病院では喋っていない。穿刺の巧い下手が理由でないので、穿刺者に悪いからである。神経がどこを走っているかは個々に異なる、事前にそのようなことは本人ですら把握できない。患者のサイトでよく穿刺に関する悪口が書き込まれているが、何度も刺されれる、もしくは血管を突き抜いて内出血すれば腹が立つだろうが、そうでない限りは穿刺者の責任にはならない。間が悪いとしか云いようがない。
 木曜日の透析では痛い箇所をずらし、針を反対方向から刺してもらった。前回とは一センチほどずらしたわけだが、やはり痛くて呻っていた。金曜日には湿布を貼って怺えたが、痛みがなくなったのは土曜日の朝だった。
 動脈(元は静脈)の心臓に近い方を静脈、遠い方を動脈と便宜的に呼んでいる。今日は血液を体内に戻す側に本物の静脈を用いた。静脈は細くてカニュ−ラと同じぐらいである。要するに穿刺に高等技術が必要になる。しかし、そうでもして動脈側の使用できる部分を増やさないと叶わない。この四箇月、わずか二センチの幅に六十回を越す穿刺が繰り返されたことになる。静脈側は理屈ではどこでも良いのだから、これで動脈側の使用範囲が倍になる。
 北里で一度血管を突き抜いている。そのときはなんともなかったが、次の日から内出血部に痛みが出た。しかし、今回の痛みはそんなものでなかった。もっとも、ブラックアウトに比べれば痛みといえるようなものでないのだが。

追記
 今日はじめて用いた静脈の止血がうまくいかず、十五分ほど掛かった。馴れるのに一箇月は必要とのことだった。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月08日 23:26 | 固定ページリンク




性欲  | 一考    

 糖尿病は性欲が減退する、透析に這入る前に大方は性欲を失うと複数の医師から聞いている。この糖尿と性欲の問題、さらには尿毒素と性欲の因果関係はわたしにはよく分からない。医師や看護士に訊いても個体差があるので応えられないと云う。副甲状腺をはじめとして高血圧症、高脂血症、動脈硬化症などが複雑に関係するのだと思う。わたしの場合は尿毒素の除去に伴って性欲が戻ってきたように思う。
 思うと書いた理由は確かめようにも、もっか一人暮しだからである。従って、性欲は自慰でもって確認している。ただし、一度勃起不全に陥ったので十全には戻らない、要は勃起しにくいのである。性技に闌けた女性なら大丈夫だろうが、そうでなければ不能なままである。こちらは尿毒素の問題か加齢の問題か定かならず。
 いずれにせよ、性の領域は脳に属する。内服薬の副作用などよりも、発症に伴うストレスや不安感が引き金になる場合が多いと思う。わたしも同様でこの一年余は性どころでなかった、生きていればこその性である。だとすれば長い目で見るしかない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月08日 21:05 | 固定ページリンク




宿題  | 一考    

 一日の血液検査の結果が出た。リン、カリウムその他の気になっていた数値が基準内に収まった。それを良いことにさっそく鰤の刺身を購入、新年早々鮨三昧の生活を送っている。低蛋白米では鮨米にならないので普通の米を買ってきた。一週とばしの血液検査は助かる。少しでも異常値が出ると対処できる。三週あれば大概のことに対応できるようになった。
 今回の問題は肝臓の機能障害である。GPT43(平均値は3-36)、γ-GTP100(平均値8-76)となっている。看護師から年末年始に相当量の酒を呑みましたねと云われたが一滴も呑んでいない。他の理由を探すが、ビリルビンが0.30なので炎症は起きていない。薬物は以前から服用している指定の三種のみ。医師は肝炎だろうと云うが、そちらの血液検査はエイズから梅毒に至るまで北里で済ませている。次回まで様子見となった。
 おっきーさんから治療に関する経過を記述すればどうかと云われた。体重、心胸比、小便の量と除水量、血液検査の結果、誰も触れない性欲などである。細かく記述したサイトはなさそうだが、他の患者の役に立つのだろうか。わたしは腎結石から透析に這入った、ところが糖尿病から透析に這入った方が今では多数を占める。例えば食事制限ひとつ取っても、まるで内容が異なる。こちらに関しては考慮の余地あり、宿題とする。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月07日 20:30 | 固定ページリンク




ベストセラー  | 一考    

 何時も書いていることだが、読書とは生きることであり、個々の人生そのものである。作家は書くことを生きるのであって、読書人は読むことを生きる。学研文庫版「後方見聞録」の解説で書いたのはそのことに尽きる。当然、自らの生に相応しい書物があれば相応しくない書物もある。要するに、好きな書物は個々に異なる。その差違を重んじるがゆえに、大量に売れる書物を訝しく思う。
 おニャン子クラブとAKB48、出自は違うがモーニング娘といった個々の差違でなく、シンクロが売りのグループがある。この場合、個は問題にならないのでメンバーは次々と替わってゆく。端から核になるものがないので、悉くが代用品である。ここでベーコンを持ち出せば揶揄となる、現代ではアイドルすらが代用品で有効なのであろう。
 昔はクレイジーキャッツ今はAKBと云いたいところだが、前者に顕著なナンセンスは後者には見られない。AKBは素人ゆえの直向さはあるもののおよそ能転気なグループである。その調子のよさが時代に受けたと解するべきか。個の否定に甘んじるか、それともグループはわたしで持っているとの錯覚に身を任せるか、いずれにせよ当人達に覚悟はなにひとつとしてあるまい。
 この消息はアイドルに止まらない。昔、サーニンが発売禁止処分になった。自殺者が続いたからである。往時の書物の社会的地歩と現在のそれではあまりにも異なる。エンターテインメントと云えば聴こえは良いが、まるで読書から人生が消え失せたようである。きっと消え失せたのは人生だけではない。
 個人の価値や好みを集計して弾きだした公約数を並べたものがベストセラーだとわたしは思っている。そうとでも思わなければベストセラーなるものを理解できない。多数の支持を得るにはなによりもまず平均的でなければならない。当然ながら、読者も平均的人間ということになる。このふたつが仕合せな結婚に成功したのが現代であろう。
 書き手と読み手に限らず、なにもかもが置換可能な世界、個のない世界、貌のない世界の浸食がはじまった。私流に云えば、情念のない世界ということになる。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月07日 00:20 | 固定ページリンク




若葉マーク  | 一考    

 透析を終えてからとにかく寝た。腹が減ってごそごそ起きるだけ、喰えばまた寝つづける。日本酒が飲みたかったが、結局酒は呑まず仕舞い。烏龍茶と紅茶は随分と飲んだが、食事は極力減らした。中二日の休みだと捨て置けば体重が増える。除水はなんとしても1.5キロまでに収めたい。
 食事はすべて冷凍品で済ませた。例外は茶碗蒸し、これだけは三つ葉と蒲鉾を年末に購入、他の具は冷凍で間に合わせる。まだ寝るのかしらと訝しく思いながらも眠りつづけたが、身体が欲しているのだから致し方なし。腎不全が進行してからは身体の欲求には極力逆らわないようにしている。
 さまざまな疾病や障害を抱えたひとを知った。彼等のためにわたしに何ができるのだろうか。思いを致すには自らの疾病そして障害についてもっと学ばねばならない。透析ひとつ取ってみても、わたしには分からないことが多すぎる。透析について最小限を知るに一年は掛かると云う。世話になっているクリニックにしてからが、全貌を理解しているのはおそらく医師だけだろう。その医師にして泌尿器もしくは腎臓内科のことにしか理解は及んでいない。質問には常に専門医にどうぞと返ってくるだけ、余計なことには一切首を突っ込まない。これでよいのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月04日 21:43 | 固定ページリンク




体操  | 一考    

 屋内で体操をしたいのだがと回診の医師と看護師に云ったところ、大騒ぎになった。透析患者から体操の話が出たのははじめてらしい。明日にも死にそうな患者が多数を占めるなかにあって、せめてものレジスタンスのつもりだった。内シャントが傷つかなければと云われたが、どうすれば傷つくのかがわたしには分からない。腹筋、背筋は問題なし、腕立て伏せと懸垂にはクレームが付いた。五十づつ計二百は問題なく出来ていたが、おそらく今なら十回も繰り返せば疲れるに違いない。
 靭帯剥離骨折は癒すに途方もない時間が掛かった。今は内シャントを造ったせいで左手首が曲がらない。曲げるには腕立て伏せが最適と思ったのだが、医師までが責任は取られない、自己責任でと云いだす始末。2009年07月からまったく身体を使っていない。医師は水泳を薦めるが、わざわざプールへは出掛けられない、やはり自転車だろうか。いずれにせよ、腕に力が加わる種類の体操は原則禁止だそうである。
 看護師は自転車に興味があるらしく、遠距離の場合何キロぐらい走るのか、スピードはどれぐらい出すのかなどと根掘り葉掘り訊く。若い頃はともかく、わたしはポタリングを楽しんでいる。淡路島一周150キロはよく出掛けたが、南端の公園とか五色浜など寄り道が多く、時間は気にせずに走っている。京都や岐阜へ遠出したときは二十時間は平気で漕ぎつづける等々、訊かれるがままに応える。
 クリニックの看護師、技師には年長者が多い。経験豊富で穿刺の巧いのがなによりだが、最近は徒言も交わせるようになった。みなさんのお陰で新しい年を迎えられたことを嬉しく思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月04日 01:58 | 固定ページリンク




初詣2  | 一考    

 ヒデキさんと初詣、豊川稲荷は閑散としていたが、花園神社は人の波、素通りしてゴールデン街へ行く。飲み屋でコーラを飲んでいるのをオネエさんに揶揄われるが、透析と聞いた横のカメラマン(女性)が話しかけてくる。二十代から透析をしていた父親が先頃亡くなったらしいが死因は脚部の血栓、その理由が分からないということで説明する。
 リンの過剰摂取による血栓、脳だと脳梗塞、心臓なら心筋梗塞、肺なら肺梗塞んとなる。全身のどこに生じるか分からないのが血栓で、四肢壊疽を呈することもある。肺水腫や心不全、感染症と共に透析患者の死因のひとつだが、糖尿病の人は要注意などと話した。
 彼女は透析は生活するための治療だと正確な知識をもっていたが、一方で大変困難な治療だと思い込んでいる。さかんに同情されるが、わたしは同情されるような治療方だとは思っていない。父親とわたしの人生観の違いだと思うが、疾患に罹ろうが罹るまいが人には寿命というものがある。仮にあと三年の命と告げられたところで、悲壮感はなにもない。与えられた時間を淡々と生きるのみ。
 今ひとつ、彼女は個々の存在には意味があると信じている。一種の神秘論を信奉してい、それ故の改革が必要と思っている。わたしはスパンがもう少し長く、世の中には反動というものが必ずやあって、捨て置けばよいと思っている。例えば、シンクロを売りとする昨今の歌手連や、現在の漫画文化の蔓延などは気にもしていない。早晩滅びて顧みる者もいなくなると思っている。
 前述のオネエさんが、とにかく彼女は真面目でと云っていたが、真面目結構、ただ真面目に生きられなくなったところからそれぞれの真の個性がはじまると思う。個人の価値や好みは永遠に集計できない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月03日 05:03 | 固定ページリンク




初詣  | 一考    

 本年最後の営業です。去年はろくに歩かれなかったが、今年は大丈夫。初詣に行かれる方はご一緒にどうぞ。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月31日 18:52 | 固定ページリンク




三箇日  | 一考    

 同室の患者のことだが、五百グラム取り置いて三千七百の除水との声が聞こえた。二日で四千二百である。これでも節制している方である。節制などなにもしていない患者がいる。どのみち良くはならないのだからとの気持は分かる。しかし、自分が苦しい思いをするだけである。一日あけて体重の3パーセント、2日あけて5パーセント以内の制限を守らなければ、いらぬ負担が心臓に掛かる。排尿がなくなると結果的に心臓との闘いを余儀なくさせられる。
 十キロの除水という剛の者がいたらしい。当然入院となり、透析に十時間以上掛かったようである。三箇日は特に酷くなるそうで、酒とアルコール分解の水と食い物で過半数の患者が5パーセントを超過するそうな。看護師から三箇日の食事には注意するように五月蠅く云われている。もっとも、わたしのような一人住まいにそうした心配は無用である。わたしには正月もなにもない、何時もと同じである。鮪、数の子、田作、黒豆、根菜の煮付け、紅白の蒲鉾等々、お節料理はどれを取っても身体に悪い。といって多量のリンを含んだ中国製冷凍餃子を食べるわけもなく、重金属が這入ったワインを飲むでもない。せいぜいが餅一切れと蜜柑一個を余分に喰うぐらいである。
 一日と四日は透析だが、二日と三日は暇である。高速道路が混むので遠出もできない。季村さんから頂戴した本はこんな時にしか読まれない。関さんから多量の眼薬も頂戴している。今年の正月は読書と洗濯で過ごすつもり。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月30日 22:37 | 固定ページリンク




白州ヘビリーピーテッド再販  | 一考    

 サントリーの「白州ヘビリーピーテッド」がISC2010とIWSC2010の金賞を受賞。受賞を記念して「白州ヘビリーピーテッド2010」が数量限定で新発売。当然、前回とはカスク違いになりますが、香味はほぼ同じ。アメリカンホワイトオークのバーボン樽熟成、48度のプリファードストレングス。

 ウィスキー部門の売上がこのところのハイボールブームで五倍に跳ねあがったのは良いが、このままだと原酒不足に陥る可能性あり、先日紹介したトリス・エキストラはそのために開発されたハイボール専用ウィスキー。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月30日 00:48 | 固定ページリンク




糖尿  | 一考    

 名前は伏せるが、店の客の家人が透析をはじめた。糖尿からの透析なので血管が細くて脆い、従って腹膜透析にしたようである。他にもバルーンカテーテルを用いたPTAや人工血管によるブラッドアクセスなどがあるが、腹膜透析が無難であろう。ただし、三年ほどしか持たないのが腹膜透析の欠点である。わたしが通うクリニックにも糖尿の方は多いが、止血が思うにまかせず困っているようである。通常止血は十分だが、糖尿患者の場合は十五分ほど見ている。それでも血が吹き出る。血管が脆くなっているのが理由だが、見ていて可哀相になる。
 わたしのように腎臓の病気で機能そのものが損壊してゆく場合は仕方がないが、糖尿の場合はクレアチニンが2.0までに自覚症状が顕われる。其の後は食事制限で元に戻すことが可能である。ただし、家族の協力が欠かせない。糖尿患者を前にして野菜の煮物や野菜サラダ、フルーツを食していては駄目である。総出で食事制限に参加しないといけない。糖尿病が生活習慣病と云われる所以である。
 糖尿病患者が末期腎不全に至る理由の過多は家人の非協力と理解のなさにある。そしてもっとも大事なのは本人の意志である。食事量を減らすことと病人食を試みる、その二点だけでも病状が進むのを防ぐことが可能である。それと月一回の血液検査で過剰摂取がでたものは控える、そうすれば透析にまで進まないはずである。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月29日 21:10 | 固定ページリンク




味覚不全  | 一考    

 リンが減ったのでショートケーキとクレープを買ってきた。クレープを食べたのははじめてである。昨今流行のロールケーキと同じでホイップ、正確にはクレームシャンティイーの味だけで他にはなにも残らない。モルト・ウィスキーの複雑な香味と比べては申し訳ないが、バニラオイルかバニラエッセンスの単純な香りだけで他に取り立てて匂いと称するものはなにひとつ窺えない。味覚不全というか、要は甘いだけの幼児の味覚である。これならちょっと高級なチーズケーキやバウムクーヘンのほうがはるかに複雑な香味や食感を楽しむことができる。
 甘いだけの廉いラム酒でなく、ヴィンテージものには解析不能な香味を持つものが多い。ラム酒に精通していなければ、ショートケーキひとつ造られるものでない。二度とクレープやロールケーキは食べないが、素人でも造られるようなものが商品として売られていることに愕く。芸のないことこの上ない。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月27日 20:30 | 固定ページリンク




剽窃  | 一考    

 一度でも警察のお世話になった人ならご存じだが、パトカーや覆面パトの後部ドアにはノブが付いていない。要は中からドアは開けられないようになっている。脚本家の責任なのだろうが、そのような間違いがテレビドラマで散見される。
 主人公が板前の番組で寸胴で白出汁を取る場面があった。コンビニで売っているような花かつを、恐らく100グラムか80グラム入りの袋から三分の一ほどを放り込んでいたが、あれでは出汁は取られない、一袋全部を入れても到底無理である。番組の制作に当たって料理人が付ききりだと聞いたが、どこの料理人であろうか、嗤ってしまった。
 過日触れた「ONE PIECE」の紹介がテレビであった。数人のコメンテーターが激賞していたが、人は何時死ぬかという箇所があった。前後は下らないので端折るが、「人が死ぬとき、それは忘れ去られたとき」という文言を誉めていたのである。古くはシェイクスピアからか、新しくはピエール・ドリュ=ラ=ロシェル、もしくはジャック・リゴーからの剽窃か、おそらくはモーリス・ロネのモノローグであろう。いずれにせよ、かくまで使い古された常套句に驚いてみせるコメンテーターの無知蒙昧ぶりに恐れ入った。そんな話をしていたら、某編輯長から漫画相手に盗作で立腹していたら憤死するよと注意を受けた。他にも盗作と思しき箇所はあったが、漫画文化とはそのようなものかと惘れ果てた。
 インターネットの普及によって著作権の無視が罷り通るようになった。いずれ整理されるのであろうが。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月25日 22:45 | 固定ページリンク




年末年始の営業  | 一考    

例年通り、三十一日までの営業です。新年は四日からですが、透析ゆえ九時からの営業になります。御贔屓に。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月25日 22:09 | 固定ページリンク




延命  | 一考    

 腎不全は悪くなる一方で良くなることはない。わたしの場合、既に機能は一、二パーセントに落ちている。この僅かなパーセントすら風前の灯火で、絶えれば自力での排尿が不可能になる。末期腎不全の最終コースは透析だが、最初から透析を前向きに考える人はいない。「延命はあさましい」として当初透析を拒否した団鬼六氏のように、周章て、狼狽え、そして辛抱する。クレアチニン値が9.0を越えておよそ一年が我慢の限界だが、そのような状態に至ってもわたしはまだ迷っていた。その迷いを払拭させたのはリンとカルシウムの滞留がもたらす血栓である。血栓は心筋梗塞や脳梗塞の因子となる。そのまま亡くなれば良いが、半身不随や植物人間になる危険性を多分に孕んでいる。糅てて加えて、ブラックアウトは身体にさまざまな意味で衝撃をもたらした。ブラックアウトの理由は血栓ではないが、度重なる意識喪失は植物状態を窺わせるに十分だった。
 延命を否定する文章を2009年07月22日に腎不全と題して書いている。恰度丸一年我慢したわけだが、2010年8月北里研究所病院へ入院する前後はさすがに死を覚悟していた。「意識消失にはそうした無意識の防禦反応がまるでない」「自らの意志によってどうこうなるようなものではない。死は想像を絶するほど暴力的である」等と書いている。それにしても怖ろしく淋しい時期だった。幹郎さんも葬儀を心していたようである。
 延命策を取ったことが良かったのか悪かったのか、わたしにはまだ判らない。だからこそ、他人に薦めはしない。長く生きていると「自らの意志で制禦できないこと」に何度となく逢着する。その度に、わたしには詩集が、書物が、要するに骰子の一擲が必要となる。


投稿者: 一考      日時: 2010年12月24日 23:22 | 固定ページリンク




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