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鈴木創士訳「花のノートルダム」   一考   

 

 ですぺら掲示板1.0の終了直前、2006年末のことだが、エスさんとの遣り取りが続いた。エスとは鈴木創士さんである。平井呈一や齋藤磯雄の雅文について書きたくないことにまで触れてしまったが、あれはわたしの本音である。鈴木創士さんのようにですぺらを地で行くひとを相手にいい加減な問答は許されない。わたしにしては珍しく気合いの入った遣り取りだった。
 その鈴木創士さんがジャン・ジュネの「花のノートルダム」を翻訳なさった。河出文庫で去年の末に上梓されている。数年前から翻訳なさっていると宇野さんから聞かされていたが、上梓をわたしは知らなかった。突然本が送られてきたのである、そして愕いた。
 のっけから引用とは芸のないはなしだが、訳者あとがきが素晴らしい。「花のノートルダム」についての若干の指摘という箇所には、「過剰で幾何学的なカテドラルはまるで数学のように冷厳そのものであり、ふんだんに盛り込まれたキリスト教的な聖体をめぐる隠喩も、そこでは充填されたあらゆる意味を結局は逆に放逐してしまう物言わぬ冷たい大理石の輝きだけを反射している・・・天空と地獄はこのカテドラルにおいてはあらゆる弁証法的な契機を奪われ、「ざらついて」、目を覆いたくなるような、あるいは歓喜に満ちた、分断され絶えず横滑りしていく現実の核心を喚起することによって、そのまま同時に二つの世界として現存している」と著されている。
 あとがきは続く、「三島由紀夫を筆頭に、かつてわが国の読書界が常套手段としていたジュネの小説を狭い意味でのエロティシズム文学において読むやり方からますます私を遠ざけることになった。死とエロティックな同性愛について語りながらも、ジュネはすでにこの最初の小説において、むしろ彼が後に革命について語るような「あまりに強力なので、あらゆるエロティシズムを追い払おうとする官能的な喜び」(「シャティラの四時間」)に打ち震えているように思われた・・・それらの喜びはたしかにエロティシズムを追放していたのだ。それは聖性とも汚穢とも呼べないまま、そのままで冒涜的な「全実体変化」の瞬間的な場所と化す」 

 六十年代、七十年代にあってはエロティシズム即反体制だった。三島由紀夫に限らず、澁澤龍彦、生田耕作など狭義な意味でのエロティシズム文学が大流行だった。その消息は堀口大学の時代からなにも変わっていない。弁証法的発想のうえに成り立った二項対立がことのすべてで、サド、バタイユ、マンディアルグ等、ことごとくが歪められて行った。そのような解釈の上に成り立った翻訳が大手を振って跋扈していたのである。河出書房の人間の文学にしたところで玉石混淆、実体は浪速書房の世界秘密文学選書などと大差なく、風俗小説の域を一歩も出るものでなかった。
 彼等が抗弁の援用に持ち出すのは決まってバタイユでありブルトンだった。それもご都合主義による任意の引用であって批判精神はその破片すらなかった。どうやらわが国では、翻訳は味読玩弄すべきものであって、思惟の対象にはついぞ成り得なかったようである。
 それら文学史の書き換えが今日まで捨て置かれた理由が奈辺にあるのか。鈴木創士の論旨は鋭く、文意は高騰だが、文章は平明、そしてなによりも説得力を持つ。美しい文章とはかかる文章を指す。彼は趣味や余技、あるいは情趣といったものを峻拒する、ここには考え抜かれ、自らの体躯で諒解した鈴木創士の文学がある。翻訳というものが文学のなかにあってどのような領域を占めるものなのか、そのことをわたしは鈴木創士さんから教わった。彼に深く感謝したい。
 訳文に関して一節を引用しておく。堀口大学訳では雲をも掴むような翻訳である。

 気をつけろ。
 第一に、ラ・ロープ(性倒錯者)ことジャン・クレマン、
 第二に、ラ・ペダル(男色家)ことロベール・マルタン、
 第三に、タタ(オネエ)ことロジェ・ファルグ、
 ラ・ロープはプティ‐プレ(社交界の女)に、
 ラ・タタはフェリエールとグランドに、
 ラ・ペダルはマルヴォワザンに惚れている。


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2009年05月22日 01:38に投稿された記事のページです。

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