病院を外出するに、どうして頭を下げてお願いせねばならないのか。向こうに向こうの都合があるならこちらにはこちらの都合がある。病院は慈善事業でなく、商売でやっている。さればこちらの言い分も聞くべきであろう。聞く気がなければご縁がなかったのである。極力医師の言い分は聞いている。傲慢不遜に振る舞うのは若い医師達である。わたしはかなり本気で怒っている。土下座をしてまで癒してくれとは頼んでいない。
今日はクレアチニンがまた悪化した。その血液検査や対応策を取るのは昼である。従って昼に病院にいなければならない。ところがこちらの用事も昼ばかり。命と生活とどちらが大切かと云われると、ここが難しいところで、どちらともわたしには云われない。それほどに生活というものは大切であって、時として命という正に時そのものを跳びこえてしまう。
ところで、ここで云う悪化とはなんだろうか。腎移植が一種の抵抗運動によって悪化してクレアチニン値が高くなる。結果、人工透析へ戻るだけではないか。医師はそれでは困るのかもしれない。しかし、わたしは納得ずくである。
このまま行くとやがて医師と衝突する。繰り返すが、ご縁がなかったというただそれだけのこと。