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「化鳥・きぬぎぬ川」解説   一考   

 

 明治六年(一八七三年)十一月四日、金沢の浅野川の左岸、下新町(現在の尾張町)二十三番地に生れた泉鏡花は、三百篇にのぼる小説・戯曲などを書き残して、昭和十四年九月六十六歳で世を去った。

 本名を泉鏡太郎といい、鏡花は号、すなわちペンネームであった。当時は本名のほかに風流な別名をつけるのが好まれ、文筆家や画家はこぞって雅号を用いている。例えば鴎外こと林太郎、漱石こと金之助といった類である。
 この鏡花との筆名は、明治二十四年の末、尾崎紅葉に弟子入りしたときに、師から与えられたものであり、中国の詩論にある「鏡花水月」にちなんでいる。「鏡花水月」は「鏡中花影」ともいい、鏡に映った花と水に映った月の意で、目には見えても手に取ることの叶わないものの譬えである。
 「芸術は予が最良の仕事也」と信じ、「作物其物の中に人を遊離させたい」と願い、この感知はできても説明のできない幻に、言葉によって肉薄しようとしたのが鏡花の文学である。
 言葉だけを信じ、言葉のみを媒介として組み立てられたこれらの物語を、人は「文字による工芸美術」と讃美する。鏡花の作品が工芸美術であるということから思い合わされるのは、彼の家系であり生地金沢の風土である。
 鏡花の郷里金沢は、江戸時代から加賀百万石の城下町として独自の文化伝統をはぐくんできた町である。淡い飴色の釉薬を特徴とする大樋焼や九谷焼、加賀友禅や金沢箔と称される金箔の打ち出し、また螺鈿蒔絵など、あまねく美術工芸の都市として、金沢はさかえてきた。そして鏡花の父清次は、工名を政光という名人肌の彫金師で、加賀藩の細工方金工九代水野源六の弟子だった。母の鈴は江戸下谷の中田氏に生まれ、その家は葛野流の鼓打ちであった。鈴の祖父にあたる中田万三郎豊喜は加賀藩主前田侯のお抱え能楽師で、鈴の兄の名は松本金太郎、先代宝生九郎の後継者として、きこえ高かった人である。いわば金沢という旧家の代々の血のノスタルジーが、「残燭の焔のように、いまわの際にひとしきり激しく燃えあがった」のが鏡花の生命であり、醇乎たる滅びの諧調を文字に刻みつけて、鏡花は明治大正昭和の三代を通り過ぎたのである。

化鳥

 明治三十年四月、「新著月刊」の第一巻に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷三より収録。鏡花の自筆原稿には、当初「獣王」と題されていたが、ついで「化鳥」と改題。
 本作は鏡花がはじめて試みた口語体の小説で、少年の一人称による内的独白の形式をとっている。この内的独白という小説技法が西洋に登場するのは、一九二〇年代のことである。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をはじめ、プルーストやヴァレリー・ラルボーの小説などがそれに該当するが、この手法の先駆者であるエドゥアール・デュジャルダンに言わせれば、「《内的独白》とは、登場人物のもっとも内奥の、もっとも無意識に近い思考——論理的に組み立てられる以前の、言いかえればまさに生れつつある状態の思考を、最小限の構文による直接的語句を用いて表現する」ものであり、なによりもまず「一見して明らかな作者の干渉を断切り、登場人物が直接自分自身を表現できるようにすること」を目ざすものであった。
 内的独白の定義は以上のようなものだが、一方、鏡花は自らの創作態度を「私は書く時にこれという用意は有りませんが、ここに、一つ私の態度というべきことは、筆を執っていよいよと書き初めてからは、一切向うまかせにするということです。というのは出来得る限り、作中に私というものを出すまいとするのです(むこうまかせ)」と位置づけている。例えば雨が降っているとするなら、まず雨という点景を出し、その後の会話は一切その登場人物の自由に任せてしまうのである。すなわち、登場人物自身の口説法、喋り方に応じて小説を書きつづけるわけで、あらかじめどういう風に発展させようなどということは全く考えない。
 「化鳥」では、読者はのっけから主人公の思考のなかに置かれる。われわれは少年廉とともにいきなり窓から顔を出して雨の降っている橋の上を眺める。少年の意識にとって、過去も未来も、いやな経験も楽しい空想も、すべては《ここ》と《いま》に現前している。はじめの八行目に「寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何日(いつか)でしたっけ、窓から顔を出して見ていました」とあるが、現在も、過去のなかの現在も、すべてひとしなみに《ここ》であり《いま》でしかない。対自としての意識、論理的に組み立てられる以前の、より無意識に近い思考にあって、時間は隔たりを持たない。「母様(おつかさん)が在(い)らっしゃるから、母様(おつかさん)が在(い)らっしゃったから」との言葉で小説が閉じられるが、現在形と過去形とを並べることによって、語られたすべての時間はくずれ、時はなだらかに融化していく。いや、廉の夢が大きくふくれあがって、すべての物語の時間を呑みこんでしまったのである。雨と川とに包みこまれたこの物語は、現実の母から幻の女へ、「翼(はね)の生えたうつくしい姉さん」に抗しきれない自分の心の深淵、すなわち母性憧憬という永遠の夢を覗きみるところで終わる。「照葉狂言」「由縁の女」「縷紅新草」などと共に、金沢ものと称される金沢回帰小説の一篇である。

処方秘箋

 明治三十四年一月、「天地人」第五十号に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷六より収録。
 「私」は八歳の頃、越後の紙谷町に住んでいたが、少年の自宅の向いにある「お辻」という十八歳の美しい娘の家に泊る。その晩、同じ町に住む薬屋の妖しい婦人があらわれて、寝入っているお辻の息の根を止める夢を見た……
 鏡花の郷里金沢は北陸の市である。冬は雪に埋もれて退屈な日を送るしかない。紙凧を揚げるにしても、春は三月か四月にならないとやって来ない。しぜん子供達の遊びも室内のものに限られる。
 幼い頃の鏡花は、母が輿入れのときに雛の箱のなかに一緒にしのばせてきた草双紙「白縫物語」や「大和文庫」「時代かゞみ」などの表紙絵を土用干しのように並べ、買ってもらった薄葉紙で、それらの口絵だの挿絵だのを透写するのに熱中したという。これは彫金師だった父が、家業を継がせるために、彼に絵を習わせようとしたことも影響している。やがて、透写に飽きた鏡花は、自らの創造のおもむくままに、さまざまな画題を試みるようになる。
 「可憐なおとめが樹上に縛りあげられ、打擲されている場面などを、いとも克明に現したものであった」とは鏡花の実弟、泉斜汀の語るところだが、鏡花の被虐趣味はこの頃からめざめていたのであろう。しいたげられる女性に妖しい美しさを、ひいては聖性を物狂おしく求める鏡花文学の素地はこんなところにもある。
 文中、「婦人(おんな)は右手(めて)を差伸ばして、結立(ゆいたて)の一筋も乱れない、お辻の高島田をむずとつかんで、ずッと立った。手荒さ、烈しさ。元結は切れたから、髪のずるりと解けたのが、手の甲にまつわると、宙に釣されるようになって、お辻は半身、胸もあらわに、引起こされたが、両手を畳に裏返して、呼吸(いき)のあるものとは見えない」と著されているが、これなどは「歌行燈」の芸妓お三重が船頭達からうける非道な扱いや、「眉かくしの霊」で若婦人が緋のの長襦袢一枚で村中をひき廻される箇処などと同様に、幼少の頃に読み耽った草双紙の頽廃的雰囲気が如実に再現されている。
 題名の処方秘箋は処方箋に秘術の意味を加えたもので、あやかしの婦人の秘法を指す。

雪の翼

 明治三十四年一月、「今世少年」に「本朝食人種」の題名で発表された。「雪と羽衣」と題されたこともある。岩波書店版鏡花全集卷六より収録。
 年少の読者にはいささか難解な印象を与えるかもしれない。しかし、昔は幼い頃から文語体に馴れ親しむので、まったくの口語体よりも、このような混交体のほうが少年少女には読み易かったのである。同様な少年向け山岳小説に「さらさら越」がある。
 留守を守る海軍少尉の婦人民子が、入院している夫を見舞う旅の途中、雪に閉ざされて深山の宿に動けなくなった時、舞いこんできた雁を助ける。やがて雪のあわいを縫って宿を発つが、ソリが道をすべり、転落した民子は炭焼小屋へたどり着く。そこでは雪に封じこめられた男たちが、人肉をも食するという飢餓状態にあり、あわや荒男の餌食になろうとしたのを雁の恩返しによって一命をとりとめる……
 「泉鏡花年譜」の明治二十六年の項に「八月、重き脚気を痛み、療養のため帰郷。十月京都に赴く。同地遊覧中なりし、先生に汽車賃の補助をうけて横寺町に帰らむがためなりき。時小春にして、途中大聖寺より大に雪降る」とある。
 当時、金沢から上京するためには、徒歩か人力車で敦賀まで行き、そこから汽車に乗るより方法がなかった。この体験を活かし、雪の街道、雪の峠に漂う霊異を描いたのが本作である。文中に出てくる春日峠(かすがのとうげ)は北陸道最後の難所であり、石川と福井の県境にある牛の谷(や)峠より、さらに山ふところ深い南越地方特有の鬱蒼とした山路である。この春日峠を舞台にした作品として、他に「白鬼女物語」「山中哲学」「怪語」などがあり、飛騨山中を舞台とした名作「高野聖」と共に、鏡花の山中幻想譚の系譜を形造っている。

女仙前記・きぬぎぬ川

 「女仙前記」は明治三十五年一月の「新小説」第七年第一巻に、「きぬぎぬ川」は同年五月の「新小説」第七年第五巻ない発表された。共に岩波書店版鏡花全集卷七より収録。「きぬぎぬ川」の自筆原稿の末尾には「女仙後記(完)」と記されている。
 「女仙前記」は雪売りのおやじの呼び声で書き起こされる。湯湧谷の錦葉の時分に、どこからともなく現れた娘の世話をしたおやじから、その娘のかたみである白い兎をお雪はさずかる。いかなるめぐり合わせか、娘の名もお雪といった……
 「女仙前記」は筋の展開にそれほどの変化はない。雪、白い兎、お雪という名の二人の女、といった点景に湯湧谷のなつかしい眺めが添えられ、そこはかとない詩情を漂わせる佳品である。
「きぬぎぬ川」では、兎をさずかった令室の行方をさがして、後朝川の上流へとわけ入った女中が、湯湧谷で気高い麗人に出会って救われる。
 本作には前述した「白縫物語」と全く同じ構図をとる部分がある。幼いころ亡き母から、よく絵解きをしてもらった草双紙のことである。やさしかった母と孤独な少年を癒す摩耶夫人像とが手を取り合い、女仙の姿となって結実した、「蓑谷」「竜潭譚」「清心庵」の系譜に連なる物語である。ここには美しい救済者への夢想という鏡花文学の根源的主題が流れている。また、本作の面目は、岩角にすがり、渓流を渡り、山の奥深くへとわけ入る、その自然描写の筆致にある。岩の一枚、瀧の一筋、瀬の一滴が異常な鮮明さで描かれ、まるで克明に刻まれた銅版画を覗くような印象を読者に与える。そして、それらミクロの世界が、湯湧谷と名付けられた迷宮の螺旋構造を形造る。鏡花の小説にあっては、真の幻想が持ち得るすぐれて良質な面が、しばしば立ち顕れる。それはもはや夢幻(ゆめまぼろし)ではなく、したたかに不可思議な現実そのものである。

雪霊記事

 大正十四年四月、「小説倶楽部」第五巻第四号に発表された。本書には岩波書店版鏡花全集卷二十一から収録。
 本作は「雪の翼」と同じく、武生の雪に取材した作品であり、文体は一人称の「あります」体で統一されている。内容は、主人公の関が越前武生の恩人お米の宿を訪ねる物語である。道中、雪難の碑の前で、雪がすさまじい渦となって舞い上がり、「私」は雪に埋もれて倒れてしまう。粉雪が紫陽花の青い花片のように舞い、菖蒲が咲き、螢が飛ぶ……渦のごとく湧き立吹雪の超現実的な描写が、お米さんの清く暖かい肌への思いと雪の霊とを重ね合わせてゆくところが、この作品の見所である。本篇には「雪霊続記」と題する続篇があり、雪中行軍に擬して凍死したといわれる雪難の碑の亡霊が現れる。また、雪の月夜の光景を描いた佳品として、「銀短冊」と題する中篇がある。いずれもが、毎年のように深い雪におおわれる北陸の厳冬が育てた幻想であり、鏡花文学に固有の耽美的傾向が顕著に現れている。
 鏡花には、この武生周辺を舞台に、そして、周囲の山村に伝わる豊富な伝説や口碑、民譚に材をとり、修飾をほどこした小説がすこぶる多い。旧北陸道を南下し、武生市四郎丸町で二つに分かれる道を東に折れた平吹町を舞台にしたのが「水鶏(くいな)の里」。そして、その道を反対方向、敦賀へ通じる道を行くと春日峠である。また、武生の町を真っ二つに引き裂くかのように縦断しているのが現在の日野川、すなわち白鬼女川である。白鬼女川の源は夜叉ヶ池。越前、美濃、近江の三国にまたがる三国岳と三周ヶ岳の中腹にひっそりと眠る神秘の湖である。鏡花はこの夜叉ヶ池の大蛇伝説と、白山、剣ヶ身ねにある千蛇ヶ池の伝説とを組み合わせ、壮大な恋物語「夜叉ヶ池」を著したのである。

十三娘

 大正十一年十月、「鈴の音」第二巻第十号に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷二十二より収録。鏡花自筆原稿には「たけのやま」とあり、のちに改題された。
 本作は中国の小説、段成式の「剣侠伝」の一篇「老人化猿」の翻案である。原文はわずか百余文字の短文だが、それを草双紙風の興趣にかえて、手頃な短篇に仕立て直したものである。文中では女主人公十三娘に「おとみさん」とのルビが付されているが、中国ものゆえ、題名は「じゅうさんじょう」と読むのが正しかろう。
 天下の女剣侠とうたわれた趙国明径の楊家(楊朱の学説を奉じる学者のこと)の娘、十三娘(おとみさん)が、越王に招かれて越国へ向かう道中記だが、単なる冒険譚としてではなく、一種の変身譚として読むべき物語である。
 人が化けて馬となり牛となり、また人を化かして馬となし牛となす術は幻想文学の欠くべからざる要素として、神話時代から現代にいたるまで脈々と語り継がれている。鏡花の小説のなかにも、そのような観音力や鬼神力が描かれた作品は数多く、それら怪異物の頂点に「高野聖」がある。
 本作の老人化猿は、化けるのは自分自身である。「高野聖」のように人の呪力によってたぶらかされるのではないが、変身することに違いはない。この変身、すなわちメタモルフォーシスを、生物学用語の「変態」に置き替えてみれば理解しやすくなる。オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが、いわゆる生物学上のメタモルフォーシスである。これら自然界の大法則を、空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学なのである。
 鏡花は明治三四十年代に、しきりに唐宋から明清間の奇談を翻訳もしくは翻案している。岩波書店版鏡花全集卷二十七には「唐模様」と題する小品が収められている。幸田露伴から芥川龍之介や木下杢太郎を経て、中島敦や石川淳に至る「支那好み」の系譜の中間に位置する佳作であり、秋成やラフカディオ・ハーンの作品と好一対となっている。

駒の話

 大正十三年一月、「サンデー毎日」第三年第一号に発表された。岩波書店版鏡花全集卷二十二に初出の稿が、卷二十三には決定稿が収められている。本書には卷二十三より収録した。
 駒とは猫の名前で、ここでは猫が主人公である。しかも、駒は知恵や感情をもち、強烈な個性をもって、積極的に人間界に参入する。
 近代日本文学で猫を扱った作品は少なくない。とりわけ、漱石の「我輩は猫である」、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」、萩原朔太郎の「猫町」、内田百けんの「ノラや」などは有名である。また、文中で触れられている「想山著聞集」や「徒然草」の「猫又」の話もよく識られている。猫又とは人を喰い殺す魔性の猫で、妖怪変化のことである。しかし、本作に描かれた駒は化け猫ではない。この牝猫は並々ならぬ礼節をもって人間世界に入りこみ、その母性愛に驚嘆の目を向けさせるのである。人語を話す猫という蕉園女史の挿話が織りこまれているが、この種の猫は明治四十三年十月に発表された「三味線堀」にもしきりに現れている。大団円で、長刀小脇に白衣の貴婦人が大猫をともなって見得を切る、という「三味線堀」の華やかさとは逆に、本作では次第におとろえてゆく駒の境涯が、写生文風に淡々と描かれている。飄逸な趣をもつ小品である。
 ちなみに、鏡花には「黒猫」(明治二十八年)という作品がある。エドガー・アラン・ポーの「黒猫」の影響下に著されたといわれる作品で、盲人の怨霊がとり憑いた黒猫が登場する怪異譚である。

絵本の春

 大正十三年一月、「文藝春秋」第四年第一号に発表された。本書には岩波書店版鏡花全集卷二十三より収録。
 桃も桜も、真紅の椿も、濃い霞に包まれた春おぼろのたそがれ、小路の破れ木戸に「貸本」とかなで染められた白紙の幻覚に少年はおそわれる。幾日も、その貸本の紙ばかり見つめていると、美しいお嬢さんが一冊の草双紙を貸してくれた。「絵本の春」との表題はここからとられた。
 文中に出てくる「逢魔が時」は、鏡花が好んで用いる言葉である。「逢魔が時」とはたそがれのことであり、暗でもなく、光でもなく、光と暗との混合でもない、一種特別な色彩の世界である。鏡花は「たそがれの味」と題する談話のなかで、彼の文芸観の一端を語っている。
 「多くの人は、たそがれと夕ぐれとを、ごっちゃにして居るように思います。夕ぐれというと、どちらかといえば、夜の色、暗の色という感じが主になっている。しかし、たそがれは、夜の色ではない、暗の色でもない。といって、昼の光、光明の感じばかりでもない。昼から夜に入る刹那の世界、光から暗へ入る刹那の境、そこにたそがれの世界があるのではありますまいか……夜と昼、光と暗との外に世界のないように思っているのは、大きな間違いだと思います。夕暮とか、朝とかいう両極に近い感じの外に、たしかに、一種微妙な中間の世界があるとは、私の信仰です。私はこのたそがれ趣味、東雲趣味を、世の中の人に伝えたいものだと思っております」
 鏡花によれば、たそがれと夕ぐれとが違うように、善と悪、正と邪、快と不快、それらすべてが昼と夜のようなもので、人間はそのあいだに一種微妙な形象、心状を現ずるのである。ちなみに、この言葉を夢と現実に置き換えてみよう。アンドレ・ブルトンは「シュールレアリスム宣言」の中で「夢と現実、一見まったく相容れないこの二つの状態が、一種の絶対的現実、言うなれば、超現実のなかにいつしか解消されてしまうことをわたしは信じていると叙している。鏡花が説く「たそがれの味」もまた、かかる対立概念が対立せず、矛盾が矛盾でなくなってしまうような至高点への信仰であり、その具象化であった。
 繊細な感性とたくましい空想力をもった少年にとって、たそがれは魔の領域にふと足を踏み入れたくなるような時間帯である。「逢魔が時」という魔界へのパスポートをもって占いをする妖しい小母さん、生肝をとられた若い女の話、洪水の怪異などが、走馬燈のようにめぐる。鏡花の小説の不可思議である。しかし、不可思議なものはつねに美しい。「美しいものは不可思議なものを除いてほかにない」と宣言してみせたのもブルトンである。

貝の穴に河童の居る事

 昭和六年九月、佐藤春夫主宰の「古東多万(ことたま)」第一年第一号に「貝の穴に河童が入る」の題名で発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集二十二より収録。
 鏡花が本作のなかで描き出した河童は、三尺にも満たない背丈で、青蛙のような色の皮膚にいぼいぼが立ち、とがった嘴にピカピカ光る眼、もずっくのような毛が耳までかぶさった小動物であった。
 この思いのほか古典的な河童が、舞台が鎮守の森に移るあたりから滑稽な道化のように思われてくるのは、河童が遣う「でっしゅ」「でしゅ」といった奇妙な言いまわしにあるようだ。
 鎮守の森は魔界の住人たちの表舞台である。美しい姫様のまわりには、栗鼠、山鴉、木菟、蛇、白兎などの異類異形がぞろぞろ登場してくる。これらは鏡花世界にひとつのジャンルを形造っている。しかし、ばけものというものは、そもそも人間界を超越した存在で、どんな残酷なことでも平気で実行するような存在でなければならないはずである。それが鏡花の好んで描くお化けには、天狗や鬼など正統な妖怪がもつ、いかめしさや恐ろしさはまったく見受けられない。それどころか、どちらかといえば人間の健気さに弱いのである。前に述べた「夜叉ヶ池」や「水鶏の里」をはじめ、「天守物語」「深沙大王」に登場する妖怪のことごとくが、人間界に引け目をもち、あまつさえ美しい人間をうらやんでいるのである。鏡花は化けものとは争わない。鏡花にとって妖怪とは、母性憧憬の迷宮の番人であり、愛すべきミノタウロスでしかなかった。
 鏡花のほかにも河童を主題にした作品は多い。芥川龍之介には有名な「河童」がり、絵も珍重され、忌日を河童忌という。また、火野葦平には「名探偵」や「紅皿」、中村地平には「山の中の古い池」、塩谷賛には「江戸の河童」と題する小説があり、いずれも独自の風格を具えた河童を登場させている。

 (泉鏡花小説集「化鳥・きぬぎぬ川」 第三文明社 一九八九年十二月十日刊)


 mixiへはむかし書いた文章を主として載せていた。気が向けば、red foxの続きをはじめるつもりだが、それがmixiであろうがですぺら掲示板であろうが一向に構わない。それと、mixiでred foxがなにを書いたか、コピーを取っていないので定かでない。ただ、旧作に限ってなら何を載せたかは覚えている。従って重複の心配はない。
 文中で触れたが、「化鳥」が発表されたのが一八九七年、そして「ユリシーズ」の上梓は一九二二年である。その「ユリシーズ」に妻モリーがベッドの中でブルームを回顧する句読点のない長い内的独白がある。ときを同じくして世の中には似た作家が現れる。思うに、ジョイスやプルーストの翻訳には鏡花の文体が相応しい。その消息はネルヴァルやシュオッブに「大川端」の文体が似合うのと同じである。
 そうした東西の文学運動の類似点もしくは時代の要請に関して、再考し何度でも整理し直すひとが現れてほしい。例えば、ヌーボーロマンやアンチロマンはフランスで生まれた文学運動だが、作品として花開いたのは吉行淳之介の「砂の上の植物群」以降の作品、とりわけ「夕暮まで」が呼応すると思っている。その理由は書かない。ただ、「夕暮まで」とその後の「鞄の中身」はすぐれて実験的な小説だった。

 本書は学生向けの日本文学選集の一冊で、編輯は一任された。紹介は潮出版社の編輯長高橋康雄さん。先立って、「主婦と暮し」に「自転車美人」を寄せている。三浦環や「魔風恋風」の女主人公初野のモデル、泉屋鶴吉などについて書いた。
 二十年を経て繙読し、存外変わっていないという覚束ない思いで一杯である。還暦を過ぎてこの態ではどうにもならないが、解説には基本的な間違いがあって訂正の機会を窺っていた。過ちは削除できたので、取り敢えず安堵している。
 解説を書き上げてまもなく、第三文明社の編輯長が拙宅へ見えられた。曰く「他の巻とは力の入れ方が違う。よろしければ書き下ろしの鏡花論をお願いできないか」とのはなしだった。当時は読売新聞社から研文社へ移籍、小出昌洋さんと辞書づくりの毎日だった。研文社は三社しかない辞書専門の編輯プロダクションのひとつで、講談社、旺文社、学研などの辞書を専らにしていた。折悪しく、講談社の国語辞典の語釈で忙殺されていた。丁重にお断りしたものの、端から引き受けるつもりはなかった。私にとって鏡花は人目を忍んで熟読玩味すべき作家で、畏れ多くも論じるような対象ではない。せいぜいが解説か開題の類いで気持は熄まる。そこから先、踏み込むつもりは今もない。

   わが恋は人とる沼の花菖蒲     鏡花


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2008年04月30日 14:16に投稿された記事のページです。

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