29日から始った引越騒動も15日の粗大ゴミ処理で一段落、最後まで稼働していた冷凍庫も16日に三郷へ移動する。わたしの車であと四往復である。狭い住居ゆえ、蒲団を敷くスペースはもちろん、足の踏み場のない有様。これから本の整理と台所の機能を回復させなければならない。
引越先のダンボール箱を開けてみるとゴミが入っていたり、逆に必要なものが随分と捨てられている。ネジや一部のパーツの紛失によって必要な家具の破棄を余儀なくされるなど混乱も起きたが、これは仕方のないことである。
引越に際し、多くの方の尽力に与った。佐々木幹郎さん、関陽子さん、奥平晃一さん、辻健さん、川畑公子さん、隆さん、垂野創一郎さん、中村裕さん、土屋和之さん、佐藤周さんとその友人たちに感謝。とりわけ周さんには引越万般を取り仕切っていただいた。彼が居てこその引越だった、深く感謝したい。また神戸から泊まり掛けで駆けつけてくださったお三方には深甚の謝意を表したく思う。
今回は四トンほどのゴミを捨てた。一口で四トンと云うものの大層な量のゴミだった。人は生きてゆく上でさまざまな「もの」を身辺に惹きつける。誰もがそうなのだが、それら「もの」はその人にとってのみ意味を有する。今までいろんな人の死に立ち会ってきて遺品の山を見るにつけその感を強くする。
長年、一戸建てに住んできたからか、大工道具、接着剤、ペイント、刷毛から下水管の掃除道具に至るまで揃っている。例えば、スパナとレンチを併せて50本、鋸4丁、砥石は八個、さらにコーキングガンから危険な薬品までが多種多様に揃っている。それら薬品の処理には頭を悩ませた。
書庫を引っくるめて蔵書は二トン車一台分、加えるに調度品が一台分、それぐらいが相応しいように思う。わたしにとって生きるとは物欲との闘いだった。恥にまみれた人生である。