一考さんと間さんの出会いを拝読して、1992年10月25日の写真を探し出しました。梅木さんの画集『最後の楽園』の出版記念をするために、大阪鴫野のBarキメラギュヌスでイベントを開催したことがあります。私と梅木さんが組んで二頭の像の踊りをご披露しましたが、そこに一考さんがいらっしゃってカウンタ越しの背後に梅木さんが写っています。確かこの時お二人で仲良くカラオケを合唱されたのではないでしょうか? 一考さんが拙宅にお泊りになったのがこの日だったのか、1994年2月20日のタルホナイトの日だったのか定かではありませんが、一考さんが難波の道具屋筋で買われた「たこ焼き器」を一式ぶらさげて梅木さんと一緒に朝恐縮しながら帰られたのを覚えています。梅木さんが亡くなられたのは昨年の6月9日でしたが、6月6日に堺の近大病院にお見舞いに伺った時「いよいよ最期ですわ」と開口一番おっしゃったのが今も心に残っています。『最後の楽園』の出版記念の写真をご覧になって「一番ええ時やった」と懐かしんで下さいました。この時、写真に写っていた一考さんのことを「今どうしておられるのでしょう」と私が尋ねると、「神戸の震災後、東京でバーを開いている」とお聴きしました。6月20日に梅木さんの一周忌を堺のご自宅で弟の勇治さんと、梅木さんの古い友人中島さんと行います。余命一年を殆ど誰にも告げることなく去っていった梅木さんでした。夏の空が大好きだった空を眺めつつ梅木さんのことを偲んでいます。