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剃毛礼讃   一考   

 

 福原について書かなければならないことは山のようにある。しかし、書きづらい。ちょんの間の母娘がどうしてわたしを受け容れたのか、覚醒剤と性病が蔓延するなかで、あの人たちはわたしになにを伝えようとしたのか。もしくはわたしにいかに生きろと、一体なにを助言しようとしたのか。今いえるのは、書物からは得られない生きた情念を彼女たちはわたしの身体に刻み込んだということのみ。
 お名前は伏せるが、Sとだけ申しておこう、往時わたしより十二、三ほど年長だったので、存命ならば七十半ばである。否、生きてはいまい、あのような稼業のひとの寿命は極端に短い。女郎ならば三十代、拘束を受けない私娼であってすら四十代であって、五十歳まで生き延びるのは奇跡に近かった。戦後、GIによってペニシリンがもたらされたが、梅毒がひいては性交渉が死と直接結びついた時代がその後も長く続いたのである。それ故、「Oの物語」の取って付けたような最終章を読んで鼻白む思いを抱かされた。なぜなら、ビクトリア朝時代、陰毛は汚染物質のように忌嫌われた。夥しいエロティック絵画が発表され、陰毛を描かないことで、ポルノグラフィーか否かの識別がなされていた。「Oの物語」は剃毛という儀式によってビクトリア朝以来の性的道徳のパースペクティブを逆手に利用し、ポルノグラフィーに新たな概念を与えた。言い換えれば、なにが裏でなにが表かといった相対として揺れ動くポルノグラフィーに妄想という決定的な因子を付け加えたのである。わたしは妄想というよりもいっそ夢物語と名付けたいのだが。その性倒錯において「Oの物語」は「ジュスティーヌ」と列ぶ作品となった。已矣かな、あの最終章がなければ。
 わたしがもしも福原を描けば夢物語はおろか、べたべたの私小説になってしまう。泰西とわが邦の気質の差違であろうか、どのように考えても「Oの物語」のようにはならない。悍しいまでの悲惨さを見てきた者にとって、まったく合点がいかないのである。

 閑話休題。エロ子さんが剃毛は女性の身だしなみだと云っていた。わたしはその身だしなみを具えた人と多く付きあってきた。福原という街がそうさせたのかもしれない。ただ、その身だしなみの裏には宿命とも云える深い嗟咨が寄り添っていた。聴くところによると、多くは十代からカミソリと戯れはじめたという。そのことは性衝動の激しさを示唆している。ただし、このリビドーとデストルドーは識別しにくい。自我リビドーと対象リビドーは一種の入れ子関係にあって、リビドー概念はつねに量的な概念を構築する。フロイトの本能二元論である。
 ところで、世の中には自分の才能を信じたり、自分の存在に過剰な自信を持つ方がいらっしゃる。それらは自我リビドーやナルシシズムとは関係なく、わたしに云わせれば単に自己中心性が強いだけの論理回路が未発達なひとを指す。
 動物にはグルーミングという行動特性がある。友好的態度を表すか、攻撃性を隠すかのいずれかが基本にあるのだが、剃毛を一種の毛繕いと取ってとれなくもない。そして女性の身だしなみと書いた理由のひとつが内省にあると思う、心理学でいう内観である。リビドーが力学的なものである以上、そこには搖れとか振れが生じる。わたしが興味を抱くのはそこから先である。性器を赤裸にするための剃毛であっては困る。剃毛はあくまでも攻撃性、翻っては内省をすら隠秘するためのものでなければならない。
 さて、エロ子さんが剃毛なさっているかどうかをわたしは知らない。一度チラとでも覗いてみようか。


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2010年01月19日 20:28に投稿された記事のページです。

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