政治部の記者クラブの界隈が毎週金曜日、反原発のデモで濫れている。朝日の記者がわれわれは政治部であってデモを取上げるなら社会部だろう、関係ないの一言。屋上からの写真撮影をフジテレビが申し込んだところ、おまえたちは記者クラブに入っているのかと、却下したのも朝日の記者(久米宏「ラジオなんですけど」)。
詳細は控えるが、わたしの知己に朝日の編集長と複数の副編集長がいた。彼等は異口同音に朝日であるがゆえの取材の難しさを訴える。朝日が如何に財務省と、いやさ体制どっぷりかは新聞社で働いたひとならみんな知っている。朝日は国内の新聞社では最大の戦犯である。それは戦前に大政翼賛会をなし、戦後は沈黙をもって戦争責任を逃れてきた。日本人は沈黙を清廉として崇ぶが、新聞社の沈黙など許されるものではあるまい。
戦後、朝日は時の政権に、はたまた国民に媚を売り、最大の組織を築いてきた。他方、東京新聞は財務から不動産に至るまで政府の干渉を忌嫌い独立独歩を守ってきた。
「水遊び」で触れた野田に対する野次や罵声の詳細を報じたのも東京新聞、朝日は触れもしない。朝日は国民が求める記事を、似非進歩的知識人が求める記事しか著さない。それが売れ行きを維持する唯一の方法だと知っている。翼賛報道体制の社是はいまだに続いている。