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鳥の羽と蝶の翅と隠翅虫   一考   

 

 子供のころ、昆虫の翅を毟って放置したことがある。蜥蜴の尻尾切り、蛇の皮むき、蛙の解剖等々、子供は残酷なことをする。そして幼なごころをそのままに大人になる人がいる。勝手、気儘、我が儘、傲慢、不遜がそのまま大人になるのだから始末に負えない。おそらく「人とは違う」といった選民意識を持つ人はこのカテゴリーに属する。なかには相対化が繰り返されて屈折した負の選民意識を持つ人もいるに違いないが。
 隠翅虫と書いたのはその虫の生態に理由がある。隠翅虫の体液にはペデリンという毒があって、触れると猛烈な皮膚炎を惹き起こす。間違えて目に入ると失明のおそれもある。身体にとまったときはそっと払いのけるのが無難である。人はこの種の危機に無防備である。無防備であればこそ、気付いたときには黙って立ち去らねばならない。しかし、世の中はさまざまである。好んで失明するひともい、それすらが選民意識のひとつの顕れになることもある。
 人間生活の二重の相貌の境界に生きる人々がいる。共同体にとって不可欠な存在でありながら、他面で危険なエレメントと深くかかわる存在である。そうした共同体を超えた世界と接する人は懼れと賤視の対象とされる。賤民の多くがそれであって、結果として鮮民あるいは棄民とも相通じる。そして賤民に紛れ込んでそしらぬ顔を決めこむ存在がたまにいる。そやつの名は詩人。二重の相貌の境界に生きると書いたが、糅てて加えて悪意という三重の領域を往き来する。
 世の中には傍へ寄るだけで火傷をおわされるような人がいる。ラルボーではないが、「二十一世紀初頭の忘れられた詩人になりたい」 そのような危うい詩人の誕生を私は待ち望んでいる。思うに、詩人とは言葉のテロリスト、太古の昔からもっとも危険なもっとも賤視すべき存在である。詩人は容赦しない、捨て置けば朽ち果てる伝統や文化を敢えて破潰してやまない。詩人は真喩であれ隠喩であれはたまた重語法であれ、さまざまな手立てを用いて言葉の苗床を大海原と化す。
 詩人は常に在野に在る。詩人の悪意は自分に向けられる。個に徹して自らの羽をもぐことに専心する。捻り取ろうが、千切り取ろうが、観念の羽がもがれ果てることはない。自らの羽をもぐ行為を加えれば領域は三重どころではなくなる。詩人にとっては迷想も冥想も、さらには迷走すらが伸縮自在なオブジェとなる。


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2008年09月21日 03:13に投稿された記事のページです。

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