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ラクロワのことなど   一考   

 

 人生にあって継続はもっとも大切な概念のひとつであろう。継続といってもいろんな継続があるだろうが、とびっきり大事なものは「努力しないという根気よさ」である。
 季村敏夫さんから贈られた本を読んでラクロワが出てきたのに駭いた。スティルナーやアン・リネル、辻潤らと共に忘れられないエゴイストで、迷いが生じた時には常に立ち返るようにしている。
 前項で述べた「出世をしない秘訣」には附録があって「貧困も醒めてる間だけのこと」「やけになって事にとりくむよりは、根気なんてものを忘れて、出世をしないにしくはない」といった格言が著されている。
 季村さんの著書に「『いかに生きるべきか』という日本の近代文学を貫いてきた倫理」との箇処がある。十代の頃、わたしもその倫理に呑み込まれていた、おそらく現在も。「いかに生きるべきか」との問いかけに日夜示唆を与えつづけたのは山本六三。その後、知りあった生田耕作には山本六三が抱いていたけぶれるような懐疑精神は微塵も感じられなかった。生田はラクロワ描く画家フォランのような人物で、「注文が来るったら、ありゃしない! わしは小便に行く度んびに一ルイ損しちまう」というような根っからの権威主義者であり、政治屋だった。
 足立巻一さんの「やちまた」出版記念会の席上、わたしの名前を口にした足立さんの顔面にビールをぶっかけた生田の狼藉を山本芳樹さんから聞かされ、いたく傷つくと共に足立さんに済まなく思ったのを思い起こす。
 「エゴイズムは人間に根ざしている意地悪さと悪運とに対する自衛の一様式であり、われわれを、勝手にその思召しにかなったものに作りあげようなどという神に対する返答の一つの仕方である」といったのはアンリ・ジャンソンだが、アヌイも似たようなことを云っている。「誰でもがシレスティナの礼拝堂を作るってわけにはいかない。だが、われわれは誰でも、すばらしい皿絵描きぐらいになることはできる」
 ラクロワが「出世をしない秘訣」で述べたかったのは「(諸君の誰もが、否応なしに生業を営んで、パン、恋、本、タバコなどのために、それ相当のお銭を儲けなければならないぐらいのことは、私だってよく知っている!)……ただ、この生業を、生涯かけた職業なんぞと思い込まずに、一つの趣味、なつかしく心を惹きつける『アングルのヴィオロン(道楽)』ぐらいに見做す」ことなのである。わたしは屡々「質のわるい冗談」との言葉を用いるが、あれは「道楽」に置き換えてなんら差し支えはない。


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2009年10月08日 21:30に投稿された記事のページです。

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