nosさん、りうさんにご心配をお掛けし申し訳なく思う。
このところ、連日主治医と電話連絡をとっている。わたしにとってはいのちの電話のようなもので、いたく恐縮している。先日の意識の混濁は腎臓機能のシャットダウンによるものらしい、痛みだけでひとは失神しないものらしい。
断片的な記憶しか残されていないが、全身がねじ切られる思いを味わった。ちはらさんに云わせると四、五度犬のように大声で吼え唸り痙攣し、そして沈黙したようである。倒れたのが病院の駐車場なので、看護師が駆けつけ、ストレッチャーから処置室へ病室へと運ばれ、といってもそれを記憶しているわけではないが、医師の事態把握の声、看護師の「ごめんなさい」「大丈夫よ」といった声が錯綜し、光の渦のなかへ放り出された。この看護師の謝罪の声は強く記憶している。悪いのはわたしであって、病気になったのはわたし、看護師さんにはなんの責任もない。にもかかわらず、あなたはどうして謝るの、「やさしいんだね」と声にならない声。
さっきまで入院していた病室とは違う部屋、匂いも色も異なるうんと明るい部屋で窓帷だか光だかに全身が包まれ、なんとなくざわついた暖かい心地がする。点滴がはじまったとき、「俺はまた、生きのびてしまったのかなあ」と涙したような、一瞬の淡い記憶。やがて鎮静剤か、すべてが薄らいでゆく。目が醒めるまでの三時間余、ちはらさんを呼び続けていたように記憶するのだが、こちらも声にならない声。
ストレッチャーに乗せられるとき、わたしの身体を持ち上げたのはちはらさんだと思ったが、実は看護師さんだったと聞く。どちらであれ、またひとに面倒を掛けてしまった。生きてゆくにやすらぎは無用だが、死はどこまでも個人的なものである。だからこそ、時としてひとは心細くなる。生と死の交錯するところに、どうにもならない淋しさがあるような。
血便と出血がつづき、大人用紙おむつと吸収パッドを併用している。術後の患部が痛い、患部といっても肛門のことである。打ったジオン注は十二本、出血は大腸の憩室からのもので痔とは関係がない。なお、主治医から大丈夫といわれ、ポステリザン軟膏とフェロミアの服用をはじめた。
パッドを取換えにトイレへゆくのが現在可能な唯一の運動である。十時に目玉焼きを二つ焼いたが、いまだに全部が食べられない。とにかく、血圧を戻さなければ。鼓動が全身に共鳴し、うるさく思う。身体が悲鳴をあげているのは分かっているのだが、どうにもできない。山崎医師は点滴のための入院を勧めるのだが。