昨今、虐めがクローズアップされている。警察が学校へ強制調査を行うようになってはじめて虐めの問題に光が当たった。どうして50年前に警察が介入しなかったのかと思う。これについて書くことはいくらでもある。殊に、部落の問題、朝鮮の問題とわたしの世代は難題続出だった。教師を巻き込んだ暴力抗争についてはずっと書くのが躊躇われてきた。わたしがどうして夜間高校で朝鮮人学級へ這入らなければならなかったのか、わたしは中卒者で押し通してきた、それは自分の学生時代を伏せて生きてきたからである。
中学校時代の部落相手の壮絶な抗争(虐め)を想い起こす。教師側はことごとくが日教組、つまり部落側である。わたし一人の闘いに教師から教育委員会までが参加し、わたしは義務教育である筈の中学校から一方的に暴力でもって追い出された。そのことを恨みに思ってはいないが、わたしは教員とか教師と聞いただけで、その人間性を疑う。性格破綻者か人格異常者でなければ教師は勤まるまい。教師教員の類いでわたしが後年、頭を垂れたのは宇野邦一ただ一人、彼の頭脳は旧象の牙にも似て過度適応の好例である。
取敢えず、こちらでは結論のみ書いておく。人は、異に教師は、差別や虐めをこころの拠り所に、選民意識を生きている。教師などというものは史上最悪の稼業であって欺瞞に充ちている。誰某は教え子などと口にするだけでも悍ましい。他者に物事を教えられると信じているところからして狂っている。まず、世の中から教師を取り除かねば、虐めはなくならない。