レイアウトが崩れる方・右メニューが表示されない方: >>シンプル・レイアウトへ

« どん兵衛 | メイン | 桜 »

清水弘子さん逝く   一考   

 

 「私の幼少期のアイドル、志村けんさんが亡くなった日に、新宿界隈で数度移転をしたAGEのママ清水弘子さんが亡くなったと連絡が来ました。ひろちゃんから時々に聞いた話を繋げると、山形大学の数学科に在籍中に学生結婚し、27歳で離婚し、東京に出てきて、編集者兼作家の中井英夫さんの紹介でバラードという店で働いたそうです。自分で出した店の一番最初はゴールデン街で1年弱、とても流行ったそうで、新宿御苑の緑苑街の岡田という店を居抜きで買って10数年営業し、バブル期に地上げにあい、丁度、小沢書店が鬼子母神で社屋を建てる時に地下に酒場と1階にギャラリーを作ったそうです。そこで10数年、小沢書店が倒産して競売物件になるので出て、最後は新宿5丁目に戻ってきたのでした。その物件はかつて詩歌句があったり、アンダンテがあった物件でした。今から10年前に辞めていると思いますが、私は20年ほどの付き合いでした。山形出身で、方言が印象深い面白い人でした。色々なことがあったけど、持病の腸閉塞もあり、この様な世の中では体力的にも厳しかったかもしれません。去年スーパーで立ち話したのが最後になってしまいました。享年75歳  合掌」

 清水弘子さんが亡くなった。塩原庭村(杵屋三七郎)さんからの連絡で知ったのだが、渡辺なおさんがSNSで書いていらっしゃる文章を上へ引用する。晩年、もっとも親しくお付き合いなさっていた。
 わたしは弘子さんを田中さんの紹介で知った。田中さんは中井英夫さんのパートナーで、新宿三光町で薔薇土(バラード)とのバーをなさっていた。ただし、弘子さんの中でわたしの顔と名前が結びついたのは御苑横の2階にあったAGEである。この店へはへは中井英夫、三枝和子、鈴木一民などとよく行った。中井さんは癇癪持ちで酔うといつも喧嘩になった。田中さんと弘子さんは常にあいだに這入ってくださる、謂わば救いの神だった。
 芳賀啓さんの出版記念が神楽坂の日本出版クラブ会館で執り行われたが、二次会は神楽坂、三次会と四次会は新宿のなべさんとエイジ(AGE)、五次会はですぺら、六次会は夜が明けてからカラオケへとの強行軍があった。弘子さんにはですぺらを手伝っていただいたこともある。当掲示板にも何度もお出まし願っている。最後の店舗になった新宿5丁目のAGEを訊ねたとき、店内は真っ暗、構わずに奥へ行くとやはり眠っていらした。「暇でね、もったいないから電気は消していたの」消灯された店同様、彼女の生き方はおよそ不格好だった、それでいいと思う。それこそが清水弘子の個性であり、暗闇に沈んだまま、動こうとしない足掻こうとしない個がそこに在った。


←次の記事
「桜」 
前の記事→
 「どん兵衛」

ですぺら掲示板2.0トップページへ戻る

このページについて...

2020年04月04日 00:31に投稿された記事のページです。

次の記事←

前の記事→
どん兵衛

他にも
  • メインページ
  • アーカイブページ

  • も見てください。

    アーカイブ

    ケータイで見るなら...


    Google
    別ウィンドウ(orタブ)開きます。

    牛込櫻会館(掲示板1.0他)内
    ですぺらHP(掲示板2.0他)内
    Powered by
    Movable Type 3.34