ですぺら
ですぺら掲示板2.0
2.0








コイーバ ・シガレット  | 一考    

 このところCOHIBA(コイーバ)を喫んでいる。普段はゴールデンバットなので、月に一度の贅沢である。安い煙草を買っているにもかかわらず、近所の煙草屋の女主人はサービスに勤しむ。ダスマン・ムーズ、ダスマン・スペシャル・スマトラ、パンター・アロマ、ミックスチュア・メンソール、ガレリア・アイリッシュ・クリーム等々、行くたびに試供品を頒けてくださる。先日はコイーバ・クラブのミニシガリロが舞い込んできた。それがあまりに美味かったのでコイーバ のシガレットタイプを購入した。葉巻を買う金はないのでいつも機械巻きかシガレットタイプになる。シガーを嗜むひとに云わせれば邪道だろうが、わたしはそれを十分に楽しんでいる。モルト・ウィスキーと同じで、香りがすべてと思っている。そのうち宝籤でも当たればヴェルタ・アバホのハバナシガーを買うこともあろうかと、これは想像しているあいだが花なのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月27日 20:43 | 固定ページリンク




修正  | 一考    

 シーグラム社の解説を書くことによって過去の間違いを十数箇所発見。掲示板2.0に限られるが、遡って修正を加えた。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月27日 11:01 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説(シーグラムの蒸留所を飲む)  | 一考    

 シーバス社はスペイサイドの東端アバディーンで1801年に創業。1838年にジェームス・シーバスが事業に参加。その後、彼の弟ジョンも加わり、シーバス・ブラザーズ社として発展する。同社がブレンデッド・ウィスキーを発売するようになったのは1870年代からで、1949年にはシーグラム社の傘下に入る。商品名のシーバス・リーガルはシーバス家の王者の意で、スコッチのプリンスとも称され、二度のロイヤルウォラント(王室許可書)を授かっている。ちなみに、12年ものをはじめて発売したのもシーバス社である。ウィスキーの熟成は12年をもって完成する。あとは枯淡の味わいとなって若さは喪われてゆく。
 グレン・リヴェット、グレン・グラント、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリヴェット)、ストラスアイラ、グレンキース(ストラスアイラの第二蒸留所)、ロングモーン、ベンリアック(ロングモーンの第二蒸留所)、アルタベーン、キャパドニック(グレン・グラントの第二蒸留所)等、シーグラム社が所有していた九つの蒸留所は実に旨いモルトを造っていた。2001年の同社の売却後、閉鎖された蒸留所、売却された蒸留所など消息はさまざま、もったいないことをしたものである。現在シーグラム社はペルノ・リカール社傘下となっている。

 ペルノ・リカール社による買収後、存続が決まった蒸留所はグレン・グラント、グレンリベット、ロングモーン、ストラスアイラ。閉鎖が決まったのはアルタベーン、ベンリアック、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリベット)、キャパドニック、グレン・キースだが、もっかのところ現実に閉鎖されたのはグレン・キースとキャパドニックで、2002年に閉じられた。ブレイヴァルは生産調整のため操業停止のまま、アルタベーンは2005年5月に操業再開が報じられた。ベンリアックは、2004年にバーンスチュワート社の前オーナーであったビリー・ウォーカーが中心となってシーグラム社から蒸留所を買収。クラシックなスペイサイドタイプのモルトとピーティータイプの二種類のシングルモルトを醸している。また、一部フロアモルティングを復活、蒸留所内で麦芽の供給を行っている。
 なお、ペルノ・リカールの子会社キャンベル・ディスティラリーズが所有していたアベラワー、グレンアラヒ、エドラダワーのうち、エドラダワーはボトラーのシグナトリー社が2002年に買収している。
 2001年のシーグラム社のワイン・スピリッツ部門の獲得のあと、ペルノ・リカール・グループはアライド・ドメック社を2005年に買収。アライド・ドメック社はバランタインやマーテルで知られるコングロマリット。次いで2008年、スウェーデン政府からヴィン&スピリト社を買収したことにより、ワイン・スピリッツ部門ではディアジオ社を追い越し、世界第一位の企業グループとなった。


01 ストラスアイラ12年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
 ディスティラリー・ボトルは本品のみ。シーバス・リーガル並びにロイヤル・サルートの核をなす原酒モルト。完熟林檎の香りを持つ卓越した食後酒。
 ヘーゼルナッツの香り。滑らかでオイリー、佳麗なこく。シェリー酒を想わせるきらびやかな風味。長くスムース、揺蕩(たゆた)うようなフィニッシュ。

02 ストラスアイラ '90(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
 ダグラス・マクギボン社の創業者は現在のオーナーの祖父にあたるが、彼はアイラ島で水没した蒸留所、ロッホインダールとポートシャーロットのマッシュハウスの責任者。スコッチウイスキーへの愛情とこだわりは、研修生としてブルイックラディ蒸留所で働いていた時代に育まれ、1949年からスコッチウイスキーの販売をはじめてから頑なに“ノーカラーリング・ノーチルフィルターリング”を貫く。
 プロヴァナンス・シリーズは2009年2月で終売、リニューアルの予定。

03 ストラスアイラ '91(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
 ダグラス・マクギボン社は1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社とは兄弟会社。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。「クライズデール」同様、熟成年数の若いモルトが中心だが、共に品質のよさでは一頭地を抜く。
 本品は記載はないものの、リフィール・シェリーと思われる。ストラスアイラは多くのカスク・ストレングスがボトリングされているが、本品は他と比してまろやかさで卓れる。

04 ストラスアイラ '89(クライズデール)
 9年もの、63.3度のカスク・ストレングス。290本のリミテッド・エディション。
 ザ・クライズデール・オリジナル・スコッチ・ウィスキー社は1998年の設立で、ブラックアダー社のロビン・トゥチェクが代表を務める。熟成5年から10年の比較的若いカスク・ストレングスをシングル・カスクにて瓶詰め。他のボトラーとの差別化を図る。低温濾過、加水、着色を一切行わず、モルト・ウィスキーの素地を知るには最適。ダグラス・マクギボン社の「プロヴァナンス」と共に一押しのコレクションである。総称の「クライズデール」とはグラスゴー近郊に1919年まで存在した蒸留所名。
 2006年にボトルをリニューアル、ダンピーボトルに変わり、若いものに限らず長期熟成品のボトリングをはじめた。

05 ストラスアイラ '89(ブラックアダー)
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61.3度のカスク・ストレングス。限定278本のシングル・カスク。
 コルク栓を抜く、グラスに注ぐ、静かに回してトップ・ノート、口に含む、口腔に拡がる、喉元を過ぎゆく、そしてラスト・ノート。スペイサイドのすべてのモルトの中で、香りの階調をきわやかに愉しむにはストラスアイラが最適。
 ブラックアダー社は1995年にザ・モルトウイスキーファイルの著者であるジョン・レイモンドとロビン・トゥチェクが創業したウイスキー専門のボトラー。ロウ・カスクの発想はきわめて単純でユニーク。大きな木片のみを除去、オリ(沈殿物)も一緒にそのままボトリングする。もちろん、氷点下フィルターもカラメル着色も施さず、すべてはカスク・ストレングスである。

06 ストラスアイラ '89(アバディーン)
 オーク・カスクの13年もの、62.5度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 アバディーン・ディスティラーズ社は1993年頃、スコットランド北東部のアバディーンで設立。ホグスヘッドからのボトリングを専らとする。ヨーロッパ市場向けのボトリングだが、過去一度、スリーリバーズによって極少量が日本へも入荷している。本品はその一本。

07 グレン・キース '93(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、46度。
 ボトラーのグレン・キースはディスティラリー・ボトルと比してべっこう飴の芳ばしさに少し欠ける。これはボトラーのグレン・キースに共通して言えることで、シェリー香がより弱く、やや辛口に振られている。ちょうど、ゴードン&マクファイル社のマクファイルとディスティラリー・ボトルのマッカランの関係に似ている。私はボトラーの方が好きなのだが。
 コニッサーズ・チョイスは2008年にラベルと外箱がリニューアルされた。

08 グレン・キース '95(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの13年もの、43度。3樽1572本のリミテッド・エディション。
 グレン・キース蒸留所は2001年にペルノ・リカール社によって買収されたものの、休止状態が続き、どうやら取り壊されるもよう。ボトラーへの出荷が極端に少ないので、流通在庫はローズバンクよりはるかに少ない。飲むなら今のうち。

09 グレン・キース '85(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。17年もの、43度。
 モンゴメリーズ社はマキロップ社と共にアンガス・ダンディ社の傘下。なお、マルコム・プライド社はアンガス・ダンディ社と同資本のカンパニー。なにを言いたいかというと、玉石混交だということ。

10 グレン・キース10年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
 ストラスアイラの第二蒸留所として1957年に誕生。すべてがシーグラムの原酒に回されたため、ディスティラリー・ボトルは一度も頒布されたことがなかった。待望のボトルは94年から。しかし、蒸留所は2000年から休止状態に入り、本品はまったく生産されていない。
 火にかけられた鼈甲飴の芳ばしさ、インデペンデント・ボトラーのそれと比してシェリー香が強く、より甘口に振られている。

11 キャパドニック・ピーティー・バレル '98(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。スモール・ピーティー・バレルの9年もの、43度。970本のリミテッド・エディション。
 ヒビテン液(洗浄剤)のような不思議な香りはなく、スペイサイド特有の西洋梨や完熟林檎の馥郁たる香りを伴った辛口。その方がよほど不思議である。キャパドニックのヘヴィリー・ピーテッドは現在のところ本品のみ。
 シーバス・リーガルの原酒として使用されていたため、シングルモルトのディスティラリ・ボトルは一度も発売されていない。グレン・グラントと同じ仕込み水や麦芽を使っているのに味わいは異なる。

12 キャパドニック '74(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの28年もの、46度。3樽、636本のリミテッド・エディション。
 グレン・グラントの第二蒸留所として1898年に設立されたが、わずか3年後に操業停止、再開されたのは1965年。グレン・グラントと共に1977年にシーグラム社の傘下に入った。グレン・グラント、グレンロセス、グレン・スペイ、スペイバーン、キャパドニックと五つの蒸留所がローゼスの狭い町なかにひしめいているが、グレンロセスを除き、印象の薄いウィスキーが多い。
 土屋守さんは「銀みがきの粉、ヒビテン液(洗浄剤)のような不思議な香り」と著している。商品名で恐縮だが「パイプマン」を思い起こしていただきたい。要は苛性ソーダ、水酸化ナトリウムの臭いである。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月27日 10:51 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

2月28日(土曜日)の19時から新装開店後、十四度目のですぺらモルト会を催します。
会費は9700円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はシーグラム社が所有していたストラスアイラ、グレン・キース、キャパドニックの三つの蒸留所のモルト・ウィスキーを味わって頂きます。このうちグレン・キース蒸留所は2002年に閉鎖されています。

ですぺらモルト会(シーグラムの蒸留所を飲む)

01 ストラスアイラ '90(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
02 ストラスアイラ12年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
03 ストラスアイラ '91(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
04 ストラスアイラ '89(クライズデール)
 9年もの、63.3度のカスク・ストレングス。290本のリミテッド・エディション。
05 ストラスアイラ '89(ブラックアダー)
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61.3度のカスク・ストレングス。限定278本のシングル・カスク。
06 ストラスアイラ '89(アバディーン)
 オーク・カスクの13年もの、62.5度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
07 グレン・キース '93(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、46度。
08 グレン・キース '95(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの13年もの、43度。3樽1572本のリミテッド・エディション。
09 グレンキース '85(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。17年もの、43度。
10 グレンキース10年※
 43度のディスティラリー・ボトル。
11 キャパドニック・ピーティー・バレル '98(ジャン・ボワイエ)
 ベスト・カスク・オブ・スコットランドの一本。スモール・ピーティー・バレルの9年もの、43度。970本のリミテッド・エディション。
12 キャパドニック '74(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの28年もの、46度。3樽、636本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2009年02月25日 00:48 | 固定ページリンク




淡麗ダブル  | 一考    

 麒麟麦酒から淡麗ダブルと称する発泡酒が発売された。プリン体が99パーセントカットされたビールである。プリン体の変わりにポリフェノールが添加され、アルコール度数は5.5度。主治医からプリン体を極力摂取しないようにと云われたのが去年の七月、バイク事故の折の精密検査で痛風が発覚したのである。爾来ビールを飲むのは憚られた。
 酒というのは妙なもので、飲まれないとなると居たたまれなくなる。燗酒かウィスキーが好みで、ビールはあまり好きではなかったはずである。ところがそのビールがむやみと飲みたくなる。先日の文学散歩の時も、ちはらさんには内緒で周さんと生ビールを一杯だけ飲んだ。八箇月ぶりのビールだった。ころころと喉奥を通り過ぎてゆくきわやかな快感とはこのことである。
 さて、淡麗ダブルである。昨夜、拙宅で飲んだのだが結構いける。カテゴリーでは第三のビールに属するらしいが、なんら遜色は見受けられない。あまりの旨さにステーキを焼き、腰を据えて二罐目を開けた。しばらくは淡麗ダブルへの礼讃がつづく。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月21日 19:50 | 固定ページリンク




「ギイ・マルタンの芸術」  | 一考    

 スーパースタジオの齋藤芳弘さんが丸二年越しで編輯なさっていた「ギイ・マルタンの芸術」が完成した。ギイ・マルタンはパリのレストラン「ル・グラン・ヴェフール」の総料理長。今回の著書は前菜、魚料理、肉料理、デザート、六十三種類のレシピブックで、六百三十六頁の大冊、限定三千部、頒価五万円である。
 ギイ・マルタンさんを招いてフランス大使公邸でレセプションが催されるらしく、招待状が拙宅にも舞い込んだ。送られてきたのはともかく、かつて告訴合戦を演じたところへよくぞとの思いである。掲示板1.0で書いたので繰り返さないが、私はフランスという組織ないしは制度を天敵のように思っている。もっとも主宰者である現大使のお名前はフィリップ・フォール、往時とは異なる。しかし、フランスの公的機関に違いはない。齋藤さんには申し訳ないが、どうあろうとも欠席である。
 去年の二月にはギイ・マルタンさんの「シェフの哲学」が白水社から上梓された。そちらは自伝と四十種類のレシピが事細かに解説されている。ただし、翻訳は稚拙を通り越して低劣ですらある。そして今回と同様のイベントが東京會舘で催された。「ギイ・マルタンの芸術」では写真に力点が置かれているが、そちらについては改めて書かせていただく。それにしても、素晴らしい書物であることは認めるものの、料理の本にどうして権威づけが必要なのか。大使館を巻き込むギイ・マルタンさんの姿勢に若干の疑念を抱く。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月20日 20:21 | 固定ページリンク




バッテリあれこれ  | 一考    

 マスタングのバッテリの寿命が尽きた。木村さんによれば新車のときから替えていないそうである。だとすれば十年、五万八千キロもったことになる。夜間の走行が極端に少なかったのであろうか、信じられない期間である。密閉式MFバッテリで背丈が低く国産品では間に合わない、よって純正品を購入した。容量が小さいのでベンツやBMWの半値だった。秋月電子通商が扱う台湾クローンのような商品も探せばあるのだろうが、メイド・イン・チャイナには懲りている。
 アメリカの車メーカーは四月頃には破綻する。会社更生法では退職者の健康保険などから会社が解放されないからである。一気になくなりはしないが、やがてテスラ・モーターズやアプテラ・モーターズのようなメーカーが勃興してくる。日本メーカーも同様であって、バッテリやモーターの専門メーカーが車を造るような時代がやってくるかもしれない。四輪の世界も電動アシスト自転車や電動スクーターのようになる。いずれにせよ、これからは異種産業を引っくるめて新陳代謝が激しくなる。
 究極のハイブリッド車というべきトヨタの「FT-HS」が紹介された。ホンダも方針を変更してハイブリッド車を造りはじめた。それにスズキと三菱を加えた四社が生き残りを賭けて闘う。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月19日 19:45 | 固定ページリンク




ホットカーペット  | 一考    

 電気毛布の歴史は古く、もともとは結核患者の医療補助具として開発された。派生商品に電気敷布があり、ホットカーペットがある。このホットカーペットと電気やぐらこたつはおそらく日本にしかない商品だと思われる。パリ在の友人が秋葉原で100V用コンバーターとAとCのプラグアダプターを購入、重宝していたのを思い出す。ちなみにフランスのプラグはCとSEの二種、電圧は127、220、230Vと統一されていないらしい。
 開発者の東京芝浦電気の山田正吾について書きたいのではない。またそれら日本人の生活に根ざした電化製品の歴史について書きたいのでもない。ただ、土屋さんがパリで寒がっているとのはなしを小耳に挟んだ。一人用サイズのホットカーペットと寝袋があれば人生は暖かくなる。奇特な人はいないものか。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月12日 22:27 | 固定ページリンク




ランドルト環  | 一考    

 調べるのが億劫なので書き流したが、「お役所仕事」で書きたかった視力検査の丸とはランドルト環だった。私は乱視表やクロスシリンダーを使ったことがないので詳しくは分からないが、眼鏡を造ったときに乱視だと云われた。今用いている眼鏡は四十五歳のときに拵えたものなので、既に十七年が経つ。五十を超えてからは眼鏡をしても見づらいので、書物から遠ざかるようになった。
 免許証を更新してから視力が気になるので、運転中に右目をつむったり左目をつむったりして確認している。その結果、左目だけだと前の車のテールランプが二重に見える。重なるというよりは、左はほとんど見えていないようである。秋成ではないがなんらかの因業なのかもしれぬ。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月12日 21:02 | 固定ページリンク




文学散歩その後  | 一考    

 「板橋の貧民窟はどのへん」との質問に、佐藤さん(編輯者)が紀田順一郎さんの「東京の下層社会」を指摘なさっていた。「関東大震災後東京最大のスラム」といわれた場所は、交番と「縁切榎」のあたりを中心とした「岩の坂」で、当時の東京市によって「不良住宅地区」に指定されていた、と書かれているのがそれである。
 昭和五年の四月に東京朝日で報じられた、養育費目当ての「もらい子殺し」は別名「岩の坂事件」として、世間の耳目を集めた。宿場町でも、駅を平尾地区に取られ、そこからもっとも離れた寂れた場所に、震災後貧民が流れ込んだというのが実態らしい。以上のメールが先程芳賀啓さんから届けられた。
 ところで、ナベサン文学散歩には周さんとその友人が参加なさった。途中で飲み屋へ三十分ほど脱線、そこでの周さんとの会話が「忘れ物」である。上昇志向のひとが嫌だとの彼の言葉への私の応えである。このような会話ができるようになった彼を好もしく思う。周さんに分かっていただきたいのは書誌学とはかような散策にあるのであって、決して読書だけで得られるものではないという点である。
 馬頭観音の次に立ち寄った文殊院は投込寺だった。南千住の浄閑寺、浅草の西方寺、新宿の成覚寺、品川の法禅寺、海蔵寺などが知られるが、浄閑寺の過去帳には売女や遊女との戒名がみられる。文殊院にも妙○信女との戒名が続き、なかには獣、熊、狛、鬼などという然るべき階層のひとたちの戒名が散見された。両親の死に伴う法名には嫌な記憶しかない。私の死には一切無用である。

 私は酒を飲むときは一日でも二日でもなにも食べない。そのような教育を受けたからである。よって今回も芳賀さんに迷惑をお掛けした。ここに記してお詫び申し上げる。体調思わしくなく私は帰宅したが、周さんは朝までナベサンで痛飲、ナオさんに多大な迷惑をお掛けしたようである。若い時はなにをしても許されるが、やがて許されなくなる。ほどほどに。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月12日 20:11 | 固定ページリンク




忘れ物  | 一考    

 「アンダーグラウンド」から意図して数問端折った。なかには「原田芳雄のように脚が長ければどうしたのか」というのがあって、これは応える必要のない愚問である。「君を事前に知っていたので、鈴木清順にも原田芳雄にも驚かなかった」は質問にならない。しかし、原田さんと比されたのは光栄である。
 「原田が中砂を演じ、以後十年間役者としての自分を見失った」こととアナーキズムとの関連についての質問があった。原田さんの述懐を私は額面通り信じていないし、そのことと彼のニヒルなキャラクターもしくは清順のアナーキズムとはまったく関係がない。いずれにせよ、彼の仕事は演技にせよ唄にせよ社会とかかわるためのリハビリテーションみたいなもので、五体満足な健常者や自らに充足しているひとには理解しづらい。人を欺くのが芝居の本質だが、原田さんのような役者はいつも自らに欺かれている。自意識というよりは我が強すぎてのアナーキー(デタラメの意、アナーキズムとは異なる)である。
 先日、清順の「けんかえれじい」「殺しの烙印」や吉田喜重の「エロス+虐殺」のはなしをしていて相澤さんから拒否されてしまったが、私は彼等の映画を観ていると血が騒ぐ、とてもじゃないがシニカルな態度で居られなくなる。原田芳雄もその類いで、たわいなくミーハーに戻ってしまう。
 私が十代の頃は身の回りに原田芳雄のような人が多くいた。ゲイバーのタミーのことは掲示板1.0で書いた記憶があるが、そのタミーのママやエレクトーン奏者の当麻さん、浮世風呂の恵比寿でバーテンをしていたケンちゃんや同じく玉家でシェーカーを振っていた中条さん、アイスピックを片手にやくざを睨み付けていた哲ちゃん等々、私にとってはみんなが川向こうの男たち女たちだった。この場合の川向こうとは私の儚い憧憬を意味する。
 彼等は真っ正直に生きていた。オカマはオカマ(この言葉遣いに対して睦郎さんからこっぴどく叱られたことがある。差別用語なのは分かっているが、タミーの人たちはオカマという言葉を昭和三十年代は平気で遣っていた。性的なマイノリティに対する理解がもし私になければ後年同性愛者の書物を多く造るわけがなかろう。また岩田準一の著書を新本で最初に扱ったのが私なら、それをわざわざ東京から買いにいらしたのも睦郎さんである)で、ヒモはヒモ、前科者は前科者で、今あるところのものでしかなく、それ以上のものになるわけもなく、背伸びをすることもなかった。だからこそ「大きくなったら、何になるの」といった類いの厭みな質問を聞かされずに済んだ。大きくなっても福原の住人だとみんなは思っていただろうし、誰もが他人のまたは自らの将来にいささかの興味も夢も抱いていなかった。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月12日 16:52 | 固定ページリンク




深更に及ぶ  | 一考    

 昨夜は迂生の誕生日、遅くまで店は満席だった。相澤啓三さんはじめ、多くの方に感謝申し上げる。土曜日には新宿で祝い事があるそうな、愉しみにしている。

 芳賀啓さんについて「彼にとって文学は喋るものではない、要は自己主張のネタにはならないのである。このあたりから並のひとではない。現場での叩きあげとは彼のようなひとを言う。彼はひたすら歩き、ひたすら書く、そして沈思黙考のあとふたたび歩く。「現場のない文学なんて」との呟きが聞こえてくる」とかつて書いた。今回の文学散歩にですぺらから三名の参加者があった。併せて感謝する。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月06日 10:46 | 固定ページリンク




第29回ナベサン文学散歩  | 一考    

場所 埼京線板橋駅西口集合
日付 2月11日
時間 14:00
案内 芳賀啓
   今回は銭湯付きなのでタオルをご用意ください。
   9日までに出欠をお知らせください。(世話人渡辺ナオ)

JR埼京線板橋駅西口→谷端川跡→板橋駅東口・近藤勇土方歳三墓碑(旧処刑場)
→千川上水跡→板橋下宿→旧中山道→加賀公園(旧前田藩下屋敷跡・石神井川)
→弾道検査管標的跡→野口研究所前(水俣チッソ研究所)→王子新道碑→黒色火
薬製造圧磨機圧輪記念碑・極地研究所→旧中山道馬つなぎ場(馬頭観音)→仲宿
商店街→板橋宿本陣跡→高野長英潜伏跡→板橋(石神井川)→縁切榎(和宮下向)
→竹の湯(銭湯・午後3時から入浴可450円)→くらち(力士料理)→板橋本町
駅(都営三田線)

芳賀

之 潮(コレジオ)
185-0021東京都国分寺市南町2-18-3-505
URL http://www.collegio.jp
e-mail: info@collegio.jp

上記の連絡先は端折りました。参加なさる方は一考(080-3219-6221)もしくはですぺら(03-3584-4566)、またはナベサン(03-3208-0627)へ電話してください。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月04日 22:16 | 固定ページリンク




アンダーグラウンド  | 一考    

 よく似たひとを見つけたときどう思う。嬉しいね。
 でも、あなたは自分のことを好きじゃないでしょ。そうだね。
 どちらかと云えば自分のことを憎んでいるね。そうだね。
 それはジェネレーションの違いなの。関係ないよ。
 あなたは自分のことをどうでもよいと思っているでしょ。そうだね。
 あなたは自分に才能があるなんて思っていないでしょ。まったくね。
 無謬性なんてものも持ち合わせていないでしょ。謬りだらけだよ。
 あなたは明日のこと真剣に考えたことないでしょ。行き当たりばったりだね。
 よく今まで生きて来られたわねえ。厚志に甘んじて。
 あなたは人生に意味があるなんて思っていないでしょ。そうだね。
 あなたは恋愛なんてしたことないでしょ。そうだね。
 他人なんて死んでしまえと思っているでしょ。そうかもね。
 自分なんて死んだほうがいいと思っているでしょ。生きててもいいんじゃないの。
 他人も自分も同じなのね。そうだね。
 どうして表現者にならなかったの。編輯で結構。

 今日、ツィゴイネルワイゼンを観てきたの。あの作品をどう思う。
 生きることに筋書きはない、ならば映画にあってもね。筋書きのあるような作品はどうでもいい、この消息は映画に限らないが。要するに、異議は認めても意義も威儀も認めないね。ツィゴイネルワイゼンはその異議だけで成り立っている。原田芳雄がいいねえ。

 上記はちはらさんとのある日の会話。タイトルは私が勝手に付けた。どうしてこのような会話になったのか、その理由は彼女が早稲田松竹で鈴木清順の作品を観てきたからに他ならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年02月02日 19:21 | 固定ページリンク




お役所仕事  | 一考    

 運転免許証の更新へ行く。普通車と大型車とのあいだに中型車との区分が設けられ、該当車種は車両総重量5トン以上11トン未満となる。平成19年6月2日に施行されたが、それ以前に普通免許を取得した者は車両総重量8トンまでの限定ながら中型免許が与えられる。車両総重量8トンとは最大積載量5トンを指す。要は名称が換わるだけで乗られる車種は以前と変わらない。
 そこまではよいとして、私は大型免許を取得済みである。従って免許証に「中型車は8tに限る」との条件は不要である。その旨を伝えたが、記載する決まりになっていますのでと断わられた。お役所仕事の典型かと思われる。

 更新へ行くときは朝から目薬を指して目の体操を試みる、目玉をぐるぐる回したり棒切れの先を凝視つつ前後させる。いつものことなのだが心構えとしかるべき準備が必要なのである。ところが、その日に限って目薬が見当たらない。やむを得ず、惚けた目を引っさげて更新に及んだ。視力検査は丸の隙きの開いた方を上下左右と指示するのだが、丸がふたつに見える。いくら目を凝らしたところでやはり丸はふたつである。そこで上の丸は下が開いていますと応える。次のはどうですかと問われたが、丸はやはりふたつ見える。上の丸は右で下の丸は左が開いていますと応じる。担当の婦人警官が「さっきからひとつしか写っていないのですが」と困惑の声。ふざけなさんなとの叱責にも聞こえる。すると視界が明るくなって両眼で見られるようになった。要するに右単眼の検査は端折られたのである。両目で見ると、なるほど丸はひとつである。さらに小さな丸が写し出されたが、私にはなにも見えない。結局、一番大きな丸が両眼視で識別できただけである。
 深視力検査は三度繰り返されるが、三度目に件の婦人警官がひとこと。「三度目は誤差が五ミリだったので合格にしときます」このようなお役所仕事なら大歓迎である。十年以上前のはなしだが、西明石では受かるまで検査が繰り返された。とりあえず更新は終了し、久しぶりのゴールド免許を手にしたものの、次回の視力検査はどうなるものやら。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月29日 20:44 | 固定ページリンク




ユーチューブのダウンロード  | 一考    

 有線テレビが月額三百円の値上げでアナログからデジタルに移行された。つまり拙宅へデジタル放送が迷い込んできたわけだが、テレビはアナログのままなのでハイビジョンだデジタルだといっても、なんの恩恵にも浴していない。もっともバイク通勤に必要な天気予報が見られるようになったのはうれしい。こちらはいちはやくデジタル化し、困っていたのである。
 ADSLは有線を利用しているが、明日から電話も有線である。それにしてもと思う。テレビや映画を覧るになぜ鮮明でなければならないのか。かつてVHSが発売された折、巻き戻したり静止画像が見られるようになったのに喜んだ。ヴィスコンティの用いる小道具や絵画を確認できるようになったからである。それまでは目を皿のようにして見続けなければならなかったのである。爾来、お煎にキャラメル、あんパンにジュースを片手の映画鑑賞が可能になった。
 私が申し込んだのは基本コースであって、有料放送は写らない。しかし、とんでもないチャンネル数で、到底使いこなせるものでない。前述のブラウン管方式のアナログテレビはひろさんから頂戴したものだが、年月が経って上部五分の一ほどが写らなくなった。さらに五分の一が写らなくなれば薄型の小さなテレビを購入したいと思っている。
 ひろさんで思い出したが、ユーチューブの音楽をダウンロードするに際しvixy.netは何の役にも立たない。当方はマックなのでmp3へ変換しなければならない。彼から教わったフランスのサイトの方が確立は高い。ちなみにOS 10.3.9で落としたものをOS 9.2.2へ転写、iTunes J1-2.0.4で聴いている。マックユーザーでお困りの方は下記サイトへどうぞ。

 http://catchvideo.net/online-video-converter.aspx


投稿者: 一考      日時: 2009年01月27日 22:41 | 固定ページリンク




モルト会解説(スプリングバンクとその仲間を飲む)  | 一考    

01 スプリングバンク・レッドファウンダーズ(ロッホデール)
 アバディーンに事務所を構える新しいボトラー、ロッホデール社のファースト・リリースで1800本のリミテッド・エディション。46度のミディアムボディ。
 オーナーのゴードンライトはスプリングバンク蒸留所の創業者の子孫で、マーレイ・マクデヴィッド社の関係者。同オーナーの記憶のなかにある60年代のスプリングバンクを再現すべく、年数の異なるバーボンとシェリー数種類のカスクをブレンド、クラシックなスプリングバンクの香味の再現に成功している。1990年前後のカスクを使用、発売は2002年。レッドファウンダーズとは仮の名で、ファウンダーズリザーヴと記載されている。
 シトラス、蜂蜜、メロン等のリッチな香り。バーボンとシェリーカスクのコンビネーションからくる甘味と微かなバニラ香。すべてのクラシックなスプリングバンク同様、潮味の効いた長く繊細なフィニッシュを堪能できる。

02 スプリングバンク・ブルーファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のセカンド・リリースで国内へは480本の入荷。46度のミディアムボディ。発売は2003年12月、本数は不明だが2006年2月に再入荷あり。

03 スプリングバンク・ブラックファウンダーズ(ロッホデール)
 08年4月発売のサード・リリース。16年もの、46度のミディアムボディ。
 前回のブルー・ファウンダーズから5年、これまではビンテージ、熟成年の記載がなかったが、今回はより熟成を経た16年ものとしてボトリング。エイジングが記載されているが、バーボンとシェリーカスクのコンビネーションはそのまま。
 芳醇で甘く滑らかな味わい、フルーツ香とクリーミーなココナッツ、かすかなスモーキー・フレーバーガ織りなすクラシカルなスプリングバンク。

04 スプリングバンク・ゴールドファウンダーズ(ロッホデール)
 08年12月発売の最終リリース。バーボン・カスクの17年もの、46度のミディアムボディ。
 前回のブラック・ファウンダーズから8箇月、さらに熟成を経た17年ものとしてボトリング。過去二度ののボトルは年数の異なるバーボン樽とシェリー樽数種類のカスクをブレンドしていたが、前回からはエイジングを記載。本品はブラックファウンダーズとは異なり、バーボン・カスクのみを用いる。
 1998年に蒸留された原酒が熟成される過程をボトリングしたアードベッグのベリーヤングからルネッサンスに至る四種のシリーズとよく似た愉しみ方が可能。最終リリースがバーボン・カスクなのはよく考えられている。

05 スプリングバンク '91(ロンバード)
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの10年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
 以前の「ジュエル・オブ・各地域名」をリニューアル。ボトル形状はコニャックのそれに、地域ごとに色分けされたラベルの下部にカスク番号やテイスティングのコメントが付されている。同時頒布にモートラック90年蒸留の10年ものとローズバンク89年蒸留の12年ものがあり、すべてバーボンのシングル・カスク。チル・フィルターや着色は施されていない。
 リニューアル後、最初のボトリングにしては問題あり。割水とウィスキーとが馴染んでおらず、水っぽく感じられる。舌先で香味が割れるようなちぐはぐな味わい。同時頒布のモートラックやローズバンクがまずまずの出来映えだけに残念。しかしながら、塩味は強烈、スプリングバンクの香味の幅を知るに絶好のモルト。

06 スプリングバンク(C.V)※
 12年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
 個性的な甘さと深みのあるこくを控え目に、スプリングバンクのいまひとつの個性“Briny”(塩辛い)を強調。
 間違いなく、アイラモルトに似たスプリングバンクの稟質にもっとも近いモルト・ウィスキーである。もともと同社は多面的な商品構成を社是とする。本品に先行するシェリーカスクの12年ものが持てはやされ、本品はさんざんな悪評を被る。CVが蒸留所の顔として位置づけられるのを嫌ったのか、敢えなく絶版。実験品としてコレクターズ・アイテムの仲間入りを果たした。

07 スプリングバンク12年(緑マーク)※
 シェリー樽熟成、46度のディスティラリー・ボトル。
 ディスティラリー・ボトルの12年と21年にみられる馥郁たる甘味は熟成に用いられるダーク・シェリー樽由来のもの。素顔のスプリングバンクはマル島やアイラ島のモルトの如く、オイリーなテキスチャー、ヨード香、塩辛さ等のキャラクターを内包する。決して口当たりのよいウィスキーではなく、強烈なパワーと複雑な香味を併せ持つ、類い稀なウィスキーなのである。タリスカー・アモロソを持ち出すまでもなく、スプリングバンクのような辛口かつシャープな酒質にこそ、シェリー樽が相応しい。ただし、ロイヤル・ロッホナガー・リザーヴ同様、本品も熟成に必要な樽の確保が困難になり、現在ではボトリングされていない。2000年前後に生産終了、2002年以降はとんでもない高値で取引されている。

08 ヘーゼルバーン '98(アルシェミスト)
 オーク・カスクの8年もの、46度。2007年のボトリング。
 1997年から生産がはじめられたスプリングバンク蒸留所の第三のシングルモルト。原料の麦芽にピートを焚き込まず、三回蒸留でつくられる。ローランドタイプのモルトを現代に蘇らせた。

09 ロングロウ '92 ※
 スプリングバンクのセカンドラベル。オーク・カスクの10年もの、46度。2002年のボトリング。
 特質は麦芽の乾燥にピートのみを用いる点。スプリングバンクの6時間に対して、55時間もピートを焚くといわれる。
 湿った草や土の匂い、微かにシェリーの甘味、長くピーティーなフィニッシュ。塩辛く、口腔が沸き立つようなオイリーな後口。通好みのヘビーなモルト。
 1973年から74年にかけて蒸留、85年より発売。ブランドはスプリングバンク蒸留 所に隣接していた蒸留所の名。同蒸留所は1896年に閉鎖され、現在ではスプリングバンク蒸留所の瓶詰工場になっている。
 90年以降、年毎の生産量は増え、2000年からは定期的にボトリング。91年からはヴィンテージが記載されるようになった。しかるにヴィンテージは92年で終了、以降はオーク・カスクとシェリー・カスクのヴァテッド・モルトに統一された。10年もの以外ではシェリー・カスクの14年ものがあり、テキスト・ラベルのカスク・ストレングスがごくたまに頒されている。
 ボトラーではキルシュ・インポート、サマローリ、ドリームス、マーレイ・マクデヴィッドからボトリングされているが、いずれも入手困難。

10 ロングロウ '89 ※
 シェリー・バットの13年もの、53.2度のカスク・ストレングス。テキスト・ラベル2350本のリミテッド・エディション。
 ロングロウのディスティラリー・ボトルにはブルー・ボックス、蒸留所の近影を写したラベル、テキスト・ラベルの三種がある。新しいところではブルー・ボックスが99年に、蒸留所ラベルが98年にボトリングされている。いずれも極めて入手がむずかしい。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月21日 08:32 | 固定ページリンク




温野菜  | 一考    

 ヒロユキさん来店、温野菜で頭を抱えているらしい。この場合の温野菜は茹でる、蒸すであって、焼く、煮る、炒めるは除外する。秘訣らしいものはないが、湯掻く時間を極端に短くすることと多量の氷水につけること。温野菜に禁物なのは余熱である。
 いつぞや枝豆の湯掻き方を書いたが、沸騰して一分である。ホテルの温野菜はジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーなどを別にすると、ほとんどは葉物である。種類は異なるがブロッコリーの葉もしばしば用いる。この場合は秒単位で時間差攻撃を掛ける。
 東京ではサヤインゲンがよく使われるが、旨いと思ったことが一度もない。湯掻きすぎで芯までぐちゅっとしている。これはビアホールの枝豆も同様である。豆類は氷水につけないので湯掻く時間はさらに慎重にかつ短めにしなければならない。例えば、唐揚げは十秒から二十秒揚げて取り出し三十秒置く。その三十秒の間に余熱で芯まで火が入る。あとは仕上げで表面をからっと揚げるのである。
 繰り返すが、レタスは十秒、キャベツは二十秒で十分である。業務用のガスの火力は強い、そして器は大きい。家庭用とは基本が異なることに留意すべし。それにしても、と思う、嬬恋村で温野菜は食べないだろう。衛生面での配慮なのだが、私はホテルの温野菜に興味がわかない。ただし、コンソメや白出汁を湯掻き汁に用いた温野菜は好きである。野菜が野菜でなくなり、新しい食べ物に変身するからである。

 ヒロユキさんは仕事が続きそうだという。私にとってそれ以上の土産はない。ちょうど一箇月になろうか。嬬恋村の出世頭になってほしい。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月20日 19:20 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

1月24日(土曜日)の19時から新装開店後、十三度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はスプリングバンク、ヘーゼルバーン、ロングロウのボトルを楽しみます。ロッホデールの四種類のスプリングバンクを中心にブリニー(塩味)からシェリー香に至るさまざまな味わい、加えるにノンピートのヘーゼルバーン、強烈にピートを焚き込んだロングロウ、要するにスプリングバンク蒸留所の全貌を味わって頂きます。

ですぺらモルト会(スプリングバンクとその仲間を飲む)

01 スプリングバンク・レッドファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のファースト・リリースで1800本のリミテッド・エディション。46度のミディアムボディ。
02 スプリングバンク・ブルーファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のセカンド・リリースで国内へは480本の入荷。46度のミディアムボディ。
03 スプリングバンク・ブラックファウンダーズ(ロッホデール)
 08年4月発売のサード・リリース。16年もの、46度のミディアムボディ。
04 スプリングバンク・ゴールドファウンダーズ(ロッホデール)
 08年12月発売の最終リリース。バーボン・カスクの17年もの、46度のミディアムボディ。
05 スプリングバンク '91(ロンバード)
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの10年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
06 スプリングバンク(C.V)※
 12年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
07 スプリングバンク12年(緑マーク)※
 シェリー樽熟成、46度のディスティラリー・ボトル。
08 ヘーゼルバーン '98(アルシェミスト)
 オーク・カスクの8年もの、46度。2007年のボトリング。
09 ロングロウ '92 ※
 スプリングバンクのセカンドラベル。オーク・カスクの10年もの、46度。2002年のボトリング。
10 ロングロウ '89 ※
 シェリー・バットの13年もの、53.2度のカスク・ストレングス。テキスト・ラベル2350本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2009年01月20日 07:42 | 固定ページリンク




「嗜み」三号  | 一考    

 「嗜み」三号はインポーターのエイコーンを取上げる。先日、幹郎さんの取材が済んだ。エイコーンの蔦さんから「先方のご期待に添えたかは わかりませんが・・・」とのメールがあって、いまいち噛み合わなかったような気がしないでもない。「リヴェット系」との蔦さんの言葉に幹郎さんはちょいと引っ掛かったようだが、リヴェット系はシーグラム系に置き換えて問題ないと思う。グレン・リヴェット、グレン・グラント、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリヴェット)、ストラスアイラ、グレンキース、ロングモーン、ベンリアック、アルタナベーン、キャパドニック等、シーバス・ブラザーズ社が所有していた蒸留所は実に旨いモルトを造っていた。シーグラムの売却後、閉鎖された蒸留所、売却された蒸留所など消息はさまざまだが、もったいないことをしたものである。
 温厚なひとほど人見知りするものである。これは幹郎さんのことではない、蔦さんのことである。幹郎さんをして温厚とは口が裂けても言えない冗談である。温厚とくれば篤実である。他への思いやりより悪意と嘲笑が優先されなければ詩は書かれない。一方、蔦さんは外国で長くワインの勉強をしてきた、いわば酒のプロである。香味にいささかの狂いもないが、ラベルのデザインが良くないとの悪口ぐらいは幹郎さんのことだから言ったに違いない。いずれにせよ、四号から舞台はスコットランドへ移る。
 私は口先だけの人間で、分かったような話をしているが、海外旅行の経験はまったくない。私のいう海外とは北海道であり、四国であり、淡路島であり、小豆島なのである。要するにパスポートを必要とする旅行には行ったことがない。先日も客がアイラ島のどこそこの岬が風光明媚でと話すものだから、数え切れないほどアイラへは行っているが、何時も霧でなにも見えません、大体があの辺りは霧が深くて・・・と見てきたような嘘をつく。そんな私だからボトラーではダグラス・レインとイアン・マクロード、蒸留所ならブナハーヴンかバルヴィニーが良いのではと言いはするものの当てにされては困るのである。ここは一番、土屋守さんにお出まし願うしかない。

 先日、幹郎さんからフランス土産にボウモアとダルモアのニュースピリットをいただいた。今週のモルト会で試飲していただこうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月20日 01:01 | 固定ページリンク




チョコレート  | 一考    

 サントリーがモルト&ショコラプロモーションと題して山崎と白州の販売促進を図っている。さまざまなマリアージュが計画されているようだが、その内のひとつにロイズの生チョコがある。シェリー樽熟成の山崎とミルクチョコレート、白州8年とホワイトチョコレートの組み合わせである。
 ちはらさんが昨年、北海道土産に山崎の方を買ってきた。これは大層旨かった。いつ頃から売り出されたものか詳細は審らかとしない。しかし絶妙の口どけである。私は口に入れるものはその是非のほとんどを香りで決める。そしてロイズの山崎は及第点である。しかし、チョコレートのためにモルトウィスキーを購入するほど裕福ではない。従ってチョコレートだけを大量に買って来てとお願いした。
 モルトウィスキーの方はかつての山崎のヘヴィリーピーテッドのようなシングルカスクが発売されれば無理をしてでも購入するのだが。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月19日 20:27 | 固定ページリンク




大谷石  | 一考    

 カウンターの天板は旧店同様、大谷石を用いている。カウンターの立ち上がりの部分も同じ部材である。立ち上がりは36枚の大谷石で構成されているのだが、その内の23枚が金曜日の営業中に崩れ落ちた。客に怪我がなくて安堵させられた。
 大谷石の裏は張り合わせの合板ではなく、普通のベニヤ板が用いられている。従って圧力が加えられれば歪む。客の足が当たる部分なので一年のあいだに弛んできたのであろう。土曜日に大量の木工ボンドを買ってきて処置した。しかし、これは予測できたことである。再度剥がれるのは時間の問題であろう。剥がれれば張り直す、繰り返される応急処置、私の人生のようで微笑ましく思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月19日 20:26 | 固定ページリンク




雪の結晶  | 一考    

 中川町の町長亀井義昭さんが来店。北海道の今年の雪はまるで北陸に降るようなべた雪だそうである。マイナス17度までは下がったものの今年は暖かいらしい。とは言え、私には想像を絶する寒さに違いない。時代と共に様変わりしてゆく雪の結晶について話し込む。
 ちはらさんからウィルス性胃腸炎に罹り、先週の土曜日から嘔吐と下痢に悩まされていると連絡があった。佐々木さん(幹郎さんではない)の意見によるとインフルエンザらしい。養生しなければ十日から二週間は癒らない。札幌で紹介できる医師を私は持たないので困惑している。今日の北海道は吹雪である。明日の午後からすこしは緩むらしいが。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月15日 10:37 | 固定ページリンク




次回モルト会のことなど  | 一考    

 ゴードン&マクファイル社のコニッサーズチョイスからローズバンク91年が頒された。アメリカンオークのリフィールシェリー、17年、43度の加水タイプ。参考価格は6909円だが、ほぼ二年ぶりの四桁の売価である。大手ボトラーはさすがに値が下がってきたようだが、小規模なボトラーは為替の差額を超える値上げをしている。このままでは売れなくなるとの危機感を一部の酒屋が抱くようになった。当然である。
 ロッホデールのスプリングバンク・ゴールドファウンダーズが昨年末に頒された。同シリーズの四回目で最終リリースである。前回のブラック・ファウンダーズから8箇月、さらに熟成を経た17年ものとしてボトリング。過去二度ののボトルは年数の異なるバーボン樽とシェリー樽数種類のカスクをブレンドしていたが、前回からはエイジングを記載。本品の特徴はバーボン・カスクのみを用いたところにある。
 クラガンモアのカスク・ストレングスは10年ものがボデガ・ユーロピアン・オーク、17年ものがリフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッド、29年ものがアメリカンオークのリフィルを用いている。ゴールドファウンダーズもカスクの不必要な影響を排したというところか。同様の配慮はロングモーンにもいえる。ロングモーンのオフィシャル・ボトルはひどく不味いが、ウィスキー・エクスチェンジのリージョンズ・ウイスキーの一本はバーボン・カスクである。従って、カスク由来の妙な癖がなく、オフィシャルと比して随分と旨い。
 さて、拙宅にファウンダーズ・シリーズが一本ずつ取り置いている。今月のモルト会はそれを中心に据えるつもりである。二年前に「六十年代のスプリングバンクを飲む」とのモルト会を催した。今ではそれぞれが六、七万円はする。仕入れだけで八十万円を超える。もう二度とあのようなモルト会はできない。しかし、一本だけ隠し球を用意している。期待に添えるものと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月15日 09:12 | 固定ページリンク




不可分物  | 一考    

 一月十四日は横須賀さんの遠日。連れ添いの誕生日はおろか親の不楽日すら覚えていないのに、なぜか彼のそれは鮮明である。これからしばらく私の「青の中」がつづく。
 このところ、深夜の赤坂では一度から四度の日々がつづく。私の身体は至って頑健なのだが。
 先日ナオさんと話していて、「男が女の身体に興味を抱くのは四箇月だね」四箇月の春情というのも切ないが、まあそのようなものだろうと思う。ならば、接触しなければ長持ちするのかということになるが、そうもゆくまい。肉体の触れあいと精神の交流は不可分の関係にある。要するに、人間は不可分物なのである。失意などというものはその取り分け不可能な点を諒解するところにはじまる。精神的であるにせよ、肉体的であるにせよ、そのような絶望は自慰的行為にしかならない。自慰としての絶望など考えるにナンセンスである。
 ひとが不可分物でなくなるのは死人と向き合う時のみ。いくら身体が丈夫とは申せ、このところの気落ちははげしい。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月14日 16:50 | 固定ページリンク




重ねて  | 一考    

 前項で書いた「ふりかえる」を繰り返し口遊みながら、森田童子の「海を見たいと思った」を聴く。同日の談ではないが、浅川マキはアンダーグラウンドを固守し、森田童子は75年から83年までの活動のあと沈黙する。私性に対する姿勢という点では共通項が見られる。
 私性と書いたが、これは個性を意味する。早いはなしが自分の生き方を擬える行為それ自体が唄になっている。もしくは唄そのものが生き方を示唆しているといえようか。この消息は文学にもそのまま通じる。そこで私はいつも考えさせられる。
 デュシャンの登場が絵画と文学との蜜月に終止符を打ったように、いつ頃から文学と人の存在との間の架け橋がなくなってしまったのか。例えばカラオケへ行ったとする。当然のことながら歌う側は自らの人生を顧みて共感なしうる唄を歌う。この場合、巧拙は問題外である。大事は味わいであって、味わいは同感や共鳴ないしはこころの共振がもたらすものである。
 例えば古書店へ行ったとする。堆く積み上げられた書物のなかから選ぶのは当然のことながら共感なしうる内容の書物である。この場合、作品の巧拙は問題外である。大事は同化であって、同化は同感や共鳴ないしはこころの共振がもたらすものである。その同化しようとするこころを私は自己解体と呼ぶ。
 「熱と理由」一冊がどうして私を涙ぐませたかといえば、死んだ友への共振が全篇の基調モチーフとなっていたからである。「熱と理由」は彼の「二十歳のエチュード」であり「死人覚え書」だった。読了し、涙腺がゆるまなかったとすれば、その人には書物を読む資格なんぞありはしない。
 人は不器用なもの、「さまざまな種類の自我の同時存在はあり得ない」と書いた。人はどうあろうとも全力で疾走するしかない。ありとあらゆるジャンルでもって人は個であることを証明しつづけるしかない。ある領域の自分とある領域の自分とが異なることなどあってはならない。その染め抜かれた色が私性であり個性である。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月11日 23:42 | 固定ページリンク




不如意  | 一考    

 ちはらさんが居ないので新宿へ行く、居てもゴールデン街へ行く。要するに彼女の存在と呑みに行くゆかないは関係ない。関係ないなら書かなければよいのだが、そうもいかない。帰りの足があると安心して泥酔できるが、足がないと酒がすすまない。酔っ払った時に私がどうなるかを知っているのは私だけである。いつぞや新宿駅で踊り出したらしく、その舞踊はいまだに語りぐさになっている。時としてベンチと交合、しがみついて離れなくなる。時として電信柱と熱烈な抱擁を繰り返す。時として電車の床が天蓋付きの寝床に思われてくる。しかして一宿目合うのは物体ばかり、酔うと生身に興味はなくなる。要は不如意、言い換えれば適度に酔うのが苦手なだけなのである。
 ところで不如意を広辞苑でひくと「どちりなきりしたん」が出てくる。ポルトガル語の「どちりいなきりしたん(キリスト教の教義)」に由来するのであろうが、そのような意味があることすら私は知らなかった。天正のキリスト教教義のカテキズモは知っているが、どうして不如意なのであろうか。さて、また酔っ払ってきたようである。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月10日 20:27 | 固定ページリンク




続けて  | 一考    

 「現代詩手帖」一月号に、去年の十一月に神戸で催された佐々木幹郎さんの講演「私が詩を書き始めた頃—1968年前後」が掲載されている。「熱と理由」と併せてお読みいただければ嬉しく思う。
 過去を「ふりかえるための文体が、わたしのなかでまだ見つかっていない」ので二十代について書くのは辛く苦しいという旨のメールを幹郎さんから頂戴した。ひとの身体は前進にこそ向いているが、後ずさりには適していない。単にふりかえるだけなら簡単なのだが、それでは肝腎の「熱」が失せてしまう。ふりかえる時にはしかるべき後ずさりが必要になってくる。それを弁えない冷や飯のような文章が世上に濫れている。文学は搖れつづける自分のことを書くのであって、決して他人事であってはならない。
 「熱と理由」のなかに小林秀雄について書かれた「最も奇妙な場所」がある。文芸時評をはじめたのが川端康成なら文芸評論は小林秀雄をもって嚆矢とする。そして小林を凌駕するものは未だに現れていない。小林は好悪でものごとを判断しない、常に最終判断は留保されている。彼は理解しにくいものがあると、対象となる場へ後ずさりする。早いはなしが彼自体が揺れ、振れつづけている。文芸評論家としてでなく、思索者として高く評する理由がそこにある。
 前項で「魘された時代」と書いたが、あの騒乱期にあってしっかり小林秀雄を見据えていた佐々木幹郎さんの眼力に脱帽、よき友を得たと思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月10日 16:23 | 固定ページリンク




「熱と理由」  | 一考    

 かつて澁澤、出口、種村さんと太宰コンプレックスと云うべき人たちと知り合った。私たちはその癖をダザコンと呼びならわしていた。1950年生れ以降はさすがに減ったのだが、1920年代から40年代生まれには蕁麻疹に罹るがごとくダザコン病が蔓延した。そしてその世代は1959年から1970年までの安保闘争となんらかの関わりを持っている。他方、1950年代の朝鮮戦争特需により1955年ごろには日本経済は戦前の水準に復興、1968年には国民総生産が資本主義国家の中で第二位に達した。1950年生れ以降は太宰コンプレックスと縁が薄いと書いた理由は、その世代が物心がついた頃、日本は戦中・戦後の影響からすでに脱していたということである。
 私は間違いなく戦後そのものを生きた。そしてまわりには私同様、遅れて戦後を生きたひとたちがいる。そのひとりが佐々木幹郎さんであろうか。幹郎さんに「熱と理由」と題する熱くかつ直向な本がある。1977年10月に国文社から上梓されたが、初刷がまだ新刊で手に入る。内容は69年から75年の間に書かれたエッセイ集である。
 「昔、シェストフと共にバンジャミン・クレミウの「不安と再建」がよく読まれた。戦後の1918年から1930年を超現実主義と逃避の期間とし、人格分解の時代、不安の時代と位置付けていた。要は花田清輝式二項対立の先駆を担うがごとき評論集だった・・・始源と終末を繰り返す歴史のなかにあって、第一次世界大戦であれ、第二次世界大戦であれ、戦後というのはひとを不安にさせる。櫻井さんのいう単孤無頼の独人も本を正せば不安がもたらす人格分解にある。よるべを喪えばパーソナリティーそれ自体が体を成さなくなる。振り返る過去がなければ感傷も追憶もなにもなくなる」と書いた。名状しがたい不安感について触れた文章だが、「熱と理由」を読んで同種の感慨を抱かされた。
 幹郎さんが二十代になにを思い、憬れ、抗い、闘い、書き綴っていたのか、それら桎梏が手に取るように分かる。自ら在した時代を克明に綴り、その進行形がいまになお続いているところに彼の表現者としての真骨頂がある。書評を書くつもりは毛頭ない。新本で入手可能と書くこと自体が彼に対する私の最大の批評であり評価である。

 学生運動に取り憑かれた者にとって熟読玩味し、反芻せざるを得なかった「イカロスの翼」が本書には収録されている。敗戦の玉音放送を聞かされた箇所、それは太宰の「トカトントン」の削除された部分でもあるのだが、「戦争体験であれ戦後体験であれ他のどのような体験であろうと、現実がある何かの引力によって歪めさせられ、歪みを歪みとしてとりあつかうことのできない世界のなかで、個人を中心点とした遠心力とも求心力とも切り離されて、人間の内部にあるもうひとつの現実がものとして浮かびあがり、それが最初に切り開いてくる滅亡感覚である」と幹郎さんは著す。文章はつづく、「わたしが一篇の詩を書くために深夜の机にむきあっているとき、わたしの胸とつりあった高さで一人の死者が、その死の固有の輪郭を求めて悶絶し浮游しているさまと出逢うことがある。彼は叫び声をあげず、ただ瞳をひらいたままだ。その瞳の奥にただよっている熱と苦悩の軌跡を追ううちに、声をあげるのは生者の側であるわたしの方であり、その声はまた死者の瞳と出逢って存分に叩きつけられる。そのたびに叩きつけられた上皿天秤の一方の皿から、手で触れ目で確かめることのできぬもう一方の皿の方へ乗り移ろうしては詩を書いてきた」
 友の死に逢着し、その惨劇を目の当たりにして、自らを「擦過してゆくもの」と位置づける彼ののっぴきならない純情に私は涙する。あの魘された時代の渦中にあって、否、魘されていたが故に「個」に、「私」に、幹郎さんは拘泥する。こだわるが故の擦過である。私ならさしずめ咲嘩とするところだが、そのような駄洒落が通用しない熱と弁証法的屈折が汪溢している。澁澤さんは重度の弁証コンプレックスに罹かっていたが、幹郎さんのそれも、澁澤に勝るとも劣らない複雑骨折である。ひとはどこまでゆこうが時代の申し子である。それは「熱の理由」でなく「熱と理由」と題されたところにも顕れている。さまざまな種類の自我の同時存在はあり得ない。と云って、統一された自我なんぞさらに無い。戦後の一時期、「私」を求めて人々は自己解体を繰り返した。その運動がいかに虚しく切ないものであったにせよ、その熱だけは死ぬ日まで忘れてはならない。


投稿者: 一考      日時: 2009年01月10日 03:02 | 固定ページリンク




ナオさんふたたび  | 一考    

 このところ、ナベサンのナオさんとよく会う。よく会うと云っても逢引をしているわけではない、足繁く通っているのである。ナベサンには先代の頃から詩人と映画関係者が多く、先夜も詩人達がいた。詩人というのは詰らない話をすると述べたことが契機になってナオさんと詩について語らった。以下、ナベサンの営業妨害はしたくないので氏名は伏せる。
 彼女が取り出す詩集のほとんどを私は知らない。地方で出された私家版と思しきものばかりで出版社名も定かでない。早い話がプロレタリアート詩なのだが、なるほど彼女の好みにはそれとなく統一された雰囲気が漂っている。唄でいえば原田芳雄の「生きてるうちが花なのよ・・・」「横浜ホンキートンクブルース」、浅川マキの「裏窓」「夜が明けたら」のような自暴自棄なムードが色濃く醸し出される。
 詩のはなしなんぞ、彼女とははじめてである。この種の詩には垂れ流しが多いのだが、大上段に構えた社会的な作品を避けて個の呻吟濃厚な詩を的確に拾い上げてゆく。彼女は身体で文学を語る、その感覚にかなわないなと思う。修辞ではなく、考えるでなく、より皮膚感覚に近い研ぎ澄まされた裸の神経回路を彼女は持っている。そのような回路に私ごときが太刀打ちできよう筈がない。ゴールデン街を十八年間流浪うと、いま在ることの切なさがかくまで明確なかたちで迫ってくるのかと思う。「まえだのババア」の貫き乱るがごとき猛々しさは彼女には微塵もない。正気も本気も狂気もなにもかも呑み込んで顔色ひとつ変えない、そんなニヒリズムが彼女の立ち居振る舞いのそこかしこに匂う。
 かつて「襟を抜くのを去なすというが、年長者のしたり顔をあしらうときの軽みには色気すらある。三十路前半ながら、おそろしくきめの細かい人生を送っている。きめが細かいとは気配りを指し、気配りとは存在の相対化を言う。まるで安保の時代が今様の服をまとって顕れたようで、ある種の懐かしさを憶える。遅れて生れてきた人種のひとりで、時代を取り戻そうとして気を揉んでいる。「遅く生れた」ひとはみな生き急ぐ、その困しみは一種のはがゆさに色彩られている。彼女もまた、あきらめを嘆きの霧の道しるべとするのだろうか」と書いた。この「嘆きの霧」は万葉集の「沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを」である。溜息が生じさせる霧の奥ゆかしさと深い失意が私を捉えて離さない。

 ナオさんの実姉HALさんはゴスペルシンガーだが、今月アルバム「 I sing becouse」をリリースした。妹も楽器をよくする。そして彼女の唄に私は魅了され続けている。無料でナオさんの唄を聴くことができる、それを愉しみに私はゴールデン街へ通う。

 本年最後の書き込みである。三十一日は例によって来ていただいたお客さんと豊川稲荷へ初詣、そのあと私はゴールデン街のナベサンへ飲みにゆく。花園神社で楽としたい。


投稿者: 一考      日時: 2008年12月30日 23:38 | 固定ページリンク




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