レイアウトが崩れる方・右メニューが表示されない方: >>シンプル・レイアウトへ

2008年11月17日

ですぺらモルト会一考  

11月22日(土曜日)の19時から新装開店後、十一度目のですぺらモルト会を催します。
会費は12900円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はクライヌリッシュとブローラのボトルを楽しみます。

ですぺらモルト会(クライヌリッシュとブローラを飲む)

01 クライヌリッシュ14年※
 46度のディスティラリー・ボトル。
02 クライヌリッシュ '89(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
03 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
04 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のカスク・ストレングス。
05 クライヌリッシュ '89(アデルフィ)
 12年もの、57.2度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
06 クライヌリッシュ '90(キングスバリー)
 バルデスピノ社のコリセオ・アモンティリャード・シェリー・カスクを用いた10年もの、54.2度のカスク・ストレングス。
07 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
08 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、60.1度度。
09 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
10 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。25年もの、43度、限定263本のシングル・カスク。01年のボトリング。
11 ブローラ '81(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。18年もの、50度のプリファード・ストレングス、限定263本のシングル・カスク。
12 ブローラ '77(レア・モルト)※
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本。21年もの、56.9度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566

迷惑カキコ一考  

 久しぶりの休みなのでオートバイの修理に専念。修理を済ませて走ってみると後輪がひどく滑る、前輪の空気圧が低いのが理由である。タイヤを替えたばかりで、どうして空気圧が減るのか、理由はチューブの虫でしかない。ついでにスクーターをチェック、こちらの後輪は1.2気圧、燃費が悪い筈です。黴の生えた虫を洗って押し込んで応急処置。茶毒蛾の次は生ゴムのムシに襲われた塩梅。それやこれやで、この間掲示板はほったらかし、気が付くと「パナマからの手紙」で埋められていました。おっきーさん、済みません。

2008年11月12日

訃報一考  

 早朝、浪速書林の梶原正弘さんが昨夜亡くなったとご子息の武文さんから連絡があった。今日が通夜で、葬儀は明日十三日十二時から、大阪府池田市新町一の十六の弘誓寺(ぐぜいじ)会館にて。一年に及ぶ闘病生活の果てだそうである。七夕市や明治古典会など大市がある度に上京、必ずですぺらへ立ち寄っていただいた。
 (続きは明日)
 本が好きだったので黒木書店、浪速書林、田村書店と家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた。神戸在のころは梶原さんと泥酔、福島の旧宅で何度もご厄介になった。旧宅の入り口には金網を張った一画があって、梶原さんのお子さんが蛙を飼っていた。梶原さんはいくら酔おうが、蛙の餌だけは忘れなかった。蛙は生き餌しか食べない、蠅か蟋蟀である。小さく切った蒲鉾をピンセットでつまんで根気よく鼻先で動かしたり、見えないほど細い針金をつけて動かしたりしても、口に含んだときに動かなければ吐きだしてしまう。活け造り専門の、蛙は美食家なのである。
 「ごねんなあ、ちょっと待っててや」梶原さんは生き餌のはいったビニール袋を大事そうに抱えて戻ってくる。「これなあ、私の人生なんや」「古本屋をやめてペットショップにしたら」「あほ云うたらあかん」そんなときの梶原さんの目はあたたかだった。
 小さい小さい梶原さん、きっと死んでさらに小さく、消え入るように小さくなったと思う、私の父がそうだったように。十代半ばの頃の私を知るのは山本六三、黒木正男、梶原正弘のお三方のみ。そして三人とも鬼籍に入られた、と同時に私の十代も消え去った。存在は記憶のなかにしかない。そして記憶が跡切れたとき、存在したことも消え去る。

 十月の末に山崎剛太郎さんの「夏の遺言」と題する詩集が水声社から上梓された。巻頭に昭和十四年に松下博によって撮影された写真が二葉掲げられている。一葉には信濃追分の径を肩を寄せ合って散策する小山正孝、野村英夫、山崎剛太郎、中村真一郎の後ろ姿が写っている。山崎さんのキャプションがなければ個人を特定するのは難しい。途の向こうへと消え去ってゆく影、顔はなく、存在はなく、そこに在るのは蜉蝣のように立ちのぼる記憶だけ。かかる写真を選択した山崎さんの詩精神とタイトルの「夏の遺言」とのコレスポンドンス、霜の音が聞こえてくるような冴えわたった記憶である。この写真を前にして私は本文を繙くことができなくなった。読むのはいい、ただ泣き出してしまうに違いない。そんな記憶を梶原さんと私も共有していたのである。

値崩れ一考  

 ですぺらの客には株をなさっている方が多い。そこで素人意見を一言。
 現在発表されている企業業績は七月から九月の四半期開示(決算時期によって区々)である。今回の金融危機はベアー・スターンズが端緒なのだが、広く知られるようになったのはリーマン・ブラザーズの破綻で、九月十五日のことである。そのリーマンのクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の清算価値が入札の結果8.625%に決定したと国際スワップ・デリバティブ協会(ISDA)が発表したのが十月十日。推計ではリーマンのCDSの契約残高(想定元本)は約4000億ドル、CDSを引き受けた金融機関などがかぶる損失は91.375%(約3655億ドル)となる。この率でいくと、取引残高62.2兆ドルのうち、56.8兆ドルが吹き飛ぶことになる。新たに破綻する金融機関が出る可能性があるとの市場関係者の危惧は決して理由のないことではない。
 CDSはともかく、実体経済への影響が数値になって顕れるのは次の四半期開示(来年一月末)であって、その次の四半期ではさらに大変なことになりそうである。週刊誌その他で底値感が謳われ、株購入の薦めが囂しいのは某政党、某新聞社の陰謀ではないかと私は猜疑っている。
 ですぺらはモルト・ウィスキーの専門店である。このところの蒸留所やボトラーのあまりもの強気の値付けに業を煮やしている。先日も極力安いボトルを七本買って十二万五千円の請求である。金融危機ならぬ経済危機が引き金になって株同様値崩れが起きるのを心待ちにしている。

2008年11月10日

自意識一考  

 詰らないと思いつつ、少しでもましなところを探して拾い読みすべきか、それとも思想のなさから抛り出すべきか、書物を繙く度に溜息が出る。最近では根気がなくなって投げ出すケースが増えてきた。結論を先に申せば、書物に対する好奇心が急速に失せつつある。
 好奇心が失せつつあると書けば間違いになる。好奇心を抱かせるような内容のある書物がめっきり減ってきたのである。俳句では永田耕衣、三橋敏雄、高柳重信が逝いて興味の持ちようがなくなってしまった。短歌では葛原妙子、塚本邦雄、寺山修司、春日井建、山中智恵子、安永蕗子以降は俳句同様、興味が持たれなくなってしまった。
 記紀歌謡末期、万葉集初期の作品に成立した短歌と比して詩は歴史がはるかに古い。古いとは申せ、江戸漢詩と新体詩との断絶、ならびに現代詩との隔絶は昭和三十年代の前衛短歌運動にはじまった現代短歌と同じく、過去と現在とのあいだに横たわる脈絡を探せと云われても困惑するのみ。この消息は散文の世界においても似たり寄ったりである。

 詳細は端折るが、先日地方に住む詩人が来られた。年格好は私と似ているのだが、旺盛な常識と権威主義には呆れるばかり。作品と人品骨柄のあいだにいささかの乖離があってとの註釈が付けられていたが、そこのところが既に怪しい。いかな人品骨柄であろうとも、作品はそれを忠実に擬える。良きにつけ悪しきにつけ、作品と人柄のあいだに乖離などあろう筈がない。それが読み解かれなければ、作家はおろか、読み手にすらなり得ない。もっとも不快を感じたのは「私は書き手であって、他の一般大衆とは異なる」のひとことである。当掲示板で触れ続けてきた選民意識の権化のような御仁だったと記しておこうか。
 地方に住む詩人は地方に在ることへの恨みを刺激のなさ乃至は評価のなさと結びつける。評価のなさは発表誌の確保に苦しむことになる、と。しかし、と思う。現世の評価などいかほどのものであろうか。現代の詩人はそのようないかがわしいものを求めて詩を著すのであろうか。結社や同人に属し、関連行事や出版記念会で顔を繋ぎ、当たり障りのない挨拶を繰り返すのが自らの価値を定め高めることだとでも思っているのだろうか。また件の詩人は「言葉は進歩する」「詩は勝負だ」とも云う。「詩のボクシング」があるのだから詩を格闘技の一種と看做すひとがいてなんの不思議もないのだが、勝ち負けの判定の基準をどこに設けるのであろうか。そして、その結果をいさぎよく受け容れるようなひとがいるのだろうか。
 「アナロジーの魔の渦中にぽいと抛り出されるのが詩の宿命、もっとも、類推があってこそ、詩は書き手を離れて自立し、読み手の頭上を翔けていく」とかつて川津さんに宛てて書いた。詩はつねにストレイシープ(迷子)である。生前にひとりの読者を得ることがいかに至難か、それをもっともよく知るのは「シジン」であろう。「シジン」が好んで用いる文言に「超高速で発射される言葉」がある。それを超高速で受け取る読み手などそんじょそこらに居るわけがない。もし可能だとするなら、その読者は書き手の趣味や生き方の根本的な更新を余儀なくさせる。すぐれた読者は作者が予想だにしなかった新たな領域を作品にもたらす。言い換えれば、作品を作品たらしめるのは最後は読者でしかないと、世の詩人はこのことに心致さねばならない。

 愛惜措く能わざる詩人のひとりに相澤啓三がいる。彼は発表機関誌はなにも持たない、単行本を出すべき版元も持たない、そして誰も評さないがゆえに無名である。況や現代詩文庫にも入っていない。もっとも、現代詩文庫のような有相無相と一緒くたにされるのは本人が嫌がるだろうが。しかし、私はわが国でもっとも偉大な詩人のひとりと思っている。明晰な頭脳の持ち主と思っている。前述したように「書物に対する好奇心が急速に失せつつある」なかで、相澤さんの著書は大切にしている。おそらく、読み手が私ひとりになっても、彼の詩に対する私の評価は揺らがない。読者は一般大衆のなかにしか存在しない、そして読者は限られている。しかし、その少数者と大衆は齟齬をきたさない。格差と差別は同心円を描く。政治であれ経済であれ文学であれ、格差の解決は論理的帰着として必ずやナショナリズムに行き着く。齟齬をきたさないのではなく、齟齬をきたしてはならないのである。個は大衆の投影であって、大衆は個の鏡である。私はその教えを十五の歳にボードレールから学んだ。肉体という概念を介して生涯そのことと闘ったのがマラルメでなかったか。

蕎麦一考  

 新蕎麦の季節になった。二〇〇五年四月十七日に急逝した三日月の外山時男さんを想い起こす。
 このところ、木村さんとおっきーさんが蕎麦造りに執心なさっている。おっきーさんの目がどんぐり眼になってなおのこと外山さんを思い出させる。
 そばを揚げたスナックとそば茶にはじまって、そばの芽のサラダ、そばの芽のジュース、そばの芽のてんぷら、そばの実の浅漬、そば豆腐、そばの実雑炊、そば団子、そば切り、最後にデザートとしてそばの実の入ったシャーベットかゼリー、もしくはクレープ(ガレット)を付ける。
 以上が一般的な蕎麦コースである。私が子供のころはデザートを端折り、団子をデザート替わりに配ったものが、讃岐、神鍋、高田などで食べられた。確か、神鍋では松葉肉や鴨の炭火焼き、やまめの塩焼きなども添えられていたように記憶する。
 山形へでも蕎麦を食べに行こうかと、こちらは思っているだけである。

2008年11月03日

パシフィック・カレドニアンのことなど一考  

 パシフィック・カレドニアンとはインポーター兼ボトラーの名前である。詳細は存じあげないが、故マシュー・D・フォレスト氏のオリジナルボトルを扱っていた。フォレスト氏が経営なさっていたインポーターなのかもしれない。ヘヴィリー・ピートのアイル・オブ・ジュラ、99年蒸留、3年もの、60.7度のカスク・ストレングス、447本のリミテッド・エディションをかつて蔵していた。
 他にもジュラのカスク違い、同じくジュラの75年蒸留、バーボン・バレルの25年もの、60.9度。オールド・フェッターケアンの21年もの、62.3度。タムナヴーリンの66年蒸留、クリーム・シェリー・カスクの35年もの、52.6度、472本。スプリングバンクの68年蒸留、30年もの、49.2度、271本のリミテッド・エディション。ベン・ウィヴィス72年蒸留、バーボン・カスクの27年もの、45.9度、187本のリミテッド・エディション。同じくベン・ウィヴィス72年蒸留、バーボン・カスクの27年もの、43.1度、146本のリミテッド・エディションなどが頒されたのを記憶している。73年蒸留のハイランドパークもあったと思う。新しくはジュラのスーパー・スティションの初の輸入元だった。
 ベン・ウィヴィスはハイランド地方の北部インバーゴードン蒸溜所の熟成庫内で隠れるように眠っていた最後の二樽をカスク・ストレングスでボトリング。2000年にリリースされた。キンクレイス、グレンフラグラー、レディーバーンと共に幻のモルト・ウィスキーと騒がれている。幻であることは認めるが、香味の方はさっぱり、金を出して飲むような代物ではない。
 ここで触れたいのは前述したジュラのカスク違いである。99年蒸留、02年ボトリング、3年もの、58.8度のカスク・ストレングス、705本のリミテッド・エディションがそれで、前者はブルーのラベルで後者はクリーム色のラベルである。記憶が正しければ、クリーム色のラベルは3年のベリーヘビーピートに1970年代の原酒を加えたものだった。いずれにせよ、ジュラ蒸留所がヘヴィリー・ピーテッド・モルトを造ったのは99年が最初で、フェノール値40ppmのポート・エレンのモルトを用いている。
 今回購入したボトルには前回同様、ジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏のサインが入っている。ディスティラリー・コンディションだが、従来のエディションと異なり強烈にピートを焚いている。レダイグ15年ものを想起させる強いピート香、パワフルでスモーキーなフィニッシュを持つ。今では、ディスティラリー・ボトルでヘヴィリー・ピーテッドが頒されているが、本品が最初に市場に出回ったヘヴィリー・ピーテッドである。

追記
 フォレスト氏の急逝が2005年5月、それ以降はウィスク・イーが「ジュラ1999・ヘビーピーテッド・マシューフォレスト」として扱っている。

客裡一考  

 去年の十月「友よ、いずこ」を書いた。それを覚えているひとがいて、一昨日メールを頂戴した。プレオープンの一週間前、よきはなし相手に恵まれ、こよなく穏やかな宵だった。滄海桑田の世にあって疏簾委委斜のごとく、ひっそりと酒を酌み交わすのは素直にうれしい。
 消尽、焼尽、消失、寂滅、寂黙、寂歴等々、話し合ったことは「消え入ること」のみ。かつて辻潤がペール・ラシェーズでなにを思い、なにを自らと語らったのか。ガンベッタから下る坂道に生う雑草に、彼は明日あるであろう命を託した。
 あなたを煩わせたひとは鮮やかに立ち直ったようである。書くことで経験するようにしているとのメッセージが届いた。躄がひとり、身の回りに増えたような。そう、膝行にならなければ文学は分からない。日常は繰り返す悔い、肉体はツール、あれもこれも決して悲しみに昇華することはない。
 何ごとによらず、顧みないひとがいる。きし方は夢のなかに定かならず、紐を解かないのは「さきだたぬ悔い悲しきは流るる水のかへりこぬ」ことを知っているから。まことに悲しいのは流れる水、繰り返される悔いが悲しいわけではない。
 「日本語を捨て、フランス語で考え、文章を著せば、そうすれば、自分が消えるのではないかと……」素敵滅法な覚悟かと拝察。「文学とは消え入ることに命をかけること」自分の言葉なれば間違いはなかろうと思うが、さらに委身曲附(しゃがむとまがり)を付け加えておきたく思う。

2008年10月30日

自転車操業一考  

 「金融工学の虚業」で書きたかったのはCDSのことではない。CDSが問題なのは事実だが、アメリカは次世代の金融システムを必ず構築する。私の云いたかったことは、とうの昔に原資がゼロになっている郵貯の民営化であり、年金であり、後期高齢者医療制度を薦めた小泉元首相の素朴な手腕である。デフォルメされたプリミティブアートを観るような感慨があった。
 彼は派閥の解体と相俟って自民党をぶっ壊し、他方、自民党自体を取り付け騒ぎから救ったのである。民営化してしまったものを国が保証する理由はどこにもない、郵政民営化に反対するような能転気な政治家にはお引き取りいただくしかない。ここにはあまりにも単純明快な論理がある。
 年金や医療にしても目先の二、三年がうまく行きさえすれば後は景気の回復が解決するだろう、取り敢えずは消費税で補っておけばよい。大方の政治家はそのような浅薄な考えを抱いている。単純な論理と浅薄な考えに優劣は付けがたい。今こそ魑魅魍魎の登場が待たれるのではあるまいか。
 小泉元首相が「ぶっ壊し」てから、自民党の下野が定まった。その間になりたい人は全員が総理大臣になるということになったらしい。かくて安倍、福田、麻生とレームダック内閣の系譜はつづく。自民党内で麻生おろしが既にはじまっている。次は小池百合子だそうである。もっとも麻生で選挙は戦えない、それを考慮すれば順当な人選というべきか。
 野に下るのが定まったと書いたが、本当は定まっていない。1993年の細川内閣、94年の羽田内閣につづく96年の第41回衆院選での新進党の敗北でわが国の大衆に私は失望した。明年六月か九月の総選挙で自民党はフェニックスのごとく蘇るかもしれない。概念としての大衆の聡明さは認めるが、日本のそれには困惑させられる。二大政党制の意味内容をなにひとつ理解していない。この種の大衆は糞食らえである。

2008年10月27日

自動二輪の免許一考  

 滝沢弘幸君が自動二輪の免許を取得した。取得だと簡単だが、しゅうとくと書くと修得、拾得、収得、習得など意味合いが異なってくる。私ならさしずめ宿徳が免許を拾得したとなるのだが、このような冗談は適切でない。
 彼は拙宅の近隣の教習所へ通っていたので、いつでも見に行けたのだが、最後の卒業検定まで捨て置いた。理由は彼が二十歳なので、最短コースであっても、なんら問題は生じないと思っていたからである。だが、卒業検定はさすがに気になったので見学に行った。
 三十八人中、大型が三名と中型が六名失格、一名がスラロームでパイロンと接触、他はいずれもが一本橋と波状路での脱輪である。彼は中型なので波状路は免除される。従って、苦手課題は一本橋であろう。実は、落下、足付きさえしなければ受かるということを伝えに行ったのである。規定時間は七秒以上だが、例えそれを切っても一秒あたりマイナス五点で済む、それと比して脱輪はその場で失格、ニーグリップの不良はマイナス十点である。
 彼の走行になんら問題はなく、一本橋での所要時間は十秒、大型でも受かる時間だった。車線変更が速すぎたようだが、マイナス特五点というのがあって、違反が一回までなら減点なし、二回以上重ねると遡っての減点となる。従って、彼は満点で通過したはずである。それを確認して私は帰宅した。
 ただ、先達として気になったことがある。彼の着座位置が後方に過ぎる。それが理由で両腕を張っている。大型だとマイナス十点になる。教習所のバイクはステップは前方へ、ハンドル位置は高くかつ後方へ設定している筈である。傾斜ポジションすなわち前傾姿勢が格好いいと思っているのだろうが、油蝉がバイクに止まっているように見える。レーサーレプリカのつもりでネイキッドに乗るのは困りものである。注意しなくては。
 受かったと戻ってきた彼を連れて鮨を買ってくる。今日はですぺらを休み、拙宅のバイクの名義変更と免許証の更新に嬬恋村へ帰った。東京で乗るのだが、嬬恋ナンバーがいいと彼は云う。彼の無邪気なアイデンティティをいささか羨ましく思った。

2008年10月25日

グレンスコシア・ヘヴィリーピーテッド一考  

 前項で「操業を再開した1999年7月、ヘヴィリー・ピーテッド・モルトを仕込み、まずリンブルグ・ウイスキー・フェアーで6年ものをボトリング、次いで2007年4月にディスティラリー・ボトルの販売をはじめた」と書いた。そのリンブルグで発売されたグレン・スコシア99年が手に入った。ゴードン&マクファイルのカスク・ストレングスと差し替えることにした。双方を開栓しない理由は棚がモルト・ウィスキーで一杯だからである。会費は9700円に訂正させていただく。

 田中屋へは滝沢弘幸君を運転手として連れて行った。佐々木幹郎さんが馳走になったアードベッグを私も飲みたくなったからである。他では62年と74年のマッカラン、幹郎さんの云う「埃を飲むような香り」を堪能した。昔のウィスキーはアルコール度数が低い、低いものしか売られていなかった。しかし、低いが故にシェリー香のコントロールが効いている。アーリー・ランテッドが40度を守っているように、昔のウィスキーも香り、味、フィニッシュの三拍子が揃っていて美味い。私は特に74年が気に入った。何時も飲むマッカランとは異なり、ノックドゥー、グレンロッシー、ロイヤル・ロッホナガーのような植物の味がする。カスク由来だと思うのだが、繊細なところが生きている。これもアルコール度数が46度に抑えられているからである。このところ、カスク・ストレングスを多く飲んでいたのだが、やはりウィスキーの醍醐味は加水タイプにあると再認識させられた。

ラガヴーリン新入荷一考  

 昨夕、スリーリバーからフレンド・オブ・ザ・クラシック・モルトのラガヴーリンが入荷した。95年蒸留、08年ボトリング、12年もの、48.0度、ファースト・フィル・シェリーバットの熟成品である。香味については書かない、旨いに決まっているからでる。
 それにしても、年が明ければ1ユーロ100円代にまで円高になる。160円からの推移だからウィスキーはずんと安くなる。現時点での購入は控えた方がよろしいかと思う。株価と円相場は連繋すると経済アナリストはいうが、私はそうは思わない。よしんば株価が持ち直すことがあっても円高は容易に解消しない。もっとも、それがいいことだとは思っていないが。

恋情一考  

 ひとから誉められるのは大好きである。とりわけあまねさんからの讃辞にはこころが動かされる。日頃から、存在は新陳代謝と書いている。そして彼は私のまわりで最年少である。老いては子ならぬ個に従えである。私は原則、ひとには頭を垂れないが、個として生きるひとは別格である。個にとって年少も年長も問題にならない。永田耕衣と接するのと同じ緊張感をもってあまねさんと付き合わねばならない。
 「懐かしい」という言葉を私は好まない、私が用いれば不用意ということになる。ただ、彼はその言葉に万感の思いを託している。文中の「・・・僕にはそれも出来かねます」と相俟って、彼がシャイな青年であることを物語っている。老いとは悲しいものである、シャイがシャイでなくなり、「差異もなき夢の気がかり」にしかならなくなる。
 「関係の難しさ、隔たりの深さ」と彼は書く、その懸隔は歳に比例して弥増して行く。年齢のへだたりはともかく、考え方のへだたりはどうにもならない。多くのひとはそれを趣味の相違と解釈する。相違という択一的図式で世の中が片づくと思うのは安易に過ぎる。世の中が常に対等だとは限らないからである。あまねさんは「隔たりの深さ」に畏敬の念を抱いている。懼れを抱くのは素晴らしいことである。思索の苗床は畏怖を除いてなにもない。畏怖は自己解体を余儀なくさせる、そして自己解体とは他者に惚れることに他ならない。間違いなく、土屋さんもあなたと同種の解体を繰り返していた。私には痛いほどよくわかる。あなたの「恋情」は決して身勝手なものでなく、相手に関係ないことではなかったと。

2008年10月24日

アイデア商品一考  

 何処の駅か忘れましたが、新幹線で同じ様式のトイレに入ったことがございます。防水工事の大変さに気を揉みつつも、アイデアとしては一級品と思ったのですが、どうやら先人がいらしたようです。それにしても読ませますね。「わづかにせり上がつた足型様のものふたつ。おづおづと片足づつ」で小生は吹き出してしまいました。福地桜痴「文章論」の「達意ノ文章ハ決シテ奇僻ノ文字ヲ用ヒ、高尚ノ語句ヲ用フルモノノ為シ得ル所ニアラズシテ、己レガ口ニ述ベント欲スルモノヲ筆ニテ、己レガ知ル所ノ文字ヲ書キ下ダスニアル事ヲ知ルニ足ルベシ」を想起。文章はこうでなくては、との思いを新たに致しました。
 襟裳岬の百人浜オートキャンプ場にはジェットガンが備えてあって驚きました。それだけ糞尿を撒き散らす方が多いと云うことになりましょうか。かつてのですぺらでも週一回はそれで泣かされました。もっとも、掃除をしていたのは女人の方ですが。
 ところで、今日田中屋さんでアブサンの素と称するものを頂戴してきました。直径13ミリ、長さ50ミリのカプセルにエッセンスが入っているのですが、96度のウオッカに入れるとたちどころに96度のアブサンに早変わりするという逸品です。当然、非合法なのですが、妙なものを造るひとがいるものだと感心するやら呆れかえるやら。話の種に取り置きます。傷むものではなし、序での折にでも。

毛繕い周  

「エアブラシ有り難く拝読」しました。一考さんのいう親分の元に初めて手伝いに行った日、僕が命じられたのは庭掃除と食器磨きでした。渡されたピカールと布で必死に銀食器を磨きあげたのを記憶しています。研磨剤が強力であればあるほど研磨する側も身を削られます。一考さんも用意してあるのは道具だけではないと感じました。
確かに僕は友達が欲しかったのかもしれません。そして土屋さんにその望みを抱いていたようです。底にあるのは身勝手な恋情。相手には関係ない事でしょう。一考さんと横須賀さんのような例は稀だと思います。「ひとがたまらなく好き、だから人を拒絶する」という文言は一考さんにもそのまま当て嵌まります(誰でもないご自身についてかかれた言葉ですもの)。一考さんは誰も拒絶していないですし、だからこそ、その失意は大きいのだと思います。それを間近で見て来た土屋さんも同じような失意を抱いているように感じます。その失意に僕は懐かしさを感じました。友達という言葉を口にするのはたやすいですが、いざその関係を持続するのはどれほどのエネルギーを必要とするのでしょうか。前のですぺらの時に、ですぺらの「ファン」を自称する人達がですぺらにしてきた事、言っている事を見ていた時に、関係の難しさ、隔たりの深さに気付きました。
友達が欲しければ「がふりよれば」よいのですが、僕にはそれも出来かねます。
以前一考さんは「残日を指折り数えて」と「俳諧の軽みのような笑い」という二編のエッセイを書かれました。ともにですぺら掲示板への書き込みを母体としたものでしたが、当時僕には「俳諧の軽みのような笑い」のほうが納得出来ませんでした。いうなればやっつけ仕事に見えたのです。「残日を指折り数えて」に比べてという事ですが。
今では、あの短さにどうしようもない一考さんの悲しさを感じます。

かの國の思ひ出——水見舞にかへて高遠弘美  

まづは何より水見舞を申し上げます。水ならぬ酒を飲めば金時の火事見舞になるわたくしが水見舞を申し上げても何のお気休めにもなりますまいが、一日も早い復旧を祈りをります。
 最近ではめつきり少なくなつたと思ひますが、かつてフランスにあつたトイレのひとつに、足場がまるで洪水のごとくになるものがありました。何かですでにご存じではありませうが、簡単に申し上げれば、ドアを開けると、イェテイの足跡よろしく、もちろんあれほどは大きくはなく、足を乗せれば靴の方がはみ出すくらゐの大きさの、床面からは浮き彫りのごとくわづかにせり上がつた足型様のものふたつ。おづおづと片足づつその上に乗せ、苦心惨憺の末、用を足します。さて、流す段になつて、天井から下つた鎖を引くと、逃げる間もあらばこそ、ものすごい勢ひで水が流れ込み、思はず溺れさうな錯覚にとらはれ、せめて片足をかはるがはる持ち上げて水難を避けようとしますが、水は撥ね、渦を巻いて床一面を覆つたまま。何世紀にも感じられる時間(実は数十秒なのでせうが)が過ぎるとそれだけで疲労困憊。飛びはねた水で裾を濡らして、惨めな思ひでドアを開けて出てくるといふありさま。トイレに就いてはいつも悩まされるフランスではありました。
 かの國に比べればはるかに細やかなまほろばのこの國。水仙などを床に生けた手水場はいつそ奥ゆかしいかもしれません。
 冗談はともあれ、怨念にかかはりなく、技術上の問題ですぐに解決なさいますやうに。

異変2一考  

 排水管が再び詰った。17日のうちににトイレットペーパー以外の紙類はトイレから除去、18日からはタオルを手拭きとして用意した、にもかかわらず詰ったのである。
 今般の理由はなにかと思案してみる。「radiesthe´sisteの業をもせし怪人」とは高遠兄の綴るところだが、ありもしない「赤坂みすぢ通りの暗渠」を揶揄したのが禍を呼び込んだのではあるまいか。「裏の川を流れるのは下戸や新仮名ばかりとは限らない、篤胤によって等閑視され脇腹の子として偶われてきた新仮名の怨念、そのうらみが溶け込んだ書物の毒、その毒を呷った読書家の悪意等々、さまざまなものが漂い、浮き沈みしているのである」と書いた。今回の捫着は新仮名の怨念ではなく、篤胤の逆怨みでなかったかと思う。
 手水へ立つに長靴に履き替えるのはどうだろうか。夏から秋に紫色の六弁花を開くのは雨久花、いっそトイレの床に水を張り、一面に花を咲かせようかと思っている。

2008年10月23日

モルト会追記一考  

 昨日、「嗜み」第二号が発売された。田中屋の栗林幸吉さんを佐々木幹郎さんが取材している。私はゲラ刷りしか読んでいないので、ちはらさんが届けてくれるのを心待ちにしている。
 その栗林さんと電話で話していて、ちょっと珍しいモルト・ウィスキーが在庫しているかもしれないと知った。グレン・スコシアのヘヴィリー・ピーテッドのカスク・ストレングスは記憶が正しければ、過去二度ボトリングされている。その内の一本がドイツの「リンブルグ・ウイスキーフェスティバル」で発売されたグレン・スコシア99年である。どうやらそれが見本として一本取り置かれているらしい。明日、田中屋へ行く予定だが、明後日のモルト会にこれ以上相応しいモルトはない。モルト会用にゴードン&マクファイル社のグレン・スコシア92年、14年もの、59.0度のカスク・ストレングスを既に購入済みである。これでふたつの大輪が咲く。会費が若干変わるが、喜んでいただけるものと思っている。

2008年10月22日

一周年一考  

 「開店とは申せ、ガスは繋がらず冷凍庫は故障、トイレの鏡とタオル掛けは明日、カタログは未定というありさま。ただ、ウィスキーだけは売るほどあります。従って、オープニングはまだ先のことにして、とりあえずのプレオープンです。食べものはなにもありませんが、どうかよろしくお願い致します」と案内したのが去年の十月二十九日、あれから一年が経った。
 この一年を顧みてなどという感慨はなにもない。それは年初に挨拶はおろか、なんらの計すら持たないのと理由は同じである。一月一日は十二月三十一日の次の日であって、それ以上でもそれ以下でもない。そして一月一日に二日のことは考えない。目が覚めて生きていたら、その日のことを考えればよいのである。
 とは申せ、この一年は目まぐるしかった。もっとも目まぐるしいのは目の前にあるものであって、世の中であり時代の変化だった。目がちらつきはするものの、自分にはいささかの変化もない。個であることに、変化の持ちようがないのである。ただ、個であるために周章て、噪ぎ、狼狽えることがあった。しかし、それは内面の浮沈であり、起伏である。その一端は掲示板で著した。従って、これ以上述べ立てる要はない。
 さて、一周年の日のお手伝いさんが決まった。その日はモルト・ウィスキーを飲もうと思っている。ひとりでは淋しい、お付き合いくださる方を求めている。

2008年10月21日

レダイグとグレンスコシア一考  

 レダイグはトバモリー蒸留所のセカンドラベルだが、1970年代まではレダイグ、1980年に操業を再開してからトバモリーとなった。創業は1798年、海運業者のジョン・シンクレアの手になる。1890年から1916年までジョン・ホプキンス&サンズ社が所有。1930年から1972年まで休業。同年蒸留を再開するも、1981年から1990年の10年間の操業停止を挿んで、1993年にバーン・スチュワート社により買収された。
 バーン・スチュアート・ディスティラーズは1940年後半に設立、グラスゴーに本拠地を置く。1988年以降、急速に拡大し、世界で第三位の独立したスコッチ蒸留所となった。1990年にインヴァーゴードン社よりディーンストン蒸留所を、カーク・リーヴィングトン・プロパティ社よりトバモリー蒸留所を相次いで買収。ブローカーまたはボトラーとしても活躍している。トバモリー蒸留所の前の所有者がアパートを建てるために熟成庫を売却、現在は中央ハイランドにあるディーンストン蒸留所の熟成庫を用いている。
 トバモリー蒸留所のモルトはピートを焚き込まないトバモリー、ピートを焚き込むレダイグ、マル島限定発売のアイオーナの三種。1972年から1975年蒸留のレダイグのディスティラリー・ボトルは美味とされるが、三年ほど前にボトリングされた、バーン・スチュワート社による買収前に蒸留された15年ものディスティラリー・ボトルは絶品である。過去のどのボトルよりもヘヴィリー・ピートなモルトで、どこかで見掛けたら是非お飲みいただきたい。
 ところで、神戸大学の某教授は毎年スコットランドへ旅行しているが、彼女の友人の言語学者によるとレダイグの現地での発音はレチョックだそうである。トバモリー蒸留所はマル島の玄関口、トバモリー村の港に面して建てられている。そのトバモリー村に二十年余住んでいるひとが云うのだから信じる他ない。ちなみに、某教授は美学が専門だが、バタイユを深く読み込んでいる。その彼女の初の土産が1972年蒸留のレダイグだった。

 グレンスコシア蒸留所の創業は1832年。スチュアート・ガルブレイスによるもので、創業当初の名前はスコティア蒸留所。1919年、ウェスト・ハイランド・モルト・ディスティラーズが買収。1924年に同社が破産すると同社のディレクター、ダンカン・マッカラムが買収するも1928年には操業停止。1930年にダンカン・マッカラムは借金を苦にキャンベルタウン・ロッホに身を投じ、爾来蒸留所には彼の幽霊が現れるといわれる。1933年、オークニーのスキャパ蒸留所がグレンスコシアを買収。1954年にハイラム&ウォーカー社がスキャパとグレンスコシアを買収。翌55年、A・グリル社が新オーナーになる。 下って1970年、アマルゲイテッド・ディスティラーズ・プロダクツ社がA・グリル社を買収。1979年から1982年にかけて蒸留所は大改修されるも、1984年に再度閉鎖。1989年、ギブソン・インターナショナル社がアマルゲイテッド・ディスティラーズ・プロダクツ社を買収して操業再開。1994年にグレン・カトリーヌ・ボンデッド・ウェアハウス社(ロッホ・ローモンド・ディスティラリーの子会社)が蒸留所を買収したが操業停止。1999年、スプリングバンク蒸留所の協力を得て操業再開。2000年、ロッホ・ローモンド蒸留所とスタッフによる運営が開始されて現在に至る。
 蒸留所の経緯は上記のごとく、操業停止と再開を繰り返して今に至っている。現オーナーのロッホ・ローモンド・ディスティラリー社はロッホ・ローモンド、リトルミル、グレン・スコシアの三蒸留所を所有。先頃、ボトルが一新され、ラベルも雰囲気を統一、ちょいと見分けが付けにくくなった。ポットスチルはストレートヘッド型で初留、再留釜はそれぞれ1基ずつと規模は小さい。仕込み用水はクロスヒル湖の水と、蒸留所の地下80フィートから汲み上げた地下水を利用している。操業を再開した1999年7月、ヘヴィリー・ピーテッド・モルトを仕込み、まずリンブルグ・ウイスキー・フェアーで6年ものをボトリング、次いで2007年4月にディスティラリー・ボトルの販売をはじめた。
 詳しくは土屋守さんの「モルトウィスキー大全」を繙かれたいが、レダイグ、グレンスコシア共に、アイラモルトとはひと味異なるピーテッド・モルトを造っている。

2008年10月20日

ですぺらモルト会一考  

10月25日(土曜日)の19時から新装開店後、十度目のですぺらモルト会を催します。
会費は9300円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はレダイグとグレン・スコシアのボトルを楽しみます。

ですぺらモルト会(レダイグとグレン・スコシアを飲む)

01 レダイグ・ピート※
 42度のディスティラリー・ボトル。
02 レダイグ・シェリー※
 ミレニアム記念の限定エディション。シェリー・フィニッシュにして、42度。
03 レダイグ '90(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの8年もの、40度。
04 レダイグ '92(ブラックアダー)
 オーク樽の6年もの、43度のシングル・カスク。
05 レダイグ '92(クライズデール)
 熟成は6年11箇月、63.4度のカスク・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。
06 レダイグ '93(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。10年もの、56.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
07 レダイグ '79(バーン・スチュアート)※
 ディスティラリー・コンディションの19年もの、49.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
08 グレン・スコシア12年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
09 グレン・スコシア '92(キングスバリー)
 14年もの、46度のリミテッド・エディション。カスクはBRL、オロロソ・シェリーである。
10 グレン・スコシア・ピーテッド '99※
 アメリカン・オーク・カスクの8年もの、45度。325本のリミテッド・エディション。
11 グレン・スコシア '91(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン・バレルの11年もの、57.0度のカスク・ストレングス、限定276本のシングル・カスク。
12 グレン・スコシア'92(ゴードン&マクファイル)
 14年もの、59.0度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566

エアブラシ一考  

 あまねさんに呼応する形で文章を綴っている。互いに気脈を通じているわけではないので、照応の方が相応しかろう。あまねさんも誰でもないところの(もの)に憑かれたのであろうか。爽やかさのなかに一抹の屈折が宿っているように思う。
 あるがままに描けばよろしいのであって、誤解を懼れてはいけない。もしくは何を書いたところで誤解される。いずれにせよ、誤解、曲解が待ち受けているのであれば、好きに書き継いでいただきたい。私などは文章のなかに埋もれて輝きを喪った屈折を掘り起こすことに専心する。屈折は多くは泥にまみれて冱えない、そのような穢れた(もの)を琢くのが私の仕事である。サンエバール、ピカール、テガール、アルボン、酢酸、酸化クロム、コンパウンド等々、研磨剤や研磨布には不自由しない。必要ならアルミナからサンドブラストの用意まである。
 さて、とんでもない屈折がまたひとつ迷い込んできたようである。

追記
 屈折と書いたものの彼のやさしさが身に沁みる。あまねさんはきっと友達が欲しかったのだと思う。そしてパリの彼はあまねさんに相応しい友だった。なぜ相応しいかと云うに、双方が距離の取り方を体得していたからである、まるで恋人同士であるかのように。
 私の歳になると、悲しむのが嫌でこころのまわりに予防線を張り巡らす。そして生な言葉(懐かしい、あがく、苦しむ、もがくの類い)を遣わなくなる。それを羞ずかしく思う。

エアメール周  

 知り合いと呑んでいたときに彼が夢見るように「このまま経済が崩壊して日本がぐちゃぐちゃになったらいいのにな」と語った。普段そのようなことを口にしない人だ。また他の知り合いと話していたら、「明日の事を知っていると思うやつは馬鹿だ」と言い出した。僕も含めてみな底辺労働者であって、コンビニエンスストアの前などでいい年をした大人が集まって缶ビールなどを呑みながらたむろしているような光景をみたなら、それは僕らと同じような人種だ。だからこれは僕の知り合いというような特定の誰かが行ったというよりも、あなたが街角のコンビニエンスストアで聞くとはなしに聞いてしまった話と思って差し支えはない。
 別の知り合いは「何者かであろうとすることをよしとしない」と語った。知り合いと書くのは彼を貶め、遠ざけようとするからではない。会っているとき、語り合っているとき、その今は確かに彼と僕はそこに在るがその次のことなどわからない。「じゃあ」といって手を振ったその瞬間に彼と僕はまたそれぞれがそれぞれのうかがい知れない他人へと戻る。それはすぐ近所に住んでいても、遠方に住む人であっても何も変わらない。一度出会ったならば必ず別れ、別れたからにはまたどこかで会うかもしれない。しかし次にあったときの彼と私は以前の彼と私ではない。そのことを得心しているからこそ、彼は僕にとって知り合いであり、また懐かしい人でもある。その彼はまた、担がれることを嫌った。「誰でもあり、誰でもないもの」と語る人ならば当然だったろう。個の集合体としての仲間であれば喜んで参加したが、それが党派になることを嫌った。ひとつの権威であることを決して潔しとしなかった。それは友人関係でも上下関係でも変わらない。そもそも安定した関係などを信じていない。外面を取り繕わずに怒りを表明していることもあった。彼の言う個も「確固たる自分」などではなく、あがいても、苦しんでも、もがいても決して抜け出ることのかなわない存在としての個であったのかもしれない。 友と酒を酌み交わしても、恋人と抱き合っても、師に褒められようと、どうにも消えない孤独というものを個と言い表していたのではないかと、そう思う節もある。そんな人が「我々」などという言葉に組しようはずもない。何かをするのはそれぞれであって「我々」などというものではない。彼はそのことを良く教えてくれた。我々という言葉に潜む多人数の優越感というものを教えてくれた。

2008年10月18日

異変一考  

 隣のインディアンサマーのマダムが訪れ、下水がおかしいと告げられる。トイレを覗いたところ、床に水が溜まっている。新たに流したところ、トイレ及びシンクから水が濫れてそこらじゅうが水浸しになる。鹿島の鈴木さんが来られている最中である、せっかく二項対立で盛り上がっていたはなしに水をさされた塩梅である。濡れそぼるですぺらも風情があるが、相手が汚水では洒落にならない。修理屋の来るのが二時とか、気長に待つしか手立てがない。長尺のルーラーがあれば当方でもなんとかなるのだが、手持ちのルーラーは二メートル強、百均で買ってきたものである。アイスピックにせよ、ドライバにせよ、百均は百均でしかなく、火急の間に合わない。
 業者のルーラーが停止したのは便器から6.9メートル。手拭きとしてキッチンペーパーを置いているのだが、それが流され詰ったのが理由である。それにしても、縦管に至る15センチほどはルーラーの直径しかゆとりがない。何時詰るか分からない危険な下水管である。トイレットペーパーはスコッティの強いエンボスの入った高級品へ、さらにトイレにはトイレットペーパー以外の紙類を置かないように注意された。汚水の掃除を済ませて帰宅は五時。とんでもない一日だった。
 縦管は排水管と汚水管に分離されている。にもかかわらず、店の配管は両方が一緒になって汚水管と繋がっている。シンクから汚物の臭いが漂っていた理由がやっと解った。今日は朝からシンクの排水管を組み直した。素人ゆえ、工事は明日もつづく。

2008年10月17日

告解一考  

 「パンツ 掲示板」「地元民は行かない 明石 きむらや」「わさび菜 食べ方」「柘榴口」最近のリクエストで数の多いものを採り上げてみた。後の三者はともかく、「パンツ 掲示板」には恐れ入った。誰がこのような文言で検索するのであろうか、その思いの一端を知りたいものである。
 掲示板で追記を私は多用する。書きづらいことは追記に限ると思っている。なぜなら、掲示板というものは書き流し、読み流しされるものであるらしい。よって遡って読まれることはない。ところが、当掲示板の主たる読み手は検索でやって来る人たちである。検索で入られるひとはどこを読むか分からない。半年前の書き込みを書き直す理由、追記を加える理由はそこにある。
 それにしても、一日三十件の「パンツ 掲示板」には考えさせられる。記憶ではバイクの項でオーバーパンツについて書いたことぐらいだが、検索の本音はズボンでなく、ズロース、ブリーフ、さるまた、パンティだと思われる。
 「土砂降りのなかを帰宅。雨がレインコートを抜けて、下腹部の大事なところがびしょ濡れになった。レーサータイプのバイクならガソリンタンクの手前が盛り上がっていて下腹部が濡れはしない。しかし、それでは腹が閊えるのと前傾姿勢に身体が耐えられない。
 下腹部は冷たいのを通り越して感覚がまったくない。帰宅後、モノを確認するも純白にちぢまっていた。指も真っ白、髭も真っ白、序でに髪も真っ白、心做しか腹までが白く思われた。二重、三重に重ね着しているのだが、膝は振るえだすと止まらない。ガクガクガタガタのまま、家路をたどる。そろそろオーバーパンツが必要になってきたようである」
 女性が愕くのは勃起したそれではなく、小さく縮まった一物である。その消息は提灯か桃燈で書いたような気がする。年相応なのか、近頃ではびしょ濡れにならずともちぢまったままである。一週間に一度とは云わない、せめて月一回でも役に立てばと思うのだが、そのような季節は遠くに過ぎ去ったようである。それにしても「パンツ 掲示板」には熟計させられる。私も回春を夢見て検索してみようか。それとも順序から申せば悔悛の秘跡からか。

2008年10月16日

金融工学の虚業一考  

 ベアー・スターンズ、フレディマック、ファニーメイ、リーマン・ブラザーズ、ワシントン・ミューチュアル、AIG破綻の後、「イエローストーンの噴火」に匹敵すると云われているのがCDSである。
 「CDS」とはクレジット・デフォルト・スワップの略。リスクを回避するために開発された金融派生商品のひとつで、企業の債務不履行(デフォルト)を対象にしたもの。要は「企業が倒産して借金が棒引きになるかもしれないことに対する保証・保険を金融商品化したもの」である。
 CDSの想定元本は2007年末で62.2兆ドル(6500兆円)あり、さまざまな会社が相互に債務を保証しあっている。 その内の一社が破綻し保証しきれなくなると、その連鎖はどこまで拡がるか分からない。 いかなる機関、政府、企業も関与・救済することができない金額である。解決策はなにもない。
 CDSのようなスワップ契約に、規制の網はまったく掛けられていない。何もないところに価値を便宜的に想定し、それをやり取りすることで利益を得ようとするのだから、ハイリスク、ハイリターンになるのはやむを得ない。言い換えれば、CDSは現代の錬金術であり、虚業の最たるものである。要するに、世界には行き場を失った金がだぶついているのである。
 6500兆円全額が水泡に帰すとは思わないが、アメリカの経済は壊れはじめている。と云うことはアメリカの属国である日本の経済もである・・・と云うような話を小山さんと繰り返したのは九月二十五日。
 思うに、ベアー・スターンズが同業のJPモルガン・チェースに買収された日から今あることは予測できた。正確には2006年にベアー・スターンズが損失を計上し始めた日付にまで遡るべきか。私はJPモルガン・チェースすら危ういと思っている。いずれにせよ、危機的状況ははじまったばかりである。株価はますます下がり、円は対ドル80円代にまで上がるであろう。
 経済学者は一様に不良資産の分離、公的資本の注入、拡張政策を口にするが、ベアー・スターンズ破綻の折ならともかく、なにを今更の感が強い。国有化とは納税者につけを回すことに他ならず、三点の内いずれを取ってみたところで自由主義経済の否定にしかならない。

 ところで、以下のサイトは是非お読みいただきたい。後者の「衆議院財務金融委員会議録」は必読である。アメリカの国家予算が350兆円ほどだから、日本の実質国家予算の232兆円はべらぼうな金額である。取引相場のような堅実でない事業で失われた日本国民の年金や郵貯の実体が記されている。郵貯の取り付け騒ぎが起きないのが不思議である。郵政を国有化にもどす最短コースと思われるのだが。

 http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/fd922af65b1f939538587fef0f26fa9f
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/ISHIIKOKI/

2008年10月15日

もどかしい人一考  

 先日パリの友人からアン・リネルの原書数冊を手に入れたとのメールがあった。しかも彼は辻潤のですぺらだけを持ってフランスへ行ったらしい。彼が林達夫に惹かれていたのは承知していたが、辻潤とは恐れ入った。かくいう私も辻潤の影響を受けて若い頃、アン・リネル、ジョルジュ・パラント、ルイ・ギルーなどに興味を持った。アン・リネルの「赤いスフィンクス」が松尾邦之助訳で上梓されたのが昭和31年、同46年から53年にかけてパラント著作集三冊が翻訳出版された。第一回配本は「ペシミズムと個人主義—近代個人主義の研究」で、いまなお拙宅に蔵している。

 世の中には自分の思いを表明しないひとがいる。表明するのを潔しとしないのである。それは誤解を畏れるのではなく、自分が信じられないのである。今日は斯く斯く然然だが、明日はどうなるか分からない。そのような不確かなことを口にしてよいのだろうか。人は迷いつづけ、震えわななき、そして寡黙になる。寡黙なひとは世間を狭めて生きる。既に形を成しているものを書物にまとめるのではなく、不確かなものを、眩暈そのものをこそまとめるべきでなかったか。文学を解さない編輯者が造る二十冊の書物よりは、文学を解する編輯者が拵える一冊の書物を持つことこそがその人の生を全うする。
 彼がパリへ出掛ける直前、ですぺらで話し合った。フランスへ行って語学を学ぶだけでは不甲斐ない。アイルランドやハンガリーから亡命し、母国語を棄ててフランス語で文章を著す人たちがいる。そういう人たちの屈折したものの考え方をこそ学んでいただきたいと強く薦めた。日本にいては理解すらかなわない種類の思惟がある。五年から十年、うまくいけば更に長くフランスで生活すべきだと語った。帰る必要すらないのではないかとも話した。文学するという行為が必ずしも表現とは結びつかないことだってある。詩を書く人間だけが詩人ではない。詩は書かないが、詩を生きている人だっている。要は思いであり思索である。
 私は彼と今生の別れを済ませた。彼に倣えば、明日のことは誰にも分からない。十年経てば老いた私は保守的になっているかもしれない、もしくは認知症になっているかもしれない。話がはなしとして成り立つのは今だけなのである。その今、彼と知り合えたことを光栄に思う。彼が光り輝けば私も照りきらめく。そんな風景はそうあるものではない。私にとっては横須賀功光以来であろうか。
 「誰でもあり、誰でもないもの、揺るぎない自分というものなど信じない、そうした精神の動きこそ『文学』なのではないか」というとき、その揺らぎには「私(ひそか)に淑(よ)しとする」こころも含まれる。影響とか感化といった概念は微妙である。なぜなら、相手も揺らいでいるからである。従って、あくまで秘めやかなものでなければならない。「今だけ」と書いたのはその消息をさらに厳密にする。
 彼から私は多くを学んだ、私かに。掲示板1.0では彼に宛てて、または自らに言い聞かせる形で文章を綴った。「誰でもあり、誰でもないもの」はときとして彼であり、ときとして私であって、そして誰でもあり、誰でもなかった。人称は自称、対称、他称のあいだを自在にすり抜けてゆく。掲示板2.0ではアナロジーについてメトニミックもしくは重語法を用いて語り続けた。「閉店サービス」のようないささか過激な書き込みすらが、彼への気配りであり便宜であり、そして挑撥だった。彼がいなくなった同人誌にはいかなる意味においても存在理由はない。それでも続けようとするなら、新たな存在理由を構築しなければならない。文学はどこまでも「個のはかなごと」である。
 ですぺら掲示板は「辻潤の虚無思想を伝播させるのが唯一の願いである。願いであって目的ではない。いやしくも辻潤の読者であるなら、人生に目的を持つような愚挙には至るまいと思っている。ただし、勝手にそう思っているだけで、実態は存じ上げない」その願いだけは今なお変わらずにある。

追記
 「もどかしい人」と題したが、間怠っこいのは私の方である。パリの彼にはひとりの師もひとりの先達もひとりの友もひとりの恋人もいなかった、と書くのが相応しいのだが、そのように書けば傷つくひとが多く出る。もっとも真に傷ついたのは彼なのだが。責は常識という錯綜した網を彼にかけた方にある。ひとは秀でた才能をみると自らの位置にまで引き下げる。それが如何に不当なものであっても、かれらは自らの定規を押し当てて溜飲を下げるのである。
 それが理由でこのところ掲示板の書き込みがめっきり減った。じれったいことを書く自分に嫌気がさしたのである。長く掲示板を続けているとそのような気分に陥るときもある。書きたくないときは書かなければよい、ただそれだけのことである。

2008年10月06日

保険金一考  

 事故を起こしたのは七月九日午前二時。その示談金がAIU保険会社から振り込まれた。外資系は対応が素早いと聞いていたのだが、結構もたついたようである。おそらく二輪の事故に馴れていなかったのであろう。パニアケースひとつ取ってみても、私の買値は六万六千円だったが、中古相場は八万円ほどする。物品は購入したときがもっとも高く、使用するにつれて値が下がるものだと言われても、世の中には下がらないものだってある。理由はメーカーのクラウザーの値上げであって、現行品は三十万円ほどする。ケースに支払われた金数は結局三万円だったが、これでは新たな購入は望むべくもない。
 はかどらない理由がAIGの破綻かとも思ったが、損害保険に特化するそうで、AIGエジソン生命とAIGスター生命、アリコジャパンを含めた米アリコが売却されることになった。AIUやアメリカンホームダイレクトは残留である。
 この十年ほど、四輪の保険はアメリカンホームダイレクトだった。ところがややこしい規約があって、複数台の車を持っている場合、保険の移動が効かない。それが理由で損保ジャパンへ切り換えた。二輪は免許を取得して以来、三井住友海上である。保険金の金額ではなく、どれだけ融通が利くかが私の場合は問題になる。件の規約はAIU、アメリカンホームダイレクト、アクサダイレクト、チューリッヒは同じである。値が安いというだけで外資系へ戻ることは二度とない。私が知るバイク乗りは複数台のバイクを乗り回している。もっとも対人無制限の任意保険に入っているのは私ぐらいなものだが。

2008年09月27日

カイワリ入らず一考  

 下田のカイワリは入手かなわず、本日は手ぶらです。カンパチ、かつを、平目、目鯛、ブリなどがあって、その順で活かっていたのですが、カンパチは食する気もなくやめました。

2008年09月26日

ですぺらモルト会解説一考  

01 グレン・マレイ8年※
 43度の旧ディスティラリー・ボトル。2000本のリミテッド・エディション、80年代前半の蒸留という触れこみで出回った。
 1980年代ものと比してラベルに相違あり、イタリア市場向けのボトリングでないだろうか。いずれにせよ、「ワイン・メローイング・シリーズ」以前のストック商品。
 大麦の香り、フレッシュでソフトな風味。ライトな口当たりが印象的。ロングモーンがクラシックなら、グレン・マレイはモルト・ウィスキーの軽音楽。

02 グレン・マレイ・シャルドネ※
 40度のディスティラリー・ボトル。ノン・エイジだが7~8年熟成のモルト。
 フレッシュで軽く、ソフトで飲みやすいモルト。言い換えれば、個性に貧しく、パンチに欠ける。その個性を補うにワイン樽をフィニッシュに使用。本品はブルゴーニュの白ワイン主要品種シャルドネのリフィール・カスクを用う。
 ブレンダーの間では評価が高く、ほとんどがブレンド用に出荷されていたが、最近では12年物を中心にシングルモルトが数種類販売されている。
 カスク由来のシトラス、バナナ、蜂蜜、レモン風味があり、第一級の食前酒として人気がある。

03 グレン・マレイ・シュナンブラン12年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
 上記と同様、シュナンブラン種のワイン樽をフィニッシュに用う。モルトの癖のなさが、逆に樽由来の果実味を際立たせている。他に16年ものもある。ウッドフィニッシュはグレンモーレンジ社のお家芸だが、本品はそのグレンマレイ版。
 なお、シェリー樽を用いたマネージャーズ・チョイスも頒されている。エド・ドットソンが特別に樽を選んだ限定シリーズで、サインとナンバリングが手書きで記載されている。高価だが美味なカスク・ストレングスである。

04 グレン・マレイ '89(シグナトリー)
 シェリー・バットの9年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定640本のシングル・カスク。
 インデペンデント・ボトラーのボトルでは加水タイプがイタリアのドナート社から、ケイデンヘッド社、シグナトリー社、ブラックアダー社、マキロップ社、マクダフ・インターナショナル社のザ・ゴールデン・カスク、SMWSからはカスク・ストレングスが頒布されている。グレン・モーレンジの姉妹会社だけあって、ボトラーには滅多に売らないようで、極端に少ない。
 上記マネージャーズ・チョイスと共に、本品は一押し。

05 グレンロセス '90(シグナトリー)
 アン・チルフィルタード・コレクションの一本。シェリー・バットの11年もの、46度。842本のシングル・カスク。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」がある。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いが愉しめる。
 なお、現在頒されているカスク・ストレングス・コレクションはノー・チル・フィルターのフルフレーバー・シリーズで、寸胴型丸瓶のシリーズに変わるコレクション。

06 グレンロセス '90(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・カスクの11年もの、43度。
 ダグラス・マクギボン社は1949年の創設。創業者は現在のオーナーの祖父にあたる。祖父はアイラで水没した蒸留所、ロッホインデールとポートシャーロットのマッシュハウスの責任者。現オーナーのスコッチウイスキーへの愛情とこだわりは、研修生としてブルイックラディ蒸留所で働いていた時代に育まれ、頑なにノーカラーリング、ノーチルフィルターリングを貫いている。ラベルの左側には彼らのシングルモルトウイスキーへのこだわり、そして右側にはテイスティングノートが著されている。春夏秋冬と蒸留したシーズンによって異なるラベルカラーと風景画を配している。

07 グレンロセス8年(ゴードン&マクファイル)
 マクファイル・コレクションの一本、40度。
 ゴードン&マクファイル社は1895年、当初食料品店としてエルギンで創業。ウィスキー産業がまだブレンデッド中心の頃から同社は世界に向けてボトルを輸出、モルト愛好家を魅了してやまなかった。謂わば独立瓶詰業者のさきがけであり、今日のモルト・ウィスキー人気の蔭の立て役者。1992年、ベンローマック蒸留所をユナイテッド・ディスティラーズ社より買収。豊富な在庫を用い、「コニッサーズ・チョイス」「マクファイルズ・コレクション」「マクファイル・プライベート・コレクション」「スピリッツ・オブ・スコットランド」「スペイモルト」「レア・オールド」等、多くのコレクションを頒している。1995年にボトリングされた「100周年記念ボトル」は総じて樽の選択がよく、美味なものが多いのでお薦め。また、「コニッサーズ・チョイス」は各地の蒸留所のモルト・ウィスキーを網羅、ユナイテッド・ディスティラーズ社の「クラシック・モルト・シリーズ」と共に入門編として最適。

08 グレンロセス '89(ウイルソン&モーガン)
 バレル・セレクションの一本。シェリー・ウッドの10年もの、46度。
 ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。バレル・セレクションの名でコレクションを頒し、イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者となっている。

09 グレンロセス '87(ベリー・ブロス&ラッド)※
 11年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 1698年創業のベリー・ブロス&ラッド社は、カティーサークやブルーハンガーのプロデューサーとしても有名なロンドンの老舗酒商で、18世紀から現在までロイヤルファミリーにワインを供給している名門。マスターオブワインの資格者を常時雇用し、秀逸なワインやモルト・ウィスキーをベリーズ・オウン・セレクションとして販売。
 ロンドンのセントジェームスストリートにある本店は18世紀に建てられた古い建物で、香港のコーズウェイベイのリー・ガーデン(Lee Gardens)内に支店がある。セントジェームズストリートはホワイト・ブルックス、ブードルズといった古くからのジェントルマンズクラブが点在し、ジェントルマンの聖地(クラブランド)でとなっている。またセントジェームズパレスにも近く、同時にロンドンのクラフトマンシップの中心地でもある。通りの南側には8軒の老舗が集まっている。靴のジョン・ロブ、帽子のジェームズ・ロック、薬局のD・R・ハリス、銃砲のウイリアム・エバンス、世界最古の葉巻商ジェームズ・J・フォックスとロバート・ルイス、そしてワイン商のベリー・ブロス&ラッドとジャステリーニ&ブルックスである。

10 グレンロセス '87(ベリー・ブロス&ラッド)※
 15年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 ローゼス地区を代表する食後酒。ブレンダーの間で夙に高い評価を受ける。カティサーク、フェイマス・グラウスの原酒モルトのひとつ。レーズンの香り、シェリー酒の風味。こくに奥行きがありオイリー、シルクのようにスムース。柔らかい甘味が残るフィニッシュ。

11 グレンロセス '82(ベリー・ブロス&ラッド)※
 15年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 グレンダランと比してクリーム・ブリュレを思わせる香りが濃厚、プリンにつきもののカラメルを舐めるような甘さがある。本品は蒸留所元詰めのグレンロセスの定番。実に多くのヴィンテージが頒されている。72年以降は入手可能だったが、現在ではベリー・ブラザーズ&ラッド社の手を離れた。

12 クレンロセス '89(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。バーボン・カスクの11年もの、64.7度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 ジェームズ・マッカーサー社は1982年、エディンバラで創業したボトラー。主として、閉鎖された蒸留所のモルト・ウィスキーを取リ扱う。他に「ファイン・モルト・セレクション」等がある。

これより前の書き込みは..>>アーカイブにて