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過ぎゆくもの   一考   

 

 忠告というほど難しいものはない。忠告は心添えとも云い、ふたつのパターンがあるように思われる。ひとつはひとえに愛情に基づくものであって、ひとつは注意や勧告といったニュアンスを帯びたものである。ただし、この分類にはなんらの意味もない。そのようなことよりも、心添えは対等であるとの仮説に基づいて発せられる。おそらく世の中に対等という概念は存在しようがないと思うのだが、論理的に未分化な人にあっては存在するようである。未分化とは文字通りの未分化である。例えば、稼ぐひと、稼がないひと、几帳面なひと、自堕落なひと、万般に対して積極的なひと、消極的なひと、書き出せばきりがないが、およそ対局主義的なものの考え方の一方を選択する人、しない人、それらすべての状態を未分化と名付けたい。
 ウィスキーの香味について「重いの軽いの、臭いのよい香りの、辛いの甘いのといった註文は意味するところがよく分からない」と書いたが、消息は同じで、なにが重くてなにが軽いのか、なにが辛くてなにが甘いのか、その基準はどこにあるのか、一向にわたしには分からない。例えば、シェリー香が強いウィスキーをビギナー向けとは思わない。一般的に云って、ブレンド・ウィスキーは万人向け、すなわちビギナー向けと思っている。要するに没個性的なウィスキーこそがビギナー向けだと思う。図抜けて旨いウィスキーをビギナー向けという方がたまにいらっしゃるが、その旨い不味いそのものが個性なのであって、そこにビギナーという概念を持ち出すのは間違っている。
 シールダイグのラガヴーリンは近年にない傑作とわたしは思っているが、半数の客は不味いとおっしゃる。これはラガヴーリンと馴染みのない方にとっては当たり前のはなしで、いわんやカスク・ストレングスというだけで拒否反応を示す方が多いのも、いかにブレンド・ウィスキーが数多く出回っているかを示唆している。ここ数年のアードベッグを旨いとおっしゃる方も、最近のアードベッグしか飲まれていない方にとっては当たり前のことで、逆にダグラス・レインやゴードン&マクファイルのアードベッグを飲まれてもなにも感じないようである。
 90年代半ばからのディスティラリー・ボトルにしても、それしか飲まれていなければボトラーズ・ボトルを軽視するのも分からないではない。ただ、蒸留所元詰めとは言いながら、ボトリング設備をもっているのは三蒸留所のみ、グレン・フィディックとスプリングバンク、ブルイックラディである。現状では蒸留所元詰めなどと気安く云ってもらいたくないと思っている。

 他との関係、比較の上でしか成り立たない状況に対して忠告というほど大それた、無意味かつ味気ないものはあるまい。掌や一握の砂に価値があるのではなく、大事は指のあいだをこぼれ落ちていった砂のなかにこそある。


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2010年02月17日 20:55に投稿された記事のページです。

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