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雨過天晴雲破処   一考   

 

 嬬恋村の山小屋へ行く。マスタングによる初の遠出、初の高速道路だった。赤い光に三度ほど照らされたが、オービスだったのか監視カメラだったのかは定かならず。小諸ICからは霧のなかを北上、なにも見えず、何度かセンターラインをはみ出す。カーナビに助けられてなんとか到着。かつて奥志賀へ出掛けた時も同じような霧に遇った。
 三時間ほど走って早朝の四時に到着、佐々木幹郎さんを叩き起こしてアードベッグで乾杯。余談だが、最近は時間を掛けてだらだら飲むことができなくなった。三、四時間が限界で、あとは夢うつつの世界へ潜り込む。
 爽快な目覚、さっそく幹郎さんの書斎の前を山小屋バーに見立てての酒盛り。どうやら、この長丁場の酒盛りが祟ったようで、深夜に悪酔い。幹郎さんと関さんに迷惑をお掛けしてしまった。
 新宿でたまに長時間飲むのだが、その後は自宅なので水、お茶、トイレと必要なものは身の回りに揃っている。よしんば宿酔になっても時間が解決してくれる。やはり、ひとの家では緊張するのかもしれない。嬬恋村があまりに素敵なところだけに、酒は控えた方がよさそうである。

 佐々木幹郎さんに「雨過ぎて雲破れるところ」との著書あり。彼の嬬恋村のコミューンを描いたエッセイ集であって、文学を生きる彼の懸命さが伝わってくる。
 カメムシの大群、成長する氷のオブジェ、杜父魚の骨酒、樽ランプ、長野・群馬の山地にだけ自生する酸塊で作ったアリス・ジャム、地蜂、ポンプ車を想わせるミズキ、大型バスの機動隊、風のブランコ、さまざまな事象が人々が、星座表のごとく「シジン」を経巡る。
 標高千三百メートルの六月の山はいっせいに芽吹きはじめる「生きなくっちゃ。夢なんか見ている暇はない。という息せき切った思いが、山のあちこちにみなぎっている」かかる息吹きをわれわれは忘れてはいないだろうか。
 巻末に村の少女がハープを欲しがるシーンがある。

 山奥の村の少女がハープを弾いている、というイメージは想像するだけでも楽しいし、素晴らしい。まるで日本じゃないみたいだ。実現させてやりたいが、手に入れるのは無理だろうと、わたしは自分自身の経験から考えた。セキさんに相談すると、なんとかしてユリカちゃんの夢を実現させるべきだ、という答えが返ってきた。「欲しがっているいまが絶好の機会。将来、ハープを途中で止めてもいいんじゃないの。大きくなったとき、少女の頃、ハープを弾いていた、という思い出を持つだけでもユリカちゃんの宝物になるでしょう」
 
 関陽子さんの意見に私は胸を熱くした。ひとは大人になると功利的になる。そして自分が子供だったころのことを忘れて子供たちに説教する、まるで自分が立派な子供であったかのように。
 山小屋のオーナーのひとり関さんもそうなのだが、幹郎さんが著す文章にはある種の観音力が漂う。それは自然の治癒力が乗り移ったようである。ひとを補い扶ける天賦の才があるように思う。まるで人生の編輯者のようである。


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2008年09月24日 02:52に投稿された記事のページです。

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