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茶毒蛾その二   一考   

 

 ウィキペディアのチャドクガの項目には「幼虫は若齢のうちは一箇所に固まっている。数十匹が頭を揃えて並び、葉を食べていて、ひとつの枝の葉を食べつくすとまるで誰かが指揮でもしているかのように一列に並んで隣の枝に移動していく。何らかの刺激があると、思い出したように頭を上げ左右に振るのを見ることが出来る。数十匹の幼虫がいっせいに同じリズムで頭を振る姿はユーモラスだ」とある。その通りなのだが、昨日単独行の幼虫を発見した。毛虫の世界にまで欄外に食み出すやつがいるようである。「群にあつてただひとり、反対をむいてすましてる」がごとき毛虫を私は断腸の思いで殺害した。チャドクガには殺戮が相応しいが、この場合は単数であって殺害である。
 引用は達者な文章だが、問題は肉声とおぼしき「ユーモラス」にある。毛虫のダンスがユーモラスに見えるのだからよほどの虫好きと思われる。この場合、毛虫そのものに滑稽の素養があるのではなく、観察する側の諧謔的な性格が問われている。もしくは双方が完全変態ということだって有り得るのである。
 北朝鮮のマスゲームを観てユーモアを感じたとすれば、それはシンパサイザーか皮肉家に決まっているが、上述のような完全変態だとはなしは面白くなる。何も北朝鮮に限らない、オリンピックであれ国民体育大会であれ連帯感あるいは集団のもつ表現力を目的とするようなマスゲームなら結果は同じである。この消息には学生から警察官や自衛隊、もしくはスクール水着から制服美少女愛好家に至る制服組ことごとくが内包されるのかもしれない。私にとっては背広にネクタイだって立派な制服としか思われない。
 中学生のころ、体育のない日にはトレーニングパンツを、体育のある日には黒いズボンを穿くのを常としていた。これは単なる天邪鬼に過ぎないが、とにかく学校を、組織を憎んでいたことに違いはなかった。「子供の頃は生まれを理由に学校でよく虐められた。応じるに暴力をもってしたが」と「付木突き 」で書いたが、その殴り合いは丸一年にわたって休みなく続けられた。お陰で教職員から不良とのレッテルを張られ、それは転校を強いられるまで止まなかった。当時の私には同級生をチャドクガに見立てるだけの度量はなかった。もしあれば、学校がユーモラスに見えたのだろうか。
 先日、成田一徹さんが来店。彼は私がわずか一日にして放校された高校の後輩である。


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2008年06月27日 12:29に投稿された記事のページです。

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