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私流   一考   

 

 かつて当掲示板で椎名麟三の永遠なる序章について書いたことがある。文中、やくざに撲られてガラスのあるところまで蹣跚めいてゆき、自ら頭を突っ込むとの描写があった。血だらけになればそれ以上の暴力は受けまい、勘弁してもらえるとの消極的乃至は情けない逃避である。わたしは同じ経験を何度もしているので書き手の心中が痛いほどよく分かった。
 わたしにとって本を読むとは体験もしくは追体験である。従って本についてなんらかのことを書くのは自らの経験の一部を描くに等しい。類推すらが体験に基づくところのものであるに違いない。
 さて、先般書き込んだ「意識」を序でに書き込んだだけと某氏から云われた。「序で」と受け取られたならわたしの文章が稚拙だったと反省するしかない。しかし、あの文章はわたしの経験が従であってプルーストが主であることに間違いはない。肉声を搦めながらプルーストへ持って行くにはどうすればよいのか、結果があの文章である。いっそプルーストの新たな読み方を示唆したつもりだったとでも書けば許されたのだろうか。
 随分と前の書き込みだが、これまた佛蘭西在の某氏から今回の書き込みは林達夫論ですねと指摘されたことがあった。文中に林達夫の氏名や書名はおろかそれと匂わすことすら慎重に避けたにもかかわらず。当掲示板はわたしが自分自身の楽しみのため、もしくは精神衛生のために書いている。書評というものがどういうものなのかある程度は知っているつもりである。しかし、これが書評などという定義はどこにもない。プルーストの文章を引用してひとつずつ証明してゆけば少しは書評らしくなるのだろうが、生憎とわたしは書評家ではない。百人のひとが読めば百通りの感想があるだろう、それでよいと思っている。これからもわたしの云うところの肉声を書き込んでゆくつもりである。


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2010年12月15日 21:13に投稿された記事のページです。

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