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緊急入院2   一考   

 

 2月25日、明石より日帰りで女房来たる。手伝いを得て念願の散髪ができた。ただし、頸に点滴ラインを拵えたため、入院中の風呂は諦めざるを得ない。寒い季節だからまだしも、一箇月も二箇月も風呂に這入らないとどうなるのだろうか。
 彼女は医師から病状、特に小腸の下血の状態について説明を受けていたが、「これから原因究明です」に終始していた。感染症なら癒らないが、感染症かどうかすら定かならず。移植手術以前から続いている下血ゆえ、わたしは感染症でないと睨んでいる。もっとも、下血の理由がひとつとは限らないが。

追記2
 26日、禁飲が解除、この日からA-4病棟内に限って散歩を黙認される。今日はあまり元気がない、ひどく疲れている。身体を拭く元気すらない、このようなことははじめてか。
 頸の点滴ラインが稼働、腕のラインが2本とも外された。37箇所ほどの穿刺の傷跡があって、腕全体が浮腫で腫れ上がっている。元へ戻るのに一週間は掛かりそう。でも、これで血液検査の穿刺が容易になる。
 ハイカリックNC-L輸液(480カロリーのビタミン入り栄養剤)、イントラリボス(脂肪乳剤)、これらははじめての点滴である。イントラリボスは牛乳のような脂肪液で、茶と水以外、特に牛乳は飲むなと云われているが、点滴ならかまわないらしい。成人男子の基礎代謝量は一日1500カロリーだが、点滴だとこの480カロリーが上限。大体、血管からの栄養なんぞ、効果があるのかしら。

追記3
 大きなお襁褓が外れ、小さなパンツ型のお襁褓になった。これで用が足しやすくなる。大小便共に極力自力で用を足したい。

 前述の小腸用内視鏡の貸し出しに一週間ほど掛かることになった。そこで大学病院へ転院するのが一案。主治医を消化器内科の羽山医師へ変えて小腸の内視鏡を待つのが一案。羽山医師によると、兎にも角にも小腸を見てみないとなにひとつ判断できないとのこと。仮に主治医変更の場合、免疫抑制剤を服用する患者はA棟4Fに限られているので病室はそのまま。いずれにせよ、医師同士の折衝なので詳細は分からない。

追記4
 27日朝、わたしに出来ることは栄養を付けることだけ。けれども、点滴の栄養のみ。現在の点滴は一日7本計500ミリリットル(主としてデノシン、抗生物質、止血剤)とハイカリック700ミリリットル(1本24時間の点滴)。

追記5
 28日、病院内は自由に歩かれれるようになる。3日間検査もなにもなし。禁食にも慣れてきた、とは云え、たまに甜い饅頭、特に金鍔を食べたくなる。
 神戸の金鍔は方形に決まっていたが、都々逸でうたわれた吉原の「土手の金鍔」は円形、表面に2本の指でくぼみをつけて刀の鍔に似せた。商品名を思い出さないが、金鍔とはまったく違う饅頭で刀の鍔に似せたものがあった。1本と2本の指でくぼみをつけた二種類有って、小麦粉の薄い水溶きではなく、普通の厚みの皮だった。それにしても円形の金鍔など、焼きにくいことこの上なし。

追記6
 3月1日、入院はいつまでつづくのか。先月は7日に入院して15日間の禁食と4日間の禁飲。もっか5日間下血なし。よって止血剤を中止、点滴は1日5本に。
 27日に体重が60.8キログラムに減り、今日59.9キログラムになった。60キログラムを切るのが存外早かった。下腹はぺちゃんこ、念願の55キログラムも夢でなくなってきた。

追記7
 じっとしてれば腹が減る、さりとて動けばよけい腹が減る。ラクトアイスは乳脂肪は這入っていないし、乳固形分も3.0パーセントと低い。謂わば贋作アイスクリームだが、これなら食してもよいのでなかろうかと考える。冷たいものなど食べられるわけがないのだが、食い物の妄想である。禁食中でも食べられるものはないだろうか、茶が良いのなら具のないスープや味噌汁もよかろうに、と莫迦なことを思案する。
 思案だけでなく、売店へ調査にゆくも、具沢山のカップスープしか置いていない。聞くとクラムチャウダーが一番人気とか。クラムチャウダーほど種類の多いスープはあるまいに、分かっているのかしらと一抹の疑念。わたしが欲しいのは安物の低残渣のスープ、クノールの袋入りスープにそのような商品があったような気がする。
 禁食の目的は消化液(唾液、胃液、膵液、胆汁、腸液など)の抑制、本当は一粒のキャラメルすら食べられない。

追記8
 3日の日曜日、死にかけてから一週間経った。昨日、瀬戸口医師から改めて「良かったねえ、命拾いしたね」と。この間下血の気配なし。

追記9
 嬉しいことに看護師が付き添いで風呂に這入ろうか、と。看護師の付き添いが嬉しいのではない、嬉しいのは風呂に這入られることである。頸に点滴ラインを拵えたので諦めていたが(ラインが風呂禁止の理由でないらしい)、点滴は30分間止めればよいとか。風呂と云ってもわたしが這入れるのはシャワーのみ。
 頸筋のラインの防水がちょいと大変だが、腕のラインは既にない。腕さえ自由に使えれば、何とかなりそうである。慎重にとの条件付きだが、頸を除けば髪も洗える。何日ぶりだろうか、垢がぼろぼろ涙もぼろぼろ出るに違いない。

 看護師が一言、爽やかになったわね。本人が一言、瘠せたわね。
 自分を鏡に写して老いた親父の身体を思い出した。そっくりだなあ、と。

追記10
 4日、よもや下血はあるまいと思うが、禁食は19日になる。
 二転三転したが、小腸内視鏡検査機器は東京医大から戸田中央へ持ち込むことになった。検査の日付は8日の金曜日。何事もなければ土曜日からでも食事再開となるらしい。しかし、「何事もなければ」の意味がまったく分からない。小腸に異変がなければあれだけの下血はしないだろう。自然快癒などあろう筈がない。

追記11
 足穂の云うAO虚空をこれほど意識させられたことはない。一回の入院で二度も内視鏡を入れられたのははじめて、糅てて加えて三度目の小腸の内視鏡が加わる。以前、尿管バイパスを拵えるときは後ろから前からだったが、今回はまさに「循環端なきが如し」、上から下からどうぞ、である。
 ところで、内視鏡を先っぽから尿管へ突っ込まれたとき、麻酔をしているにもかかわらず、ぎゃあと云ったのを覚えている。腎臓まで届いていたが、痛いなんてものじゃなかった。尿管結石でも飛び上がる痛さなのに、さらに太いものを突っ込まれて痛くないわけがなかろう。あの時は「はぜ(陰茎のこと)」が破壊されたと思った。
 それにしても、あれは何のためのバイパスだったのか。いまだに必然性がさっぱり分からない。

追記12
 5日。待ち惚けを食らっていた内視鏡が来るのは嬉しい。なんでも良いが、退院したい(退院するつもりだから困ってしまう)。自炊がしたい。取敢えず、退院の日はカツ丼を拵えたい(冗談)。カツ丼は味が濃すぎて外では食べられない。やはり、拙宅の白出汁で造った、ほとんど醤油味のしないカツ丼でなければならない(死ぬの生きるのと云っていた人間が書くようなことか)。

追記13
 繰り返すが、低残渣米は最悪の米、しかし旨かったというのが本音。粥ばかりだったが、滅多に与えられないとどのような食事でも旨く感じる。それほどに、入院中はほとんど食事をしていない。
 低残渣食については退院後、勉強する予定(要は植物繊維)だが、拙宅の近所で低残渣米は売っていない。

追記14
 6日。移植前の検査入院は二週間、移植手術は予定通り三週間で退院した。10月の拒絶反応は三週間、前回は2日(この入院は抹消した)、今回は本日で一箇月になった。検査入院は運良く去年の扱いになる。国民健康保険の規定で、ひとつの世帯で高額医療費の支給が一年間に4回を超える場合の4回目以降は限度額が減額される。末期癌の人は年間三度の入院で済まないだろう、自己負担が増えるのだろうか。

 今回はおそらく来週には退院できる、曜日までは分からないが。新幹線の車両のように長い入院だった。

(註 追記を屡々遣いますが、意味なく遣っております。どうかよろしく)


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2013年03月21日 01:05に投稿された記事のページです。

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