今回の隣人は腎移植の手術を済ませ、週末には退院という男子学生。両親は腎不全をよくご存じで、ドナーは父親。初期の慢性腎不全から即移植ということで、シャントも透析も経験なし。経験があるのは腎生検のみ。非常に珍しいケースである。
同級生をはじめ、毎日見舞客が引きも切らず、病室にはフルーツや花が溢れかえっている。梨が好物だったが、カリウムの制限で食べられなくなったと。ところが、移植でカリウムの制限がなくなり、フルーツを食べることで頭が一杯。ポテトチップを親に所望していたが、なにを考えているのか。将来の人工透析を踏まえての制限食が望まれるのだが。
人生バラ色の方で、温泉と旅行とテニスのはなしばかり。テニスは全国大会の腕前らしく、リハビリや筋トレを考えているらしい。医師が筋トレと温泉だけは駄目ですと念を押す。そもそも腎不全がどういう病かご存じないようである。
やがて、希望がひとつずつ消えてゆくに違いない。移植が成功したからと云って、健康なときの状態に戻るわけではない。死ぬまで移植腎が機能し続ければよろしいのですが。まあ、頑張ってみてください、としか云いようがない。
上記に関して看護師との会話、看護師、わたしの順。
「まだ、シャントしてるんだ、どうして」「移植しても全員シャントはそのままですよ」「どうして」「また、必ず使うからね」「・・・・」「移植腎は何時までももたない、いつか必ず透析にもどるからね」「そんなこと医師が云ったの、インターネットで調べたの、でたらめよ」以上は学生でなくちゃんとした看護師の弁である。それも、泌尿器科と消化器外科の病棟の看護師である。開いた口が塞がらない。