「世直し改憲論」の浅はかさ 「自衛隊、米への従属強まる」 特効薬にはなり得ぬ(毎日新聞2017年6月8日 東京夕刊)
「憲法改正で日本再生」「改憲が新時代を開く」--。改憲を目指す安倍晋三首相や、それに同調する人たちは「改憲で世の中が変わる、良くなる」という期待感を漂わせる。保守系論壇には、そんな「世直しムード」があふれているが、本当か?【吉井理記】
1981年、週刊誌「朝日ジャーナル」(5月22、29日号)にこんなスクープが載った。
憲法制定史に詳しい独協大名誉教授、古関彰一さんが、50年代の米公電や公開された米議会の機密文書を掘り起こし、当時の吉田茂首相と米側とで「有事の際は米軍の指揮下に入る」との合意の下に自衛隊(とその前身の警察予備隊、保安隊)が創設されたことを明らかにしたという記事だ。
日本政府が合意について現在も明言を避けているせいか、広く国民に知られている事実とは言いがたい。その自衛隊、安倍首相が「憲法9条で存在を明記する」と宣言したことをどう見るか。記事を片手に古関さんを訪ねると、占領史研究の泰斗は本気で嘆き、怒っていた。
「自衛隊は米国の指揮下にある、ということは当時の米側資料に何度も出てくる。極めて重大な問題ですが、あれから30年以上たつのに国民への情報公開や議論がされていない。研究者やメディアの怠慢です」
改憲論の主張の一つが「憲法、特に9条は連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられた。9条を変えれば本当の独立国になる」というものだ。例えば、日本のこころ代表の中山恭子参院議員は2015年11月の集会で「現憲法に忠実である限り、独立国家の体をなさなくなる」(保守団体・日本会議の機関誌「日本の息吹」16年1月号)などと発言している。しかし、古関さんは、自衛隊の歴史と矛盾すると考える。
「戦後の自衛隊は、米文書の『合意』通り、一貫して米国への従属を強めてきました。安保関連法にうたわれた『後方支援』が良い例です。こんな状況で自衛隊を事実上の軍とすればどうなるか。『独立国』どころか、いよいよ米国の戦争に使われるようになることは明白です。それが本当に日本の安全につながるのか。憲法論の前に、そうした議論こそ必要なのです」
「9条改正=独立国」論だけではない。「新しく憲法を作っていくという精神が新しい時代を切り開く」(安倍首相、15年11月10日、改憲集会へのビデオメッセージ)、「(憲法改正で)世界に誇れる国に生まれ変わる」(ジャーナリスト・桜井よしこ氏、15年「美しい日本の憲法をつくる国民の会」パンフレット)といった「精神論」も保守論壇ではおなじみだ。
「昔の僕もそう思っていたね。現憲法は諸悪の根源。憲法を変えれば日本が良くなる、と。今から考えるとばかばかしいが」としみじみ語るのは、民族派団体「一水会」創設者、鈴木邦男さん(73)だ。かつては「大日本帝国憲法復元」を訴える武闘派だったが、現在は「憲法を変えるより、現憲法のほうがまだましだ」という。
「作家の三島由紀夫も『自衛隊は米国の傭兵(ようへい)になってはだめだ』と言ったが、今の自衛隊はまさにそれを目指しているとしか思えない。何より改憲を訴える人の多くが『憲法依存症』とでも言おうか、いろんな問題を憲法を変えれば解決する、と考えているが、むなしいよ」
鈴木さん自身、右翼活動をしてきたからよく分かる、と振り返るのだ。「論壇でも運動でも、何か敵を設定して『あいつが全部悪い』とやる。憎悪は人をまとめますから。僕らの場合、それが憲法だった。犯罪が多い、社会が乱れている、失業者が多い、他国にバカにされる。すべて憲法のせいだ、と。昔の左翼が『革命すれば社会が良くなる』と言っていたが、同じだよね。現実の問題は憲法ではなく、国民が解決するしかないのに」
北朝鮮や中国が軍事力を増強する。怖い。中国経済が日本を脅かす。くやしい。憲法を変え、軍隊を持てば、他国からバカにされず、誇れる国になる。鈴木さんはそんな「鬱屈」を改憲論に感じる、という。
「そんな空虚なムードに流されて憲法を変えていいのか。12年に自民党が作った改憲案、僕はどう考えても今より国民の権利や自由を制限する内容にしか思えない。現に安倍政権下で特定秘密保護法ができ、今度は『共謀罪』ですよ。中国や北朝鮮に対抗するために、自由のない中国や北朝鮮に近づく。僕は国民一人一人の人権や自由をより強くすることこそ、『強い国』づくりになると思うんだが」
憲法問題を追ってきたジャーナリストの意見も聞いてみたい。斎藤貴男さんは、ここ十数年、月刊誌などで改憲の動きを取材してきた。「これだけ格差が広がって社会に閉塞(へいそく)感があると、国民も何か目新しいこと、例えば改憲論に飛びつきたくなる、ということなのでしょうか」
斎藤さんが振り返るのは、月刊誌「論座」で07年1月号に掲載された赤木智弘さんの「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」だ。フリーターとして低賃金労働に甘んじる赤木さんのような若者が現状を打開するには、戦争でも起きて社会が混乱すること以外ない、と訴えた。改憲を求める声にも、そんな「リセット願望」を感じる、という。
「憲法を変えても、状況は良くなるはずがありません。あの戦争で現憲法になりましたが、安倍首相をはじめ、国会議員は大日本帝国憲法時代の支配層の2世、3世だらけじゃないですか。仮に戦争したって、損をするのは若者たちです。特効薬はない。感情に走らず、まともな言論を積み重ねて社会を良くしていくしかないんです」
70年前の憲法施行時、当時の政府関係者らで作る憲法普及会が、国民向けに発表した「憲法音頭」がある。鈴木さんが教えてくれた。こんな歌詞だ。
♪古いすげ笠(がさ)チョンホイナ さらりと捨てて 平和日本の 花の笠 飛んできたきた うぐいすひばり 鳴けば希望の虹がでる ソレ
難しい条文の解説は一切なし。誰に遠慮せず、踊りが踊れるような自由と平和の喜びを、ひたすら歌い上げた。
前出の古関さんは「私たちはどういう決意で、なぜこの憲法を持つことに至ったのか。どの条文をどういじるか、ということより、憲法施行70年の今だからこそ、その70年前の原点に立ち戻って考えることが必要ではないでしょうか」と力説する。
憲法音頭はその意に反してさっぱり普及しなかったが、「平和日本の花の笠」たる憲法はどうだろう。少なくとも、ムードに流され、さらりと捨てられるようなものでは、もはやないはずだ。
追記
新聞というものは妙なもので、有料サイトから這入ると有料なのだが、ググると同じ記事が無料サイトにもある。