フェイスブックでは萩原健次郎さんの写真を覧るのが一番のたのしみである。とにもかくにも暗い写真でフジのカメラでは到底撮られない種類の作品ばかりである。わたしは横須賀功光さんと親しかった。親しかったというよりも最期を看取ったというほうが正しい。彼との思い出はフェイスブックでも2016年4月に転載している。泣きながら書いたはじめての文章だった。
横須賀さんに一連の銀板写真(ダゲレオタイプ)があって、わたしはすこぶる気に入り、そのうちの一枚を頂戴した。なにしろ、ダゲレオタイプで撮影された写真は一枚しか存在しないのである。横須賀さんの銀板と萩原さんの作品とのあいだには黒の階調とでもいうべき共通の趣向がある。奈落の底へ引きずり込まれるような悪意と失意に彩られた雰囲気である。萩原さんが自らの体躯で知った荒涼たる絶望を覗き込むに詩よりも写真が相応しいなどといったら叱られようか。