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岡惚れ   一考   

 

 日本酒に付きものなのは肴ではなく、どうも風景なのではないだろうか。洋酒はその大半が料理に則して選ぶようになっている。食前にブランデーを飲む人はいないだろうし、寝酒にシェリー酒を飲む人もいまい。葡萄酒の場合は肉料理には赤、牡蠣や魚料理をつつく時には白といった飲み分けがある。すなわち、さまざまな酒が目的に応じて拵えられている。一方、日本酒は質の点で異国のそれよりも多様な日本の食事のすべてに申し分なく合う。もしくは全くなにも食べないか、塩をちょっと舐める程度で済む。どうやら日本酒においては実存が本質に先立つようである。喧噪に充ちた穴蔵のような飲み屋にはジンやウオッカのがぶ飲みが似合う、といった套言も日本酒にはない。強いて言うなら花見で一杯、月見で一杯。日本酒は洋酒とは異なり、酒が書割りを、延いては森羅万象を司るのである。萩原葉子さんの「父・萩原朔太郎」に「なぜか私は、父の晩酌にはいつも、暮れかかった庭に、藤が咲いていたような気がしてならない」と著されている。

 上記の文章を掲示板に載せたつもりだったが、検索で出てこない。サルトルの「実存主義とはなにか」を揶揄したものである。同氏の実存と本質の弁証法ならびにアンガージュの哲学には根本的疑念を抱いている。それを詳述すると上記のような文章になる。私が文章を著すときの基準値をご理解いただくために敢えて再録する。ただし、他人の理解なんぞくそったれである。


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2007年06月15日 20:48に投稿された記事のページです。

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