かつてラルボーは「一介の読者であることに満足し、自分の愛する本、いまのところほとんど人目を引かないが、二十年後には有名になっているはずの本を、ひそかに、最良の友たちに推奨するだけで満足する人」を読書人の理想として描いた。それはもっともラディカルな読書論としてわたしの記憶に深く刻みつけられた。
そのラルボーが横須賀功光と仮装して現れたのが何時だったか、はなしの突端はワインからだった。「最近のドメーヌでお気に入りは」と問われて、わたしはフォンテーヌ・ガニャールと応えた。1985年に設立されたドメーヌで、当主はシャサーニュ・モンラッシェ村のガニャール・ドゥ・ラグランジュを一族に持つ。横須賀さんがワインにどれだけの元手を掛けてきたかは二言、三言で諒解済みである。さればこそ、「好きなワインは」ではなく、「最近のドメーヌ」はとの質問が出てくる。謂わば、試されているわけである。「いまのところほとんど人目を引かないが、二十年後には有名になっているはずの」ワインをひそかに推奨するにしくはないと判断したのである。「渋いねえ、87年のバタール・モンラッシェは良かったねえ」「87年はないけれど、89年のバタールとシャサーニュはありますよ」。
当掲示板でなんども触れているが、スペイン、リアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスやチリ、ラベル・ヴァレーのラ・ミッション・シャルドネ等々、いつの時代にも耳目を欹たしめるワインがある。新参のドメーヌのワインは旨く、そして安価である。だが、誕生して四、五年もすれば美味なワインは倍々ゲームのように値は上がってゆく。客に楽しんでいただくにはそれなりの先行投資が必要になる。
先日、横須賀安理さんからメールを頂戴した。ゆくりなくも功光さんの最後の心と身体の格闘を思い起こした。喪いたくないものが喪われる、うしなわれる時間をなすべきこともなく待ち続けなければならない、彼との一年はそんな一年だった。安理さんは、父は最後の一年、一考さんとの「言霊というクリエイティブ」に救われたと書く。その一方で、なにもかも投げ出して泣き崩れたくなる淋しさに絶えず身は晒されていた。病名はまったく異なるものの、わたしもいま血液の病に冒された。救われたのが功光さんだったのか、わたしだったのか、やがて記憶は定かでなくなる。安理さんに感謝。