ヒデキさんと初詣、豊川稲荷は閑散としていたが、花園神社は人の波、素通りしてゴールデン街へ行く。飲み屋でコーラを飲んでいるのをオネエさんに揶揄われるが、透析と聞いた横のカメラマン(女性)が話しかけてくる。二十代から透析をしていた父親が先頃亡くなったらしいが死因は脚部の血栓、その理由が分からないということで説明する。
リンの過剰摂取による血栓、脳だと脳梗塞、心臓なら心筋梗塞、肺なら肺梗塞んとなる。全身のどこに生じるか分からないのが血栓で、四肢壊疽を呈することもある。肺水腫や心不全、感染症と共に透析患者の死因のひとつだが、糖尿病の人は要注意などと話した。
彼女は透析は生活するための治療だと正確な知識をもっていたが、一方で大変困難な治療だと思い込んでいる。さかんに同情されるが、わたしは同情されるような治療方だとは思っていない。父親とわたしの人生観の違いだと思うが、疾患に罹ろうが罹るまいが人には寿命というものがある。仮にあと三年の命と告げられたところで、悲壮感はなにもない。与えられた時間を淡々と生きるのみ。
今ひとつ、彼女は個々の存在には意味があると信じている。一種の神秘論を信奉してい、それ故の改革が必要と思っている。わたしはスパンがもう少し長く、世の中には反動というものが必ずやあって、捨て置けばよいと思っている。例えば、シンクロを売りとする昨今の歌手連や、現在の漫画文化の蔓延などは気にもしていない。早晩滅びて顧みる者もいなくなると思っている。
前述のオネエさんが、とにかく彼女は真面目でと云っていたが、真面目結構、ただ真面目に生きられなくなったところからそれぞれの真の個性がはじまると思う。個人の価値や好みは永遠に集計できない。