前項で「さまざまな種類のウィスキーを造らなければ、香味を安定させることはできない」と書いたが、それはディステラリー・ボトルのこと。ボトラーズ・ボトルは多種多様をあるがままに味わうのである。原材料のモルトも違えばカスクもひとつひとつ異なる。これが同じ蒸留所のウィスキーなのか、というところにモルト・ウィスキーの、シングル・カスクの味わいの醍醐味がある。
九十年代の後半、蒸留所の多くがディステラリー・ボトルを持った。そして最近、蒸留所がシングル・カスクを扱いはじめた。これは慶賀すべきことである。ケイデンヘッドやゴードン&マクファイルの戦略を、延いてはモルト・ウィスキーの愉しみ方の原点を理解したようである。
一方、わが国にあっては製造から販売までをメーカーが独占している。ブローカーやボトラーに類似する存在が皆目見当たらないのである。日本酒に於ける樽買いすらウィスキーの世界にはない。だとすれば、メーカーがシングル・カスクを拵えるしか手立てはない。ところが、ヴィンテージの違いはあっても、味も香りも一本調子、拍子抜けするほど穏やかなウィスキーが大半を占める。これにはわが国の水の特性が大きく影響している。わが国の水は世界中でもっともクリアなのである。軽い飲み口と加水に強い性質はそこに起因するが、ブレンダーにとっては悩ましい日々が続く。そのような状況下で山崎のヘヴィリー・ピーテッドは愕くべきウィスキーだった。
話序でに、サントリーのウィスキーにしても、最初からサントリーのウィスキーとして生れてくるのではない。原材料のモルトはさまざまなモルトスターから提供を受けているし、カスクは実に雑多である。それらいろんなウィスキーをブレンダーがヴァッティングを繰り返してサントリーのウィスキーらしきものを拵えてゆく。なんだか、ボーヴォワールの第二の性になってきたようである。ここから先は書くまでもない。