ですぺら
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大腸癌  | 一考    

 このところ年増の看護師と親しくしている。彼女によれば、透析拒否による病死が多いのは一年目と十年目だそうである。過去にも書いたが、透析拒否は自殺としてカウントされない。大概は心不全として処理される。直接の死因はともかく、死に至る理由の多くは鬱病、統合失調症(統合失調症後抑うつ )である。腎不全と鬱にかかわりはないが、透析がもたらす生活環境だと思う。ただ、透析患者は自分のことを語りたがらない。よって治療は難しい。また、非定型抗精神病薬には副作用として高血糖、糖尿病を誘発するものがあり、話を拗らせている。

 その看護師によるとわたしの鼠蹊部に皮膚癌と思しきものあり、かなり拡がっているので皮膚科での診察を薦められた。癌と云えば、胆嚢と大腸のポリープ、ならびに憩室の検査が十一月一日になった。憩室からの出血は一年ほどなかったのだが、先日一デシリットルほど出血した。透析には血液が凝固しにくくなる薬を用いる。薬の変更で取り敢えず出血は収まったが、去年十一月の二十一単位の輸血を思いだした。あのような経験は二度としたくない。輸血の前後、痔をはじめ出血を伴う部位の手術が繰り返されたが、今になって理由がよく理解できる。

 大腸癌の検査は二十四時間の飲食停止と下剤の服用が必須なのだが、看護師からはなんらの指示もない。前日の入院を覚悟していたのだが、どうなっているのだろうか。日を同じくして以前入院したときとうクリニックからも大腸癌の再検査をしたい旨の連絡があった。手術をするとなるとときとうクリニックの方がよいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月18日 22:05 | 固定ページリンク




南の島  | 一考    

 1895年、下関条約によって台湾を日本へ割譲、それまで尖閣諸島は台湾の一部だったが、以降は台湾県から外し、沖縄県に編入した。この件に関し、細かいことを云うひとがいるが、大略は以上のごとし。下って日中平和友好条約締結の折、日中両国は尖閣諸島の問題を棚上げにすることで同意。にもかかわらず、今回の事件でわが国は一方的に「国内法で裁く」と発言、歴史を解さない民社党政権に対して中国が怒ったとするのが正しい。
 わたしは中国という国が好きでない。しかし、歴史は認めなければならない。もちろんこの件は台湾相手の問題だが、わが国は共産党政権を中国唯一の合法政権と認めている。認めたが故の日中平和友好条約だった。中国にしてみれば、ある日突然、手のひらを返したように尖閣諸島は日本固有の領土だと云われたに等しい、立腹するのは当たり前である。菅、仙谷、岡田、前原の戦後世代はわが国の歴史をもう一度振り返っていただく必要がありそうである。
 ちなみに、琉球王国の廃止が1872年、1879年に琉球藩が鹿児島県へ編入、同年沖縄県が設置されている。沖縄が日本へ返還されたのは72年だが、その折、台湾も強く尖閣諸島の領有権を主張している。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月12日 23:35 | 固定ページリンク




減塩パン第二弾  | 一考    

 稲見直子さんから減塩パンの第二弾が送られてきた。リュスティックはエビ、フィセル、バターフランスの三種、それにロデブとカンパーニュである。エビは前回はナッツ入りだったが、今回はクリームチーズが入っている。普通はベーコンと相場が決まっているが、エビにクリームチーズとは奮っている。関さんの山小屋ではモルトウィスキーに合うと好評だったようだが、確かにクリームチーズの僅かな塩分がモルトウィスキーを際立たせる。マッカランやスプリングバンクのような男性的な酒に相応しいリュスティックである。前回のナッツ入りだとノックドゥーのような女性的で香りが高いモルトウィスキーが合う。例によってレシピを紹介する。
 リュスティックはメゾンドカイザー・トラディショナル250グラム、グリストミル25グラム、全粒粉(ハルユタカ)25グラム、塩(シチリア産海塩)1グラム、同表面への振りかけ1グラム、イースト小匙八分の一、水250グラム。ちなみに、バターフランスには無塩バターが用いられている。
 ロデブは全粒粉20グラム、ライ麦粉30グラム、メゾンドカイザー・トラディショナル200グラム、塩2グラム、イースト小匙四分の一、水200グラム。ちなみに、シチリアは岩塩も有名でスモークをかけたものは特に知られる。炒飯や焼きそばにぴったりだったが、パンにも面白かろうと思う。
 オレンジカンパーニュはメゾンドカイザー・トラディショナル240グラム、北海道産石挽ライ麦40グラム、全粒粉(ハルユタカ)20グラム、塩(シチリア産海塩)2グラム、イースト小匙四分の一、砂糖5グラム、水180グラム、清見タンゴールのオレンジピール。
 メゾンドカイザー・トラディショナルは蛋白11.0、灰分0.48。全粒粉(ハルユタカ)は蛋白13.5、灰分1.2。ライ麦粉(北海道産)蛋白8.5、灰分1.6。グリストミル蛋白13.5、灰分0.95。以上は含有量だが、若干上下する。
 今回のエビとかクロワッサンのように多量のバターやチーズが入っているパンは冷凍できない。よってエビは今日中に馳走になる、他は小分けして冷凍する。稲見さんのご尽力もあって最近は一日一回はパン食である。透析の効果もあって多少のナトリウムは摂ってもよいことになった。とは云っても塩に換算して5グラムが6.5グラムになった程度だが。前項で触れたが醤油やソースは極端に控えている、よって増えた塩分はすべてパンに当てている。
 稲見さんが造るパンは市販のそれと違い、中身(麦粉)が濃厚である。同じ体積なら重量は倍近くあって、フランスパンとドイツパンの中間に位置するようなパンである。要は食べ応えのあるパンなのである。その素材が生かされたパンをわたしは楽しんでいる。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月11日 13:59 | 固定ページリンク




開店時間  | 一考    

 血液検査は月二回、以前と違って細かく管理できる。尿素窒素が基準より低いのと、フェリチン(鉄)と白血球が過剰、低HDLコレステロール血症は変わらないが、大旨基準値に収まっている。特にナトリウム、カリウム、尿酸、マグネシウム、それと蛋白、中性脂肪に異常は見られない。透析の効能、畏るべしである。
 医師に尋ねたところ、透析を三回中断すると透析をはじめる前の状態に戻って苦しみだす、五回中断すると生命の危機に陥るそうである。と云うことは自然に任せるとわたしの命は二週間で消え去るらしい。平和な時代でよかったと思う、戦時下だと透析患者というだけで非国民となるに違いない。

 それにしても体調はよくなった。ごく僅かだが汗をかくようになった。そして麺麭を食べられるようになったのが嬉しい。ところが、赤坂に次いで三郷のイトーヨーカドーに入っていた麺麭屋も閉店した。今は八潮にまでバゲットを買いに行っている。松戸にも麺麭屋はあると思うのだが、まだ調べていない。麺麭屋というのはあまり儲からない稼業のようである。わが国ではやはり菓子麺麭が主流を占めるようである。
 儲からないで思い出したが、ですぺらの開店時間は遅くなった。しかし、その分閉店時間を遅らせている。事前に連絡を頂ければ午前二時まで営業している。繰り返すが、月、水、金の開店は八時十五分、火、木、土は九時である。どうかよろしくお願いする。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月08日 16:53 | 固定ページリンク




体重管理  | 一考    

 ドライウェイトが62.8キロなので、透析時の体重超過は二キロほどに収まればよいと思っている。水分すなわち烏龍茶と水に関しては簡単だが、食物に含まれている水分の量で頭を抱えている。例えばカレーは九割、シチューは八割、飯は七割が水分とされる。こちらの計算が難儀なのである。
 ちなみに、ファーストフード店のカレー一人前で水分含有量は280グラム、加えるに喉が渇くので水を200グラムで併せて480グラム、これを二食摂って二日で二キロの水分補給になってしまう。もっとも、ファーストフード店のカレーをわたしは食べないが。それにしても驚くべき量の水分を摂っている。
 「透析時の体重超過は二キロ」と前述したが、透析で除去される水分は血中水分に決まっている。だとすれば四時間で二キロが限界である。それを越えると血圧の低下で苦しむことになる。苦しんでいるあいだはよいが、水分制限の手綱を緩めると瞬く間に心不全でご臨終となる。
 この一箇月は食事制限、体重管理共に理想的だと医師から云われている。しかし結果がうまくいっているだけで、当人に自信があるわけでない。食事制限は随分と弛んだが、その替わりに水分制限が加わり、思い悩まされることに違いはない。
 僅かにせよ、自力で排尿されているあいだに酒を嗜みたいと思う。アルコールを分解するのは水だが、二、三杯なら問題あるまい。肝機能はr-GTPで表されるが、正常値は8から76。これを超えている知己はMさんとUさん、ウィスキーを二、三本飲んでいても、休肝日を設けていればアルコール中毒にはならない。ちなみにわたしの数値は82だが、こちらは輸血が理由である。


投稿者: 一考      日時: 2010年10月08日 05:54 | 固定ページリンク




蜉蝣  | 一考    

 先日、ナベサンへ行く。ナオさんのアナーキーな声が久しぶりに聞きたくなったのだが、新宿ゴールデン街へは今年になってはじめてである。例によって学生運動の闘志と思しき先客がいた。「彼らは団塊の世代といわれるが、僕は風がふけばすぐ形が変わる『砂山世代』だと思っている。革命を叫んでおきながら、エコノミックアニマルになったり、市民運動家になったり。雰囲気にあわせて姿かたちを変える世代だと思う。つまり典型的な『マス(大衆)』なんだよ」と云ったのは西部邁さんだった。
 生憎といらしたのは団塊世代でなく、さらに若い世代だった。はなしの内容は赤軍派のそれだったが、要するに観念としての学生運動を弄んでいる世代である。近頃、この種の観念論者が増えてきた。彼等は学生運動に限らず、なべて観念で済ませようとする。この場合の観念論は難しいはなしではない、わたしが云っているのは「現実ばなれした頭の中だけでつくり出された理想論」を宣う人々のことである。言い換えれば、バーチャルの世界を生きる人たちと云えようか。
 わたしは経験至上主義ではないが、と云って経験に基づかなければ類推のしようがないではないかと思っている。昔流行った「原点」とは若い頃に出遇い、深くこころに刻み込まれた風景であり、心象であり、体験だった。その経験すら持たないとすれば、それは「砂山」を通り越して「蜉蝣」のようなものであろうか。ナオさんの爪の垢でも煎じて嚥めと云いたくなる。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月27日 22:51 | 固定ページリンク




石垣鯛  | 一考    

 食事制限が効いているので、カリウム、リン、ナトリウムが高い生魚と鮨を食べてよいことになった。ただし、吸着剤を忘れないようにとの但書が付いている。半年ほど前からだが、醤油抜きで刺身がおいしく頂戴できるようになった。ちなみに、フライ類もソース抜きでなんの差し障りも生じない。その日はさっそく鯵丼を食した。
 過日、家の近所のスーパーに石鯛と石垣鯛の刺身が入荷、一人前四百八十円といささか高かったが、久しぶりに石垣鯛を味わった。それにしても、刺身や鮨が公認になったのは嬉しい。
 カリウムが抑えられているのはフルーツ類を食べなくなったからである。それでなくとも、この一箇月、カリメートは服用していない。ひところはどうなることかと案じていた多量の薬も、血液状態に異常が見られないため、次から次へと減らされている。もっかのところ、食事制限はすこぶる有効なようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月25日 22:23 | 固定ページリンク




 | 一考    

 子供のころは鼻炎と吃音に悩まされていた。当時の医者に云わせると好悪が吃音の理由だそうである。従って嫌いだった胡瓜を食べれば吃音は癒るとのことだった。なるほど好き嫌いは酷かったが、中学校を終えて板前になったころから好き嫌いはなくなった。なくなった代わりに濃厚な味付けを嫌うようになった。父親が造るすき焼きなども味が濃すぎて食べられなくなってしまった。しかし、吃音は続いた。ある日、吃音を訂そうとして編輯者になった。作家交渉が出来なければ編輯は務まらないからである。これは功を奏して以前ほどには訥らなくなった。体験の世界で自らを追い込んでゆくとの世界観はこのころ出来上ったものだと思っている。
 鼻炎だが、こちらはどうにもならなかった。小学生の折、二年間ほど病院通いをした。病院通いとは云っても、塩水の蒸気を鼻で吸い込むだけの簡単な療法だった。そのようなもので癒るはずもなく、洟紙はわたしの伴侶になった。今、透析に行っているが、そこの医師が鼻炎を癒せと云う、鼻炎は癒るものですかとの問いに簡単に癒ると一言。六十を過ぎるまで、わたしは伴侶を取り違えてきたようである。
 松戸の病院の医師は透析が落ち着いたら、大腸や胆嚢のポリープから鼻炎まで、序でに皮膚科へも行けという。血液透析の注射の後がひどく荒れ、皮膚炎を起こしているからである。親切なのだが、鼻炎以外はもっかのところ遠慮している。
 人が年を経るように、付き合う病も日々変化してゆく。「ああ、肉体は悲し」と慨いてみてもなにもはじまらない。ひとは肉体を離れては思惟することすらできない。現実こそが認識の、思索の唯一の苗床なのであろう。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月24日 21:27 | 固定ページリンク




除水  | 一考    

 わたしのドライウエイトが62.8キロに決まった。透析の度に1.0から1.6キロの除水、約半分は食品由来の水分である。一年掛けて50キロ代に落とすように心掛けろ、と云われた。体重を減らすのは簡単なことなので、問題はあるまい。蛋白制限が50から60に緩和されたが、相変わらず低蛋白米を摂っている、その分を副食に回すことができるからである。
 幾分馴れてきたとみえて、透析中によく眠るようになった。しかし、透析を終えた後の左手の痺れと腕や肩の怠さに変化はない。尿毒素がやっと抜けてきたようで、駐車場の往き来に休憩をとらなくても済むようになった。身体がどこまで戻るかは個体差があってなんとも云えない。ただ、痒みは随分と軽減された。
 病院は個別にAC電源とTVアンテナがきているので、ポータブルテレビが欲しいと思っている。集中できないので、何度か試みたが読書はおよそ無理である。

 今週は暇で、ですぺらは相変わらず閑古鳥が欠伸をしている。刺身の良いのがあったので、月曜から木曜まで連日用意したがどうやら無駄に終わったようである。贔屓の魚屋は週末は月並なものしか扱わない。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月16日 22:51 | 固定ページリンク




想像力  | 一考    

 若い頃は徒にセックスのことばかり考えていた。今ではセックス以外のことも考えるようになった。理由は勃起能力がなくなったからである。病院では女が替わればできるんじゃないの、と云って看護師(女性)を笑わせている。勃起能力がなくなったからと云って、性欲がなくなったわけではない。勃起はしないが射精はする、要は性欲は残されているが、ただ三寸ばかりの出し入れが出来なくなったのである。思うに、性欲とイマジネーションががっちりと手を結び会って他人の介在を許さなくなったようでもある。
 セックスというものは面白いもので、男の場合は最初に知った女性、女性の場合は最初に知り合った男性によって大きく歪められる。歪められるを染め抜かれると言い換えた方が良いかもしれない。セックスは学校で修学するものでない、学ばずともなんとかなるものだし、人は皆染め抜かれながらも適宜処理している。わたしは福原で育ったので、禁止項目がなにひとつなかった、AVを地で生きてきたようなものである。結果論だが、まったく必要のない経験だったと思っている。そう云えば、完全な結婚などという巫山戯た本があったが、完全なセックスというのも意味をなさない同義語のたぐいであろう。
 同性愛にせよ、SMにせよ、持って生まれたところのものが理由の過多を占めるが、なかには歪められてそれきりと云うのもある。このようなものと染められて、そのようなものかと思い込むのもセックスの一形態に違いない。例えばエクスタシーがそれで、有名な某報告によると、女性の過半数はエクスタシーを知らないまま一生を終えるとか。仮にそれが事実だとして、知らないなら知らないで、どのようなものなのだろうかとの夢は残る。そこから生まれるイマジネーションが個が個であるための基本を形成することだって有り得る。別に知ったから知らないからと云って大した問題ではないようにも思われる。
 前述した基本だが、スタートが歪められているので、基本も歪められているに違いない。しかし、強烈な個性というものは常にどこか歪である。ワイルドからプルースト、大手拓次から深沢七郎まで、変態を理由にそれらの才能を否定するひとはいないであろう。要するに、例え歪んでいようと不都合を感じないなら、それはそれで良く、触るべきではないのである。
 「禁欲とは限りなく淫蕩になること」を持ち出すまでもなく、不能や禁欲は問題にならないが、淫蕩は大切なことである。この場合の淫蕩とは想像力そのものを意味する。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月14日 22:02 | 固定ページリンク




googleマップ  | 一考    

 googleから取材のひとが来た。ですぺらのホームページと掲示板へのアクセス数が多いので、Googleマップで取上げるとのこと。アクセス数が多いのは櫻井さんとおっきーさんのご尽力によるもの。大半はロボットだが、一日平均3500から4500ほどのアクセスがある。
 取材は日本だが、マップへの掲載はアメリカ本社が行うそうで、年末もしくは来年春にはマップにですぺらの頁が誕生するそうな。無料なのでですぺらにとっては良いことずくめである。明年まで営業が続いてのはなしだが、少しは忙しくなるやもしれず、期待している。
 魚眼レンズであれやこれやと撮影が続いたが、モルトウイスキー専門店であるにもかかわらず、寡多録が常備されていることに驚いたようである。寡多録の常備は東京では当店一軒のみ、これは自慢できるのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月13日 21:56 | 固定ページリンク




左肩の痛み  | 一考    

 左肩が痛くて腕が上がらなかった。シャントによる血流の変化が理由かと思っていたが、そうではなく、一日おきに四時間以上腕は固定されている、それが理由だそうである。思うに、それにわたしの注射嫌いが加味されていると思う。透析には通常十六番の注射針が用いられるが、わたしは十七番にしてもらっている。それにしても太い注射針である。動脈と静脈に突き刺すのだが、その度に全身が硬着する。腕を動かすと血流に変化があってブザーが鳴る。従ってじっとしたままである。肩というか腕全体が凝るのも致し方のないところである。病院で頂戴した湿布薬を貼って三日、やっと肩が動くようになった。
 北里へ入院前の身体の状態を考えれば、腕一本動かなくなることぐらい、どうと云うこともないのだが、喉元過ぎればの類いでひとは勝手なものである。
 透析によって身体の痒みは薄らいできたが、今度は注射針を固定するテープの気触れに参っている。透析の度に十本ほどのテープを貼るのだが、柔肌テープを用いても結果は同じで、テープの周辺がまるで蕁麻疹のように腫れあがる。なんとかならないものかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月13日 21:55 | 固定ページリンク




御礼  | 一考    

 ユーハイム系列のパン屋さんペルティエ赤坂店が閉鎖された。同店のバゲットを贔屓にしていたので困惑している。そんな折、稲見直子さんから減塩手造りパンが送られてきた。ライ麦入り(プレーン)とオレンジピール入りの二種類である。レシピが添えられていたので紹介する。
 ライ麦30グラム、準強力粉220グラム。塩1グラムと表面への振塩0.5グラム、イースト小匙八分の一、準強力粉は強力粉より低蛋白。
 全粒粉25グラム、準強力粉225グラム、塩1.5グラムと表面への振塩0.5グラム、イースト小匙八分の一、清見タンゴールの自家製ピール。
 わたしは自分でパンを焼かないので詳しいことは分からないが、表面への振塩とは少ない塩を少しでも活かそうとの稲見さんの心づくしだと思う。過日、北里病院での朝飯の無塩パンの味気なさを書いたが、それを読んでの心遣いと思う、感謝の言葉もない。必要な量を取り置き、早速冷凍庫へ格納。小出しにして楽しませていただく所存。

 秋元美和子さん(掲示板ではM・Aさん)からの贈り物は森永乳業のサンキスト・ポチプラス、アップル&キャロット、グレープ、オレンジの三種類。内アップル&キャロットは人参とビタミンの味が濃く、まるで野菜ジュースのようである。鉄、亜鉛、食物繊維などが補強されているが、オレンジが一番無難な味である。
 栄養補助飲料レナジーのコーヒー風味と乳酸菌飲料風味の二種、共に蛋白、ナトリウム、カリウム、リンは低く抑えられている。
 以上全品が125ミニリットルで、これら一本とコップ一杯の水が将来の水分補給となりそうである。このところ小便の量が減りつつある。それに伴って透析時の水分除去も1リットルから1.6リットルにまで増えている。
 秋元さんには北里病院への入院時もお世話になった。併せて御礼を申し上げる。

 玲はる名さんから見舞いの花が届けられた。ですぺらで飾らせていただきます。ここに記して感謝したく思う。余談ながら、彼女の作品には情念の処理法にいささか不器用さが見られる。しかし、その処理法が旨くいったときの作品には目を見張るものがある。そこから先は個の有り様である。期待している。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月13日 06:19 | 固定ページリンク




検査漬け  | 一考    

 透析をはさんで肝臓、胆嚢、膵臓、腎臓、脾臓と甲状腺の検査が済んだ。明日は心肺の検査である。連日病院通いで、休みがまったくとれない。それと血液検査も上がってきた。尿素窒素とHDLコレステロールが低すぎるのと、フェリチンが異常に高い、高いと云えば白血球の価もである。
 クレアチニンが8.69であるのに、尿素窒素は52、バランスがまったく崩れている。これは食欲のなさを示唆している。コレストロールは低HDLコレステロール血症である。白血球は111.3だが、これは過去と比するなら決して高くはない。輸血前後は140位にまで跳ね上がっていた。従って、白血球の増加による自覚症状はなにもない。問題はフェリチンである。体内の鉄分が不足すると血中の鉄分を求めるため、鉄過剰となる。この理由は腰椎の炎症でないかと思っている。腰椎は軟骨が磨り減っていると以前書いた。軟骨は再生されたり補強されることはない。減れば減ったままである。身体はすこしはましになり、息切れも若干減ったように思うが、腰の痛みはどうにもならない。ショックアブソーバーの壊れた車のようなもので、歩くたびに衝撃が腰を襲う。この痛みは座っていても、立っていても同じである。
 前記の検査だが、胆嚢にポリープが見付かった。来週は胆嚢の精密検査である。それと大腸のポリープと憩室の検査も入っている。医師が云うにはポリープは切除手術をした方がよいとのこと。大腸のポリープは癌化するまでにもう少し時間的余裕があった筈なのだが。どうやら手術を趣味とする医師がいるようである。血液透析をはじめて一箇月にも充たないのに、新たな手術は止めてくれと云いたい。癌は除去した方がいいに決まっている、ただ、今のわたしの身体にそれを受け容れる余裕はない。

追記
 前述した尿素窒素をはじめ、ナトリウム、カリウム、尿酸、マグネシウム、カルシウム、リンは基準値に収まっている。これだと薬は減らすのが可能である。血圧は110-65位なので、降圧剤は既に服用していない。今のところ、食事制限は有効に働いているようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月10日 04:19 | 固定ページリンク




来週からの営業  | 一考    

 一人に戻ったので、来週からですぺらの営業時間は月、水、金は8時15分、火、木、土は9時15分から1時になります。
 勝手を云って申し訳ないのですが、どうかよろしくお願い致します。火、木、土は透析のある日で医師によると数箇月を経て馴れるまでは無理なようですが、取り敢えずはじめてみます。

 今日は八回目の透析、馴れたような馴れないような複雑な心境です。このところ、水抜きをはじめてい、一昨日は1000cc、今日は700ccの水を血液から除去しました。63キロをオーバーした体重を毎回元に戻すのです。この水抜きは疲れます。血液の総量から1リットル抜かれるのですから、疲れるのは当たり前かと。北里に続いて定期的にエコーとレントゲンによる心臓検査がはじまります。透析患者の死因はほとんどがカリウム性心不全、要は心臓の肥大です。吉岡さんはじめ、いろんな作家たちの死の因果関係がこれで理解できました。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月04日 23:26 | 固定ページリンク




山崎医師来店  | 一考    

 自らの命が危うくなるまで透析をしない、このような患者も珍しかろう、と山崎医師から一言。相済まぬことで申し訳ない。自分の身体の限界点を知りたかっただけなのです。流石に透析をはじめようと思ってからはじまるまでのあいだは死ぬ思いを味わいました。何度か諦めかけたのです。済んだことだから云えるのですが、渦中にあってすら、生きるべきか死ぬべきか迷い続けていたのです。意識が跡切れる瞬間、これですべて終わったと思いつつ、三十分後には意識が戻る、そのような莫迦なことを何度か繰り返して、状況を記憶させようとする自らの意志を確認して参りました。同時に、意識とか意志と云ったものが存在の本質とはなんら縁のないものと知りました。肉体から肉体が内包する意識に至るまで、およそ即物的なものだとよく分かりました。
 当たり前といえば当たり前なのでしょうが、わたしにとっては未知なるわたしの部分と何度か再開したような気持がします。山崎さんの示唆するところを我流に曲解し、不要なご心配をお掛けしたことを深くお詫び致します。でも、わたしのようにざわざわした人間にはあのような生き方しかできなかったのも事実なのです。なにごとによらず、おそらく死ぬ日まで狼狽し、迷い続けるのでしょう。
 透析には這入ったものの、新しい病院で懐疑的なことを口にして看護師を困らせています。どういう状況に至っても逡巡はなくなりません。きっとわたしの癖なのでしょう。どのように処理すべきなのか分からなくなれば、これからも何度も浦和へお伺いします。その折はどうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月02日 21:57 | 固定ページリンク




薬について  | 一考    

 アバプロ 一日一回一錠(血圧降下)
 アルファロール 一日一回一錠(ビタミンD)
 ウラリット 一日三回十二錠(尿路結石を抑える)
 メチコバール 一日三回三錠(ビタミンB12)
 アロシトール 一日二回二錠(尿酸値を下げる)
 アーガメイト 一日三回三個(カリウムを下げる)
 クレメジン 一日三回三十錠(尿毒素の吸着剤)

 レナジェル 一日三回十二錠(リンを下げる)
 コレバイン 一日二回六錠(コレステロールの吸収を抑える)

 上段は前から飲んでいた薬、下段は新たに増えた吸着剤。双方併せて一日七十錠になる。透析をはじめたので、クレメジンはいらなくなるかと勝手に思っている。それにしても食前、食後の六回に分けてこれだけの薬を飲まなくてはならない。ところがわたしは食事は一日二回、何時飲めばよろしいのか、宙に浮く薬が生じる。基本的な薬は食事に関係なく一日を三期に分けて適当に飲んでいるが、吸着剤は意識して服用しないことが多い。薬で保たれている命ですからと医師からは五月蠅く云われるが、こればかりはどうにもならない。
 血液の検査表を指し示してカルシウムが、リンが高すぎるとの意見は十分に納得できる。しかし、薬を飲み忘れたことまで示唆されるのは辛い。生活と服用のタイミングが端から合わないのである。
 食料でなく飲料だと思うが、先日体重が六十四キロになっていた。透析で水分を一キロ減量、六十三キロに落としたが、かなりの疲れが出た。もっとも、その疲れの理由が透析かどうかは定かでない、とはいえ、他に思い当たるところはない。おそらく究極のダイエットとは透析のことでないだろうか。
 入院中の食事は、朝飯の菓子パンないしは食パン一枚と少量のジャムとコールスロー一皿を除いて、昼晩併せて松屋の牛丼並盛とコールスローぐらいの量に該当する。旨い拙いは別にして量的にはわたしの身体には既に馴染んでいる。ただ、退院後の食事内容はさらに厳しくなった。愈本格的に食事制限を考えなければならなくなった。甚だしく自信がない。


投稿者: 一考      日時: 2010年09月01日 23:29 | 固定ページリンク




雑音  | 一考    

 政治には金が掛かる。よって資金を頂戴してもよろしいから、革命を起こしてくれる人に一票を入れたい、というようなことを羽仁さんが書いていた。傑れた専制主義よりも、悪しき民主主義を選択してきたのが日本の戦後の歴史である。されば革命とは云っても悪しき民主主義のそれでないと整合性が取れない。その悪しき民主主義の典型が小沢一郎でなかったかと、かつて彼が自民党を割ったときから思っている。少なくとも、数が力だという彼の思いはわが国にあっては正しい。
 わたしは官僚頑張れの一人なので、菅とか岡田と云った官僚どっぷりの政治家は結構なのだが、それにしても人間的魅力に欠ける。現状では野党の党首を政権の中枢に、もしくは首相に持ってこない限り、一本の法律も国会を通過しない。そうした芸当が菅にできようはずもない。他方、小沢にとってはなにもかもが二党制を成り立たせるための素材でしかない。わたしは菅が首相になることには最初から反対だった。二項対立の対象に小沢を持ってくるのはよい、しかし、彼に小泉の真似はできない。権力に執着しているのははたしてどちらなのか。政治家として良識があるのならここは一番、小沢に委ねるべきでないだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月31日 23:01 | 固定ページリンク




透析初日  | 一考    

 東葛クリニックへ行く。二時半に出掛けて、透析終了後ですぺらへ車を飛ばし、到着は九時少し過ぎ。思いの他、時間が掛かる。クリニックと総合病院では患者層が異なる。クリニックではほとんどの患者が同じダイアライザーを用いている。要は入院の必要のない患者ばかりなのである。
 東葛クリニックでは当座、火、木、土曜の三時からの四時間透析がはじまる。パジャマ、毛布、タオルの類いは持ち込みである。採血の血管は皮膚下二ミリ、直径は三・四ミリだそうである。
 搏動は好んで用いる言葉だが、すこぶる具体性を帯びてきた。脈搏は知ってはいても、本人には聞こえない。それがシャントを拵えたことによって身近な存在になった。北海道旅行の際、みずならや白樺の幹に耳を寄せると樹液の流れる音がきこえる。幹の太さに比例するらしく、ごーっという音からストローで吸い上げるようなさらさらした音まで木々の呼吸はそれぞれである。その呼吸が把握され、音も聞こえてくるようになった。誰かさんではないが、人も植物であるかのよう。
 左手のシャントから先が痺れたままである。手前へ血液を逆流させたため、十分な血が流れていない。痺れが取れるに一月ほど掛かるそうである。体重は六十三・二キロから六十三・五キロの間を基準にするようである。越えた分はまるのまま余分な水分となって除去される。一キロの食材には約半分の重さの水分が含まれる。食事による体重管理がうるさくなる。今まで以上に迂闊にものが食えなくなる。それにしても、カレーやシチューが問題になるなんて。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月28日 22:40 | 固定ページリンク




北里退院  | 一考    

 今回の入退院に関し、逐一幹郎さんと関さんの世話になった。今日も退院祝いとかで早速拙宅の近くの回転寿司へ出掛けた。栄養士が聞けば目を白黒させるような禁止食品ばかり腹一杯詰め込んだ。そして浅蜊の味噌汁を二杯、どうなるかはしらないが当然大量のクレメジンも服用。
 透析だが、取り敢えずブラックアウトからは解き放たれたようである。一箇月ほど経てば痒みからも自由になるそうな。疲れや痒みはともかく、ブラックアウトからの解放はなににもまして喜ばしい。そして透析のダメージはすこぶる小さい。個体差が激しく、主治医から脅されていたので気に病んでいた。確かに、術後、動かれなくなる方も多くいらした。わたしの場合は直後足下がふらつく程度で、どうということはない。
 透析の種類の多さに驚いた。わたしが受ける透析は透析の内なる一療法で、血液や血管、肝臓、心臓などなど、あらゆる病気から透析に至ることを知った。
 やはり問題になるのは、ナトリウム、カルシウム、カリウム、リンの血中濃度で、蛋白はほとんど問題にならない。とはいえ、ここにも個体差があって、あくまでわたし個人のはなしである。何度も繰り返すが、透析に一般論は通じない。療法は一部似ているが、結果は個々に異なる。
 クロアチニンは透析後、9.41から5.49へ急落したが、カルシウムとリンはそれぞれ12.3、5.8と異常値を示している。透析ではどうにもならない数値で、食事療法でしか解決しない。ここ二週間ほど、食事は医師の管理下にあったが、ここまで管理しないといけないかと愕かされた。当然、薬物療法に二種類の吸着剤が新たに加えられた。今回の東葛クリニックではさらに吸着剤が加えられるようである。
 幹郎さんとは随分とブラックアウトの話をした。彼によるとここまでブラックアウトについて書き込まれた文章はないようである。しかし、かかる文章があろうがなかろうがどうでもよい、わたしは強く自分自身を意識の管理下に置こうと努めてき、それが破綻する場を垣間見る状況に追いやられた。その絶望感を書き記しておきたいのである。
 そのブラックアウトと密接な関わりを持つのが汗線である。透析をはじめてごく一部だが、汗が戻ってきた。汗と失意、そこのところの関係を究明しなければならない。
 幹郎さん、有り難う。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月28日 12:47 | 固定ページリンク




整形外科  | 一考    

 今日は透析の合間をぬって整形外科医の診察を受ける。やはり腰痛が気になって仕方がない。筋力トレーニングは必要なしと云われる。そこでレントゲンを八枚、上背が五センチ縮かんだだけあって腰椎の軟骨がひどく磨耗している。「これじゃあ、痛くて歩かれないよ」間歇に炎症が起こっている。「カルシウムを摂るしかないが、腎不全ではね。薬の投与は不可能だし、悪化するばかりで、良くはなりませんよ」「そう云われるのは分かっていたのですが、なにか方法は」「諦めろとは云えないので、様子を見る以外に方法はありませんね」「随分と消極的ですね」「MRIを撮りますか、そうすればよりはっきりしますが」「どうにもならないことが、さらにはっきりするわけですね」「そうですね、仰有ってるお店から駐車場間は何度休んでいるんですか」「三度です」「それを五度にしてください」
 だんだんと腹が立ってきて、これで診察料が数万円なら割があわない。馬鹿野郎である。腹の虫が治まらないので、向かいのコンビニへ行って240円のティラミス(ナトリウム74.0ミリグラム)を食べる。ヤケ食いをしてやろうかと思ったが、世話になった嶺井医師の顔が浮かび、それは控える。

 特定疾病療養受領証は入手したが、更生医療の方はまだなにもしていない。北里病院は指定医療機関なので、申請が可能。申請をしなければ腎移植手術は受けられないようである。身体障害者手帳も新たに申請する。それら書類の件で木曜日の退院が金曜日になった。嶺井医師に感謝したい。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月27日 20:34 | 固定ページリンク




眼科  | 一考    

 今日は目の検診をする。左右は裸眼で0.8と1.2、四十五歳の時に検診しているが、その時と同じ数値である。大型二種免許であっても、眼鏡は必要ないと云われた。免許の更新時に、常に注意を喚起されているが、警察で目の検診を執りおこなう人に問題がありそうである。心配していた腎不全の眼底への影響もなく、わたしの思い過ごしだった。
 序でに、目玉のなかに不純物が多いと指摘された。目を瞑ると瞼の内側を泳ぐ、さまざまな幾何学模様の元である。心の万華鏡と名付け、わたしは面白がっているのだが、医学的には不純物にしかならないようである。あまり酷いようだと除去も考えられると云われて、周章てて診察を終えた。わたしにとって、不純物は宝の山そのものである。子供の頃、枕元に陽が差している、瞼を光に向けるといろんな模様が走馬燈のように瞼の内側を巡ってゆく。夢は続きを見ることができるが、こちらはあまりに抽象的でどこがはじまりで、どこが続きだか定かでない。おっとこれは、という絶妙のシチュエーションもあるが、繰り返しは不可能である。夢の持つ生臭さがこちらにはなにもない。この抽象的な万華が不純だなんて冗談ではない。こちらと比べれば夢の方がよほど不純ではないか。どうやら眼科医とは趣味を異にするようである。

 厳密な体重と血液検査の結果、紅茶やコーラを飲んだことまで発覚する。食パン半枚でも食べようものなら、たちまちリンが跳ねあがる。与えられる食事以外はなにひとつ食べていないが、これほどの管理が必要だという勉強になる。人は日々、およそ衝動的にものを食べている。余分に摂ったカルシウム、カリウム、ナトリウム、リン、水分は腎臓が自動的に排泄してくれる、健康であれば。その安全弁が機能しなくなったのだから問題である。それらすべては脳溢血、脳梗塞と密接に結びついている。透析をはじめて蛋白制限からは解放されるが、カルシウム、カリウム、ナトリウム、リン、水分の制限はさらに厳しくなる。リンの摂取制限が厳しくなれば蛋白制限の解除がなんの意味も持たなくなる。リンと蛋白は常に手を取り合ってやってくる。せいぜいが、低蛋白米が不要になることぐらいかしら。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月27日 20:32 | 固定ページリンク




尿毒素  | 一考    

 尿毒素がもたらす症例に、手脚のしびれ、筋肉痲痺、脱力感、倦怠感、腰から下が抜ける感じ、吐き気、腰痛、下痢、不整脈などがある。
 その尿毒素は急に回ったのではない。四年ほどかけて生じたのが現状である。現在の歪な血液状態が今のわたしには正常になってしまっている。それ故、血液の状態を急速には戻されない。様子を見ながら徐々に戻してゆくしかない。透析器の濾過率を五パーセントずつ上げてゆくようなものである。気長に付き合うしかない。

 この件に関して、透析を受ければ即刻元気になるとほとんどの方は思い込んでいる。しかし、何度も繰り返すが、腎不全に治療法は存在しない。人工腎臓を用いても高カリウム血症へ至るのを遅らせることしかできない。どの程度遅らせることができるのかは、その人の食事制限、水分制限の結果次第である。人工腎臓はそのための手助けでしかない。要するに死が約束された病であって、人生と同じである。透析を何年続けたかは問題にならない、一年であれ十年であれ、その期間はその人の寿命と比例する、とわたしは思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月27日 20:31 | 固定ページリンク




病院食  | 一考    

 這這の体で病院へ帰ってきた、人いきれには滅法弱い。銀行と薬局の他、用事があったのだがなにひとつ片付けられなかった。明日は透析の前に再び胸部レントゲンとか、胸になにかしら問題が生じているのだろうか。三度目のレントゲンである。きっと剛毛が生えているに違いない。

 てんぷらやチキンフライと魚の煮付けもしくは焼き物が交互に続く。入院当日は鯖の味噌煮、二日目は赤魚の粕漬け焼き、三日目はムツの山椒焼き、以降、サワラの蒲焼、アジの梅風味照焼きと続く。チキンフライは親指の先っぽほどのが三切れ、魚は鮭弁当に付いている鮭の三分の一ほどがメインディッシュなのだが、とにかく不味い。考えた献立なのだろうが、魚の活きの悪いのだけはいかように細工しようともいただけない。わたしが東京へ来て魚を食わず、揚げ物ばかり食っているのは魚が不味いからである。今は千葉の結構な魚屋と懇意にしているが、大体が東京の魚なんぞ食えたものでない。活きのよい魚を煮たり焼いたりしてこそ旨いのであって、例えばコチや目鯛などは身離れからしてまったく異なる。臭うような魚だと正体不明の白身魚のフライの方が気が利いている。冷凍品に限定されるのはやむを得ないとして、山椒を振った上で凍らせるとはなにを考えているのか。山椒の匂いのまったくしない山椒焼きをなんと名付ければよいのか。病院の料理には栄養士だけでなく、調理師の参加も必要でないだろうか。

追記1
 その後、病院の栄養士と会った。随分と失礼なことを云ったようだが、不味いものは不味い。ソテーとかお浸しの類いは時間が勝負である。温野菜は十秒とか二十秒とか、ものにもよるが、冷水の用意をした上で、いかに手早く湯通しするかであって、茹ですぎても、水っぽくなってしまっても捨てるしかない。鱧の湯引きなど典型で、湯を引いた後、冷水で締めるが、湯の温かさが残っている状態でいただく。湯をひくのは表面、冷水で締めるのも表面の好例であろうか。
 病院や家庭のような緊張感のない職場で造る場合、もやしナムルやアスパラソテーのような神経質な食べ物は造らないに越したことはない。まずもってびちゃびちゃである。わたしが肯定いたのはシャレーン豆腐ぐらいなもので、かたくりがダマになるという基本的ミスを別にして、まずまずの出来映えだった。
 それと書いておきたいのが、低リンミルクである。これは不味くて飲まれない。小学校低学年のころ、ペプシコーラをはじめて飲んで吐き出したことがあったが、これをミルクとは云わんだろう、が実感である。低リンミルクを飲むしかなければ、ミルクそれ自体を食卓から追放する。今回の入院で参っているのが、朝飯である。無塩パン、ジャム、フルーツ罐、低リンミルクの組み合わせなのだが、ジャムとフルーツ罐の不必要なまでの甘さと無塩パンと低リンミルクのもみなさは際立った対照をなす。要するに気持が悪いのである。食パンのように焼きの甘い無塩パンなど食えたものでない。リンにせよ、ナトリウムにせよ、制限によって食する気がまったくなくなるのであれば、食べない方がよいに決まっている。杓子定規な制限よりも取り入れ可能な制限からはじめるべきでないだろうか。

追記2
 レントゲンを連日撮っているのは心臓の大きさを見ているそうである。透析による水抜きは心臓をコンパクトにし、負担を軽減させるために必要な療法らしい。知らないことを知るのは面白い、興味津々である。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月27日 20:30 | 固定ページリンク




あれこれ  | 一考    

 初回透析が終わるも、結構面倒なものである。止血は自分でするのだが、シャントを潰さないように、慎重にと注文がつく。シャントは透析患者にとって命の綱だそうである。ならば病院側で処理すればよいのにと思うが、一人七分として二十人なら止血だけで百四十分掛かる計算になる。まずもって、止血は保険点数に這入らないようである。
 「入院すればブラックアウトから解放される」と書いたが、そのような生やさしいものではなかった。透析によって齎されたのは、軽い目眩いのみ。いささかでも効果が現れるのは一箇月以上経てからのこと、十五回もしくは二十回目から徐々に尿毒素が抜けて行くそうな。
 筋力の衰えが気になって、今回の入院はリハビリを試みる予定だったが、その心配はなさそうである。脚力は七十キロをかるくクリア、腹筋、背筋、懸垂共に異常はなく、腎不全由来の極度の疲れや息切れが理由だそうである。
 腰が痛く歩くのが疲れる、その一点を最も気にしていたのだが、透析を続ければ十月中には癒るのではないかとの話。逆に若い頃、かなりスポーツをやっていましたね、と身体を誉められたりもした。将来、自転車に乗りたいと思う。パーツはすべて売り払ったが、自分の分だけは残している。

 看護師にウィンクでもって病院から抜け出してき、これを書いている。ですぺらまで近いので地下鉄で来たが、やはり電車は無理である、帰りはタクシーを利用する。外食を固く禁じられたが、それはよく承知している。本当は喫茶店でババロアかパフェでも食べたいのだが、約束は守る。一日おきに血液検査をしているが、カルシウム、カリウム、リンが多すぎるようである。今までの入院と比してかなりハードな食事制限が設けられている。分量が少ないので、大部屋でわたしだけが三時のおやつが出るのだが、塩分ゼロのクッキーなんぞ食えたものでない。「分量が少ない」と書いたが、一食につき低蛋白米が百グラム、こちらは家では八十グラムまで落としていたので問題ない。ただ飯の炊き方はひどい、水分が多すぎるのである。朝食はこれまた塩分抜きの菓子パン一箇と少量のジャムに薄い茶が一杯。出るだけましかと思って食している。水分制限は医師が途惑っているようである。自力で1.6から1.8リットルは排尿している。どうして出てくるのかはわたしにも分からない。もっかのところ、排尿されるのだから飲料に制限は設けていない。

 店は暇そうである。前田さんに申し訳なく思う、これに懲りずに前田さんの客が付くことを願っている。二人三脚で旨く行くようにと、それだけを願う。加藤 仁さんからメールあり、手伝いのお申し出に忝なく感じ入る。二十六日の夕刻もしくは二十七日の午前中に退院の予定。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月20日 15:58 | 固定ページリンク




ですぺらの営業  | 一考    

 今日一日無事であれば、十八日は北里研究所病院である。入院すればブラックアウトから解放される。ここ数日は祈るような日々だった。入院は最短七日、最長十日の予定。

 ですぺらの営業は入院中も前田さんの手によって続けられる。暫くのあいだ、六時半から十二時までである。モルトウィスキーの種類が多いので、前田さんに分かるように註文していただきたい。同じヴィンテージ、同じ熟年数、同じボトラーであっても異なる酒がある。例えば、加水タイプとカスクストレングスである。
 前田さんにも強く云っているが、寡多録で確認の上、現物のボトルで再度確認していただきたい。彼にはわたしの退院後もできるだけ長く手伝っていただきたいと思っている。どうかよろしくお願いしたい。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月17日 04:50 | 固定ページリンク




身長  | 一考    

 11日の入院時、身長を測る。納得がいかず繰り返し慎重に測っていただくも、やはり165センチメートルだった。山崎診療所で何度も計測しているが、主治医によると5センチぐらいはすぐ小さくなると云われていた。発病後、一年で丁度5センチ小さくなった。畏るべし、骨粗鬆症である。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月16日 18:15 | 固定ページリンク




営業再開  | 一考    

 16、17の両日はですぺらへ出ます。前述の前田さんと一緒です。もっとも、わたしは座ったきりになりますが、どうかよろしく。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月16日 00:28 | 固定ページリンク




東葛クリニック  | 一考    

 東葛クリニックへ行く。医師との話は十分で済んだが、その後を追ってきた看護師(医師かもしれない)と一時間半ほど話し込む。一種のインフォームド・コンセントだが、これほどの時間を費やしたのは今回が初めてである。
 従来の医師の権威(パターナリズム)に基づいた医療にわたしは反感を抱いている。その反感を突き崩したのは主治医だった。患者の選択権、自由意志を大切にする人が主治医だけでなかったと分かっただけでも、東葛クリニックへ行った価値があった。
 正確な病名を知っているのは糖尿症と膠原病の患者ぐらいなもので、あなたのような非糖尿症の患者の大半は因果関係が分からない。腎結石が理由の一であることは間違いないが、それだけかどうかの判断は付かない。手術前のCTスキャンで腎結石が左右の腎臓に拡がっていたが、残存する腎機能が既に4パーセントを切っているため、いまさら手の施しようがない。治療をしない場合の経過は主治医と同じ説明だったが、他の腎臓内科の医師はお茶を濁すような返事しか帰ってこず腹立たしい思いをさせられた。無治療の場合は二、三年で死ぬのはよいが、どういう死に方になるのかは誰一人応えない等々、事細やかな話をした。病気以外はおそろしくプライヴェートなことばかりだったが、これは要介護の介護の内容を知るに仕方のない話であろう。車で赤坂へ通勤していると云ったところ、数値から推してあり得ないと愕いていた。
 車で思い出したが、診療を拒否された病院は送迎の車を出してい、透析技術の発達と相俟って長く透析をつづけている、要するに老人ばかりだそうである。新陳代謝が止まっているので新規患者を受け付けられないのが真相らしい。
 いずれにせよ、十八日から死ぬ日まで透析が続く。わたしのことだから、受け身でいることはないだろう。この一年、さまざまな葛藤はあったが、生き延びる途をわたしは撰択した。自らの生にいかように抗うか、これから本領を発揮しなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月14日 17:20 | 固定ページリンク




シャントは済んだが  | 一考    

 シャント造設は思いの外旨くいった。ただ深い動脈を表層の静脈と縫い合わせるため、多少の痛みは残る。所要時間は二時間二十八分四十五秒だった。局部麻酔だが、我慢する気はまったくないので、キシロカイン注ポリアンプ10ミリを打つ。手術の間寝ていようと思ったのだが、そこまでは効かない。微酔い程度で舌が軽くもつれるような感じだった。
 従って、麻酔醒めには頓服のカロナールを処方される。しかし眠られず、隣のベッドから大丈夫ですかと云われる。傍に迷惑を掛けるといけないので、睡眠薬を頂戴する。大きな傷であれ、小さな傷であれ、縫ったあとは二日ほど痛む。
 シャントは謂わば動脈と静脈のバイパスで、造設の目的は静脈を動脈に改造することにある。透析に必要な血量(一分あたり300ミリリットル)は静脈からでは足りないからである。時間が経てば皮膚に面している静脈が動脈となって脈打ち太くなる。人工的なミミズ腫れを拵えるようなものである。
 わたしの血管が健康なため、五日ほどで透析に耐えられるようである。そのシャントから出来るだけ離れた箇所へ血を抜く注射針とダイアライザー(人工腎臓)で老廃物を除去した血液を戻す注射針を挿入する。透析に要する時間は一回四、五時間、週三回が基本となる。
 内シャントは感染症に注意しなければならない。透析当日の入浴は禁止、シャント側の腕で重いものを持ったり、血圧測定や注射も厳禁である。
 一日の体重増加は1キロが上限、従ってシチュー、カレー、白菜、牛乳、トマト、豆腐、果物のような水分の多い食事は当然として、うがいにすら注意を払わなければならない。普通、一日に摂る食物中の水分は1200ミリリットル、食物が体内で燃えるときにできる水が350ミリリットル、水を飲むまでもなく、それだけでも既に水分過多である。実に苛しい水分管理が必要となる。

追記
 穿刺部位を濡らすのは厳禁、は良いのだが、ゴム手袋を買って来ないといけない。店のグラスはともかく、家の食器が洗われない。困ったものである。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月13日 21:28 | 固定ページリンク




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