佐々木幹郎さんが土師ノ里(はじのさと)について書かれているが、このような難読地名は全国にある。とりわけ北海道には多いが、西日本にも随分とあって、京都の御陵(みささぎ)、大阪の放出(はなてん)、阪急の「十三」(じゅうそう)、阪神の「青木」(おうぎ)、湖西線の「安曇川」(あどがわ)、関西本線の「平城山」(ならやま)、同じく関西本線の「柏原(かしわら)」と福知山線の「柏原(かいばら)」、赤穂線日生駅(ひなせ)の隣には寒河(そうご)駅がある。地元の人ならともかく、そうでなければ手に負えまい。
土師氏の一族にしてからが、當麻蹶速(たいまくえはや)や野見宿禰(のみのすくね)を知らなければ皆目見当もつかない。その幹郎さんが一年半にわたって、月刊「なごみ」(淡交社)に連載してきた「人形記—日本人の遠い夢」が最終回(六月号用)をむかえた。最終回は、土偶と埴輪についてである。「人形を通して、どんどん日本文化の深遠に入っていったスリリングな感触。不思議な旅でした。いずれ単行本になる予定です」と書かれている。
そう言えば、ですぺらで人形のはなしを聴かされたのは一度や二度ではない。人形を語るときの彼の目は煌めいていた。「なにもなにも、小さきものはみなうつくし」とは「枕草子」だが、幹郎さんの小さな目の反影のような赫きを忘れられないでいる。「埴輪の悲しさは眼にある」されば、いま在ることへの懐かしさ、うつくしみが幹郎さんの眼差しから匂う。単行本は淡交社から上梓されるのであろうか。