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ですぺらにて   一考   

 

 高徳羽副議長の「三十数年前のことで大々的に捜索するとは、朝鮮総連に対する横暴極まりない政治弾圧」との発言について在日琉球人さんが書かれている。三十数年どころではない。私は生まれ落ちる前の日本の不明と暴虐を恥じ、東アジアや東南アジアの諸国民ならびに諸民族に対していまなお謝罪し続けている。
 二児の拉致を巡る関連施設の捜索でもっとも愕かされたのは、人権の侵害を難じるプラカードが多く掲げられたことである。では二児に人権は認められないのか、黒白をつけるなら捜査に協力するのが筋であろうとの水掛論の根を穿り起こす気はない。価値観や基準、規範はおろか、ひとの考え方それ自体が相対的なものだということが分からないひとにはなにを言っても詮無い。
 黒か白か、右か左か、前か後ろか、いずれであろうが、図式化された乃至は分かりやすさでもってひとは判断しがちである。簡略化された二項対立的ものの考え方がよろしくないと唱えたところで、全体を俯瞰しなければとか、多様な価値観を認めなければといった、それこそ新たな二項対立を生む結果にしかならない。

 店の余命が一月半になった。用事もないのだが、そんなことを考えながら終日店で暮らしている。三橋さんや種さんや横須賀さんをはじめ、亡くなられた多くの先達の匂いを憶い起こす。「天地微妙の大消息」の一端もしくは一過に過ぎないのであって、騒ぎ立てるべき対象とはついになり得ないのは分かっている。自らを引っくるめて存在それ自体が新陳代謝であるのも分かっている。ただ、気付かれもしないで通り過ぎてゆくもの、指のあいだからこぼれ落ちてゆくものの大事を彼等から学んだ。慈しみは失意のなかにしかなく、悲しみはいつも濡ればんでいる。
 「暮らしている」と書いたが、私にとってですぺらは暮らしであり活動だった。生活であればこそ、ですぺらは存命不定の線上を彷徨うしかない。ですぺらと名付けた瞬間から私にはある種の覚悟があったはずである。存えさせるための策を講じるべきかどうか、いまなお迷いつづけている。


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2007年04月30日 22:38に投稿された記事のページです。

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