串揚げを串カツの亜流だと書いた。人様からより多くの金銭を頂戴するために本来下賤な食い物に格好を付けた、謂わば串カツの会席版でなかったかと思っている。というのも、串カツについて書いていて外山時男さんを思い起こした。東京では希有な蕎麦屋の主人だった彼に云わせると会席における蕎麦が「ノートルダム寺院の屋根にくっつけられたガルグイユ・・・大宗教に囚われた八百万の神の趣」となるのだが、似た俤を串揚げに嗅ぎ取ったのである。繰り返すが、串カツは元々牛肉だけのもの、それに芸を加味し、遊びで色づけを施したのが串揚げでないだろうか。
過日、井筒典久さんとはなしてい、十割蕎麦はともかく田舎ソバの風味も捨てがたい、と。外山さんだと「ラ・ジョコンダの微笑みが江戸ソバなら、その背景の曲がりくねった川や橋が田舎ソバ」となるのだが、新潟から山形、秋田、青森とつづく国道7号沿いには夥しい数の蕎麦屋がある。北海道への行き来には国道8号と7号を利用していたが、それら板蕎麦をどれほど楽しみにしていたか。井筒さんの仰るとおり、青磁色の蕎麦も佳いが田舎蕎麦には一癖も二癖もある浅葱裏の味わいがある。