どことは書かないが、某村へ行くには四号線から山越えの道しかなかった。当然、未舗装一車線で、かなり危険の伴う嶮しい道だった。それがある日、立派に舗装されたなだらかな道が完成し、旧道は走るひとも居なくなった。原発が費用を負担し、無料で解放したと聞かされた。同じ原発が村に温泉を造った。鉄筋コンクリート三階建ての立派な建物で、二階が大浴場になっている。村で唯一の社交場は近隣の村民や町民の喝采を受け、温泉は繁盛した。
村民は三千人だが、原発事故によって隣町の町民約二千五百人を受け入れ、一時住民は約五千五百人にふくれあがった。ところが村も汚染に晒され、村と町の合同災害対策本部は住民の村外への避難を決めた。豚や牛など家畜の管理などで離れられない十数人を除き、より内陸の都市へ避難した。温泉はラジウムならぬセシウム温泉になってしまい、訪ねるひともいない。
今回の事故がアメリカ、フランス、ドイツで起きていたら、今頃東京の人口は半減していたに違いない。現に多くの大使館は大阪へ移転し、外資系の会社は順次関西へ移動している。一部の国は飛行機の発着を東京から大阪へと変更した。
原発は落ち着いたと云え、何時水素爆発によって、大量の放射能を撒き散らすか分からない。にも拘らず周章てるひとはいない、大方は汚染されていない牛乳や水を求めて右往左往するだけである。一歳から五歳までの幼児にとって、好ましくないミネラル水を求めて。
ロシア、中国、シンガポール、オーストラリア、アメリカ等々では日本の農産物は輸入禁止になった。福島県、群馬県、茨城県、千葉県、栃木県の乳製品、野菜、果物、水産物が該当する。わが国はこれから中国の安全な農産物を輸入しなければならない。これもTPPの先取りか。
拙宅の近所では茨城産の野菜や果物の安売りがはじまっている。青梗菜は五十円、大粒の苺が一箱百五十円で売られている。当分、デザートは苺である。
阪神淡路大震災の折は自主避難の経費はおろか、家屋の倒壊などに補償はまったく出なかった。私財の損壊に税金は使えないとの方針が最初から決まっていたからである。それはそれで良いのだが、原発問題は同日に語るわけにいかない。今回は地震即津波の問題と原発の問題を混同してはならない。ことは複雑である。