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出版社   一考   

 

 佐々木幹郎さんの「旅に溺れる」が岩波書店から上梓された。題名、腰巻きの「死が降りてくるとき」からしてアナロジーに富んだ書物である。無線綴じだが、扉は本文共紙になっている。この本文共紙という造本のabcを守っている書物をわたしは見たことがない。現在では書肆山田の書冊だけかもしれない。さすが岩波と誉めて置こう。無線綴じは経費節減が理由だが、だとするならどうして扉だけ別刷りにするのか、まったく釈然としない。もともと扉を別丁にした理由は本文紙に安価な用紙を用いたため、せめて扉ぐらいはというところからはじまった。安価な紙であろうと高価な紙であろうとわたしが拵えた書物はことごとくが本分共紙である。
 東京というところは本分の組付けも天地が逆である。逆組をはじめたのは岩波だが、なぜに東京中の出版社が右に倣わなければならないのか、わたしには分からないことだらけである。逆組ゆえ、地がアンカットの本ができる。天は埃が積もるようにバラバラに拵えてある。これでは旧漢字歴史的仮名遣い(いい加減なものだが)が嗤おうというものである。わたしが東京で造った本は正組にしてあるが、これとて印刷所と擦った揉んだがあった。
 幹郎さんの「旅に溺れる」について書こうと思っていたが、それは次回に回すとして、腹に据えかねることだらけなので、今回はそちらを書く。
 先にも書いたが、無線綴じは経費節減が最大の理由である。ところがそのような書物に限って賑賑しくも懼れ多い装訂家諸君(装幀、装釘、装丁家か)の名が印字されている。十万だか二十万円だか知らないが、装訂賃を払うなら、それを削って糸縢りに用いるべきであろう。わたしならそうする。良心よりも銭という心ない装訂家と売れればなんでもかまやしないという営利至上主義の版元ばかりなのである。かくして数物出版の遣い捨ての本が罷り通る。
 当社は活版ですという、活版刷りとは云わない。その理由は活版組みから清刷を取る、あとはフィルムで起こして刷版を造る。直刷りしないものをいつから活版というようになったのか。直刷りすれば印刷費に活字代が加算される。これも経費節減が生んだ奇策であろうか。
 売れない本を限定にして金を巻き上げる。これも営利出版社の常套手段である。そのような出版社に限って普及版と同じ本文用紙を用いて特装本を拵える。これなどは恥じを知れといいたくなる。
 旧漢字歴史的仮名遣いなどというまやかしがある。旧漢字は日本国内だけでは揃わない。韓国、台湾、中国(とりわけ上海)の印刷屋の協力がなければ到底無理である。わが邦に残された旧漢字はごく僅かである。旧漢字で刷ろうとすれば活字を聚めるだけで二年は掛かる。それに挑戦したのは椿花書局あるのみ。
 また一部の限定版出版社は選ばれた少数者のために等といって無知蒙昧の輩の選民意識を掻きたてる。これなどゲッベルスの掲げたスローガンそのままではないか。さらに困惑させられるのは、そうした出版社を持ち上げる読者子がいるということである。好き嫌いはともかく、戦後、昭森社、書肆ユリイカ、書肆山田、季節社、湯川書房、小沢書店以外に良心的な書物を拵えた出版社があればお目に掛かりたいと思う。ことごとくは遣い捨てのマスプロ出版を一歩もでるものではない。


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2010年06月06日 05:59に投稿された記事のページです。

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