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ナオさんふたたび   一考   

 

 このところ、ナベサンのナオさんとよく会う。よく会うと云っても逢引をしているわけではない、足繁く通っているのである。ナベサンには先代の頃から詩人と映画関係者が多く、先夜も詩人達がいた。詩人というのは詰らない話をすると述べたことが契機になってナオさんと詩について語らった。以下、ナベサンの営業妨害はしたくないので氏名は伏せる。
 彼女が取り出す詩集のほとんどを私は知らない。地方で出された私家版と思しきものばかりで出版社名も定かでない。早い話がプロレタリアート詩なのだが、なるほど彼女の好みにはそれとなく統一された雰囲気が漂っている。唄でいえば原田芳雄の「生きてるうちが花なのよ・・・」「横浜ホンキートンクブルース」、浅川マキの「裏窓」「夜が明けたら」のような自暴自棄なムードが色濃く醸し出される。
 詩のはなしなんぞ、彼女とははじめてである。この種の詩には垂れ流しが多いのだが、大上段に構えた社会的な作品を避けて個の呻吟濃厚な詩を的確に拾い上げてゆく。彼女は身体で文学を語る、その感覚にかなわないなと思う。修辞ではなく、考えるでなく、より皮膚感覚に近い研ぎ澄まされた裸の神経回路を彼女は持っている。そのような回路に私ごときが太刀打ちできよう筈がない。ゴールデン街を十八年間流浪うと、いま在ることの切なさがかくまで明確なかたちで迫ってくるのかと思う。「まえだのババア」の貫き乱るがごとき猛々しさは彼女には微塵もない。正気も本気も狂気もなにもかも呑み込んで顔色ひとつ変えない、そんなニヒリズムが彼女の立ち居振る舞いのそこかしこに匂う。
 かつて「襟を抜くのを去なすというが、年長者のしたり顔をあしらうときの軽みには色気すらある。三十路前半ながら、おそろしくきめの細かい人生を送っている。きめが細かいとは気配りを指し、気配りとは存在の相対化を言う。まるで安保の時代が今様の服をまとって顕れたようで、ある種の懐かしさを憶える。遅れて生れてきた人種のひとりで、時代を取り戻そうとして気を揉んでいる。「遅く生れた」ひとはみな生き急ぐ、その困しみは一種のはがゆさに色彩られている。彼女もまた、あきらめを嘆きの霧の道しるべとするのだろうか」と書いた。この「嘆きの霧」は万葉集の「沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを」である。溜息が生じさせる霧の奥ゆかしさと深い失意が私を捉えて離さない。

 ナオさんの実姉HALさんはゴスペルシンガーだが、今月アルバム「 I sing becouse」をリリースした。妹も楽器をよくする。そして彼女の唄に私は魅了され続けている。無料でナオさんの唄を聴くことができる、それを愉しみに私はゴールデン街へ通う。

 本年最後の書き込みである。三十一日は例によって来ていただいたお客さんと豊川稲荷へ初詣、そのあと私はゴールデン街のナベサンへ飲みにゆく。花園神社で楽としたい。


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2008年12月30日 23:38に投稿された記事のページです。

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