輸血の結果が出るのは一箇月半後と聞かされた。理由はヘモグロビンの寿命がおよそ120日、すなわち100日ほどすれば輸血された血は死に絶える。ミジンコのようなもので、死に絶えると子孫が生まれる。ただし、その時に腎臓が生産するエリスロポエチンというホルモンが必要になる。エリスロポエチンが機能していると問題はないが、末期腎不全の患者のほとんどは機能していない。機能しないときは新たな療法を案じなければならない。もしくは二箇月ごとに輸血が必要になる。ところで、輸血というのは一種の臓器移植である。この先、他人の血に縋って生きのびるとなるとどこかで断ち切りたくなる。
本日の迅速検査結果レポートによれば、赤血球数364、血色素量(ヘモグロビン)10.4、ヘマトクリット34.9、血小板数33.3となっている。随分と改善された数値なのだが、下血がなくても一箇月後から数値がどんどん減ってゆくかもしれない。血というのは難儀なものである。
わたしは地上なんぞ思い出にすらならないと思っているので、タルホは願い下げだが、梅木さんが書かれているように、十分に物の世界を楽しんだ。物欲と性欲(性欲も物欲に違いないが)を満たすこと以外、現世に用事などあろうはずもない。従って思い残すことはなにもない、思い出を引っくるめて。
わたしは私小説的生き方をしているので、梅木さんのような恰好良い死に方は望むべくもない。恰好良いとの云い方に差し障りがあるなら潔いと置き換えても構わない。わたしは這いつくばって駄々を捏ねながら死のうとおもっている。