Facebookの友に佐々木治己さんがいらっしゃる。数日前に以下の文章を掲げている。
「先日、飲み屋で国家批判とは何かというようなことを話していたのだが、そこで私がプラトン「メネクセノス」を引用すると、足元をすくうように、「プラトンはアテナイ市民じゃない」と突然言われて戸惑った。今のご時世であれば、そこでスマホを取り出し、すぐにでも調べることができるのであるが、飲み屋の議論にインターネットは無粋である。」
このあと、プラトンとアテナイについて書き込みは続くのだが、そちらはどちらに転ぼうが、意に介さない。わたしが共感したのは、「飲み屋の議論にインターネットは無粋である」の一言である。
「まったく理解できます。佐々木さんの姿勢、好きですね」とわたしはコメントした。「ご無沙汰しています。このような姿勢になったのも、若い頃に、ですぺらで揉んでいただいたからかもしれませんね」との返答が戻ってきた。
さすが土方巽はじめ、さまざまな舞踏家や演劇人に鍛えられている。佐々木さんの精神の風通しの良さに感服した。
先日、拙宅でひとと話しながらずっとスマホを触っているひとがいた。二度と来るなと云いながら叩き出したが、その御仁には追い出された理由が分からないに違いない。わたしだって腹に据えかねることはあるのだが。