ですぺら
ですぺら掲示板2.0
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後世ならぬ同時代の友へ  | 一考    

 全374頁の内、本文はほぼ半分の191頁。しかも口絵が真ん中に挿入されるという奇想に充ちた一本でございました。なかでも圧巻は訳者前口上、語り手とアルベルチーヌの関係にとどまらず、「その連想や比喩、分析や思考の道すじはときに、すんなりと頭に入らないことがあるかもしれない。その場合はもう一度反芻しながら、ゆっくりと読み進めることをお薦めする。文体上の複雑さは作品が晦渋であることを意味しない」
 プルーストを読むうえで大いなる示唆を得ました。こちらこそ感謝いたしております。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 23:10 | 固定ページリンク




感謝いたしてをります  | 高遠弘美    

 後世ではなく、同時代にあつて、これだけ今回の仕事を評価してくださる方がいらつしやるといふことがどれほどわたくしを励まし、叱咤激励し、鞭撻してくださることでせうか。
 そして、駒井さんをはじめ、光文社の方々が拙訳「消え去つたアルベルチーヌ」に注いでくださつた愛情と熱意に、わたくしは心から打たれて、感謝申し上げてをります。
 今回ほど、拙訳に対して忝ないお言葉を頂いたことはありませぬ。これも三十六年近く、わたくしの人生の支へとなつてきてくれたプルーストのお蔭です。
 一考さん、駒井さんをはじめ、すべての方々に感謝いたします。
 ありがたうございました。これからも精進いたします。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2008年05月27日 22:19 | 固定ページリンク




鏡花の俳句  | 一考    

 「わが恋は 人とる沼の 花菖蒲 泉鏡花 意味」での検索が一昨日あった。この句の意味を検索したところでなにも出てきはしない。検索するのなら、それは自らのこころの内側である。索引で語を検索できても、文学は検索できない。なぜなら、文学とは文学するこころであって、情報ではないからである。ウェブサイトに文学にまつわる情報は顛がっているかもしれないが、文学とはついにウェブサイトとは無縁である。
 ここで云う「人とる」は字義通りであろうが、それでは面白くない。されば、「人とる」とは人のこころを捕るもしくは奪うの意として読み解きたくなる。それでなくとも、鏡花の俳句は鏡花の散文世界と切実に響きあっている。ボードレールのいうコレスポンダンスであろうか。従って、解釈は読み手によっていかようにも変化する、もしくは伸縮自在に読みうるところに俳句の俳句たる所以がある。
 「とる」には芸者や娼妓が客を迎えて勤めるの意もあり、いざないみちびくの意も含まれる。私などはいっそ人を危めるの意と取りたい。初夏、沼に咲く大輪の花菖蒲が人を殺める、恋心とはそのようなものである。こうなれば、鏡花の俳句のなかでもとびきり危険であり怖い俳句のひとつとなろうか。鏡花の句については、かつてですぺら掲示板1で書いたような記憶がある。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 20:38 | 固定ページリンク




キルケニー未入荷  | 一考    

 キルケニー入荷と書いたが、入荷は週末かもしくは来週にずれ込む。新製品のため、流通在庫はどこにもない。従って時間が掛かるのは当たり前である。繋ぎに単品で仕入れようかと思ったが、うまくいかない。やはり、待つしかなさそうである。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 19:38 | 固定ページリンク




「消え去ったアルベルチーヌ」  | 一考    

 先週の金曜日、駒井さんが来店。高遠弘美さんのプルースト「消え去ったアルベルチーヌ」の談議に終始した。のっけから細かいはなしで恐縮だが、グラッセ版をテキストに用いたため、著作権を取得しての翻訳となった。こういう場合はフランス側と翻訳者とのあいだで印税は折半となる。にもかかわらず、翻訳者に支払われる印税は八パーセント。フランス側へ支払われる印税は光文社持ちとなった。この一点をもってしても、彼の本書にかかわる姿勢のおよそが察知される。
 駒井さんは云う。ウーロン茶やトロピカルなど、酎ハイが持て囃される世の中にあって、かような生一本こそが私の造りたかった書物である。また、当企画を通すにいかばかりの苦労があったか、最終校では丸二日の徹夜を余儀なくされた等々、はなしは深更を通り過ぎて朝明けにおよんだ。
 彼が手掛ける「光文社古典新訳文庫」は売れている。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は通算で八十万部を超えてまだ躍進中である。長く翻訳書の売れ行きは低迷していたが、それに「新訳」との起爆剤でもって彼は応じた。聞くところによると、「消え去ったアルベルチーヌ」はドストエフスキーのそれにつぐ売れ行きだそうである。慶賀すべきことである。

 プルーストの文体は流麗である。さればこそ、文体に酔うことが可能な作品なのである。にもかかわらず、酔わせるプルーストはどこにもなかった。「失われた時を求めて」に幾度となく挑戦し、その度に敗退させられたのである。「二〇世紀の新しい文学」とはかくまで難解であり、読みづらいものなのかというのが私の偽らざる感想であった。これはプルーストに限らない、ジャン・ジュネにしてからが読むに忍耐が必要となる。原作者はきっとこのようなことを言いたいに違いない、との想像力を欠いては一頁すら読み進められないのである。
 先だって、「翻訳にあっては日本語の能力以前にフランス語の能力が問われる。翻訳はフランス語からの類比推理であって、いくら日本語に精通していてもそれだけでどうこうなるものではない。フランス語による思考回路を持ってはじめて馥郁たる日本語への置換が可能になる。そのような能力を有し、和文にも堪能したひとと申せば、高遠弘美を除いて他にはあるまい」と書いた。今般の高遠さんの「消え去ったアルベルチーヌ」は実に新訳を通り越して本邦初のプルーストの翻訳であった。
 読み進むうちに、高遠さんに全訳の意志ありと確信した。その旨を駒井さんに伝えたところ、覚悟ありとの明解かつ意味深い応えが返ってきた。プルーストは高遠さんの生涯の伴侶として相応しい。おそらく十五、六巻になるであろうことは必至。ここは一番、奮起していただきたく思う。

 朝まで酒を酌み交わしたと前述した。駒井さんへ次なる書冊のリクエストを繰り返し述べた。彼にわが国の翻訳の歴史を書き換えていただきたいからに他ならない。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 16:24 | 固定ページリンク




煙特集  | 一考    

 ドイツのリンブルグにはじまったウィスキー・フェアが人気を博している。会場向けのボトルが通年で売られるようになり、ウィスキー・フェアは全欧州へ拡がっている。そうして出来た新しいモルト・ウィスキーの客の四分の三がアイラ・モルトを嗜むという。それが理由でこのところアイラ・モルトが品薄である。アイラ島に八番目のキルホーマン蒸留所ができたのも、そのブームを見越してのことである。
 ブームとは怖ろしいものでアイラ島以外の蒸留所もヘヴィリー・ピーテッド・モルトに力を入れはじめた。アイル・オブ・ジュラ、ベンリアック、キャパドニック、アードモア、ベンローマック、スキャパ、グレン・スコシア、ロングロウなどである。もっとも、ロングロウは昔からだが。それに今までヘヴィリー・ピーテッド・モルトを造っていなかったブナハーヴン、ポート・シャーロット(ブルイックラディ蒸留所)、かてて加えるに山崎、白州、それで計十二種類となる。山崎、白州の変わりにブレッヒンとリンブルグのアードベッグでもかまわない。
 次回のモルト会は題して「煙を飲む」、田中屋の栗林さんのアイデアであり、彼の協力を得ることになった。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 03:57 | 固定ページリンク




キルケニー入荷  | 一考    

 ヒデキさんからキルケニーの罐が発売されたのを聞いた。さっそく一ケース註文、明日の夜には入荷するので明後日からは販売できる。
 キルケニーについては2005年3月15日のですぺら掲示板でヒデキさんが書いておられる。

 先日お話したキルケニーを扱っているお店の名前ですが、「アイリッシュパブ スタシェーン」でした。JRの駅構内にあるようなお店ですから、もうあちこちに出来ているものと思っておりましたが、現在はまだ上野、田町、西荻窪の三駅でのみ営業しているようです。
 http://www.nre.co.jp/stasiun/
 昨日も行ってきましたが、キルケニーはそれだけでも、あるいはギネスとのハーフ&ハーフでもやはりとてもおいしかったです。
 難しい条件のあることは先日も伺って承知しておりますが、貴店の素晴らしいスモークを肴にキルケニーを楽しみたいという気持ちを捨てきれないでおります。

 同じ年の3月20日には松友さんが書いておられる。

 西の地でキルケニーを頂戴しましたお店といえば三宮、いや元町の「ザ ダブリナーズ アイリッシュ パブ」でしたかしらと。ライオンチェーンのお店だったと思いますが確かにサイトで見ても神戸にはお店がないようになっています。往時は確か神戸の三宮と元町の間の海側で、大丸傍の東京三菱銀行の東隣のビルの地下辺り、階段を下りると片側がライオン、片側がダブリナーズでした(今は昔なので場所は間違っているやも)。同サイトですと、此方、赤坂にはあるようですので今度寄る機会があれば、です。取り合えずキルケニーはサイトには出ていますし・・・

 神戸ではギネスとのハーフ&ハーフでよく飲んだが、今の私にはキルケニー単品の方が好ましい。輸入元はサッポロ、これからは日々嗜むことができる。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月27日 03:27 | 固定ページリンク




近況  | 一考    

 このところモルト・ウィスキーの客で忙しい。雑誌のお陰もあり、他方ウェブサイトを覧てという客も多い。despera.comのカウントは増え続けている。ウェブサーバの統計によると一日五千件をコンスタントに超えた。ありがたいはなしである。
 客が増えればモルト・ウィスキーは減る。拙宅からのボトルの大量投与で急場を凌いでいるが、このまま行けば、あと一年ほどで在庫は尽きる。旧店舗で仕入れた収集品というか、ボトルが六百本はあった。それが目に見えて減ってきたのである。開店以来、この七箇月で既に二百本は注ぎこんだように記憶する。この二百本にはディスティラリー・ボトルの追加購入は入れていない。フードがなくなった分、なおさらモルト・ウィスキーの消耗が激しいのであろう。

 高遠弘美さんの「消え去ったアルベルチーヌ」を検索して訪ねる方が多い。私はといえば、四月十四日に同書の近刊予告を書いたのみ、実は送られてきた同書を日曜日にゆっくりと読ませていただくつもりにしていた。ところが前項の理由によって読書は不可能になった。急ぐ必要はあるまい、遅らせる方が愉しみが増そうというものである。
 同じ高遠さんの書き込みに影響を受けて著した「針聞書」のキャッシュを作りにロボットが日参している。そして同じキャッシュにバーン・スチュワートが挙がっていたが、こちらは生産量世界第三位のメーカーにしてブローカー、そして蒸留所のオーナーでもある。いづれ別項を設ける。

 鶴留さんへ一言。拙宅の書庫から吉行淳之介はなくなっていた。驟雨、原色の街はおろか、湯川書房で造った限定版、ご当人から寄贈された著書もである。残日は少ない、読み切れない書物は躊躇なく売りさばいている。散書の悲しみは集書の段階ではじまっている。あと十年余のあいだに蔵書はことごとく処分したく思っている。書物同様、人の存在も新陳代謝である。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月24日 14:17 | 固定ページリンク




林礼子さんと野溝七生子  | 一考    

 名古屋で人間社を営む高橋正義さんから「ぱうぜ」終刊号の寄贈にあずかった。昨年五月五日、肝硬変にて逝去された林礼子さんの追悼号である。
 「ぱうぜ」は音楽の休止符、ドイツ語で「ぱうぜ」と発音する。いとすこしの休憩の意で林さんは用いていた。二十年来書き続けた「作家」を退去し、発表の場を個人誌「ぱうぜ」に求めた。
 追悼号には「終焉の確認」「湯ヶ島 小さな文学室」そして「手紙の中から」と題する文章が収められている。「終焉の確認」には「昭和一桁生まれの私が青春時代に憬れた作家たちは、一部を除いて、ならして貧しかった。十代の私には、その貧しささえ憬れに値した。権力なんて無縁でいい。評価は低くて結構。必要以上の付き合いはしたくない。そのかわり親切で優しかったと言われたいなどと思ったりした」とある。
 肝硬変から癌に進んで三年を経て、なお生きながらえる彼女の矜持のようなものがせつせつと伝わってくる。全文を引用したいのだが、そうもいくまい。せめて、辻潤の箇所だけでもと思う。

 辻潤の貧乏振りはまたいちだんと凄まじかった。妻が大杉栄に走り揚句に虐殺されたことに、どれほど心を痛めたことだろう。私の知人である脇とよさんは、辻潤、無想庵などと同じ時代に生きた女性であったが、狂人のごとく乞食姿で現れ座敷に陣取る辻潤に困惑しながら、それでも酒をふるまい自分の食事を食べさせた人である。晩年のとよさんを老人施設に訪ねたおり、とよさんははにかむように私に尋ねた。「礼子さんは無想庵と辻潤とどちらが好きなの」と、そして私の答えを待たずして「私は辻さんの方が好き」と加えた。私はとよさんの穏やかな表情を見つめながら涙がでた。「辻さんは優しくて、頭もよくて才能もあった人だけれど、あまり貧乏すぎたのよ」と、とよさんは辻潤をどこまでも弁護した。辻潤の死因は餓死であった。アパートの部屋でたった独りで死去した。びっしりとついていた虱さえも、死体となった辻を見捨ててゾロゾロと離れていったのだと聞いた。それでも辻はその貧しさの中で作品をたくさん生み出している。

 林さんは「虚無思想研究」第十一号へ「辻潤と野溝七生子—辻潤没後五十年に寄せて—」を寄稿している。そう、林さんといえば、野溝七生子や辻潤を繙く者にとって、馴染みの作家である。野溝七生子の姪御さんで、著書に「希臘の独り子──私にとっての野溝七生子」がある。「希臘の独り子」とは「山梔」の由布阿字子が自らにつけた名前である。矢川澄子にとっての野溝七生子が「ヌマ叔母さん」なら林さんのそれは「ナア叔母様」だった。
 高橋正義さんが朝日新聞へ追悼文を掲げている。

 個人の思いが強ければ強いほど、世間との折り合いが困難となるのは常だが、林さんもその一人だったのだろう。常々「生きにくさ」を自覚していた林さんは、「そういうときは一切合切を棄て、もう一度生き直す」ことを信条としていた。「野溝の血を書く」と語っていた言葉は、イコール「生きにくさ」を書くことでもあった。世間智に長けていない者ゆえに身につけた処世の術を、作品に登場させる「私」に込めて書き続けた。品性を失わなければ敢然と立ち向かっていけると書けば書くほど、立ち向かうことの孤絶もまた浮き彫りになるようだった。

 「十代の頃から長い間自殺志願者だった私」すなわち林さんの生死が透けてみえるような文章である。今回、その高橋正義さんのご協力を得て、私家版で上梓された「希臘の独り子──私にとっての野溝七生子」を五部ほど店に取り置くことになった。野溝七生子に、そして林礼子に興味をお持ちの方はですぺらへどうぞ。

追記
 林礼子さんの晩年は不遇だった。社会福祉や戦争資料館開設などに奔走するも中途で手を引き、作品集の出版すらが平成元年で跡絶える。そうした頓挫の繰り返しは自ら招いたもの、個として生きるとは真面目な煩悶に身を曝すことに他ならない。世間を狭めて生きた一人の作家の夢中の呻吟が聴こえてくる。野溝七生子から尾崎翠、吉屋信子、森茉莉、矢川澄子といったガーリッシュな私小説の系譜がここにもある。
 他に「セシリアの笛」(昭和五十八年二月 作家社刊)、「名古屋今池界隈」(昭和五十八年二月 鳥影社)あり。「希臘の独り子」は昭和六十年十二月に林礼子出版事務局から刊行された。
 昭和八年一月十六日生れ、母の名は澄子。野溝家は豊後竹田(大分)の旧家で、軍人の父のもとで七番目に生れたのが七生子、五番目の男子のもとに生れたのが林礼子さんです。戸籍名は山崎禮子。
 若くして多くの文士と親交を持ち、平塚らいてうを知ったのも「ナア叔母様」の紹介になる。「紅爐」を主宰した島岡明子さんとは特に近しく、辻潤に関するエッセイをまとめた「孤影の人」の著者、脇とよさんとも行き来があった。平成六年、今池の酒場「ぱうぜ」で催された「ダダイスト辻潤展」は彼女の尽力によるもの。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月20日 22:23 | 固定ページリンク




オフィシャル・ボトル  | 一考    

 業界とか専門という言葉ほど嫌なものはない。「ありそうでウッフンなさそうでウッフン」というのが業界や専門家の意味合いであろう。ひとは同業者仲間だけを対象に生きているのではないし、一本やりで生きられるものではあるまい。「業界人」のような閉鎖的文言をことさらに強調するひとを私は小馬鹿にしている。
 さて、その業界ならぬウィスキー好きのひとと昨日の午後は一緒だった。ちなみに、モルト・ウィスキーを嗜む方で私が尊敬するのはわが国に五人しかいない。わずか五人では「業界」にならない。そのうちの二人と昼下がりの晤語を愉しんだのである。もっとも、それが理由で愉しみにしていた読書が後回しになってしまったが。
 モルト・ウィスキーの世界は近頃、マニアによって穢されている、という話になった。その典型がオークションである。ウィスキーは書物と同じで、売り急ぐものでも買い急ぐものでもない。また、飲むものであって蒐集するものではない。況や、嗜好品への知識が自己表現になるなどとは決して思わない方がよい。にもかかわらず、どのような世界であれ、その途のプロらしきひとが居、訳知り立てが幅を利かすのは困ったものである。

 実はコニャックの原稿の進捗を確認に行ったのだが、逆に催促されてしまった。昨今ウィスキーに関する書物は多いが、土屋さんの著書を除いて総花的な概略本ばかりであり、香味についてのオリジナリティに欠ける。蕃椒三羽烏のダルユーイン、ピティヴェアック、グレンキンチーだとか、スペイサイドの香りの迷路を代表するのはブレイヴァル、クラガンモア、バルヴィニーの三種などという意見を貴方が書かなければ誰が書くのかと叱責される始末。タイトルには「一考のぐでんぐでん」がよいとか「へべれけ一考」だとか勝手なことをいう。
 そう云えば、十年ほど前、モルト・ウィスキーの稿を書こうとして資料の整理を試みたことがあった。恰度そのころからであった、ボトラーが無闇と増えて手が付けられなくなった。88年に三社しかなかった瓶詰業者が十年後には六十社ほどに増え、今では百社を軽く超えて実体は藪の中。ペーパーカンパニーやプライヴェート・ボトラーを入れると雲を掴むようなはなしになった。それでも上京後、二、三年はがんばってみたが泥沼はますます深くなるばかり、その後はすっかり諦めてしまった。
 ユナイテッド・ディスティラーズ社の「花と動物シリーズ」は「クラシック・モルト・シリーズ」に収録されなかった蒸留所のモルト・ウィスキーを90年代に入ってからボトリング。当初は蒸留所の売店もしくは近隣での販売を目的としたため、蒸留所周辺に棲息する動物や植物の絵柄をあしらい、土産品としての付加価値を高めた。同シリーズは「クラシック・モルト・シリーズ」とは異なり、オーナーズ・ボトルであってもディスティラリー・ボトルではない。どれもこれもシェリー香が強く、美味すぎるのである。カリラなどはその典型で、飲めば飲むほどにカリラの実体から離れてゆく。94年からはじまった「レア・モルト・セレクション」三十一種はさらにその傾向が顕著であった。
 シェリー酒とウィスキーの生産量が逆転するまで、モルト・ウィスキーはシェリー樽で熟成されていた。それを考慮すれば、ユナイテッド・ディスティラーズ社の商品は伝統的な熟成法に則ったものといえる。確かに同社のダブル・マチュアードはよく考えられてい、タリスカーなどは際立って美味い。
 現今のブームともいえるモルト・ウィスキーの需要を担ったのはゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社、シグナトリー社、そしてユナイテッド・ディスティラーズ社の四社である。ユナイテッド・ディスティラーズ社は業界最大のブローカーであり、88年創業のシグナトリー社は当初ケイデンヘッド社から樽の供給を受けていた。
 「花と動物シリーズ」二十七種のシリーズに先行する形で、アバフェルディ、インチガワーなど、ラベルに蒸留所の絵を刷り込んだボトルが80年代に頒布されていた。やがて「花と動物シリーズ」は2001年のリリースを最後に中断された。今では流通在庫が五、六種類頒されているのみ。オーナー会社のユナイテッド・ディスティラーズ社(現ディアジオ社)はボトラーズとしての役目を終え、蒸留所は自らオリジナル・ボトルを拵えるようになった。それが和製英語でいうところのオフィシャル・ボトルである。
 90年代ならまだしも、今世紀に入ってからは概略本など、なんの意味も持たなくなってしまった。というのも、蒸留所がボトラーズに倣ってシングル・カスクを出すに至り、ボトラーズ・ボトルとディスティラリー・ボトルの色分けが意味をなさなくなってしまったのである。この傾向は今後ますます強くなってゆく。
 二年ほど前にモルト・ウィスキーは輸入総量で中国に追い越され、昨年は台湾にも追い越されたと聞く。台湾ではストラスアイラのがぶ飲みが流行りとか。アジアで三位の消費量とは申せ、その差は間違いなく拡がるばかりであろう。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月19日 22:58 | 固定ページリンク




モルト会解説  | 一考    

ですぺらモルト会(ブレイヴァルとクラガンモアを飲む)

 クラガンモア '90(マーレイ・マクデヴィッド)
 バーボン・カスクの11年もの、46度のシングル・カスク。
 マーレイ・マクデヴィッド社はグラスゴーとロンドンに店を持つ瓶詰業者。オーナーのゴードン・ライトのファミリーは1828年以来、スプリングバンク蒸留所を経営。「スプリングバンク」のディスティラリー・ボトル同様、すべての商品は46度に調整されている。2001年初頭、アイラ島のブルイックラディ蒸留所をジム・ビーム・ブランド社より買収。また、マッキンタイアという瓶詰業者のボトルが時折日本でも出まわるが、これはマーレイ・マクデヴィット社がドイツの輸入会社のために瓶詰、すべてがカスク・ストレングスである。
 同社のボトルの裏ラベルには必ず繰り言が著されている。例えば「アードベッグ」のラベルでは、蒸留所をわが社に売らず、何故グレンモーレンジ社に売却したのかといった類である。「ラフロイグ」も然り、ディスティラリー・コンディション以外のボトルが頒布されるのを嫌がった同社との間に訴訟騒ぎを起こしている。結果、わざとラフロイグのスペルを誤植させ、お茶を濁す始末。かかる生臭さに私などは惹かれるのである。最近、「ミッション」と題して長期熟成のコレクションを頒布している。

 クラガンモア '89(ヴァン・ウィー)
 アルティメットの一本。オーク・カスクの12年もの、43度のシングル・カスク。
 ヴァン・ウィー社は1921年に煙草の卸業者としてオランダのアムステルダム郊外に設立。マッカランやグレンファークラス等の蒸留所元詰めや、ゴードン&マクファイル社やケイデンヘッド社のボトラーズ・モルトをオランダで最初に輸入。1994年からアルティメットの名でコレクションを頒す。シングル・カスク、ノンチル・フィルター、ナチュラル・カラーを順守し、モルト愛好家の期待に応えている。
 わが国へは2000年1月入荷のスプリングバンクが最初。同年6月以降は順次輸入されている。
 同社のホームページはこの種のものとしては傑出している。情報量の多さもさることながら、マイケル・ジャクソンに倣い、すべてのボトルに点数を設けています。蒸留所の写真も豊富に掲載されてい、モルト・ファンなら覗かずにはいられないホームページ。
 (http://www.awa.dk/whisky/windex.htm)

 クラガンモア '89(キングスバリー)
 3年ぶりのオリジナル・ボトル。ホグスヘッドの11年もの、46度。396本のシングル・カスク。
 元イーグル・サムという会社名でキングスバリー・シリーズを発売している。社名もそれにならいキングスバリーと改称され、本拠地もキャンベルタウンからアバディーン、そしてロンドンへ移された。現在ではワインと蒸留酒全般を扱う。
 ボトラーのケイデンヘッド社の子会社。着色、添加は一切行わず、濾過はペーパー・フィルターのみ使用。すべてがシングル・カスクであり、蒸留年月日、瓶詰年月日、樽の種類等、モルトの性格を識るに必要な項目はラベルに記載されている。なお、ラベルに著されたテイスティング・ノートは鑑定家ジム・マレーの手になるもの。
 2000年4月「ケルティック・コレクション」が新たに頒された。ケルト文字をあしらった美しいデザインのラベル、中味も秀逸なコレクションである。ついでハンドライティング・シリーズを頒布。その名のとおり、ラベルがハンドライティングで仕上げられている。オリジナルとケルティック・コレクションに次ぐシリーズ。

 クラガンモア '89(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。オーク・バットの12年もの、59.2度のカスク・ストレングス。678本のリミテッド・エディション。
 ケイデンヘッド社は1842年、エディンバラにて創業。現在はキャンベルタウンを本拠地とし、エディンバラのキャノンゲートとロンドンのコヴェント・ガーデンに店舗を持つ。スコットランド最古のインデペンデント・ボトラーにして、ゴードン&マクファイル社と共に業界の雄。オーナーはJ&Aミッチェル社でスプリングバンク蒸留所とは同資本。「オーセンティック・コレクション」「オリジナル・コレクション」「ボンド・リザーヴ」「チェアマンズ・ストック」等のコレクションがある。着色と低温濾過を施さず、樽と樽とのヴァッティングも一切行わない。一樽限定のシングル・カスクという贅沢な飲み方を世界に広めた第一人者。子会社にダッシーズ社とイーグル・サム社(現キングスバリー社)があり、サマローリ社やスコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティー社等、多くのボトラーに樽を供給している。ユナイテッド・ディスティラーズ社のボトルに満足せず、さらなる刺激をお求めの方にお薦め。

 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)※
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
 熟成年とアルコール度数を感じさせない柔らかさを持つ。コーヒーやビターチョコレート、グレインや皮、マディラ酒などの香り。加水すると、スモーキーさからウッディな芳香へ、さらにナッツ系の香りへと変化してゆく。ハーブやスパイス(月桂樹・胡椒の実・ナツメグ等)のキャラクターを内包。さまざまな暗示があり、名状し難い複雑な味わいを呈している。
 ディスティラリー・ボトルとしてディアジオ社のクラシック・モルト・シリーズに12年ものが入っている。飲み口の柔らかさと豊潤なこくと香り、そのバランスのよさと華やかなフレーバーはモーツァルトのシンフォニーに例えられる。評論家マイケル・ジャクソンの採点ではマッカランに次ぐ高得点。名実共に、スペイサイドを代表する銘酒。オールド・パーとアンティクァリーのメイン原酒。
 ディスティラリー・ボトルは先頃ラベルが変わったが、香味に変化はない。他にダブルマチュアードのポートとフレンド・オブ・クラシックの14年もの、さらに29年ものカスク・ストレングスが頒されている。

 クラガンモア・カスクストレングス '88(DB)※
 リフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年もの、55.5度のディスティラリー・ボトル。5970本のリミテッド・エディション。
 10年ものより、色は淡く、香味は確実に複雑。スティルの独特な形状により、蒸気中の不純物がローワインに戻され再凝縮する「リフラックス」のよさを最大限に活かす。つねに芳香が変化する様はバルヴィニーのシングル・カスクと双璧。表現力豊かなクラガンモア。
 それにしても、10年ものをスパニッシュ・オークのシェリー樽、17年ものをアメリカン・オークで熟成するところは非凡。10年であればカスク由来の変化に富む香味の力を借り、17年であればこそカスクによる変化を拒む、ブレンダーの卓越した妙技に感服。

 クレディタブル '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。25年もの、50度のプリファード・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。中味はクラガンモア。
 蜂蜜と柑橘系のスイートな香り、香草を食むような膨(ふく)よかな味わい。水際立った切れ上がりのよさ、嫋々(じょうじょう)たる余韻。
 ダグラス・レイン社は1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼輸出業者。1999年よりオールド・モルト・カスクと題するシングル・モルトのコレクションを頒布。現在はオールド&レア・プラチナ・セレクションにも力を入れる。ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営み、ミルロイ兄弟とは親しい。
 アルコール度数を50度に限るのが同社のポリシーだが、熟成期間が長く、アルコール度数が50度未満のものはカスク・ストレングスとして頒される。50度を越える高アルコールのボトルは望むべくもないが、稀少品が多く、比較的コンディションもよい。ポート・エレンをはじめ、入手しにくい蒸留所の長期熟成品のボトリングがこのところ続いている。現在、最も活躍しているボトラーである。

 ブレイヴァル '96(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・バットの9年もの、46度。 
 プロヴァナンスとはグラスゴーのインデペンデント・ボトラー、ダグラス・マクギボン社のコレクションの総称。同社は1949年に創設。創業者のアゥルド・ダグラス・マックギボンは現在のオーナーの祖父。彼はアイラ島で水没した蒸留所、ロッホインダールとポートシャーロットのマッシュハウスの責任者で、スコッチウイスキーへの愛情とこだわりは、研修生としてブルイックラディ蒸留所で働いていた時代に育まれた。スコッチウイスキーの販売をはじめてから頑なにノーカラーリング・ノーチルフィルターリングを貫く。ラベルの左側には彼らのモルトウイスキーへのこだわりが、そして右側にはテイスティングノートが、そして特筆すべきは春夏秋冬と蒸留したシーズンによって異なるラベルカラーと風景画を用いている。

 ブレーズ・オブ・グレンリヴェット '85(シグナトリー)
 オーク・カスクの16年もの、43度。432本のリミテッド・エディション。
 ソフトな中甘口、噛み応えのあるボディ。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティル」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」や「ストレート・フロム・ザ・カスク」ドイツ向けに「ザ・シングル・シングル・モルト・コレクション」「ナチュラル・ハイ・ストレングス」日本向けに「ザ・フラゴン・コレクション」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いが愉しめる。
 同社のカスク・ストレングスにあって、ダンピー・ボトルのシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。上記シリーズに取って代わったカスク・ストレングス・コレクションは同社の総力を挙げての快挙。グレンキース蒸留所で実験的に造られたクレイグダフ等が入っている。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '77(キングスバリー)
 オーク・ホグスヘッドの19年もの、48.9度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 蒸留所名はブレイヴァル。シーバス・リーガルの原酒モルトのためディスティラリー・ボトルはなく、インデペンデント・ボトラーを介してやっと入手可能になった。しかし、1994年にグラスゴーにおいて設立された瓶詰業者アベルコ社がシーバス・ブラザーズ社の許可の下でディアストーカーを販売。10年、12年、18年の三アイテムがリリースされた。12年と18年はバルミニックだが、10年はブレイヴァル。準オフィシャル・ボトルといえる。
 同10年ものは熟したグスベリーと西瓜のふくよかな香り。ライトボディにしては華麗で長いフィニッシュ、歯ごたえさえ感じさせる。ちなみに、マイケル・ジャクソンやジム・マーレイなどウイスキーの専門家も高く評価している。
 なお、二回目のリリースでは12年ものの中身がアルタナベーンになっている。ラベルに蒸留所名が記載されているので、購入時には確認が必要。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '89(ダンカン・テイラー)
 ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの18年もの、50.2度のカスク・ストレングス。347本のリミテッド・エディション。
 ダンカン・テイラー社は1961年にアラン・ゴードン氏によって設立、ダフタウンから東へ20キロ、ハントリーの町にオフィスを構える。ブレンデッド・ウィスキーの「グレン・アルバ」「スコティッシュ・グローリー」「グレンダロッシュ」やシングル・モルトの「ウィスキー・ガロア」などの商品を持つウィスキー・メーカー。
 2002年5月、新たにザ・ピアレス・コレクションを頒布。21年以上熟成されたシングル・モルトとシングル・グレーンを専門に扱う。同コレクションは元々B・デヴェロップ社から頒されていたが、その商標をテイラー社が買い取ってラベルを新たにしたもの。デヴェロップ社のボトルはわが邦には未入荷。なお、ハート・ブラザーズ社の長期熟成のモルトはダンカン・テイラー社の提供になるものが多い。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '75(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。32年もの、43度。
 前回は25年ものだった、実に七年ぶりのボトリング。蒸留所創業二年目のウィスキーだが、香味共に非の打ち所がない。
 アルタナベーンとは兄弟蒸留所だが、こちらは重厚な味わい。メイプルシロップや干し葡萄の甘い香り、蜂蜜のような深くまろやかなこくとオレンジ・ピールの風味。フィニッシュは長くドライ。かかるボトルを飲むとカスク・ストレングスにこだわる理由が薄らいでくる。創業は73年と新しいが、ストラスアイラ、グレンキースと共に傑出したモルト。ストラスアイラが甘すぎるという方に強くお薦め。

追記
クラガンモアに関しては、もう一度飲み会を催すに必要なボトルの在庫がある。いずれ機会を持ちたい。
このところ、瓶詰業者について出来るかぎり書くように心掛けている。併し乍ら、頻繁にオーナーもしくは系列が変わるため、間違いも多かろうと思う。ご一報くだされば幸いである。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月18日 21:33 | 固定ページリンク




週刊文春  | 一考    

 ですぺら紹介文が掲載される週刊文春の発行日が22日の木曜日に決まった。巻末の「ニュースなレストラン」がそれで、見開きで載る。料理通信の君島佐和子さんに感謝。
 それにしても、高級モルト・ウィスキーの紹介になってしまった。もう少し、安価なものを事前に選ぶべきだったと、これは私の反省である。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月17日 20:16 | 固定ページリンク




ボトラーとラベラー  | 一考    

 成城石井卸売本部の東京ヨーロッパ貿易がウィスキーの輸入から撤退するようである。同社は焼肉チェーン「牛角」などで知られるレックス・ホールディングスの傘下にある。それが理由かどうかはここでは記さない。ただ、成城石井はエディンバラの瓶詰業者ウイルソン&モーガン社の代理店である。
 ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者なのである。
 日本ではサマローリが有名だが、サマローリはブレシアの酒商で、ケイデンヘッド社とその子会社ダッシーズ社と太いパイプを持っている。要するに、樽の大半はケイデンヘッド社から提供を受けている。全体量が少ないのでコレクターズ・アイテムとしての評価を受けているが、私はボトラーならぬラベラーとして認識している。ケイデンヘッド社から樽の供給を受けるという点に於いて、キングスバリーやスコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティーと似ている。

 かつてホームページに以下の文章を掲げた。
 「1996年以降、モルト・ウィスキーを扱う業者が急速に増えている。記載したインデペンデント・ボトラーズ以外にも、エディンバラ周辺ではウェイヴァキー・ヴァントナーズ、フォース・ワイン、ルヴィアン・ボトル・ショップ、ロイヤル・ミル、ヴィルヌーヴ・ワイン等、グラスゴー周辺ではペックハム&ライ、ウィリアム・モートン、ギャヴィン・リドル、ワラセス・エクスプレス、セントラル・キャッシュ&キャリー等、ロンドン市内ではオドビンス、ザ・ヴィンテージ・ハウス、ザ・ウィスキー・エクスチェンジ等のカンパニーがある。
 ウィスキー業界ではブローカーが中心的役割を占める。ブローカーは大量に購入したモルト・ウィスキーをブレンド業者やインデペンデント・ボトラーズに販売する。桶買いならぬ樽買いである。その樽買いと、昨今のモルト・ウィスキーのブームが相乗し、瓶詰業者のボトルの洪水がはじまっている。過去、モルト・ウィスキーを扱っていなかったワイン商や食料品店がプライベート・ボトルを販売。聞くところによると1998年以降、年間に輸入されるボトルは軽く一千種を越えるという。愛好家にとってはうれしい悲鳴だが、蒸留所は苦い思いを噛みしめている。ボトラーズの扱うウィスキーが、ディスティラリー・ボトルの売れ行きを抑制しているのではないかとの疑惑がそれである。事実、ボトラーズへ流れるモルト・ウィスキーが急速に減っているようである。このところU.D.V(ディアジオ)社とボトラーズとの間に諍いが絶えず、蒸留所名を明記しないインデペンデント・ボトルが増えている。かかるボトルはシングル・カスクとしてボトリングされることが多く、美味なものが大半を占めるにもかかわらずである。このままでは瓶詰業者は自らの首を絞めることになるかもしれない。洪水の要はないが、適度なチョイスは残してほしいものである」

 文中、「一千種を越える」とあるが、今ではその二、三倍のボトルが輸入されている。そして、自前の熟成庫を持つボトラーを除けば、ほとんどのボトラーは決まったブローカーまたは大手のボトラーから樽を購入している。従って、弱小のボトラーは淘汰されてゆく運命にある。数年後には大手五社だけが生き残るだろうとの悲観的な見方すらある。ちなみに大手のボトラーが所有する樽数は以下のごとし。

 イアン・マクロード社 20,000樽(グレンゴインを除く)
 ゴードン&マクファイル社 17,000樽(ベンローマックを除く)
 シグナトリー社 12,000樽(エドラダワーを除く)
 ダグラス・レイン社 10,000樽
 ダンカン・テイラー社 4,000樽

 この辺りで、ボトラーとラベラーとの識別をすべきではないかと思う。いかにユニークとはいえ、ラベル一枚に高い金数を払うがごとき、無駄な浪費は止めるべきだと云いたいのである。「蒸留所は苦い思いを噛みしめている」とも書いた。しかし、その蒸留所が十万円を超えるボトルを陸続と頒布しはじめたのも問題である。アードベッグやラフロイグの一部の商品の値付けには疑問を挟まざるを得ない。
 さて、リーズナブルな商品を多くリリースし、常識的なプライスを保ってきたウイルソン&モーガン社のボトルがT酒店で売られている。マッカラン、グレンリヴェット、グレングラント、グレンフィディックのような世界の酒が一方に在っても構わない。ただ、ウィスキーはスコットランドの地酒である。地酒には地酒としての嗜み方がある。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月17日 06:26 | 固定ページリンク




新入荷のボトル  | 一考    

 アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
 頗るユニークにして、かつ巧緻な味わいのアードベッグ。微かなバニラ香を持つミディアム・ボディ。口に含むと甘いフローラルな味わい。ただし、ラスト・ノートは正真のアードベッグ。ゴードン&マクファイル社の加水タイプと比してはるかにソルティー、長く続 くフィニッシュは申し分なし。
 フローラルな味わいの理由はポート・エレンのモルトを使用したこと。かかるボトルがコレクターズ・アイテムになるのなら異議はない。

 アードベッグ・スティルヤング '98※
 ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
 04年発売のベリー・ヤングに続いて06年に発売。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。本品についで08年にオールモストゼアが発売された。他にコミッティー・ヴァージョンやウィスキー・フェア用に異なるヴィンテージのものがボトリングされている。

 アードベッグ・オールモスト・ゼア '98※
 ディスティラリー・ボトルの9年もの、54.1度のカスク・ストレングス。
 04年発売のベリー・ヤング、06年発売のスティルヤングに続いて08年に頒された。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。本品が最終のボトルである。しかし、前二者とは異なって噛み応えと香味に深みあり、一年の差とは思われない。

 ボウモア・カスク・ストレングス※
 ディスティラリー・ボトル、56.0度のカスク・ストレングス。
 本品はなくなるまでの特価販売です。

 スプリングバンク・ブラック・ファウンダーズ16年
 08年4月発売のロッホデール社のサード・リリース。46度のミディアムボディ。
 前回のブルー・ファウンダーズから5年、これまでは、ビンテージ、熟成年の記載がなかったが、今回はより熟成を経た16年ものとしてボトリング。
 芳醇で甘く滑らかな味わい、フルーツ香とクリーミーなココナッツ、かすかなスモーキー・フレーバーガ織りなすクラシカルなスプリングバンク。美味。

 グレンキース '85(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。17年もの、43度。
 モンゴメリーズ社のグレンキースはオフィシャル・ボトルと比してべっこう飴の芳ばしさに少し欠ける。これはボトラーのグレンキースに共通して言えることで、シェリー香がより弱く、やや辛口に振られている。ちょうど、ゴードン&マクファイル社のマクファイルとオフィシャルのマッカランの関係に似ている。私はボトラーの方が好きなのだが。
 モンゴメリーズ社はマキロップ社と共にアンガス・ダンディ社の傘下。なお、マルコム・プライド社はアンガス・ダンディ社と同資本のカンパニー。なにを言いたいかというと、玉石混交だということ。でも、グレンキースは2001年にペルノリカール社によって買収されたものの、2000年から休止状態が続き、どうやら取り壊されるもよう。ボトラーへの出荷が極端に少ないので、流通在庫はローズバンクよりはるかに少ない。飲むなら今のうち。

 ストラスアイラ '91(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
 ダグラス・マクギボン社は1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社とは兄弟会社。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。「クライズデール」同様、熟成年数の若いモルトが中心だが、共に品質のよさでは一頭地を抜く。
 本品は記載はないものの、リフィール・シェリーと思われる。ストラスアイラは多くのカスク・ストレングスがボトリングされているが、本品は他と比してまろやかさで卓れる。

 ストラスアイラ '89(クライズデール)
 9年もの、63.3度のカスク・ストレングス。290本のリミテッド・エディション。
 ザ・クライズデール・オリジナル・スコッチ・ウィスキー社は熟成5年から10年の比較的若いカスク・ストレングスをシングル・カスクにて瓶詰め。他のボトラーとの差別化を図る。低温濾過、加水、着色を一切行わず、モルト・ウィスキーの素地を知るには最適。ダグラス・マクギボン社の「プロヴァナンス」と共に一押しのコレクションである。総称の「クライズデール」とはグラスゴー近郊にかつて存在した蒸留所名。昨年、ボトルをリニューアルした。ブラッカダーのジョン・レイモンドが選んだ樽からボトリング。ブラッカダーのセカンド・ラベル的存在。

 ストラスアイラ '89(アバディーン)
 オーク・カスクの13年もの、62.5度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 アバディーン・ディスティラーズ社は1993年頃、スコットランド北東部のアバディーンで設立。ヨーロッパ市場向けのボトリングだが、過去一度、スリーリバーズによって極少量が日本へも入荷している。本品はその一本。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月16日 22:14 | 固定ページリンク




キルホーマン  | 一考    

 ウォンズ パブリシング リミテッドが発行する「WANDS」2007年1月号へ土屋 守さんが寄稿なさっている。「2006年 スコッチ業界に起きた新しい動き」がそれで、昨今のマイクロ・ディスティラリーの動きについて詳述している。

 http://www.wine.or.jp/wands/2007/1/scotch.html

 十八枚ほどの稿なので、ぜひお読みいただきたい。文中、アイラ島で八番目となるキルホーマン蒸留所について触れられている。キルホーマンが入荷したのは先月のこと、2007年12月20日蒸溜、2008年2月8日のボトリング、アルコール62.4度のニュースピリットである。フェノール値は50ppm、ラフロイグと同じである。
 売価は5000円ほどで発売即完売、しかし七月には再入荷。その理由は日本のファンの熱烈なニーズに応えたいとの由。どことは書かないが、某酒店では50ミリリットルのミニチュア瓶を2980円で発売したと聞く。そのようなものに集るのは蠅か蛆と決まっている。それにしても、一部のモルトファンの見苦しさ、またそれに付け入る業者の浅ましさには反す言葉もない。蒸留所にしてからが、ニュースピリットを売ってでも金を稼がなければならないとしたら、なんのための蒸留所かと問い質したくなる。ウィスキーとは年月の掛かるものなのである。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月16日 19:32 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

5月24日(土)の19時から新装開店後、五度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11500円、今回はかなり割安になっています。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
なお、ブレイヴァルの08番と12番は新規入荷品です。
スペイサイドでもっとも香りが豊かなウィスキーはブレイヴァル、クラガンモア、バルヴィニーの三点です。なかでも、ブレイヴァルは評価するひとが少ない蒸留所ですが、店主が好きなモルト・ウィスキーです。
シーバス・リーガルの原酒モルトのためディスティラリー・ボトルはなく、インデペンデント・ボトラーを介してやっと入手可能になったウィスキーです。蒸留所名はブレイヴァルですが、ブレイヴァルもしくはブレイズ・オブ・グレンリヴェットの名でボトリングされています。ザ・グレンリヴェットとは全く無関係です。
シーバスへ原酒を提供する蒸留所のうちグレンキースは2001年にペルノリカール社によって買収されたものの、2000年から休止状態が続き、どうやら取り壊されるもよう。ボトラーへの出荷が極端に少ない蒸留所なので、極めて入手がむずかしくなりました。グレンキースとストラスアイラの飲み会を催さなければと思いつつも、店の在庫が急速になくなってしまいました。それ故、ブレイヴァルをモルト会で採りあげることになったのは嬉しく思います。オレンジ・ピール、オレンジ・リキュール、ハニーのさんざめく甘味と潤いのある香味をお楽しみ下さい。

ですぺらモルト会(ブレイヴァルとクラガンモアを飲む)

01 クラガンモア '90(マーレイ・マクデヴィッド)
 バーボン・カスクの11年もの、46度のシングル・カスク。
02 クラガンモア '89(ヴァン・ウィー)
 アルティメットの一本。オーク・カスクの12年もの、43度のシングル・カスク。
03 クラガンモア '89(キングスバリー)
 ホグスヘッドの11年もの、46度。396本のシングル・カスク。
04 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)※
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
05 クラガンモア '89(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。オーク・バットの12年もの、59.2度のカスク・ストレングス。678本のリミテッド・エディション。
06 クラガンモア・カスクストレングス '88(DB)※
 リフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年もの、55.5度のディスティラリー・ボトル。5970本のリミテッド・エディション。
07 クレディタブル '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。25年もの、50度のプリファード・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。中味はクラガンモア。
08 ブレイヴァル '96(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・バットの9年もの、46度。 
09 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '85(シグナトリー)
 オーク・カスクの16年もの、43度。432本のリミテッド・エディション。
10 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '77(キングスバリー)
 オーク・ホグスヘッドの19年もの、48.9度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
11 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '75(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。32年もの、43度。
12 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '89(ダンカン・テイラー)
 ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの18年もの、50.2度のカスク・ストレングス。347本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年05月15日 12:05 | 固定ページリンク




齋藤亮一さんの写真  |   一考

ですぺら・一考氏 撮影:齋藤亮一

 「TASINAMI(嗜み)」創刊号(2008年3月20日刊、文藝春秋社)で、「今宵いつものバーで」と題して、佐々木幹郎さんが六頁にわたってですぺらを紹介してくださった。
 雑誌に掲載されなかった写真の数々が後日、写真家の齋藤亮一さんから送られてきた。前項に続く私の露出趣味であり、晴れがましいのでその内の一枚を紹介する。掲示板へ載せるために無断でトリミング、遺影に使おうかと思っている。
 幹郎さんが相手なので話が弾む。いささか生真面目な表情だが、これは喜んでいる顔である。


投稿者:   一考  日時: 2008年05月09日 11:30 | 固定ページリンク




蕁麻疹騒動  | 一考    

 二十歳のときに封じ込めたはずの蕁麻疹がふたたび発症したと思った。左顔面と耳朶、首全体に発疹が顕れたのである。とにもかくにも痒くて居た堪らない。近所の薬局へ飛び込んだところ、どれどれと観察し「このような蕁麻疹はない、なにかに気触れたのだろう」と軟膏を処方する。一週間ほどで癒るとの御託宣の代金が大枚千六百円だったが、蕁麻疹でないと分かっただけでもその価値はある。ことほどさように、蕁麻疹には泣かされた過去がある。
 記憶がはじまる四歳から二十歳に至る十余年はアトピーと同居していた。とりわけ酒を飲みだした十四歳からあとは酷かった。酒を一口飲むと全身に発疹する。気管支喘息、鼻炎、蕁麻疹、皮膚炎が繰り返し襲ってくる。塩水の蒸気吸入とスイス製の抗ヒスタミン剤、抗プラスミン剤を欠いては日常生活そのものが成り立たなかった。酒を止めればよさそうなものだが、その選択肢は私には考えられなかった。なぜかと云うに、柳暗花明にあって酒を嗜まないというのは人と人との私交を反故するに等しい。要するに、色里のしきたりを無視するような傲慢さの持ち合わせが当時はなかったのである。
 このアトピーと呼ばれる一群のアレルギー性疾患は難儀な代物で、上記の症状はことごとくが深く重なり合っている。体質素因が理由の過多だが、他人は食物への好き嫌いだの、精神だの、果ては気合いだのとあらぬことを口走り詰責する。それこそ、したたかな根性が具わったと思われる現今にあってすら、慢性副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)と無呼吸症候群からは解放されないでいる。医師からは慢性気管支炎の患者の痰からは、しばしばインフルエンザ杆菌が検出されると脅され、人生から口吻という快楽を抛棄するに至った。他にも蕁麻疹と仮性包茎(こちらはアトピーとは関係ないが)が理由で銭湯は知らずじまい。結果、風呂嫌い温泉嫌いとなって今に続いている。
 車の免許を取得したのは平成元年、取るなり出掛けた北海道は函館のすぐ傍、南茅部町の大船温泉がおそらく生れてはじめての銭湯であり温泉であった。露天風呂を出たり入ったり、二時間はたっぷりと浸かっていただろうか、あの時のうれしさは筆舌に尽くしがたい。北海道をこころの故郷というのにはかような理由があったのである。
 指で骨折していないのは双の親指と小指、それと左手の薬指だけである。そして、いまでも右手中指の第二関節には皮膚が瘤のように硬くふくらんだところがある。これは喧嘩ではなく、最後に蕁麻疹を封じ込めた箇所である。愛おしむべき瘤で、以降抗ヒスタミン剤が生活の場から消えた。ところで、二十九日は車のメンテナンスをしていた。どうやらその最中に毛虫に触れたようである。庭に梅の木があって、毛虫の巣窟になっている。梅の下には紫陽花があるが花は咲かない。いっそ梅を根こそぎ剪り取りたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月08日 19:32 | 固定ページリンク




陳鶏  | 一考    

 饂飩の腰を強くするための添加物については当掲示板で何度か触れてきたが、地鶏も堅いものと相場は決まっている。肉質を堅くするのは簡単で、飼育期間を三〜五箇月(比内鶏は百八十日)と長くし平飼い(放し飼い)にする。ところで、日本食鳥協会の国産銘柄鶏の定義による「在来鶏」(四十一種)と日本農林規格(JAS)でいう「在来種」(三十八種)とは若干異なる。面倒なので詳しくは書かない。ただ、戦後アメリカから導入されたブロイラーはコーニッシュやプリマスロック、ロードアイランドレッドなどを元に品種改良が進められた。そして、現行の比内鶏は雄の比内鶏と雌のロードアイランドレッドを掛け合わせたものである。ここでブロイラーと地鶏の違いについて書きたいのではない。従ってはなしを飛ばす。
 先日、比内地鶏偽装で逮捕者が出た。廃鶏を比内地鶏とはまさに偽装以外のなにものでもないが、それを言い出せば東京の焼鳥屋で廃鶏を扱っていないところを探すに苦労する。そして廃鶏を廃鶏と表示しないところが大半である。なかには単に地鶏と表記している、これは立派な詐欺商法である。おそらく、数千人の逮捕者が出るのではないかとひそかにほくそ笑んでいる。
 関西では廃鶏を陳もしくは陳鶏(ひねどり)と記述する。韓国の陳鶏料理は有名だが、ですぺらの薫製に陳鶏を用いたのは、繁く付き合う韓国人から教わったからに他ならない。
 私は若い頃から陳鶏に馴染んできた。というよりも、引き揚げ者が営む露店は陳の焼き鳥か鯨の串カツと大体の見当はつく。満州から共に引き揚げてきた父の知己は陳の焼き鳥からはじまって饂飩屋へと出世したが、そこの鴨南蛮には陳鶏が使われていた。詳細は審らかとしないが、中野に住んでいた折、近所の饂飩屋がフランス鴨を鴨南蛮に用いていた。その胸肉が堅くて歯が立たない、これなら国産の合鴨の方が良いのにと往時の連れ添いと語らったものである。
 陳鶏は卵用鶏(レイヤー)のなれの果てである。陳る、要するに老生した鳥であるが故に脂肪は少なく身は堅い。鳥インフルエンザを畏れてケージに閉じ込められた地鶏を喰うのなら、いっそ陳鶏を陳鶏として楽しめばというのが同じく老生した海馬の意見である。


投稿者: 一考      日時: 2008年05月03日 00:12 | 固定ページリンク




五月三日は営業  | 一考    

 連休のあいだの休みはカレンダー通りである。ただし、五月三日の土曜日は営業する。石井さんとそのように約束した記憶があるからである。もっとも、ひとには都合があって、ですぺらを営業するからと言って約束を守る必要はどこにもない。私の記憶違いかもしれないのである。

 さて、連休の四日から六日までは三連休である。車のガソリンタンクは満タンにした。いつも行く宇佐見が長蛇の列で、遅くに出直したところ売り切れといわれた。仕方がないので、他店で購った。細かいはなしだが、リッター百十八円が百二十二円だった。それが一気に百五十五円から百六十円になるらしい。私の車のガソリンタンクは五十リッターなので、都合二千円は変わってくる。この二千円の恨みはガソリンを入れる度によみがえる。自民党に公明党なんぞ二度と票を入れてやるものか。
 バイクにはスペアと共に十五リッター入っている。これで三百三十キロは走る。奥多摩から秩父へ抜けて蕎麦でも喰いに行こうか。群馬、長野、山梨、埼玉の県境をまだ充分には走っていない。中津川林道や雁坂トンネルなど未知らぬ道は多い。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月30日 21:39 | 固定ページリンク




映画身体論とドゥルーズ  | 一考    

 五月二十四日の土曜日、ジュンク堂書店池袋本店で宇野邦一さんの講演がある。掲示板で触れた「映像身体論」の出版を記念しての催しである。同店ホームページのトークセッションには以下のごとく書き込まれている。

『映画身体論とドゥルーズ』
宇野 邦一(立教大学教授)
■2008年5月24日(土)19時より 

 この数年『映像身体論』となる文章を書きながら、映像と身体というテーマの上を綱渡りするようなことを続けてきたように思います。なんども綱から落っこちながら、あまり前に進んでいない。しかし綱との関係は確かに変わってきて、落ち方も思考の一部になってくる。そんなふうに書いてきたようです。それらの思考をやっと一冊の本の中に閉じ込めてしまったいま、頭の中には「知覚」「政治」「身体」「感情」「生命」「時間」というような言葉が、糸の切れた凧のように漂っていて、呆然としています。
 ドゥルーズの本を断片的に読み返しながら、あらためてこうした問題系にどう入っていくか考えているところです。この数年読んできたネグリの世界政治そして生命の政治に関する考察がジワジワ効いていることもあり、「<単なる生>の哲学」に書いたことを再考する必要も覚えています。こういった情況を少し整理してお話ししてみようと思います。

◆講師紹介◆
宇野邦一(うの・くにいち)
1948年松江市生まれ。京都大学文学部卒業後、パリ第8大学に学び、文学科で修士論文を、哲学科で博士論文を執筆。現在、立教大学現代心理学部映像身体学科 教授。著書に『意味の果てへの旅』(青土社)『アルトー 思考と身体』(白水社)『他者論序説』(書肆山田)『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社選書メチエ)『反歴史論』(せりか書房2003)『ジャン・ジュネ 身振りと内在平面』(以文社)『破局と渦の考察』(岩波書店)『〈単なる生〉の哲学』(平凡社)、訳書にドゥルーズ『フーコー』ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』(以上河出書房新社)、『シネマ2*時間イメージ』(共訳、法政大学出版局)、アルトー『神の裁きと訣別するため』(共訳、河出文庫)、ベケット『伴侶』『見ちがい言いちがい』(以上書肆山田)ほか。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月30日 15:51 | 固定ページリンク




「化鳥・きぬぎぬ川」解説  | 一考    

 明治六年(一八七三年)十一月四日、金沢の浅野川の左岸、下新町(現在の尾張町)二十三番地に生れた泉鏡花は、三百篇にのぼる小説・戯曲などを書き残して、昭和十四年九月六十六歳で世を去った。

 本名を泉鏡太郎といい、鏡花は号、すなわちペンネームであった。当時は本名のほかに風流な別名をつけるのが好まれ、文筆家や画家はこぞって雅号を用いている。例えば鴎外こと林太郎、漱石こと金之助といった類である。
 この鏡花との筆名は、明治二十四年の末、尾崎紅葉に弟子入りしたときに、師から与えられたものであり、中国の詩論にある「鏡花水月」にちなんでいる。「鏡花水月」は「鏡中花影」ともいい、鏡に映った花と水に映った月の意で、目には見えても手に取ることの叶わないものの譬えである。
 「芸術は予が最良の仕事也」と信じ、「作物其物の中に人を遊離させたい」と願い、この感知はできても説明のできない幻に、言葉によって肉薄しようとしたのが鏡花の文学である。
 言葉だけを信じ、言葉のみを媒介として組み立てられたこれらの物語を、人は「文字による工芸美術」と讃美する。鏡花の作品が工芸美術であるということから思い合わされるのは、彼の家系であり生地金沢の風土である。
 鏡花の郷里金沢は、江戸時代から加賀百万石の城下町として独自の文化伝統をはぐくんできた町である。淡い飴色の釉薬を特徴とする大樋焼や九谷焼、加賀友禅や金沢箔と称される金箔の打ち出し、また螺鈿蒔絵など、あまねく美術工芸の都市として、金沢はさかえてきた。そして鏡花の父清次は、工名を政光という名人肌の彫金師で、加賀藩の細工方金工九代水野源六の弟子だった。母の鈴は江戸下谷の中田氏に生まれ、その家は葛野流の鼓打ちであった。鈴の祖父にあたる中田万三郎豊喜は加賀藩主前田侯のお抱え能楽師で、鈴の兄の名は松本金太郎、先代宝生九郎の後継者として、きこえ高かった人である。いわば金沢という旧家の代々の血のノスタルジーが、「残燭の焔のように、いまわの際にひとしきり激しく燃えあがった」のが鏡花の生命であり、醇乎たる滅びの諧調を文字に刻みつけて、鏡花は明治大正昭和の三代を通り過ぎたのである。

化鳥

 明治三十年四月、「新著月刊」の第一巻に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷三より収録。鏡花の自筆原稿には、当初「獣王」と題されていたが、ついで「化鳥」と改題。
 本作は鏡花がはじめて試みた口語体の小説で、少年の一人称による内的独白の形式をとっている。この内的独白という小説技法が西洋に登場するのは、一九二〇年代のことである。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をはじめ、プルーストやヴァレリー・ラルボーの小説などがそれに該当するが、この手法の先駆者であるエドゥアール・デュジャルダンに言わせれば、「《内的独白》とは、登場人物のもっとも内奥の、もっとも無意識に近い思考——論理的に組み立てられる以前の、言いかえればまさに生れつつある状態の思考を、最小限の構文による直接的語句を用いて表現する」ものであり、なによりもまず「一見して明らかな作者の干渉を断切り、登場人物が直接自分自身を表現できるようにすること」を目ざすものであった。
 内的独白の定義は以上のようなものだが、一方、鏡花は自らの創作態度を「私は書く時にこれという用意は有りませんが、ここに、一つ私の態度というべきことは、筆を執っていよいよと書き初めてからは、一切向うまかせにするということです。というのは出来得る限り、作中に私というものを出すまいとするのです(むこうまかせ)」と位置づけている。例えば雨が降っているとするなら、まず雨という点景を出し、その後の会話は一切その登場人物の自由に任せてしまうのである。すなわち、登場人物自身の口説法、喋り方に応じて小説を書きつづけるわけで、あらかじめどういう風に発展させようなどということは全く考えない。
 「化鳥」では、読者はのっけから主人公の思考のなかに置かれる。われわれは少年廉とともにいきなり窓から顔を出して雨の降っている橋の上を眺める。少年の意識にとって、過去も未来も、いやな経験も楽しい空想も、すべては《ここ》と《いま》に現前している。はじめの八行目に「寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何日(いつか)でしたっけ、窓から顔を出して見ていました」とあるが、現在も、過去のなかの現在も、すべてひとしなみに《ここ》であり《いま》でしかない。対自としての意識、論理的に組み立てられる以前の、より無意識に近い思考にあって、時間は隔たりを持たない。「母様(おつかさん)が在(い)らっしゃるから、母様(おつかさん)が在(い)らっしゃったから」との言葉で小説が閉じられるが、現在形と過去形とを並べることによって、語られたすべての時間はくずれ、時はなだらかに融化していく。いや、廉の夢が大きくふくれあがって、すべての物語の時間を呑みこんでしまったのである。雨と川とに包みこまれたこの物語は、現実の母から幻の女へ、「翼(はね)の生えたうつくしい姉さん」に抗しきれない自分の心の深淵、すなわち母性憧憬という永遠の夢を覗きみるところで終わる。「照葉狂言」「由縁の女」「縷紅新草」などと共に、金沢ものと称される金沢回帰小説の一篇である。

処方秘箋

 明治三十四年一月、「天地人」第五十号に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷六より収録。
 「私」は八歳の頃、越後の紙谷町に住んでいたが、少年の自宅の向いにある「お辻」という十八歳の美しい娘の家に泊る。その晩、同じ町に住む薬屋の妖しい婦人があらわれて、寝入っているお辻の息の根を止める夢を見た……
 鏡花の郷里金沢は北陸の市である。冬は雪に埋もれて退屈な日を送るしかない。紙凧を揚げるにしても、春は三月か四月にならないとやって来ない。しぜん子供達の遊びも室内のものに限られる。
 幼い頃の鏡花は、母が輿入れのときに雛の箱のなかに一緒にしのばせてきた草双紙「白縫物語」や「大和文庫」「時代かゞみ」などの表紙絵を土用干しのように並べ、買ってもらった薄葉紙で、それらの口絵だの挿絵だのを透写するのに熱中したという。これは彫金師だった父が、家業を継がせるために、彼に絵を習わせようとしたことも影響している。やがて、透写に飽きた鏡花は、自らの創造のおもむくままに、さまざまな画題を試みるようになる。
 「可憐なおとめが樹上に縛りあげられ、打擲されている場面などを、いとも克明に現したものであった」とは鏡花の実弟、泉斜汀の語るところだが、鏡花の被虐趣味はこの頃からめざめていたのであろう。しいたげられる女性に妖しい美しさを、ひいては聖性を物狂おしく求める鏡花文学の素地はこんなところにもある。
 文中、「婦人(おんな)は右手(めて)を差伸ばして、結立(ゆいたて)の一筋も乱れない、お辻の高島田をむずとつかんで、ずッと立った。手荒さ、烈しさ。元結は切れたから、髪のずるりと解けたのが、手の甲にまつわると、宙に釣されるようになって、お辻は半身、胸もあらわに、引起こされたが、両手を畳に裏返して、呼吸(いき)のあるものとは見えない」と著されているが、これなどは「歌行燈」の芸妓お三重が船頭達からうける非道な扱いや、「眉かくしの霊」で若婦人が緋のの長襦袢一枚で村中をひき廻される箇処などと同様に、幼少の頃に読み耽った草双紙の頽廃的雰囲気が如実に再現されている。
 題名の処方秘箋は処方箋に秘術の意味を加えたもので、あやかしの婦人の秘法を指す。

雪の翼

 明治三十四年一月、「今世少年」に「本朝食人種」の題名で発表された。「雪と羽衣」と題されたこともある。岩波書店版鏡花全集卷六より収録。
 年少の読者にはいささか難解な印象を与えるかもしれない。しかし、昔は幼い頃から文語体に馴れ親しむので、まったくの口語体よりも、このような混交体のほうが少年少女には読み易かったのである。同様な少年向け山岳小説に「さらさら越」がある。
 留守を守る海軍少尉の婦人民子が、入院している夫を見舞う旅の途中、雪に閉ざされて深山の宿に動けなくなった時、舞いこんできた雁を助ける。やがて雪のあわいを縫って宿を発つが、ソリが道をすべり、転落した民子は炭焼小屋へたどり着く。そこでは雪に封じこめられた男たちが、人肉をも食するという飢餓状態にあり、あわや荒男の餌食になろうとしたのを雁の恩返しによって一命をとりとめる……
 「泉鏡花年譜」の明治二十六年の項に「八月、重き脚気を痛み、療養のため帰郷。十月京都に赴く。同地遊覧中なりし、先生に汽車賃の補助をうけて横寺町に帰らむがためなりき。時小春にして、途中大聖寺より大に雪降る」とある。
 当時、金沢から上京するためには、徒歩か人力車で敦賀まで行き、そこから汽車に乗るより方法がなかった。この体験を活かし、雪の街道、雪の峠に漂う霊異を描いたのが本作である。文中に出てくる春日峠(かすがのとうげ)は北陸道最後の難所であり、石川と福井の県境にある牛の谷(や)峠より、さらに山ふところ深い南越地方特有の鬱蒼とした山路である。この春日峠を舞台にした作品として、他に「白鬼女物語」「山中哲学」「怪語」などがあり、飛騨山中を舞台とした名作「高野聖」と共に、鏡花の山中幻想譚の系譜を形造っている。

女仙前記・きぬぎぬ川

 「女仙前記」は明治三十五年一月の「新小説」第七年第一巻に、「きぬぎぬ川」は同年五月の「新小説」第七年第五巻ない発表された。共に岩波書店版鏡花全集卷七より収録。「きぬぎぬ川」の自筆原稿の末尾には「女仙後記(完)」と記されている。
 「女仙前記」は雪売りのおやじの呼び声で書き起こされる。湯湧谷の錦葉の時分に、どこからともなく現れた娘の世話をしたおやじから、その娘のかたみである白い兎をお雪はさずかる。いかなるめぐり合わせか、娘の名もお雪といった……
 「女仙前記」は筋の展開にそれほどの変化はない。雪、白い兎、お雪という名の二人の女、といった点景に湯湧谷のなつかしい眺めが添えられ、そこはかとない詩情を漂わせる佳品である。
「きぬぎぬ川」では、兎をさずかった令室の行方をさがして、後朝川の上流へとわけ入った女中が、湯湧谷で気高い麗人に出会って救われる。
 本作には前述した「白縫物語」と全く同じ構図をとる部分がある。幼いころ亡き母から、よく絵解きをしてもらった草双紙のことである。やさしかった母と孤独な少年を癒す摩耶夫人像とが手を取り合い、女仙の姿となって結実した、「蓑谷」「竜潭譚」「清心庵」の系譜に連なる物語である。ここには美しい救済者への夢想という鏡花文学の根源的主題が流れている。また、本作の面目は、岩角にすがり、渓流を渡り、山の奥深くへとわけ入る、その自然描写の筆致にある。岩の一枚、瀧の一筋、瀬の一滴が異常な鮮明さで描かれ、まるで克明に刻まれた銅版画を覗くような印象を読者に与える。そして、それらミクロの世界が、湯湧谷と名付けられた迷宮の螺旋構造を形造る。鏡花の小説にあっては、真の幻想が持ち得るすぐれて良質な面が、しばしば立ち顕れる。それはもはや夢幻(ゆめまぼろし)ではなく、したたかに不可思議な現実そのものである。

雪霊記事

 大正十四年四月、「小説倶楽部」第五巻第四号に発表された。本書には岩波書店版鏡花全集卷二十一から収録。
 本作は「雪の翼」と同じく、武生の雪に取材した作品であり、文体は一人称の「あります」体で統一されている。内容は、主人公の関が越前武生の恩人お米の宿を訪ねる物語である。道中、雪難の碑の前で、雪がすさまじい渦となって舞い上がり、「私」は雪に埋もれて倒れてしまう。粉雪が紫陽花の青い花片のように舞い、菖蒲が咲き、螢が飛ぶ……渦のごとく湧き立吹雪の超現実的な描写が、お米さんの清く暖かい肌への思いと雪の霊とを重ね合わせてゆくところが、この作品の見所である。本篇には「雪霊続記」と題する続篇があり、雪中行軍に擬して凍死したといわれる雪難の碑の亡霊が現れる。また、雪の月夜の光景を描いた佳品として、「銀短冊」と題する中篇がある。いずれもが、毎年のように深い雪におおわれる北陸の厳冬が育てた幻想であり、鏡花文学に固有の耽美的傾向が顕著に現れている。
 鏡花には、この武生周辺を舞台に、そして、周囲の山村に伝わる豊富な伝説や口碑、民譚に材をとり、修飾をほどこした小説がすこぶる多い。旧北陸道を南下し、武生市四郎丸町で二つに分かれる道を東に折れた平吹町を舞台にしたのが「水鶏(くいな)の里」。そして、その道を反対方向、敦賀へ通じる道を行くと春日峠である。また、武生の町を真っ二つに引き裂くかのように縦断しているのが現在の日野川、すなわち白鬼女川である。白鬼女川の源は夜叉ヶ池。越前、美濃、近江の三国にまたがる三国岳と三周ヶ岳の中腹にひっそりと眠る神秘の湖である。鏡花はこの夜叉ヶ池の大蛇伝説と、白山、剣ヶ身ねにある千蛇ヶ池の伝説とを組み合わせ、壮大な恋物語「夜叉ヶ池」を著したのである。

十三娘

 大正十一年十月、「鈴の音」第二巻第十号に発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集卷二十二より収録。鏡花自筆原稿には「たけのやま」とあり、のちに改題された。
 本作は中国の小説、段成式の「剣侠伝」の一篇「老人化猿」の翻案である。原文はわずか百余文字の短文だが、それを草双紙風の興趣にかえて、手頃な短篇に仕立て直したものである。文中では女主人公十三娘に「おとみさん」とのルビが付されているが、中国ものゆえ、題名は「じゅうさんじょう」と読むのが正しかろう。
 天下の女剣侠とうたわれた趙国明径の楊家(楊朱の学説を奉じる学者のこと)の娘、十三娘(おとみさん)が、越王に招かれて越国へ向かう道中記だが、単なる冒険譚としてではなく、一種の変身譚として読むべき物語である。
 人が化けて馬となり牛となり、また人を化かして馬となし牛となす術は幻想文学の欠くべからざる要素として、神話時代から現代にいたるまで脈々と語り継がれている。鏡花の小説のなかにも、そのような観音力や鬼神力が描かれた作品は数多く、それら怪異物の頂点に「高野聖」がある。
 本作の老人化猿は、化けるのは自分自身である。「高野聖」のように人の呪力によってたぶらかされるのではないが、変身することに違いはない。この変身、すなわちメタモルフォーシスを、生物学用語の「変態」に置き替えてみれば理解しやすくなる。オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが、いわゆる生物学上のメタモルフォーシスである。これら自然界の大法則を、空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学なのである。
 鏡花は明治三四十年代に、しきりに唐宋から明清間の奇談を翻訳もしくは翻案している。岩波書店版鏡花全集卷二十七には「唐模様」と題する小品が収められている。幸田露伴から芥川龍之介や木下杢太郎を経て、中島敦や石川淳に至る「支那好み」の系譜の中間に位置する佳作であり、秋成やラフカディオ・ハーンの作品と好一対となっている。

駒の話

 大正十三年一月、「サンデー毎日」第三年第一号に発表された。岩波書店版鏡花全集卷二十二に初出の稿が、卷二十三には決定稿が収められている。本書には卷二十三より収録した。
 駒とは猫の名前で、ここでは猫が主人公である。しかも、駒は知恵や感情をもち、強烈な個性をもって、積極的に人間界に参入する。
 近代日本文学で猫を扱った作品は少なくない。とりわけ、漱石の「我輩は猫である」、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」、萩原朔太郎の「猫町」、内田百けんの「ノラや」などは有名である。また、文中で触れられている「想山著聞集」や「徒然草」の「猫又」の話もよく識られている。猫又とは人を喰い殺す魔性の猫で、妖怪変化のことである。しかし、本作に描かれた駒は化け猫ではない。この牝猫は並々ならぬ礼節をもって人間世界に入りこみ、その母性愛に驚嘆の目を向けさせるのである。人語を話す猫という蕉園女史の挿話が織りこまれているが、この種の猫は明治四十三年十月に発表された「三味線堀」にもしきりに現れている。大団円で、長刀小脇に白衣の貴婦人が大猫をともなって見得を切る、という「三味線堀」の華やかさとは逆に、本作では次第におとろえてゆく駒の境涯が、写生文風に淡々と描かれている。飄逸な趣をもつ小品である。
 ちなみに、鏡花には「黒猫」(明治二十八年)という作品がある。エドガー・アラン・ポーの「黒猫」の影響下に著されたといわれる作品で、盲人の怨霊がとり憑いた黒猫が登場する怪異譚である。

絵本の春

 大正十三年一月、「文藝春秋」第四年第一号に発表された。本書には岩波書店版鏡花全集卷二十三より収録。
 桃も桜も、真紅の椿も、濃い霞に包まれた春おぼろのたそがれ、小路の破れ木戸に「貸本」とかなで染められた白紙の幻覚に少年はおそわれる。幾日も、その貸本の紙ばかり見つめていると、美しいお嬢さんが一冊の草双紙を貸してくれた。「絵本の春」との表題はここからとられた。
 文中に出てくる「逢魔が時」は、鏡花が好んで用いる言葉である。「逢魔が時」とはたそがれのことであり、暗でもなく、光でもなく、光と暗との混合でもない、一種特別な色彩の世界である。鏡花は「たそがれの味」と題する談話のなかで、彼の文芸観の一端を語っている。
 「多くの人は、たそがれと夕ぐれとを、ごっちゃにして居るように思います。夕ぐれというと、どちらかといえば、夜の色、暗の色という感じが主になっている。しかし、たそがれは、夜の色ではない、暗の色でもない。といって、昼の光、光明の感じばかりでもない。昼から夜に入る刹那の世界、光から暗へ入る刹那の境、そこにたそがれの世界があるのではありますまいか……夜と昼、光と暗との外に世界のないように思っているのは、大きな間違いだと思います。夕暮とか、朝とかいう両極に近い感じの外に、たしかに、一種微妙な中間の世界があるとは、私の信仰です。私はこのたそがれ趣味、東雲趣味を、世の中の人に伝えたいものだと思っております」
 鏡花によれば、たそがれと夕ぐれとが違うように、善と悪、正と邪、快と不快、それらすべてが昼と夜のようなもので、人間はそのあいだに一種微妙な形象、心状を現ずるのである。ちなみに、この言葉を夢と現実に置き換えてみよう。アンドレ・ブルトンは「シュールレアリスム宣言」の中で「夢と現実、一見まったく相容れないこの二つの状態が、一種の絶対的現実、言うなれば、超現実のなかにいつしか解消されてしまうことをわたしは信じていると叙している。鏡花が説く「たそがれの味」もまた、かかる対立概念が対立せず、矛盾が矛盾でなくなってしまうような至高点への信仰であり、その具象化であった。
 繊細な感性とたくましい空想力をもった少年にとって、たそがれは魔の領域にふと足を踏み入れたくなるような時間帯である。「逢魔が時」という魔界へのパスポートをもって占いをする妖しい小母さん、生肝をとられた若い女の話、洪水の怪異などが、走馬燈のようにめぐる。鏡花の小説の不可思議である。しかし、不可思議なものはつねに美しい。「美しいものは不可思議なものを除いてほかにない」と宣言してみせたのもブルトンである。

貝の穴に河童の居る事

 昭和六年九月、佐藤春夫主宰の「古東多万(ことたま)」第一年第一号に「貝の穴に河童が入る」の題名で発表された。本書へは岩波書店版鏡花全集二十二より収録。
 鏡花が本作のなかで描き出した河童は、三尺にも満たない背丈で、青蛙のような色の皮膚にいぼいぼが立ち、とがった嘴にピカピカ光る眼、もずっくのような毛が耳までかぶさった小動物であった。
 この思いのほか古典的な河童が、舞台が鎮守の森に移るあたりから滑稽な道化のように思われてくるのは、河童が遣う「でっしゅ」「でしゅ」といった奇妙な言いまわしにあるようだ。
 鎮守の森は魔界の住人たちの表舞台である。美しい姫様のまわりには、栗鼠、山鴉、木菟、蛇、白兎などの異類異形がぞろぞろ登場してくる。これらは鏡花世界にひとつのジャンルを形造っている。しかし、ばけものというものは、そもそも人間界を超越した存在で、どんな残酷なことでも平気で実行するような存在でなければならないはずである。それが鏡花の好んで描くお化けには、天狗や鬼など正統な妖怪がもつ、いかめしさや恐ろしさはまったく見受けられない。それどころか、どちらかといえば人間の健気さに弱いのである。前に述べた「夜叉ヶ池」や「水鶏の里」をはじめ、「天守物語」「深沙大王」に登場する妖怪のことごとくが、人間界に引け目をもち、あまつさえ美しい人間をうらやんでいるのである。鏡花は化けものとは争わない。鏡花にとって妖怪とは、母性憧憬の迷宮の番人であり、愛すべきミノタウロスでしかなかった。
 鏡花のほかにも河童を主題にした作品は多い。芥川龍之介には有名な「河童」がり、絵も珍重され、忌日を河童忌という。また、火野葦平には「名探偵」や「紅皿」、中村地平には「山の中の古い池」、塩谷賛には「江戸の河童」と題する小説があり、いずれも独自の風格を具えた河童を登場させている。

 (泉鏡花小説集「化鳥・きぬぎぬ川」 第三文明社 一九八九年十二月十日刊)


 mixiへはむかし書いた文章を主として載せていた。気が向けば、red foxの続きをはじめるつもりだが、それがmixiであろうがですぺら掲示板であろうが一向に構わない。それと、mixiでred foxがなにを書いたか、コピーを取っていないので定かでない。ただ、旧作に限ってなら何を載せたかは覚えている。従って重複の心配はない。
 文中で触れたが、「化鳥」が発表されたのが一八九七年、そして「ユリシーズ」の上梓は一九二二年である。その「ユリシーズ」に妻モリーがベッドの中でブルームを回顧する句読点のない長い内的独白がある。ときを同じくして世の中には似た作家が現れる。思うに、ジョイスやプルーストの翻訳には鏡花の文体が相応しい。その消息はネルヴァルやシュオッブに「大川端」の文体が似合うのと同じである。
 そうした東西の文学運動の類似点もしくは時代の要請に関して、再考し何度でも整理し直すひとが現れてほしい。例えば、ヌーボーロマンやアンチロマンはフランスで生まれた文学運動だが、作品として花開いたのは吉行淳之介の「砂の上の植物群」以降の作品、とりわけ「夕暮まで」が呼応すると思っている。その理由は書かない。ただ、「夕暮まで」とその後の「鞄の中身」はすぐれて実験的な小説だった。

 本書は学生向けの日本文学選集の一冊で、編輯は一任された。紹介は潮出版社の編輯長高橋康雄さん。先立って、「主婦と暮し」に「自転車美人」を寄せている。三浦環や「魔風恋風」の女主人公初野のモデル、泉屋鶴吉などについて書いた。
 二十年を経て繙読し、存外変わっていないという覚束ない思いで一杯である。還暦を過ぎてこの態ではどうにもならないが、解説には基本的な間違いがあって訂正の機会を窺っていた。過ちは削除できたので、取り敢えず安堵している。
 解説を書き上げてまもなく、第三文明社の編輯長が拙宅へ見えられた。曰く「他の巻とは力の入れ方が違う。よろしければ書き下ろしの鏡花論をお願いできないか」とのはなしだった。当時は読売新聞社から研文社へ移籍、小出昌洋さんと辞書づくりの毎日だった。研文社は三社しかない辞書専門の編輯プロダクションのひとつで、講談社、旺文社、学研などの辞書を専らにしていた。折悪しく、講談社の国語辞典の語釈で忙殺されていた。丁重にお断りしたものの、端から引き受けるつもりはなかった。私にとって鏡花は人目を忍んで熟読玩味すべき作家で、畏れ多くも論じるような対象ではない。せいぜいが解説か開題の類いで気持は熄まる。そこから先、踏み込むつもりは今もない。

   わが恋は人とる沼の花菖蒲     鏡花


投稿者: 一考      日時: 2008年04月30日 14:16 | 固定ページリンク




バクテリア発生  | 一考    

 昨日は拙宅で水道工事があった。築三、四十年は経た家なので、金属パイプを用いている。それが錆び付いて水の出が悪くなっていたのである。二階のトイレは完全に使用不可、洗濯機は一回の洗濯に三時間ほど掛かっていた。もっとも、全自動なので、打っちゃっておけば明日には出来上っている。騒いだり狼狽える必要はどこにもないのだが、女性がいるとなるとそうも行かない。女性はやはり生活の段取りを考える、もしくはかつての生活と比較する。以前はシャワーの勢いがもっとよかったのに、洗濯は三十分で脱水まで済んでいたのに、貴方がトイレを使ったあとは水が貯るのに二十分もかかる、の類いである。
 金属パイプの内側の直径が狭まっているのも理由の一つだが、各種器具の繋ぎにはフィルターが付いている。そのフィルターの目詰まりが酷かったのである。バケツで四杯ほどの真っ赤な泥水が出てきた。そう言えば、この十年、掃除はなにもしていない。フィルターやパッキンの掃除や補修ぐらいは自分でやらなければいけないようである。
 マンションの屋上に設けられた貯水槽は毎年掃除が必要である。二年も捨て置けば、珪藻と藍藻、要するにデトリタスが大量に発生する。貯水槽ではなく、給水管の場合でも、錆、雑菌、スライム(ヘドロのような汚れ)が発生し増殖する。水が不味いという前に、しかるべき管理が必要であると痛感させられた。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月28日 22:35 | 固定ページリンク




パソコンの修理2  | 一考    

 モルト会があったので、パソコンの抜本的な修復ができずにいた。モルト会が済み、プリントの要がなくなったので、今日は朝から徹底的に弄くった。松友さんには心ならずも迷惑をお掛けしたようである、忝なく思う。ただ、475から7600を経てG3まで、スペアの機種は拙宅に十台ほどある。いざとなれば古いマックを持ち出せばよいのだが、現行のG4初期タイプはケースやマザーボード、各種パーツからケーブル類を集め、自ら組み立てたものである。要するに、最初から私用に造られていてノーマルな機種と比して癖が強い。それ故の愛着もいささかある。OS9は完全に元に戻った、OSXへの移行は必要ない。まだ数年はこのまま用いるつもりである。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月27日 23:26 | 固定ページリンク




次回モルト会  | 一考    

 五月のモルト会はブレイヴァルとクラガンモアの予定。少々高くなるが、最高のモルト・ウィスキーを用意する。四月のダルユーイン、ピティヴェアック同様、店主のもっとも好きなウィスキーであり、全力を投入する。乞うご期待。
 なお、武蔵屋主宰のワイン展示試飲会は五月二十一日、水曜日です。ワインの他、ポート、マディラ、シェリーが出品される予定。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月27日 05:03 | 固定ページリンク




ダルユーイン其他の解説  | 一考    

 ダルユーイン '89(マクダフ・インターナショナル)
 ザ・ゴールデン・カスクの一本。14年もの、54.5度のカスク・ストレングス。312本のリミテッド・エディション。
 ボウモアとラフロイグのディスティラリー・マネージャーを歴任したジョン・マックドゥーガルのセレクション。ノー・チル・フィルターのフルフレーバー・シリーズで、同時頒布はボウモア、ダルモア、バルブレアの四種類。
 フランスのジャン・ボワイエ社、アデルフィ社、クライズデール社と共に傑出したボトラーで、稀少な蒸留所のボトルを陸続と頒している。とりわけ、コストパフォーマンスに傑れているのがマクダフ・インターナショナル社であろうか。

 ダルユーイン '71(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。40度。
 マルティニック・ラムの香りを持つフル・ボディ。ホットな辛口でアフター・テイストに特徴あり。フィニッシュが長く、スモーキーからビターへと次第に変化していく。
 辛口のモルト・ウィスキーの多くはブラック・ペッパー系の辛さだが、本品は蕃椒、それも一味唐辛子のぴりぴり感を持つ。タリスカー同様、ジョニー・ウォーカーの核となる原酒モルト。

 ダルユーイン'80(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本。19年もの、55.2度のカスク・ストレングス。
 マスター・オブ・ワインの称号を持つグラスゴーの瓶詰業者。アンガス・ダンディ社傘下のカンパニーであり、モンゴメリー社とは兄弟会社になる。「マキロップ・チョイス」の名でコレクションが頒されている。同コレクションには稀少なものが多く含まれる。例えば、リンリスゴウ '82は現在手に入る唯一のセント・マクデランである。
 本品はダルユーインのボトルのなかではひときわ傑出する。

 ダルユーイン '80(サマローリ)
 18年もの、45度。390本のリミテッド・エディション。
 サマローリ社は伊太利亜ブレシアの酒商。スプリングバンク蒸留所と親しく、ボトラーのケイデンヘッド社とその子会社ダッシーズ社と太いパイプを持ち、オリジナルのヴァテッド・モルトを頒している。
 同じイタリアの酒商インター・トレード社同様、ボトルには檻が多く含まれる。樽の個性、ひいてはウィスキーの香味の神秘を識るに最適。本品はハイランド・パークやテナニャックと共にコンディションがすこぶる良く、美味。45度とのやや低いアルコール度数を感じさせない緊迫感あり。

 ダルユーイン '80(アデルフィ)
 21年もの、56.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 アデルフィ蒸留所は1826年グラスゴーにて設立。1880年にはスコットランドでもっとも大きな蒸留所のひとつになった。しかし、20世紀に入り景気が後退、生産調整のために多くの蒸留所が閉鎖された。アデルフィ蒸留所も時局を免れること能わず、1902年に閉鎖。ボトリングラインと倉庫のみ使用されるという状態で1960年まで建物は残っていたが、その後取り壊された。
 蒸留所の最後のオーナーであったアーチボールド・ウォーカー氏より数えて四代目にあたるジミー・ウォーカー氏はアデルフィ蒸留所の再興を願い、1993年にエディンバラでインデペンデント・ボトラーを設立。
 アデルフィ社は低温濾過すなわちフィルターの無使用と無着色のカスク・ストレングスを専門とする。ラベルとボトルのデザインはスコットランドのグラハム・スコットの手になるもの。すべてが一樽のみのシングル・カスクのため、イギリスでは主にメール・オーダーで頒布。信頼できる瓶詰業者のひとつだが、わが邦での評価は異常なまでに高い。

 ダルユーイン '79(シグナトリー)
 カスク・ストレングス・コレクションの一本。シェリー・バットの25年もの、51.4度のカスク・ストレングス。509本のリミテッド・エディション。
 シグナトリー社はゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社についで三番目のボトラーとして1988年にリースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務を行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲まれない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」またドイツ向けに「ザ・シングル・シングル・モルト・コレクション」「ナチュラル・ハイ・ストレングス」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いを楽しむことができる。同社のカスク・ストレングスにあって、寸胴型丸瓶のシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。
 なお、カスク・ストレングス・コレクションはノー・チル・フィルターのフルフレーバー・シリーズで、寸胴型丸瓶のシリーズに変わるコレクション。

 ピティヴェアック '86(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの14年もの、43度。4樽、1074本のリミテッド・エディション。
 ディスティラリー・ボトルのオイリーな舌触りはなく、きれのよさがそのままホットなアフター・テイストへ繋がって行く。
 スカイ島の豪族、マクロード家のイアン・マクロードがオーナー、エディンバラ近郊のブロックスバーンに本拠地を置く。同社はイングランドでの「グレンファークラス」の発売元。「タリスカー」をベースに用いたブレンデッド・ウィスキー「マリー・ボーン」「アイル・オブ・スカイ」や「クイーンズ・シール」で識られる。
 同社が関与するボトルについて一言。蒸留所名を記載できるボトルはイアン・マクロード社、蒸留所名を記載できないボトルはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社というように区分している。
 1999年に頒された「チーフテンズ・チョイス」は2001年に「チーフテンズ」と変更。ラベル、パッケージ共に一新、フルラインナップとなった、初入荷は14点。ダグラス・レイン社の「オールド・モルト・カスク」と共に目の離せないシリーズとなった。

 ピティヴェアック12年(UDV)※
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
 ダフタウン蒸留所に隣接す。仕込用水からポット・スティル、熟成庫までを共にする、謂わば弟でありながら、兄とは異なりすこぶる個性的な酒を造っていた。蒸留所は93年に閉鎖。
 自己主張が強く、ダルユーインのようなホットなアフター・テイストを持つ。ピリピリ感を伴うフィニッシュが比較的長く続く。同じ飲むなら、ダフタウンよりこちらがお薦め。
 ただし、ディアジオ社のボトルはことごとくシェリー香が強い。美味いといえば美味いのだが、蒸留所独自の個性が歪められているように思う。従って、ホットなアフター・テイストを楽しむならコニッサーズ・チョイスがお薦め。
 花と動物シリーズに続き、レア・モルトも廃止、ディアジオ社はどこへ行くのかと思っていたが、個々の蒸留所のディスティラリー・ボトルに力を入れていくとか。もともと、花と動物シリーズはディスティラリー・ボトルを持たない蒸留所の売店での看板商品として開発されたのでなかったのか。ならば、すべての蒸留所にディスティラリー・ボトルを持たせるのかしら。

 ピティヴェアック '93(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、43度。
 現在のところ、最も新しいピティヴェアックのボトル。レッド・ペッパーを思わせる強烈なフィニッシュを味わうには本品が最適。以前のボトルより、はるかに過激な香味を持つ。
 ゴードン&マクファイル社は1895年、当初食料品店としてエルギンで創業。ウィスキー産業がまだブレンデッド中心の頃から同社は世界に向けてボトルを輸出、モルト愛好家を魅了してやまなかった。謂わば独立瓶詰業者のさきがけであり、今日のモルト・ウィスキー人気の蔭の立て役者。1992年、ベンローマック蒸留所をユナイテッド・ディスティラーズ社より買収。豊富な在庫を用い、「コニッサーズ・チョイス」「マクファイルズ・コレクション」「マクファイル・プライベート・コレクション」「スピリッツ・オブ・スコットランド」「スペイモルト」「レア・オールド」等、多くのコレクションを頒している。

 ピティヴェアック・グレンリヴェット '85(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。バーボン・ホグスヘッドの16年もの、57.3度のカスク・ストレングス。限定192本のシングル・カスク。
 本品以降、ケイデンヘッド社はピティヴェアックをボトリングしていない。スプリングバンク蒸留所のブレンド・ウィスキー開発に伴って、ケイデンヘッド社はボトラーとしての役目を終えつつある。残るボトラーはダグラス・レイン、シグナトリー、ゴードン&マクファイル、ダンカン・テイラー、イアン・マクロードの五社を中心に再編成されてゆく。

 グレンキンチー10年(UDV)※
 クラシック・モルト・シリーズの一本、43度のディスティラリー・ボトル。
 ローランド・モルトの特色をよく備え、酒質は軽く、癖の尠ない辛口で飲みやすい。けだし香りが豊かで、入門編として格好。ヘイグのキー・モルト。
 柔らかな燻香と微かな磯の香が持ち味。こぢんまり纏まった巧緻な味わい。
 フィニッシュは最初はドライ、次第にスパイシーに変化する。蕃椒の辛さ。

 グレンキンチー・アモンティリャード '86(UDV)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本、43度。
 ザ・ディスティラーズ・エディションにはオーバン、ラガヴーリン、クラガンモア、タリスカー、ダルウィニーの六種類のダブル・マチュアードがあり、各々異なる仕上げになっている。本品はフィニッシュにアモンティリャードのシェリー・カスクを用う。
 アモンティリャードにしてはやや甘口に過ぎる気がする。モスカテル・シェリー樽をフィニッシュにもちいたカリラがその痕跡を抑えているのと比して、まるでポート樽のような甘味を持つ。いささかの抵抗感あり。
 他にフレンド・オブ・クラシックも頒布されている。

 グレンキンチー '82(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。フィノ・シェリー・カスクの18年もの、62.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 スコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ、すなわちイアン・マクロード社の樽をボトリング。リリースはスコッチ・モルト・セールス社。
 爽やかな若草にシトラスの香り、オークの甘さを感じさせるミディアム・ボディ。ドライでスパイシーなフィニッシュの中にごく僅かなピート香。タリスカー、グレン・スコシアと共に、ディスティラリー・コレクションのなかでは秀逸。
 そういえば、タリスカーもフィノ・シェリー樽を用いている。オロロソ・シェリー樽では避けられない渋味がフィノ・シェリー樽では抑制される。シェリー酒の持つデリカシーを味わうにはフィノ・シェリー樽に限られるようである。

 グルーミング '73(ダグラス・レイン)
 ディレクターズ・セレクションの一本。27年もの、50度のプリファード・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。
 グレンキンチーはディアジオ社の看板商品のため、グルーミングのブランドでボトリング、中身はグレンキンチー。前記スコッチ・モルト・セールスのボトルを含めてボトラーズ・ボトルはわずか二種類しか頒されていない。
 アードベッグ、ポートエレン、オーバン、クラガンモア、オスロスク等、ダグラス・レイン社の長期熟成品と同様、香り、味、フィニッシュは共に絶品。一度は味わっておかなければならない一本である。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月27日 04:37 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会詳細  | 一考    

4月26日(土)の19時から新装開店後、四度目のですぺらモルト会を催します。
会費は10500円、オードブルは簡略に済ませます。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
01番は旧コニッサーズ・チョイスで、最後の一本です。02番はかつてのサマローリで、こちらも最後の一本です。11番はスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ、すなわちイアン・マクロード社の樽をボトリング。リリースはスコッチ・モルト・セールス社です。他ではダグラス・レイン社のディレクターズ・セレクションからグリーミング '73のブランドでカスク・ストレングスがボトリングされている。要するに、ボトラーズ・ボトルはわずか二種類しか頒されていない。
シグナトリー社のカスク・ストレングス・コレクションのダルユーイン '79もありますが、それらは次の機会に。
ダルユーインはブレイヴァルと共に、店主が好きなモルト・ウィスキーです。
共にディスティラリー・ボトルは頒されておりません。
番椒の味わいをお楽しみください。

ですぺらモルト会(ダルユーインを飲む)

01 ダルユーイン '71(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。40度。
02 ダルユーイン '80(サマローリ)
 18年もの、45度。390本のリミテッド・エディション。
03 ダルユーイン '80(アデルフィ)
 21年もの、56.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
04 ダルユーイン'80(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本。19年もの、55.2度のカスク・ストレングス。
05 ピティヴェアック '86(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの14年もの、43度。4樽、1074本のリミテッド・エディション。
06 ピティヴェアック '93(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、43度。
07 ピティヴェアック12年(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
08 ピティヴェアック・グレンリヴェット '85(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。バーボン・ホグスヘッドの16年もの、57.3度のカスク・ストレングス。限定192本のシングル・カスク。
09 グレンキンチー10年(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 クラシック・モルト・シリーズの一本、43度のディスティラリー・ボトル。
10 グレンキンチー・アモンティリャード '86(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本、43度。
11 グレンキンチー '82(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。フィノ・シェリー・カスクの18年もの、62.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2008年04月24日 21:09 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

4月26日(土)の19時からですぺらモルト会を催します。
ウィスキーはダルユーイン、ピティヴェアック、グレンキンチーなど、ホットなウィスキーばかりです。このホットとはペッパー系ではなく、一味の辛さを内包したウィスキーです。
会費は11000円を目安にしています。オードブルは簡略に済ませます。USBメモリを紛失したので、ウィスキーのメニューは明日記載します。
詳しい解説は当日お渡し致します。 参加ご希望の方はお知らせ下さい。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月24日 05:05 | 固定ページリンク




シェリー試飲会  | 一考    

 昨夜遅く、一見の客が入れ替わりに三組来店。みなさんがモルト・ウィスキーのお客で、お陰で先月の家賃が払えた。家賃は先払いである。よって四月はおろか、五月分の請求書も既に上がっている。家賃の支払いが追い付くまで、当分のあいだ自転車操業がつづく。五月は営業日数が少ないので、さらに暇になる。みなさん、よろしくお願い致します。

 明日、二十三日はアンダルシア州政府と武蔵屋主催の「スペイン アンダルシア製品展示販売会」がある。時間は正午から午後五時まで。場所は青山ダイヤモンドホール(地下鉄 表参道駅)電話03-5467-2207。インポーター十数社が参加するので、シェリー、ワイン、生ハムなど数百種が試飲・試食できる。かなり珍しいフォーティーファイド・ワインも出品される予定。ルスタウ社の製品も出品される(ですぺら掲示板「各種ワインについて」2007年06月14日参照)。私はおっきーさんと一時頃に出掛ける予定。

 ところで、「寺山修司劇場美術館」(四月一日から五月十一日 青森県立美術館)「冒険王・横尾忠則」(四月十九日から六月十五日 世田谷美術館)「ガレとジャポニスム」(三月二十日から五月十一日 サントリー美術館)の招待状がある。店に置いているので、ご入り用の方は声をお掛け下さい。まさか、青森行きの方はいらっしゃらないと思いますが。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月22日 20:23 | 固定ページリンク




メトロミニッツ  | 一考    

 東京メトロの各駅で無料配布されるフリーペーパー「メトロミニッツ」が土曜日に刊行された。雑誌の中央部にサントリーがスポンサードしたシングル・モルトの特集が挟み込まれてい、二十九軒ほどのバーが紹介されている。文中、ですぺらと一緒にキャンベルタウン・ロッホが紹介されている。共に東京ではもっともリーズナブルな店である。今回は値段の一部が載っているので、前記二店がいかに廉価かがよく分かる。他店と比して、およそ二割から四割安い。
 今回の新装開店に際してかなり値上げした。それを気にしていたのだが、木村さんから山手線の内側ではもっとも安価な店だと言われてきた。それが証明されたようで嬉しく思う。赤坂見附の駅から二十冊頂戴してきて店で配っている。今日もう少しもらってくるので、読んでいただきたい。

 拙宅のパソコンだが、やはりハードディスクに問題があった。ノートンで修復したが、一部は直らない。コントロールバーなどは起動しない。起動しない理由は定かならず、検索も役に立たなかった。マックの場合、システムのコピーで不具合は生じない。従って、ボリュームの構成に問題があるようだが、そちらも修復不能と表示される。ノートンが万能でない時はハードディスクを取換えるのが唯一の方策である。
 近頃は極小容量のハードディスクで状態のよいものが手に入らなくなった。60GBから120GBでパーティーションを切るしかなさそうである。それは先のこととして、片肺ながら、取り敢えずパソコンは起動するようになった。


投稿者: 一考      日時: 2008年04月22日 14:14 | 固定ページリンク




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