終戦直後に生れた私にとってアスパラガスは缶詰である。中学校へ上がったころからグリーンアスパラが市場へ出回るようになったが、やはり白いものでないと食べた気がしない。グリーンアスパラはバター炒めで頂戴するのが一般的だと思うが、私が子供の頃はマーガリンしかなかった。名はマーガリンだが、鯨油の臭いがするバターもどきの代物で、ひどく不味かったのを覚えている。
ホワイトアスパラは当然サラダで頂戴する。レタス、キャベツ、トマト、胡瓜を盛り合わせた野菜サラダで、私の好物の一つである。ホワイトとグリーンの違いは葱と同じで陽に当たるか当たらないかの違いだろうと思う。その陽に当たらないという不健康さが堪らない。鶴田浩二や高倉健を思い起こす、要するに日陰者である。どう考えようが、ひとから尊敬されるようになるとお終いである。ひとから敬われる、親しまれる、必要とされる、そうしたことと静(誤字ではない)一杯闘い抗うのが人生である。
野菜サラダに用いるマヨネーズもドレッシングも自家製だった。出来合いを用いるようになったのはこの十年である。規制のマヨネーズであっても、少量の砂糖と生クリームを加えると美味くなる、ドレッシングなら酢を二、三割と若干の香辛料を追加する。
開店当時のですぺらをご存じの方ならお分かりだが、フードにはすべて漢字を当てていた。例えばアスパラガスは和蘭雉隠しもしくは阿蘭陀雉隠しで、これはmoonさんから教わった。そのおらんだきじかくしについてゆきうりさんが博識をお示しである。「貧忘録」と題するサイトだが、無闇矢鱈と面白い。とりわけ、『本草圖譜』の紹介は圧巻である。ウェブサイトの一つの範を示唆していると思う。
公開されているのかどうかが分からないが、お読みいただきたいので、念のためにアドレスを載せておく。
http://blogs.dion.ne.jp/hinboh/