二年通った東葛クリニック松戸(通称根本)へ挨拶に出掛ける。この途を二度と走ることもあるまいと思うと込み上げるものあり。3・11で多くの患者が関西へ去り、多くの患者が東北からやって来た。毎日(取上げたのは毎日新聞のみ)によると透析患者の死者は80を超えたとか。
計画停電によって蒸留器と血液ポンプが使えず、頻繁に予定が変更された。関係者は不眠で頑張った。阪神大震災の折に看護師が神戸へ出掛けたように、3・11では医師、看護師が東北へ走った。そして、根本でも急な変更が原因で犠牲者が出た。
3・11で東京都下では取り立てての被害はなかった。しかし、透析病院の患者は常に命懸けである。わずか一時間前に透析開始時間が変更され、透析時間そのものが短縮される。
わずかな搖れで都民は周章てていたが、その搖れがわれわれにとっては命取りになる。福島第一原発の暴走によって四キロ四方の病院は避難を命じられたが、寝たきりの重篤な患者を移動させるための交通機関の用意は最後までなかった。通常の乗り合いバスに乗せられて死に至った患者は70名(こちらも毎日の発表による)に及ぶ。
透析クリニック、この非常または非情の場について、いずれわたしは著さなければならない。なぜなら、同室の患者はわたしにとって戦友以外のなにものでもなかった。
追記
企業が潰れようが、会社が倒産しようが再建すれば済むこと。しかしながら、死んだ友は帰らない。政府と東電によってなされた計画停電をわたしは殺人と同義語として捉えている。