ですぺら
ですぺら掲示板2.0
2.0








剃毛礼讃  | 一考    

 福原について書かなければならないことは山のようにある。しかし、書きづらい。ちょんの間の母娘がどうしてわたしを受け容れたのか、覚醒剤と性病が蔓延するなかで、あの人たちはわたしになにを伝えようとしたのか。もしくはわたしにいかに生きろと、一体なにを助言しようとしたのか。今いえるのは、書物からは得られない生きた情念を彼女たちはわたしの身体に刻み込んだということのみ。
 お名前は伏せるが、Sとだけ申しておこう、往時わたしより十二、三ほど年長だったので、存命ならば七十半ばである。否、生きてはいまい、あのような稼業のひとの寿命は極端に短い。女郎ならば三十代、拘束を受けない私娼であってすら四十代であって、五十歳まで生き延びるのは奇跡に近かった。戦後、GIによってペニシリンがもたらされたが、梅毒がひいては性交渉が死と直接結びついた時代がその後も長く続いたのである。それ故、「Oの物語」の取って付けたような最終章を読んで鼻白む思いを抱かされた。なぜなら、ビクトリア朝時代、陰毛は汚染物質のように忌嫌われた。夥しいエロティック絵画が発表され、陰毛を描かないことで、ポルノグラフィーか否かの識別がなされていた。「Oの物語」は剃毛という儀式によってビクトリア朝以来の性的道徳のパースペクティブを逆手に利用し、ポルノグラフィーに新たな概念を与えた。言い換えれば、なにが裏でなにが表かといった相対として揺れ動くポルノグラフィーに妄想という決定的な因子を付け加えたのである。わたしは妄想というよりもいっそ夢物語と名付けたいのだが。その性倒錯において「Oの物語」は「ジュスティーヌ」と列ぶ作品となった。已矣かな、あの最終章がなければ。
 わたしがもしも福原を描けば夢物語はおろか、べたべたの私小説になってしまう。泰西とわが邦の気質の差違であろうか、どのように考えても「Oの物語」のようにはならない。悍しいまでの悲惨さを見てきた者にとって、まったく合点がいかないのである。

 閑話休題。エロ子さんが剃毛は女性の身だしなみだと云っていた。わたしはその身だしなみを具えた人と多く付きあってきた。福原という街がそうさせたのかもしれない。ただ、その身だしなみの裏には宿命とも云える深い嗟咨が寄り添っていた。聴くところによると、多くは十代からカミソリと戯れはじめたという。そのことは性衝動の激しさを示唆している。ただし、このリビドーとデストルドーは識別しにくい。自我リビドーと対象リビドーは一種の入れ子関係にあって、リビドー概念はつねに量的な概念を構築する。フロイトの本能二元論である。
 ところで、世の中には自分の才能を信じたり、自分の存在に過剰な自信を持つ方がいらっしゃる。それらは自我リビドーやナルシシズムとは関係なく、わたしに云わせれば単に自己中心性が強いだけの論理回路が未発達なひとを指す。
 動物にはグルーミングという行動特性がある。友好的態度を表すか、攻撃性を隠すかのいずれかが基本にあるのだが、剃毛を一種の毛繕いと取ってとれなくもない。そして女性の身だしなみと書いた理由のひとつが内省にあると思う、心理学でいう内観である。リビドーが力学的なものである以上、そこには搖れとか振れが生じる。わたしが興味を抱くのはそこから先である。性器を赤裸にするための剃毛であっては困る。剃毛はあくまでも攻撃性、翻っては内省をすら隠秘するためのものでなければならない。
 さて、エロ子さんが剃毛なさっているかどうかをわたしは知らない。一度チラとでも覗いてみようか。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月19日 20:28 | 固定ページリンク




平井功  | 一考    

 昭和四年八月十八日平井功の纂輯になる襍誌『游牧記』が創刊された。木炭誌を本文に用い全頁二色刷りの手縢本、表紙に用いた極上の局紙には上海の聚珍倣宋字体の活字によって「游牧印書局」と刷られている。扉には限定記号および蔵儲の氏名が活版にて刷り込まれ、巻末には第一号より最終号に至る全冊子の購読者氏名が記されている。恐るべき執心であるが、かかる定見は本邦における先駆的な造書家の一人にこそふさわしく、あっぱれな為事であった。
 当時、改造社の『現代日本文学全集』に端を発した大量生産による廉価版は空前の盛況を呈し、世に謂う円本ブームの真直中。その雑駁な出版界にあって衆愚を厳しく蔑如し、またなんら典籍学上の規矩を持たないいわゆる〈豪華版〉を忌みきらった平井功の見識は、襍誌の部数を六百十六部と劃った事に端的に現れている。もとより書物とは選ばれた少数者のために在し、内容に応じた活字と用紙と装いが献ぜられねばならない。造書家平井功の面目もまたそこに存在した。かつて処女詩集『孟夏飛霜』(大正十一年十二月)の上梓に際し、典籍の形態美における特異な才能の片鱗を示した平井功の、蘊蓄を傾けたであろう開板趣向書が、世の具眼者を瞠目せしめた事は想像するに難くない。だが、この日は栄光への苦衷に満ちた歩みの始まりでもあったろう。十一月三日発售の第一巻第三冊の游牧後記には、両手に小包を持ち、郵便局へと、ぬかるみを雨にうたれながら幾度となく往復する様がこと細やかに記されている。
 「わたくしは何の為にかくの如くにしなければならないのかと考えずにはいられなかった。唯損失を招き、自己の時間を奪われる為だけに、こんなことをしている自分の愚を嘲らずにはいられなかった」
 個人の手になる出版事業が引き起す問題のすべては財政上の一点に帰着すると言っても過言ではあるまい。単なる奢侈逸楽を排し、すぐれた材質の用と美を極限まで活かし、印刷と造本に完璧な気韻を求めた平井功も、拠りてたつ基盤を持たぬ以上自滅するの他はなかった。かくて自家の排印工房を夢み、「書肆経営術に頼らず、専ら純粋の典籍学上並に造書術の知識による書肆の経済的独立」を究めんがため剏められた游牧印書局は、わずか四冊の襍誌を刊して終焉を迎える。所詮は〈南柯の一夢〉であろうか、いま「游牧記」は清楚な趣に溢れてかぎりなく淋しい。

 七十二年の頃、図書新聞へ上記文章を書いた。今ではこのような安っぽく非論理的な考え、即ち「書物とは選ばれた少数者のために在し」といった選民意識を憎悪こそすれ、決して受け容れないが、当時は平井功をそれなりに畏敬していたのである。文中にある孟夏飛霜が上梓されたのが平井功十六歳のとき、思うに十五、六から二十五歳位までが人にとっての旬で、あとは老残ということになろうか。
 アナーキーとニヒルでは政治的動機と位置づけが異なるが、わたしは大正期のそれに倣って均しく扱っている。アナボル論争はあったが、アナニヒ論争なるものは存在しなかった。季村敏夫さんの「山上の蜘蛛」を読んでもそうした消息は変わらない。そして平井功もアナーキズムに走り、獄中で感染した病で夭折する。当時のそういった未分化な考えは同じ大正期に流行った相対性とも通底する。要は中心点の喪失である。中心点の喪失を信じる、言い換えれば信じないということを信じるという、撞着甚だしい考えに囚われたきり、わたしの精神から進歩の概念が失われた。
 以降は、どうでもよいこととどうでもよくないこととの撰別に傾注してきた。それこそが趣味に近いどうでもよいことなのだが。いかなる言葉、すなわち概念であろうともなにものかに相対する。その一方をとって絶対視すること自体がどうにもならない矛盾なのだが、その優位性を競ってひとは議論する。わたしがいうどうでもよいこととどうでもよくないことはそこはかとなく漂う臭いのようなもので、議論の対象にはなりえない。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月18日 19:38 | 固定ページリンク




コリーヴレッカン  | 一考    

『救命艇に人を乗り込ませてください!ここに、このおいしく深くて、強力に泥炭質で、素晴らしく野生のウィスキーの第2の波は、来ます。Corryvreckanはアイレーの北方にある有名な渦からその名前をとります、そこで、最も勇敢な魂だけは冒険する勇気があります。
渦巻いている香りと深い、ピートの、ピリッとする味覚の連続は、この美しくバランスのよい一杯の表面の下に潜みます。パリッとした海草、甘いバニラと栄養に富む、暗い溶かされた果物のその海特徴は、あなたを長い深い終わりに引き入れます。
渦そのものの様に、Corryvreckanは気の弱いものに賛成でありません!』

 ウィスキー業界というものがあるのかどうか分からないが、知己の編輯者や物書きで業界という言葉を好んで用いる方がいる。およそパーソナルな仕事であるにもかかわらず、業界などという巫山戯た文言が罷り通るのであれば、ウィスキーに業界があってもなんら不思議でない。
 上記コピーはアードベッグの新作、コリーヴレッカンのもの。ウィスキーのコピーはとにかく酷い。酷いを通り越して無惨ですらある。上記のコピーを読んでコリーヴレッカンを飲みたくなる人がいたとすればお目に掛かりたい。
 それにしても、このようなコピーを作るひとはなにを考えているのだろうか。どうして素直に書かれないのだろうか。置き換える言葉が見付からなければ「ピートが効いていて美味」でも結構、「アイラ島北方のコリーヴレッカンの渦に巻き込まれるような風情あり」でよいではないか、と思う。新作ゆえ、やむなく来週にでも一本だけ購入する予定だが。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月18日 01:08 | 固定ページリンク




要介護  | 一考    

 障害者手帳には大きな文字で要介護と印字されている。現状ではそう大した介護が必要なわけではない。身体が重いのととにかく寒い、そして尿毒素のせいで疲れやすいのと常に頭はピンボケ、家ではセーターを襲ね着して蒲団に潜り込んだままである。しかし、買い物や食事の用意は自分でしている。ただし、それは症状が基礎疾患のときに限られる。骨折や出血のような他の症状が加わるとお手上げである。死ぬときは独りかもしれないが、生きてゆくに一人ではまるで間に合わない。とはいえ、わたしの主義主張から推して他人に介護は頼みにくい。この先、どうするべきか考えなければならない。とりあえず、小さな借家へ引っ越して様子を見、将来はさらに小さな一間のアパートか公営住宅(独り者には六畳一間しか貸してくれない)へ身を寄せるしかない。引越に必要な荷物の整理が現状では捗らない。身体が冷え切っていて情けないほど動かないのである、ストーブも炬燵も入れっぱなしなのだが、パーキンソン病のように震えが止まらない。少し暖かくなれば身体の自由を取り戻せると思うのだが。
 それやこれやで、掲示板をやめようと思い、「誤解」を書いた。三、四日考えて極度に個人的な「はみだし者」を書いた。さて、これからどうなることやら。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月13日 22:30 | 固定ページリンク




脚註  | 一考    

 moonさんから「はみだし者」を褒められた。書いていて註が必要な時代になったと思った。「チーチク、チーカマ、魚肉ソーセージ、目刺し、あたりめのフライか醤油焚き」と書いたが、念のために検索してみた。やはり、チーちく、チーかまは商品登録されていた。チーかまは魚肉ソーセージのバリエーションで、丸善(書店ではない)が1970年に発売。紀文のホームページにチーちくヒストリーというのがあって1996年に誕生となっている。わたしが描いた時代は60年代前半で、共に存在しない。要は似て非なるものである。
 魚肉ソーセージが開発されたのは50年代初頭(発売元は明治屋)だが、1966年に六甲バター(QBBチーズ)が魚肉ソーセージにヒントを得て、世界ではじめてスティックチーズを発売、その二年前にはプロセスチーズを売り出している。わたしがいうチーチクはそのプロセスチーズをスティック状に切って竹輪に突っ込み切りそろえたもので、チーカマは鮨屋で流行った板ワサに前述のチーズの薄切りを添えたもの。共にワサビ醤油で頂戴した。竹輪に胡瓜など生野菜のスティックを差し込むのは昔から見られる簡便なお通しで、それをちょいとハイカラにしただけのこと。
 当時は、せこ蟹(コッペ)、蝦蛄(しゃこ)そして烏賊の耳(耳烏賊ではない)は食するひともなく、子供のおやつだった。それに目を付けたのが引揚げ者たちで、戦後の串カツ文化は鯣烏賊の耳と鯨肉、それとラードからはじまったとされる。
 あたりめのフライやげそ醤油煮はよっちゃんイカが有名(ロールスロイスはさらに有名)だが、わたしが頻繁に食したものとよっちゃんイカとでは味が異なる。わたしがいっているものは酢を使わず、醤油と味醂と七味で甘辛く煮付け、ずんと固かった。よっちゃんイカのデビューは60年代だが、さらに古く、神戸や大阪には鯣烏賊のげそを煮付ける小さな家内制手工業が多くあって、駄菓子屋や紙芝居屋へ卸していた。一箇一円で後年には三箇十円になったが、馴染み客にはちぎれた足をおまけに付けてくれる、十円硬貨を握りしめてよく通ったものである。ちょんの間のお通しだけでも、このような脚註が必要になる。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月13日 14:38 | 固定ページリンク




はみだし者  | 一考    

 昔、福原町に柳筋というのがあった。その筋というか通りは今でも健在である。ただ、わたしが近しくした柳筋はなくなった。柳筋がなくなったのなら、桜筋も三十軒筋もなくなったに違いない。しかし、桜筋や三十軒筋と違って、柳筋はどこか名状しがたいですぺれーとな街だった。桜筋や三十軒筋が女郎屋、待合い、仕出し屋、置屋の街なら、柳筋にはその筋からはみでた人たちがたむろしていた。特に柳筋の東側にはちょんの間がところ狭しと犇めいていた。赤線地帯に隣接した一条の青線もしくは白線(ぱいせん)のようなもので、歌舞伎町の新宿ゴールデン街や横浜の黄金町と同種の街だった。
 わたしが新宿ゴールデン街へ好んで足を向けるのは、あの街には遠い幼少期の思い出がいまなお漂っているからかもしれない。ちょんの間は二階屋で、一階に小さなカウンターがあって二、三人這入れば満員御礼である。冷蔵庫などという気の利いたものがなく、ビールをロックで飲ませるか、燗酒の二種がメニューのすべてで、他にはチーチク(竹輪の穴に乾酪を差す)、チーカマ、魚肉ソーセージ、目刺し、あたりめのフライか醤油焚き、それに鯨か牛罐と銘打たれた畜産肉の罐詰などが用意されていた。それだけ書くとまるで角打ちのようだが、ちょんの間の客と角打ちの客とでは目的が異なる。
 やがて二階から客が降りてくる。ばつの悪そうな、済まなさそうな顔をして「おさき」といって夜の街へ消えてゆく。すかさず女が階段の上から顔を覗かせて次の客を急かせる。カウンターの婆が袋入りの乾きものを破り、「あと一回戦だよ、一回戦。すぐだからね、これでも喰ってな」。ちょんの間を営むのはあらかたが親子である。
 母が客を品定めし、娘が客を取る。昔からある風景なのだが、昭和三十年代から四十年代の柳筋にはまだ戦後の息吹がそこかしこに残されていた。父母は交番を派出所、JRを省線と呼んでいた。その派出所が柳筋西側真ん中にあった。向かえにわたしが日参した浮世風呂「暖流」があって、その横の筋に三軒のちょんの間があった。子供の頃はちょんの間でバヤリースジュースを、十五六歳からは燗酒を嗜んでいた。「暖流」に限らず、「えびす」「いろは」「たまや」等々、往時の浮世風呂にはわたしが親しくしたバーテンたちがい、ちょんの間では恋の手習いを、浮世風呂では洋酒の手ほどきを受けた。
 「その筋からはみでた人たち」と前述したが、どのような世界にもはみだし者、世にいう零落者がいる。なるようにしかならないと固く信じ込み、すべてを投げ打った人たちである。喰うための必要最小限のこと以外、目もくれない。そういう人たちに見守られてわたしは育った。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月07日 23:33 | 固定ページリンク




営業  | 一考    

 本日から営業です。どうかよろしくお願いします。
 今月の催し物は23日のモルト会と30日の鴨鍋会です。


投稿者: 一考      日時: 2010年01月04日 14:59 | 固定ページリンク




誤解  | 一考    

 掲示板がどういうものなのか、なにを書けばよろしいのか、2001年10月03日にはじめて以来、迷い続けている。「中庸」で「料理人は客を啓発させるのが仕事であって、決して迎合したり同意を求めてはならない。常にひとりそっぽを向いていなければならないのである」と書いた。この啓発すなわち異義申し立てがわたしの為し得た唯一のことでなかったかと思う。ただ、啓発のために、知人も他人も自分も引っくるめて利用してきた。それ故、誤解が生じる。その誤解は「常にひとりそっぽを向」いておれば済むものと心得てきたのである。
 誤解の構造については当掲示板で執拗に書いてきたつもりだったが、そうもいかない種類の誤解が生じてきた。類推でなく言葉尻を捉えられては何を書いても誤解される。そしてそれら誤解を解くつもりはわたしにはまったくない。どうやらわたしは今一度繭ごもらなければならないようである。これだけでは閉じ籠もりの理由にもなんにもなりはしない。それは分かっているのだが、これ以上の詳細は蒙御免。病気の進行に関する事務的なことがら及びモルト・ウィスキーについては書きつづけるつもりだが、内的なことに関しては口を鉗みたく思う。
 管理乃至は技術指導をお願いした櫻井、ヒロ、おっきーさんに深謝すると共に、いままでお読みいただいた方々に満腔の謝意を表する。

 最後に相澤啓三さんから頂戴した一首、
 「ですぺら」は凄絶の粋 笑ひつつ 
   臓器のテープ靡かせ奔る


投稿者: 一考      日時: 2010年01月03日 04:58 | 固定ページリンク




鴨南蛮  | 一考    

 今日は饂飩の鴨南蛮を作ります。鴨南蛮といってもさまざまな食し方があり、冷たい蕎麦を暖かい汁で頂戴するのが一般的だと思うのですが、こんかいは通常の温饂飩にしました。饂飩は吉野葛が這入ったもので、特に旨くはないのですが、少々雅な喉ごしかと思われます。
 最初は治部煮にして饂飩の上に添えようかと思いましたが、残りの使い回しがよろしくないので、軽く炙って後は焚くことにしました。東京の鴨南蛮は濃厚な味付けで、南蛮が意味する「なんば」すなわち葱は直角にぶつ切りにするのが決まりごとのようですが、わたしは白髪葱にしました。理由は食べていただければ分かります。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月31日 04:37 | 固定ページリンク




鼻糞  | 一考    

 鼻から排泄される液汁を鼻汁もしくは鼻糞という。その鼻をかむ紙を鼻紙という。鼻糞は不浄のものであって、それを捨て置かずに鼻をかむのはエチケットである。ただしそのエチケットがエチケットたるためには鼻をかんだ鼻紙がゴミ箱へ捨てられなければならない。近辺にゴミ箱が見当たらなければ、ポケットへいれて持ち帰るのが当然であろう。トイレで流せばトイレは必ず詰るが、生理用具を捨てるためのゴミ箱を設置していない店はないだろう。それでなくとも、ゴミ箱を置いていない店舗はないだろうし、駅やコンビニへ行けば必ずある。わたしは鼻炎なので家や車中をはじめ身の回りはゴミ箱だらけである。
 なぜこのようなことを書くかといえば、客で約一名、かんだ鼻紙を丁寧に丸めてカウンターの上へ並べて帰るひとがいらっしゃる。親の顔が見たいとはこのことで、自宅ではどうなさっているのだろうかと思案する。自己中心との言葉があるが、きっとこのような方を指すのであろう。カウンターでゲロを吐いて一言の謝罪もなく傲然と帰られる方、または使用済みの生理用具をカウンターの上へさらけだして帰られる方、そのような人はいないだろうが、鼻糞の忘れ物も似たり寄ったりである。
 日常生活とは恐ろしいもので、ここかしこに人品骨柄があらわれる。おそらく、その人が書かれるものも件の鼻糞のようなものと思えばよいのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月30日 22:48 | 固定ページリンク




米にもいろいろ  | 一考    

 ヘモグロビンは11.6、造血機能は働いているようである。そちらは良かったのだが、腎機能は着実に悪くなっている。クレアチニンは8.55、すでに透析に這入っていておかしくない数値である。暫く止めていた活性炭の服用を薦められる、腎臓の保護のためだそうである。

 「米180cc(150グラム)は炊飯すると約350グラム、2.3倍ほどの重さになる」と書いたが、これにも例外は多々ありそうである。「春陽」と「晴米」では炊きあげた時の重量がまるで違ってくる。「春陽」と比して「晴米」は約1.2倍の質量がある。おそらく水分の含有量が異なるのだと思うが、正確な理由は分からない。米屋によると、低蛋白米に限らず、米一般について云えることらしい。書物から得た知識はしばしば現実の場から訂正される、その好例であろうか。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月29日 13:11 | 固定ページリンク




料理人  | 一考    

 某ホテルへ働きに行った友人から、あちらでは三種類の魚しか捌けず、勉強にならないと告げられた。河豚は出荷しなに歯をペンチで折るので危険はない。危険なのは鱧や虎魚である。子供のころ、鱧を下ろしていて柳刃で左手のひらを抜いたことがある。危うさはともかく、魚の種類は夥しい。そして骨の位置、下ろす塩梅もことごとく異なる。それは店で習うような種類の仕事ではない。
 わたしは板前をしていたころ、給料の大半を費やしてさまざまな魚を買っていた。下ろし方を学ぶためである。見習いが捌いた魚など売り物にならない。下勉強は隠れてするしかない。どのような割烹であれホテルの厨房であれ、直接習うものはたかがしれている。他は応用であって、それは自ら考案するしかない。自宅で包丁を持たない料理人もしくは焚き物をつくらない料理人を料理人とはいわない。労働時間外に文献を蒐め、日夜勉励に励まなくてはならない。外食で間に合わせる料理人など聞いたことがない。
 本当に彼が料理人になる気があるのかどうか、いささか心許なく思う。教わったことだけを繰り返してことたれりとするならそれは猿真似でしかない。なにごとによらず、環境は問題ではないとわたしは思う。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月28日 21:16 | 固定ページリンク




中庸  | 一考    

 本年最後の血液検査に行ってきた。尿タンパクが異常に下りている、腎臓がタンパクを留められないのである。とはいえ、これ以上タンパクを制限すると体内の残留タンパクが危うくなる。悩ましい問題である。
 いずれにせよ、もう少し様子を見ようということで処方箋をもらってくる、一月末までの薬である。血圧が若干高いのだが、降圧剤を50ミリグラムから100ミリグラムに取換えたばかりなので、あまり気にしないでいる。いま処方されている薬剤は身体に馴染むのに四箇月ほどかかるそうである。
 このところ、療養食に飽いてしまい、タンパク、ナトリウム、カリウム、リンは守っているものの、それ以外はかなり自由に食している。例えば、焼き肉は駄目だがステーキの粒胡椒焼きなら大丈夫、白身魚フライはチリペッパーで味付けをする、先日の合鴨も塩抜きで晒した白髪葱を大量に添えて家のメニューに加えようと思っている。どうやら魚と肉に飢えているようである。

 昔、西洋料理店はどことも薄味だった。味が薄いと思う方は自分でソース、醤油、塩、胡椒などを追加して食べていた。そのために、テーブルにはそれら調味料が用意されていた。現在では、そうした中庸の味付けはホテルの食事にのみ残されているとわたしは思ってきた。朝食の目玉焼きやスクランブルエッグにいくらなんでも塩胡椒は振るまいと思っていたのである。ところが行く先々でそうでもないことに気付かされた。乙張の利いた濃厚な味が好まれる、まるでホテルや割烹の料理までが拉麺なみになってきたようである。ちなみに、わたしは拉麺を料理として認めていない。
 子供の頃、料理人になるとは薄味に馴れるのが必定の条件だった。板前が身を持ち崩すのはことごとくが酒を嗜むことによって味付けが濃くなってゆく、もしくは一人住まい故に外食に口が慣らされてゆくのが理由だった。蛙の列なった卵を想起させる蛸の卵(海藤花)を吸い物で頂戴するとき、一緒に入れる浜ぢしゃの新芽と松の実の幽けき香を楽しむのが料理の醍醐味だと聞かされて育った。そうした割烹料理までが時代に取り残されてゆく。
 陸ちり(おかちり、白身魚の薄造り)で一枚の皿に河豚、虎魚、皮剥、平目、鰈と順に並べて、食べ分けられる方が幾人いるのだろうか。日本近海には約五十種の鰺がいる、伊豆のカイワリと福井の寒鰤にとどめを刺すと思うのだがいかが。料理人は客を啓発させるのが仕事であって、決して迎合したり同意を求めてはならない。常にひとりそっぽを向いていなければならないのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月28日 19:48 | 固定ページリンク




Mac OS 9.2とブラウザ  | 一考    

 2009年7月から入手可能になったブラウザ「Classilla9.0.4」は役に立つ。Internet Explorer 5.1と違ってmixi、Google、ヤフオクにも対応している。Netscape7.0.2、Mozilla1.3、wazilla-macos9-1.3f-7のように左端が切れることもない。レガシーMacを使っている方にとっては朗報である。
 ただし、デフォルトでJavaScriptが無効になっているため、ウインドウの右下に表示されている「S」のアイコンをクリックし、一括あるいはサイトごとにJavaScriptのオン・オフを切り替えなければならない。例えばですぺら掲示板へ投稿するにはアドレスを一度登録しておけば大丈夫である。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月26日 02:08 | 固定ページリンク




年末年始の営業  | 一考    

 年末の営業は例年通りだが、大晦日に来られる方は事前にご教示いただけるとありがたい。人数分だけ麺類の出汁を作ろうかと思っている。初詣は豊川稲荷の予定。年始は四日の月曜日から。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月25日 21:15 | 固定ページリンク




ピンクの軽四  | 一考    

 昨日、帰りがけのことだが、東池袋から右折してなか卯の前の信号で停止した。前方にピンクの軽四、後方にBMWのZ4、左側はジャガーだった。信号が変わった途端になか卯の前へ配送車が割り込み、ジャガーは右へ大きくハンドルを切った。それが理由で軽四とジャガーは接触、スタートをはじめていたわたしは急ブレーキをかけて止まった。
 はなしは簡単で、二台の車は道端へ寄せて話し合いとなるところだった。しかるに、軽四が猛然とダッシュをかけ、逃げ出したのである。どうするのかなと見ていたところ、ジャガーも急発進で追いかけはじめた。当然、わたしもその後を追いかける。陸橋から川越街道へかけて深夜のカーチェイスとなった。陸橋は真ん中から先が三車線になっている。ジャガーは左端の車線を走る軽四の真後ろを追う。追いかけるときは車線を変える方が得策である。わたしは右側車線を走り、二台を追い越してしまった。ところが追いかけられていることを知った軽四は割り込みに車線変更禁止を無視、他の車がクラクションを鳴らすなか、三車線を縦横に走りながら川越街道へ突入。そうなると小型車に分がある。ジャガーやマスタングだと間違いなく事故を起こす。走行車線を逃げる軽四が信号を利用して一気に道路を横断、右折するのを確認してわたしは追いかけるのを止めた。
 それにしても、信号内は車線変更禁止である。接触事故の非ははジャガーにある。非のない軽四が逃げて、非のあるジャガーが追いかける。これは滅多に見られない光景である。もっとも、はなしは単純で逃げたから追うという条件反射のようなものだったのかもしれない。もしくは軽四が無保険車、車検切れ、飲酒運転、無免許ということだって考えられる。それにしても見事な逃げっぷりだった。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月25日 20:48 | 固定ページリンク




素うどん  | 一考    

 無性にうどんが喰いたくて、赤坂のはなまるへゆく。(一言云って置くが「かさね」で教わった旨いうどん屋も知っている)。白醤油を使っているので、色は薄いが、薄いのは出汁の色だけ。あまりのしょっぱさと化学調味料による味付けにお手上げ、こくと云うものがまったくない。以前からこのような味だったのかしらと思う。香川ならともかく、東京ならこれぐらい濃くしなければ客は納得しないのかもしれない。
 話序でに、松屋の牛丼の出汁が吉野家のそれに似てきた。要するに、濃くなったのである。もっとも105円のうどんや290円の牛丼にケチを付けてもはじまらない。はなまるで「かけ」と注文するところを何時もの癖で「すうどん」と云ったところ、「ハイ、すうどんです」と応じてくださった。これだけでも105円の価値はある。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月25日 20:11 | 固定ページリンク




味見  | 一考    

 合鴨の白髪葱和えは好評だった。モルト会へわざわざ来てくださる方のために、サービス品として拵えた。ヒデキさんからリクエストがあったが、小人数でよほどの宴会でもないかぎり、料理は作らない。割烹では平目であろうが秋刀魚であろうが、値は変わらない。要はものの原価ではなく手間暇の問題である。ちはらさんが今年は大変な年だった、料理ができるまでに戻ったと喜んでくださった。しかし、帰りはくたびれ果てていた。
 加水タイプだが、あらたに開栓したクライヌリッシュは旨かった。加水もカスクの選択も申し分ない。ラム・カスクで美味と思ったのは、マクロードのカリラ以来のこと。マルサラやマディラの場合は酸味が加味されて結構なウィスキーが多いが、ポートとラムは品のない甘味が強調されることが多い。ダグラス・レインのクライヌリッシュは滅多に当たらぬ逸品であった。
 解説でも触れたように、ベニーヴァのクライヌリッシュとリンクウッドは共にバーボン・カスク、マキロップ同様ずんと辛口に振られているが、オロロソ・シェリー樽熟成が多数を占めるなかにあって傑出している。
 解説では触れなかったが、ダン・ベーガンのブローラは2005年に24年ものカスク・ストレングスが頒されている。23年ものの倍の値段に跳ね上がったが、23年24年共に絶品、ぜひ飲み比べていただきたいと思う。23年はバーボンホグス、24年はフィノ・シェリーである。マクロードのチーフテンズにもフィノ・シェリー熟成品があるが、香味はダン・ベーガンに軍配があがる。フィノ・シェリーで他に記憶にあるのはスコッチ・モルト・セールスのタリスカー、実は拙宅にあと一本あるのだが。
 幹郎さんからご指摘を受けたが、味見にいと少しのウィスキーを飲んでいる。飲んでみなければ解説は書くのは不可能。ちなみに、合鴨も三種の焼き方を試みて、網焼きに決定した。三種ということは三切れだが、こちらには塩も使っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月24日 21:42 | 固定ページリンク




山本美智代さんの展覧会  | 一考    

 ですぺらから歩いて二分のところで、もっか山本美智代さんが個展を開いていらっしゃる。会期は26日まで、12時から7時までである。乾ギャラリー(赤坂3-8-8 赤坂フローラルプラザビル2階 03-3584-3850)。同ビルの三階にはですぺらが入るビルの管理会社がある。
 先日、相澤啓三さんが個展の帰りに来店。身体障害者になったあらましを話したが、思えば詩人とは一級の言語障害者のようなものである。他人に分からぬ言の葉をさらに弄くり、ことさら難解なものに仕上げる。これでお互い障害者同士になりました、で爆笑。ちなみに、脳梗塞を患い、リハビリ中の知己を挿んでの語らいである。気が置けないとはこのことで、遠慮も本音も立前も味噌も糞も一緒くたである。かかる楽しい晤語が繰り返されるのはあと何年か。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月23日 15:13 | 固定ページリンク




風物詩  | 一考    

 先週と先々週は土曜日を除いて女性客が多かった。木曜日などは終日女性だけだった。ですぺらにしては珍事である。今週も妙な一見客が多い。とある二人連れは英語のカタログを所望、以前作ったことがあるが、書き換えが面倒なので止めてしまった。アメリカ国籍を持つ中国人だそうで、互いの中国語が異なる、従って会話は英語でなさっていた。中国という国の広さが分かる。
 お通しで出したスケトウダラの卵巣の煮付けがことのほかお気に入りで、お代わりまでなさっていた。鱈子と書けば塩漬けになってしまうので、卵巣の煮付けと煩雑に書いている。生鱈子という表記の方が分かり易いかもしれない。
 スケトウダラは日本海、茨城県以北の太平洋沿岸、オホーツク海、ベーリング海、カリフォルニア州沿岸まで、北太平洋に広く分布する。もっとも、わたしは鯛の子の代用品として用いているだけで、鯛の子の方が香味は勝る。今頃は明石の魚の棚では終日、鯛の塩焼きが焼かれているに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月22日 23:04 | 固定ページリンク




合鴨  | 一考    

 モルト会のご予約は三名、合鴨の血抜きと白髪葱を四人前拵えた。串焼きとしていたが、肝心の串がない。そこでフライパンで焼くことにする。悪しからず。
 同居人の出張先はどうやら名古屋だったらしい。例え同居人であってもプライヴェートなことは滅多に聞かない。聞いたところで聞き及んだにとどまる、わたしとは関係がないからである。関係なくもないのが、明日のモルト会である。その日は運転を手伝ってくださるらしい。要するに僅かであろうが、わたしもウィスキーの味見ができる。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月22日 22:55 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説  | 一考    

01 クライヌリッシュ14年
 46度のディスティラリー・ボトル。
 2002年夏の発売だが、正規代理店を経ての入荷は10月より。
 U.D社のボトルと比して、初手はよりホットにしてスパイシーな味わい。暖かく長く続くフィニッシュの中に僅かな甘味があり、バランスの良さでは本品が優るものの、旧ディスティラリー・ボトルにみられるバターのようなこくと香りはなくなった。香味にかなり差異があり、好き嫌いが訣れるところか。
 カードゥ、タリスカーと共にジョニー・ウォーカーのキー・モルト。

02 クライヌリッシュ '89(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
 1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社の系列。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。2008年にラベルを一新。

03 クライヌリッシュ,'89(ダグラス・レイン)
 OMCの一本。ラム・フィニッシュの13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス、360本のリミテッド・エディション。
 1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼輸出業者。1999年より「オールド・モルト・カスク」と題するシングル・モルトのコレクションを頒布。ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営む兄弟会社、ミルロイ兄弟とは古くからの友人。

04 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
 食前、食後を問わない、秀れたオールラウンダー。絹綾のように滑らかで豊かなこくと杳杳(ようよう)たる余韻。銘酒の誉れ高い一本。
 1992年、ブライアン・クルックによってグラスゴーのバーズデンで創業。ヴァテッド・モルトの「フィンラガン」をボトリング。シングル・モルトでは「クーパーズ・チョイス」の名でコレクションを頒している。クーパーズとは樽職人の意。2001年5月にラベルが一新された。

05 クライヌリッシュ,'83(ベニーヴァ)
 バーボンカスクの18年もの。46度。
 ジョン・ミルロイの兄のウォーレス・ミルロイが起こしたコレクション、題してベニーヴァー。初回は下記の三点だが、2001年秋に二回目が頒布され、以降沈黙している。クライヌリッシュと共にボトリングされたリンクウッドのバーボン・カスクは珍品。北ハイランド特有のピートの効いたアロマが顕著。
 モートラック    フレッシュ・シェリー  1974 27年 46度
 クライヌリッシュ  バーボン・ホグス    1983 18年 46度
 リンクウッド    バーボン・ホグス    1983 18年 46度

06 クライヌリッシュ,'83(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本。15年もの、57.3度のカスク・ストレングス。
 マスター・オブ・ワインの称号を持つグラスゴーの瓶詰業者。アンガス・ダンディ社傘下のカンパニーであり、モンゴメリー社とは兄弟会社になる。「マキロップ・チョイス」の名でコレクションが頒されている。同コレクションにはダルユーインやリンリスゴー等、稀少なものが含まれる。

07 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のプリファード・ストレングス。
 スコットランドのマン島のインディペンデントボトラー。さかのぼること300年以上も前から酒類業界に身を置いている。ビールの醸造所を所有していた1960年頃に、副産物としてのウイスキーを生産したのが、ロンバードウイスキーの始まり。当初はウイスキーの樽をブレンデッドウイスキーのメーカーに売っっていたが、1990年代にシングルモルトが注目されるようになると、いち早くブローカーからインディペンデントボトラーに転向。カスク・ストレングスの強いモルトというよりは、46度や50度の少しやさしいプリファード・ストレングスをリリースしている。

08 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
 リキュール系の輝くような甘さとスパイシーな薫香。マスタードの辛さ。加水すると甚だドライでシャープな切れ上がりをみせる。
 1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。

09 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、46度。
 販売は07年から。まず香るのはレーズン、さらに言えばラムレーズン。オレンジピール、胡桃、ドライチェリー、干し葡萄、アプリコット等の香りと共に、ブラック・チョコレートといったやや刺激性の香りも。ヘーゼルナッツやマカダミアナッツが内包する粘りのある舌触り、油性の質感のなかにソルティーな味わい。ダブル・マチュアードによって、軽くフローラルなスタイルに木ノ実の豊かさがうまく加味される。フィニッシュは短いが、ナッティーなほろ苦さが強調されている。

10 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛み応えのあるタンニン。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。

11 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 01年のボトリング。25年もの、43度。
 1967~8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。

12 ブローラ '80(ダン・ベーガン)
 04年のボトリング。23年もの、50.0度のカスク・ストレングス、ホグスヘッド324本のリミテッド・エディション。
「DUN BHEAGAN」とはスコットランドのスカイ島にある村の名前で、この地を支配していた地元のクラン(部族)が、生産者であるウイリアム・マックスウェル社の創業家と深いつながりがあったことから、このブランド名になった。現在のオーナーはイアン・マクロード社。1997年にフランス向けにボトリングをスタート、その後2002年後半に現在のパッケージになり、アメリカ、ヨーロッパや台湾などの世界各地で販売を開始。値付けがお手頃でありながら品質も優れ、売れ筋商品も含めて数多くラインナップされている。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月20日 16:09 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

12月23日(水曜日)の19時半から久しぶりにですぺらモルト会を催します。
今回はクライヌリッシュです。会費は11000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。

ですぺらモルト会(クライヌリッシュを飲む)

01 クライヌリッシュ14年
 46度のディスティラリー・ボトル。
02 クライヌリッシュ '89(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
03 クライヌリッシュ,'89(ダグラス・レイン)
 OMCの一本。ラム・フィニッシュの13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス、360本のリミテッド・エディション。
04 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
05 クライヌリッシュ,'83(ベニーヴァ)
 バーボンカスクの18年もの。46度。
06 クライヌリッシュ,'83(マキロップ)
 マキロップ・チョイスの一本。15年もの、57.3度のカスク・ストレングス。
07 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のプリファード・ストレングス。
08 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
09 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、46度。
10 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
11 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 01年のボトリング。25年もの、43度。
12 ブローラ '80(ダン・ベーガン)
 04年のボトリング。23年もの、50.0度のカスク・ストレングス、ホグスヘッド324本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566

追記
旨い岩塩が少量手に入ったので、合鴨の串焼きを造る予定。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月19日 22:59 | 固定ページリンク




腕時計  | 一考    

 「街頭インタビューや、色々な職業の方にインタビューをし、そこから上がった様々な“法則”の中から興味深い“法則”を検証していく」というTBSテレビの番組があるらしい。
 「“優秀なバーテンダーは、腕時計をしない”という法則が正しいのか、どうか?」という「検証企画の取材に、ご協力をお願いしたい」とのメールがあった。
 かかる阿呆な番組に協力する気はないので、メールは即ゴミ箱行きである。祇園の芸妓や銀座のクラブの女性が腕時計や携帯を持ち歩いているとでも思っているのだろうか。花柳界に限らず、客の目前で時刻を確かめたり、携帯を掛けるなどその客に対する冒涜であろう。もっとも、ですぺらにいるバーテンダーは何時も云うとおり、パーテンダーかハ−テンダーであって、憂愁ではあっても決して優秀ではない。従ってその限りにあらず。
 大体が飲み屋は時を憂え、失恋を慨き、酔いという非日常の世界に身を委ねるための場である。終電を気にかけて酒を呷る向きは居酒屋と相場が決まっている。本来、飲み屋には時計すらあってはならないのである。ところが飲み屋へ来て、まずテーブルやカウンターに携帯を置くひとがいる。己が属している領域からの離脱を懼れ、まるで携帯こそが唯一の存在証明であるかのごとく。思うに、腕時計や携帯は自分のなかに穿たれた現実の楔のようなものであろうか。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月17日 20:34 | 固定ページリンク




水と茶  | 一考    

 某メーカーのグレープフルーツ(濃縮還元果汁100パーセント)を買ってきた。成分表示にナトリウム0と記載されている。濃縮還元なのでカリウムの心配もなさそう。このようなジュースもあるのだと知った。おさらいだが、ナトリウムは食塩以外にも含まれている。そしてナトリウムに塩素が結びつくと食塩(塩化ナトリウム)が生成される。そのナトリウムに対する食塩相当量は以下のように求められる。
 ナトリウム(ミリグラム)×2.54÷1000=食塩相当量(グラム)

 緑茶はカリウムが高くて飲まれないので、拙宅ではいつもウーロン茶を飲んでいる。大きな鍋で大量につくって冷蔵庫に入れている。よってカテキン色素が酸化して変色し、ひどく不味い。例えウーロン茶であっても淹れ立ての熱いのが旨い。分かっているのだが、面倒なのである。その点、市販されている茶の類いはチルフィルターで濾過されているので問題ない。「宵越しのお茶は飲むな」はすでに死語であろう。
 それにしても、ピンク・レディーに端をを発する缶・ペットボトル入りのウーロン茶や紅茶の開発はやがて日本茶へと拡がってゆく。はじめてペットボトルの茶を目にしたとき、水同様、誰がこのようなものに金を出すのかと驚いた。それまで有料の茶といえば、長距離列車で弁当と共に売られる煎茶しか存在していなかった。店の水も茶も市販品だが、わたしが飲んでいるのは水道水である。いまだに金を払う気にならないでいる。ナトリウム、カルシウム、カリウム、マグネシウム等、ミネラルがが含まれているのも大きな理由のひとつだが。

追記
 「濃縮還元なのでカリウムの心配もなさそう」などと書いたが、濃縮還元の方がカリウムは高い。わたしの勘違いで、やはり飲まれるものは葡萄ジュースぐらいなもの。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月16日 22:35 | 固定ページリンク




先輩と後輩  | 一考    

 同居人が出張である。わたしはと云えばおでんを大量に作り置きし、大根と蒟蒻と玉子以外は二人前ずつ抛り込む。別につぶ貝とスケトウダラの卵巣の煮付けがあるので併せておまんまを頂戴している。
 かつて掲示板で書いたが、わたしは一日二食、一食は低蛋白米160グラムである。ところで、外食の牛丼とやらは並盛りが260グラムもあって到底食べられない。松屋に180グラムの小盛りができてやっと手の届くものになった。十代から二十代にかけて山本六三さんと一緒だった頃はさらに食べなかった。八島の天丼を二人で二等分して恰度の量だった。なぜか、二人とも食べるということに嫌悪感を抱いていた。飲みながらの葱炒めや鱧皮酢、生鮨(しめ鯖のこと)が十分に食事の代わりになっていた。
 わたしが遠慮なく食べるようになったのは二十五歳から後のはなしである。既に余生なのだからなにをしても構わないだろうと思っていたのだが、覿面に体重は増えた。一時は70キログラムを超えたことすらあった。現在は65キロから55キロのあいだを行きつ戻りつしているが、これでも多いと思っている。食べ物の質量は血液検査を睨めっこしながら決めている。次回二十二日の血液検査で輸血の結果が出る。

 成田一徹さん来店。彼は多血症で定期的に瀉血を施しているらしい。因果関係はまったく逆だが、似た症状を呈す。即ち頭痛・めまいなどの非特異的な中枢神経症状や高血圧である。血液検査表をお見せしたがさすがに詳しい。
 神戸在の石井一男さんのはなしになる。石井さんは神戸らしい強烈なニヒリズムに色彩られた画家、一度お会いしてみたいと思っている。成田さんは夢野台高校の後輩、石井さんは先輩のようである。もっとも三日ほどしか行っていない学校だが。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月14日 23:25 | 固定ページリンク




 | 一考    

 一昨夜、稲葉真弓さんがすっぽんスープの罐詰を土産にいらした。雑炊にすると旨いらしい。そういえば、雑炊と茶漬けは食塩を嫌ってこの半年ほど食していない。成分表示によると他にナトリウムを摂らなければ大丈夫そうである。稲葉さんは薄めればと仰有っていたが、いくら薄めても全量飲めば同じことである。支那料理の出汁、饂飩・蕎麦の出汁、焼きそばソース等々、ことごとく定量の半分を用いている。すっぽんスープも二度に小分けし、水で薄めて雑炊にすればよい。
 病は致し方ないが、それにしても元気だけはとの稲葉さんのお気持ちに感謝したい。彼女には黙っていたが、同世代で何人もの知己が癌で苦しんでいる。なかには余命を宣告された方もいる。過日、人は生きているあいだは元気である、と書いたのには万感の思いが籠められている。死の前日までみんな元気を装って生きている。それが解っているがゆえに、他人の健康状態については口を閉ざそうと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月11日 16:46 | 固定ページリンク




モルト会  | 一考    

 しばらく休んでいたですぺらモルト会の予行演習を今月23日に催します。祭日ゆえ一般客はなく、モルト会の貸切です。
 酒はクライヌリッシュとブローラ、クライヌリッシュ単一のモルト会ははじめてでなかろうかと思います。
 このところ、当店ではなぜかクライヌリッシュの呼声高く、拙宅の在庫を調べたところ三本出て参りました。ブローラは少なからず在庫しておりますが、クライヌリッシュはこれでお仕舞い。こぞってのご参加よろしくお願い致します。詳細は追って掲載します。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月10日 19:09 | 固定ページリンク




フルーツ罐  | 一考    

 増田さんからフルーツ罐を大量に頂戴した。それにしても罐詰はどうしてかほどに甘いのか。中に含まれているシロップを捨て、冷蔵庫で二、三日水に晒すとおいしくいただける。特に洋梨やマンゴーにはカリウム・ナトリウム共に0から2ミリグラムしか這入っていない。香味は生には遠く及ばないが、わたしは結構楽しんでいる。
 果物以外にも干しヒジキ、切り干し大根、海苔、昆布、大豆、納豆、ほうれん草、さつまいも、パセリ、筍、きのこなど、カリウムが豊富に含まれた食品は多い。意外なところではベーキングパウダやインスタント珈琲にもかなり含まれている。店に置いているドライフルーツやナッツ類もカリウム含有量は高い。ナッツ類はさらに塩分が加味されているので困りものである。
 近頃、家でお好み焼きをよく作る。辻さんのパスタの向こうを張っているようなものである。塩は用いないとは云っても、出汁を採るのが面倒なので出しの素を少量使う。後は同じだが、焼き上げてからソースとマヨネーズはほとんど塗らない。そのために極端に小麦粉を水で薄める。早いはなしがもんじゃ焼きの厚焼き版である。おかげで屡々失敗し、崩れてしまうときがある。
そのようなものでも、塩分と縁がなくなったわたしにはおいしく頂戴できる。
 前述のフルーツ罐に甘夏があった。みかん罐は総じてライトシロップを用いるので好きなのだが、増田さんご用達の甘夏罐は上白糖使用で本来のほろ苦さが残っていた。同じ仕様で八朔があれば良いのにと思う。

追記
 検索したところ、八朔の罐詰が売られているのが分かった。しかし、普段購入している蜜柑、二十世紀、梨、桃、パイナップルの四種は一罐百円である。近所のバッタ屋はやはり安価である。あるものを喰っていればよいのであって、贅沢は云うまい。それでなくとも子供の頃、パイナップル罐は憧れの高級食品で、中華料理屋の酢豚に必ず這入っていた。それが理由で昨今の黒
酢の酢豚が苦手である。パイナップル、玉葱、ピーマンが添えられた野菜炒めのような酢豚がお気に入りなのである。


投稿者: 一考      日時: 2009年12月01日 10:38 | 固定ページリンク




フクさん来店  | 一考    

 月曜日にフクさんが大阪から来られるようである。営業日時の問い合わせがあったのでこちらでも書き込んでおく。十一月七日以降、通常営業にもどった。カレンダー通りだが、営業時間は七時からになった。通勤に四輪を用いているが、その駐車場の費用削減対策である。知己から貸切で忘年会の申し込みがあったが、その場合は営業時間を早くする。その辺りは個人経営なのでなにごとによらず自由である。なお、モルト会は一月から再開の予定、年始に鴨鍋会を催したいと思っている。
 健康状態はこのところ安定している。とは云っても、慢性腎不全は進行こそすれ良くはならない。気長に死を待つだけのはなしである。七月十五日から八月十日まで、十月十一日から十一月六日までの二度の休みは慢性腎不全ならぬ靭帯剥離骨折と大腸憩室からの下血によるもの。それらは腎不全と関係なくもないが、やはり別の傷病と解するべきである。
 輸血から約一箇月、次々回の血液検査で結果が出るだろうが、血色素量(ヘモグロビン)は増え続けている。ともあれ、これ以上の下血もなく、年内は無事に終えたいと願っている。売上の二箇月分に当たる三十五万円の国税をこれから捻出しなければならない。一年ほどは喰うや喰わずの生活がつづく。


投稿者: 一考      日時: 2009年11月30日 01:51 | 固定ページリンク




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