夢然堂さんの Twitter で steward さんと夢然堂さんの遣り取りがあったのを知った。「今となっては貴重な写真。昭和49年5月末、神戸三宮・さんちかで催された我が国初のタロット展。同年刊行の木星王著『超念力入門』(日本文芸社)より。 この展覧会についてはウラヌス星風の『タローカード入門』でも紹介されている。」とのキャプションが添えられている。
確かに、5月30日から6月4日までさんちかタウンで催した、わたしが27歳の時のはなしである。わたしの手持ちのタロットカードと岡田夏彦さん所有のカードを併せての展覧会だった。往時、荻窪のミニヨンにあった画廊人魚館を休んで岡田さんは拙宅に泊まり込みだった。泊まり込みとは申せ、半年ほどいらしたのであるまいか。種村季弘さんとのあいだで金銭面でのトラブルがあって、東京に居づらくなったのが理由とわたしは思っている。この件に関して、種村さんの奥方とはなしたことがあったが、個人的なことゆえ、ここでは触れない。
タロット展は会場にキャンセルがあって急遽埋めろとの命令に従ったまで、岡田さんがいなければ成り立つ企画でなかった。岡田さんについてはいつか書かなければと思いつつ、そのままになっている。彼をわたしに紹介したのは京都書院の杉本茂行さんである。初対面で愕いた、泰西文学に関していかなる質問であれ、彼が知らないといったのを聞いたことがない。さすが、種村さんの(第一秘書)である。塚本邦雄さんから縁を切られたばかりの須永朝彦さん、種村さんと別れたばかりの岡田夏彦さん、そして生田耕作と喧嘩になったわたしが上手くいかない筈がない。コーベブックスを中心にして厚誼は続いた。
タロット展である。占い師を集めて会場で占っていただこうとのはなしになった。ところが、当時誰もタロット占いができない。岡田さんが即席の講義をし、みなさんが聞き入る。さすが占い師である、数時間後には昔からタロット占いをしていますという顔付きになっていた。
タロットが11PMで取り上げられることになり、占い師を連れて大阪の読売テレビへ赴いた。朝から何度もリハーサルを繰り返し、いざ本番というとき、それまで白髪だった藤本義一さんの頭が真っ黒になっている。
東京でも展開しようと、西武や東急、伊勢丹などあらゆる百貨店へ飛び込みで企画を売り込みに行った。もっとも高く買ってくれたのは東急である。それにしても、百貨店の受付で社長に会わせろはないだろう、今思うに赤面の至りである。それと東急に決めた理由はいまひとつ、札幌やハワイでの展覧会が可能だったからである。その札幌行でわたしは生まれてはじめて飛行機に乗った。
追記
写真には、主催 コーベブックス 協賛 滴翠美術館、画廊人魚館 後援 大槻守商事と記載されている。滴翠美術館は当時の館長山口格太郎さんと岡田さんが昵懇の間柄だったがゆえ、大槻守さんも亡くなられたが、古版マルセイユタロットの輸入をわたしがお願いした。ちょっとやんちゃなところがあったが、根は誠実、実に愉しい方だった。
札幌へは占い師のカメリア・マキさんとご一緒した。今も美魔女で活躍のご様子、機会があればお会いしたいと思っている。