月曜日にあまねさんが飲みにいらっしゃるかも、との電話があった。増田さんご一統に続いての歓びである。あまねさんは当掲示板で書く内容に精通していらっしゃる。今回も「くそったれ」に引っ掛かってこられた。その思考回路の複雑さにわたしは惹かれる。
彼は女性の裸を見たぐらいで躪り寄るほどやわな男ではない。単純な男は世の中に掃いて捨てるほどいる。そして掃いて捨てられるような塵とばかり付き合っていると、女性の頭の中までが腐ってくる。当然のことだが、わたしは男女というような二項対立だけでものを云っているのでない。ひとがなにをしようが自由であって、他人がとやかくいうようなことでない。ただ、世の中には塵と塵であることを潔しとしないタイプとがあって、付き合い方は相手に応じて識別しなければならない。この峻別こそ、自らが生きる糧のようなものでないだろうか。
思考とは相手の立ち位置をおもんぱかっての精神的交流、謂わば弁証がなされてはじめて成立するものである。わたしはそのように互いが混じり合う関係をより上位に置いてきた。肉体の交わりも大事かも知れないが、精神的糧すなわち苗床を与えてくださる相手との交わりこそ何物にも代えがたい宝物だと思っている。そして、苗床をもたらす相手はいつの時代にあっても少数者である。ひとは一人でさまざまな物事について考えることは不可能である。だからこそ、身の回りにいる少数者はとりわけ大切にしなければならない。
何時でも絶交はできる。しかし取り返しのつかない絶交はなにがあっても避けなければならない。たとえ、謝罪してでも。腹を立てる自分を信じる前に、他に信じるものがあるかないかに思いを致すべきでないだろうか。そうでなければ、腐った頭が次には朽ち果ててしまう。お分かり頂けたであろうか。