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群れ   一考   

 

 掲示板は詮無いもので、わたしなどは端から応答があるとは思っていない。(とど)の涎とか(とど)の祭りとかよく云ったもので、個人宛私信ならばひとは返書を認めるが、そうでないものは無視をする。わたしは私信すら屡々無視して顧みないが。
 人と人との関係は誤解の上に成り立っている。従って、応答を繰り返すうちに誤解が拡がって修復不能になる。こんな筈ではなかったが、三年前にあなたはこう云った等々、掛け違いは分かっていても面倒なので捨て置く、打っ遣た結果が破綻である。その点、虚無は完結でよい。虚無なんぞ持ち出された日にはそこですべては終了する。話し合う必要すらなくなってしまうのである。ところが、虚無について七時間喋り続けた例もある。
 徒し事はさておき、人はどうして群れたがるのか。話相手がほしいから、淋しいから、なにかしら刺激が欲しいから、なかには忖度から群れているひともいる。淋しいから群れるひとは一人になったときさらなる孤独に耐えなければならない。刺激が欲しいから群れるひとはなにか誤解がある、刺激というものは与えるものであって与えられるものではない。話相手が欲しくて群れるひとにも誤解がある、ひとはみんなてんでに自己宣伝をするだけで、ひとの話を親身になって訊くような構図は皆目見受けられない。関係というのは常に一方通行である。忖度から群れるのがおそらく一番多いケースだと思うが、云いたくても黙っている方が得策と判じ、大樹の陰で控えている。お零れにあずかる小動物のようなものである。待てど暮らせどお零れなんぞあろう筈がない。
 群れる暇があれば本でも読むことである。それも極力人が繙きそうにない本がよろしかろう。評価の定まった本は既存の評価に惑わされるだけである。無名の新人か、忘れ去られた作家ならまだ参入の余地がある。ひとが気付いていないメッセージを見付けられる可能性がある。わたしはそのようなメッセージを見付けてきて一人で北叟笑んでいるのが仕合わせなのである。その悦びをひとと頒かち合うつもりは毛頭ない。


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2010年06月04日 04:45に投稿された記事のページです。

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