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物の上手   一考   

 

 ひとに手紙を送るのは難しい。誤記、脱字、その他の間違いがないだろうかと投函した後もポストの回りを彷徨(うろつ)くことになる。それが嫌で、二十歳になったときから手紙を一切書かなくなった。書かなくなったことを屡々非難されるが、こればかりは勘弁してほしい。最近はメールという安直なものができたのでよく利用する。
 掲示板もひっきりなしに弄くっている。要もないのに書き換えているのである。櫻井さんが管理人のときは叶わなかった推敲がいまでは可能である。もっとも、推敲とはいえ、私の場合は最適の字句や表現を求めての改変ではなく、ただ徒に捻弄しているに過ぎない。推敲とは「推」を改めて「敲」にしようかと迷い続けることであって、この三日間の書き込みも再三に渡って捻弄している。「ねんろう」は耕衣さんの造語である。
 さて、坂田さん(お名前は控える)からメールを頂戴した。面識はないが、もう苗字を書いても構わないだろう。前述のMSさんである。MSさんからの手紙にも誤記があった。暖房が暖防になっていたのである。他にもあったが、わがことのように羞ずかしく思った。
 去年のことだが、さる人の文章を非難したところ、絶交されてしまった。もっとも、私が非難したのは「視点の未分化」であって、それ以上でも以下でもない。大体が、付き合いと文章の是非はまったく次元の異なるはなしである。それが丼勘定されるのはとても不思議で悲しかった。おそらく幼児性が異常に強いか、もしくは文章によほどの自信があったのであろう。しかし、文章に自信があるなどという戯言は私には信じられない。みなさん自信がないからこそ、書き直すのでないだろうか。書き直すとは表面の取り繕いではなく、中身の一新でなければならない。私は雑誌社から何度原稿を突き返されたか分からない。いちから書き直せとの仰せを書くたびに聞かされたのである。
 その絶交が災いして、相手がプロでない限り、ひとの文章を非難するのは止めてしまった。それが坂田さんの原稿を読みたくないといった理由である。繰り返すが、活字になったものなら読ませていただきたく思う。その場合は活字にした人の責任が介在するからである。仮に非難するにせよ、その対象は介在したひとに向けられる。
 私は思うところをそのまま口にする。従って、ひとの反感を買い、世間を狭める結果となる。稀にべんちゃらを口にすることもあるが、それは励ますようなときで、下心がはっきりしている。いずれにせよ、飲み屋の親父にはあるまじき行為である。糅てて加えて、私は自らのの姿勢を何度も掲示板で著してきている。
 例えば「情念を重んじ非論理的な文言は赦さず、「賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る」輩が迷い込んできたときは弾劾する」と橋本真理さんに関する文章で書いた。この場合、「賞なしコネなし」はやる気さえあれば付いてくる。従って剰余を削れば「やる気なしで作家を気取る」となる。
 このようなことを書けば、話の接穂がなくて困惑する。そこで一条兼良の「小夜のねざめ」からひとこと。彼は自信家で権威主義者だが、たまにはよいことも言う。

 世の末にはあしき事もよくなり、よきこともあしくなることもあれども、物の上手、人の稽古などはかくれぬ物ぞかし。

 坂田さんのメールに「半分趣味ですが、趣味だからといって軽く考えているわけではありません。書くからには上達したいという思いは持ち合わせております」とあった。ここにも誤字があったが、それはさておき、趣味で結構、林達夫やヴァレリー・ラルボーのいうアマトゥールの精神だけは終生忘れないでいただきたい。あとは一語一語を大切にして、いつの日か素晴らしい作品を書いて私を愉しませてくださいな。


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2008年04月17日 11:20に投稿された記事のページです。

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