二十歳のときに封じ込めたはずの蕁麻疹がふたたび発症したと思った。左顔面と耳朶、首全体に発疹が顕れたのである。とにもかくにも痒くて居た堪らない。近所の薬局へ飛び込んだところ、どれどれと観察し「このような蕁麻疹はない、なにかに気触れたのだろう」と軟膏を処方する。一週間ほどで癒るとの御託宣の代金が大枚千六百円だったが、蕁麻疹でないと分かっただけでもその価値はある。ことほどさように、蕁麻疹には泣かされた過去がある。
記憶がはじまる四歳から二十歳に至る十余年はアトピーと同居していた。とりわけ酒を飲みだした十四歳からあとは酷かった。酒を一口飲むと全身に発疹する。気管支喘息、鼻炎、蕁麻疹、皮膚炎が繰り返し襲ってくる。塩水の蒸気吸入とスイス製の抗ヒスタミン剤、抗プラスミン剤を欠いては日常生活そのものが成り立たなかった。酒を止めればよさそうなものだが、その選択肢は私には考えられなかった。なぜかと云うに、柳暗花明にあって酒を嗜まないというのは人と人との私交を反故するに等しい。要するに、色里のしきたりを無視するような傲慢さの持ち合わせが当時はなかったのである。
このアトピーと呼ばれる一群のアレルギー性疾患は難儀な代物で、上記の症状はことごとくが深く重なり合っている。体質素因が理由の過多だが、他人は食物への好き嫌いだの、精神だの、果ては気合いだのとあらぬことを口走り詰責する。それこそ、したたかな根性が具わったと思われる現今にあってすら、慢性副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)と無呼吸症候群からは解放されないでいる。医師からは慢性気管支炎の患者の痰からは、しばしばインフルエンザ杆菌が検出されると脅され、人生から口吻という快楽を抛棄するに至った。他にも蕁麻疹と仮性包茎(こちらはアトピーとは関係ないが)が理由で銭湯は知らずじまい。結果、風呂嫌い温泉嫌いとなって今に続いている。
車の免許を取得したのは平成元年、取るなり出掛けた北海道は函館のすぐ傍、南茅部町の大船温泉がおそらく生れてはじめての銭湯であり温泉であった。露天風呂を出たり入ったり、二時間はたっぷりと浸かっていただろうか、あの時のうれしさは筆舌に尽くしがたい。北海道をこころの故郷というのにはかような理由があったのである。
指で骨折していないのは双の親指と小指、それと左手の薬指だけである。そして、いまでも右手中指の第二関節には皮膚が瘤のように硬くふくらんだところがある。これは喧嘩ではなく、最後に蕁麻疹を封じ込めた箇所である。愛おしむべき瘤で、以降抗ヒスタミン剤が生活の場から消えた。ところで、二十九日は車のメンテナンスをしていた。どうやらその最中に毛虫に触れたようである。庭に梅の木があって、毛虫の巣窟になっている。梅の下には紫陽花があるが花は咲かない。いっそ梅を根こそぎ剪り取りたいと思っている。