周さんに付き添っていただいて、水元公園を散策。途次、種村さんのことばかり思い浮かべる、「玉葱の皮剥き」について掲示板で触れたからか。初めてお会いしたのは私が二十歳の時、以来、虚無のはなしばかりしてきたように思う。最後になった対談(活字には出来ずじまい)も話題は虚無ばかりだった。虚無などと口にするとはなしはそれ以上進まない。青臭い感慨なのだが、どうも虚無からは逃れ得ない。この消息は横須賀さんとも同じだった。彼も名うての虚無好きで、おそらく酒や女よりも実体のない概念に恋い焦がれていたように思う。
そう云えば、六さんの口癖も虚無だった。もっとも、彼の虚無は老子直伝の虚無のようで、「形状がなく、見ようとしても見えず、聞こうとしても聞えない」という花も実もないところのものであった。虚無に花があるかどうか知らないが、マラルメの詩篇などはそれに近いものであるまいか。おそらく虚無が咲かせる花は美しいに違いない。だって、美とはそういう実体のないものだからである。
周さんが一考の書く種村論も種村さんの書く一考論も、どちらも玉葱の皮剥きなのだが、皮の内側については一言も触れられていないと云う。中身がなにもないんだから仕方がないよと応える。・・・周さんは歳は若いけれどなにかしら「見ようとしても見えず、聞こうとしても聞えない」要は本質とか本性といったものの意味のなさを知っているように思う。好き嫌いといった売れ残りの弁証法を周さんは嘲笑う。そう虚無主義者には嘲笑しか残されていない。
何時だったか文学はネトニミーだと書いたことがある。その置換のありかたにこそ、苟且の芸があるのではないだろうか。