レイアウトが崩れる方・右メニューが表示されない方: >>シンプル・レイアウトへ

« 重湯と粥 | メイン | ストリップ »

執刀医との晤語   一考   

 

 執刀医は瀬戸口さんだったが、山崎医師とおなじく、存分に個性的な方だった。自ら移植手術を執刀するがゆえ、移植には賛成である。しかしながら、それが夫婦間の問題ならどうだろうか。例えば女房が腎不全に罹り、わたしがドナーになる、このケースは問題なし。次ぎにわたしが腎不全に罹り、女房がドナーになる、このケースなら断わる。あと三十年ほど経ってIPS細胞が実用化されるまで、この微妙な問題は生じ続ける。
 わたしに最初移植を勧めたのは隆さんである。隆さんはわたしの肉親であるがゆえ、遺伝子上の問題が生じる可能性が残る。わたしは移植をお断り申し上げた。そのころからである。東葛クリニックでの話し合いがはじまった。ベースにしたのはこの二年間の血液検査一覧である。移植手術は術後数年で透析治療へ戻る方が多い。特に糖尿病の場合、術後の栄養指導、食事療法が有効に効かないからである。糖尿病をどうのこうのは云わないが、糖尿病患者であればこそ、事後の食事療法とそれを全うするにたるだけの調理技術の取得の双方が患者に求められる。そうでなければ折角のドナーから提供された腎臓を無駄にすることになる。
 さて、東葛クリニックである。わたしはこの二年間、リンを除いてそれ以外の食事療法をほぼ実直に守ってきた。三年間、わたしは外食をしていない、すべてを自炊で賄い、徹底した塩分の除去を計った。二年間守られた食事療法ならこれからも守られる、これが結論だった。わたしは改めて公子さんに移植の相談を持ちかけた。なにごとにも完璧はあり得ない。移植腎にしても、一年よりも二年、二年よりも三年、長生きさせるのがレシピアント最大の務めである。

 今回、戸田中央で十六年前に最初の移植手術を受けた女性、一年前に移植手術を受けた男性、来週移植手術を受ける男性、さまざまなひとと話し合った。その結果、わたしのなかに大きな疑問が湧いた。失明を含む合併症、慢性腎不全、それらは最終症歴の一部であって、因果関係は糖尿病にある。まず、糖尿病と闘い、例え根治せぬまでも、十二分に鳥瞰するだけの識見を持たねばならない。

 当掲示板に結論はない。結論を導くのが目的でないからである。当掲示板はわたしの試行錯誤の場、一方に明解な解答をもって知的と振る舞うひとたちがいる。ひとの知とはそれほどに浅薄なものとは思われない。解答を得た途端、指先から毀れおちる無数の疵や迷いがある。多くの事例には多くの種類の答えがあって、それら答えのなかでひとは必ずや引き裂かれる。そのようなときでないだろうか。なにかしら遠くにたち上る翳みのようなものを目にするのは。「白露の色はひとつをいかにして秋の木の葉を千箇に染むらむ」(7月22日)


←次の記事
「ストリップ」 
前の記事→
 「重湯と粥」

ですぺら掲示板2.0トップページへ戻る

このページについて...

2012年07月30日 05:57に投稿された記事のページです。

次の記事←
ストリップ

前の記事→
重湯と粥

他にも
  • メインページ
  • アーカイブページ

  • も見てください。

    アーカイブ

    ケータイで見るなら...


    Google
    別ウィンドウ(orタブ)開きます。

    牛込櫻会館(掲示板1.0他)内
    ですぺらHP(掲示板2.0他)内
    Powered by
    Movable Type 3.34