ですぺら
ですぺら掲示板2.0
2.0








総菜  | 一考    

 行きつけのスーパーの総菜を日曜日に買った。たまには肉をと思い、398円のプルコギを購った。木曜日までの5日間、副食はそれとサラダだけで済んだ。これではいけないと思いつつ、1日1食になってしまった。
 食欲は性欲と同じで癖になる部分を内包している。食べる時は食べるし、食べないときは食べない。食べないよりは食べられないと表記するのが正しいのかも。薬は食後に服用すようにと薬剤師はいう。しかし、食事をしていないので、薬は飲んでいないとの天邪鬼もでてくる。本末転倒とはこのことで、食事なるものを生活の規範にしてはいけないとの証左であろう。わたしのまわりで、1日3食摂っている方はいないと思うが、世の中には強迫観念のごとく、3食を食べ続けている御仁もいらっしゃる。
 とはいえ、いまのような(1日1食)食事を繰り返していると病気になる。病人のわたしがいうのだから間違いない。いろんなものが食べたくて、期間はともかく転々としてきた。松山、岡山、大阪、京都、岐阜、新潟、東京、埼玉、北海道、そして神戸と明石である。父が死んだときに高田を、そして福原と花隈と云う街が消え去った時点でわたしにふるさとはなくなった。しかし、最初と最後はどうやら神戸のようである。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月14日 04:00 | 固定ページリンク




会席  | 一考    

 玉子焼きが明石焼きになったのは明石名物を気取ってのことと思う。似たものであっても、東京ならば東京焼きとでも称するのかしら。玉子焼きにしろお好み焼きにしろ、東京の方がはるかに旨い。使っているタコも太東・大原産真蛸、明石のそれよりもずんと美味とわたしは思っている。山芋の粉やじん粉は疾うの昔から関東では用いている。久しぶりに明石へ戻って気付いたのは、明石は昔のまま、なんの深化もないのである。置き去りにされた街とでもいうべきか。

 昔「銀花」で日本道楽散歩・神戸篇を執筆した。その折に明石の人丸花壇と舞子ホテルにもご登場願った。両店舗共に、往時の会席料理は美事だった。わたしにいわせれば、明石で料理らしい料理を作っていたのは人丸花壇と来住だけだった。来住がなくなったのは残念だが、当時の明石のひとたちには来住の素晴らしい料理が理解できなかったというだけのこと。
 引っ越してから数件の割烹に出かけたが、わたしに云わせれば素人料理。非難するようなことは当掲示板では禁句だが、料理にせよ、酒全般とりわけ洋酒に関しては識見のないこと夥しい。明石や神戸でしか通用しない素人相手の商売人ばかりかと疑いたくもなる。もっとも客がそれを望むならそれはそれで致し方ないが。
 魚を下ろすだけなら河豚から鱧にいたるまで、わたしのような素人でも十分にできる。今までに河豚の200尾から300尾はばらしてきた。そしてテトロドトキシンでひとを殺めたことはない。嵐山吉兆の料理長からちりめん山椒の作り方を教わったが、わたしの作り方はまったく異なる。そちらはいろんな料理雑誌で執筆してきた。特に。赤坂時代、ゆくりなくも料理王国の編集長と親しくお付き合いさせていただいたのは楽しい思い出だった。わたしは料理がこよなく好きである。ただ、基礎をおろそかにした会席なら巷の牛丼で結構と思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月14日 03:56 | 固定ページリンク




ワインの整理  | 一考    

 赤坂ですぺらで用意した約2000種のワインのうち、100本ほどが売れ残っていた。それをオークションで売るのだが、中身をチェックして愕いた。出水のワインが七割を占める。往時、ワインの輸送業者で信頼できるのは1社しかなく、出水は取り扱うワインのすべてをそこに委ねていた数少ないワインショップだったのである。赤坂で出店した折り、その輸送会社の女性社長が赤坂エクセルホテル東急とANAインターコンチネンタルホテル東京のバーテンダーを伴って来店、神戸地区でわたしたちのワインを扱っているのは、三宮の頃末酒店と長田のすみの酒店、個人ではあなただけだったと云われた。この日、お三方にお飲み頂いたのは、リパ・デッレ・マンドルレ(カステッロ・ヴィッキオマッジョ)の94年だった。フルボディでなく敢えて出たばかりのミディアムを薦めたのにはそれなりの理由がある。そして白はミュスカデ・キュヴェ・ワン(ルイ・メテロー)95年、90年代で唯一造られたヴィンテージで、ですぺらでもっともワインに五月蠅い永瀬さんのお気に入りだった。永瀬さんによると片仮名にするとムスカデの方に分があるようである。
 ワインと云えば横須賀功光さん。前田美波里、山口小夜子、宮沢りえなどの資生堂ポスターを撮影、イタリアンヴォーグ、ドイツヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランスカメラマンとして名を馳せた。彼がですぺらでの開口一番、「飲んだことのないワインは存在しない」。ロマネコンティのモンラッシェが1本だけ残っていたのだが、当然、知っているよの一言。フォンテーヌ・ガニャールのバタール・モンラッシェ89年を3本、堺のコレクターから買い受けたものだが、そのヴィンテージは飲んでいないとのことで、お飲みいただいた。横須賀さんのシャトー・ペトリュスの方が好きとの言葉からワイン談義が1年間、彼が亡くなる日まで続けられた。そこから先の消息は当掲示板に詳しい。
 さて、ヤフオクである。87年から96年にかけての赤ワインの一部を取り敢えず出品した。ウイスキーと違って醸造酒の経年劣化は避けられない。最初は全品1000円でと思ったが、シャトー・ラグランジュの空き瓶が1800円で売られている。自信はないが然るべき値段を付けた。家賃の足しになればよいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月13日 01:44 | 固定ページリンク




スコットランドの山の頂でラガヴーリンを飲む至福  |   一考

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 ドナルド・レニック前所長(現在は女性)が来日した折りのインタビューです。検索しても出てこないので、転載させていただきます。掲載した方のお名前が分からないので、こちらで陳謝いたします。
 文中に書かれているように、90年代半ば、原酒不足でラガヴーリンはとんでもなく値上がりしました。経営も思わしくなく、イアン・マクロードが大量の原酒を買い支えたというようなはなしも耳にしました。ドナルド・レニック所長が山の頂でラガヴーリンを飲んだように、わたしは北海道のキャンプ場で鮭とばを肴にアイラモルトを独酌していました。(一考)


モルトの巨人と称されるラガヴーリン。
アイラ島の厳しい自然のなかで、その類い稀なモルトの個性を守りつづける人物
11月初旬、来日したラガヴーリン蒸留所のドナルド・レニック所長に、インタビューをしました。


--はじめに、レニック所長のウイスキー業界での主なキャリアをお訊かせください。  
     
 1981年にホワイトホースのボトリング部門にエンジニアとして入社しました。曽祖父が家でウイスキーを作っていたというエピソードはありますが、それまで身内にウイスキー業界に携わったものはいませんでした。その後いくつかのウイスキーの工場でボトリングやモルティング工程のエンジニアを努め、1996年にアイラ島に渡りポートエレンでモルティングのエンジニアリングを担当し、98年にラガヴーリンに移って、当時のニコルソン所長の下で蒸留を学びました。所長になったのは1999年です。  
     
--ウイスキー製造の現場で働くということに、どのような思いを抱かれていますか?  
     
 まず、私が住んでいる家は蒸留所のすぐそばなので、通勤ラッシュのストレスとはまったく無縁な生活を送ることができます(笑)。毎朝徒歩で通勤するのですが、蒸留所の敷地に足を踏み入れると気持ちがぐっと高揚します。ラガヴーリンで働くことは、私にとって大きな喜びだからです。それは何よりも、素晴らしいスタッフと一緒に仕事ができるからにほかなりません。いま従業員は私を含めて15名いますが、みなラガヴーリンの長い歴史をしっかりと受け継いでいます。なかには4代に渡ってラガヴーリンで働いているというスタッフもいるのです。  
     
--ウイスキー愛好家の間でラガヴーリンの人気はますます高まっています。他のウイスキーにはないラガヴーリンの際立った個性が生み出される要因は、いったい何なのでしょうか?  
     
 ラガヴーリンの味と香りには「7つの秘密」が関係しています。ひとつは水。2番目にバーレイとピート。3番目はマッシュとウォートの生成方法です。4番目はオレゴンパインのウォッシュバックで55時間かけて行う発酵。5番目は細長いウォッシュスチル。このスチルは45度に折れ下がったライパイプの形も特徴的です。6番目はタマネギ型のスピリッツスチル。最後にスピリッツスチルにかける時間の長さです。しかし、それら長い歴史のなかで培われた技術を再現するのは人間です。伝統を受け継いだ優秀なスタッフなしでは、この味と香りは決して完成しません。  
     
--所長という仕事で、特に気を配っていることはどのようなことですか?  
     
 ウイスキーをつくるということは、歴史が創造したそのキャラクターを、間違いなく再現することです。大切なのは設備や環境を可能なかぎり変化させないこと。そのためにあらゆる面で気を配ることが、私の重要な仕事のひとつです。いまや世界的に重要な蒸留所となったラガヴーリンを所長として預かることには、大変なプレッシャーを感じますが、同時に大きな誇りでもあり非常に名誉なことと思っています。    
     
--ところで、地元スコットランドでのラガヴーリンの評価はどうなのでしょうか?  
     
 もちろん、国内でも大変人気のあるモルトです。若い人から年配者まで幅広く受け入れられています。個人的にはラガヴーリンは非常に男性的なウイスキーだと思うのですが、いまでは若い女性のファンもとても多くなっています。私も正直なところ驚いています。

ラガヴーリンに至る前に多くのウイスキーを試し、最終的にラガヴーリンに辿り着く人が多いと思います。しかしラガヴーリンを飲んだことがない人が蒸留所に見学に来られても、ほとんどの人から美味しいという評価をいただきます。  
     
--ラガヴーリンに合う食べ物があれば教えていただきたいのですが。  
     
 食べ物と合わせるのならば、なるべく強い味のものがいいと思います。チーズならば例えばロックフォール。甘いものならばチョコレートのようなもの、それも味の濃いダークチョコレートがいいでしょうね。  
     
--日本にもラガヴーリンファンは非常に多いのですが、実はラガヴーリンはその人気の高さからか、いまとても手に入りにくくなっています。それはなぜでしょうか。  
     
 確かにいま、ラガヴーリンは16年を中心に在庫不足が続いています。実はこの原因は、80年代のスコットランド経済の不況にあります。このときの不況は蒸留所の運営にも大きく影響し、多くの蒸留所が閉鎖に追い込まれました。幸いにしてラガヴーリン蒸留所は閉鎖にこそ至らなかったものの、生産制限をしなければいけなかったので操業は週に2、3日という状態でした。つまり16年前の生産量が絶対的に少ないのです。

そして現在、ラガヴーリンは世界的に非常に高く評価されるウイスキーとなりました。それはとても光栄なことなのですが、在庫の少なさに人気の高さが加わって、入手しにくいウイスキーとなってしまっています。決して、私が出荷前に全部飲んでしまっているわけではありません(笑)。

しかし、90年代には蒸留所の生産は再び安定したので、皆さまにラガヴーリン16年を心置きなく飲んでいただける日はすぐそこまで来ています。安心してください。  
     
--最後に、レニック所長ご自身はラガヴーリンをどのようなウイスキーだと思いますか。またどんなシチュエーションでラガヴーリンを飲むのが好きなのか、教えてください。  
     
 ラガヴーリンは私が愛して止まない、とても特別なウイスキーです。強いピート香とスモーキーさを持ち、それでいて甘く、そしてとても複雑です。そしてそのフィニッシュの長さ。とても気持ちいい後味が、長く、長く続きます。

忙しく働いた一日が終わったとき、家に戻りホッと一息ついたところで飲むのもいいものですが、やはり私は、気の合った友人たちとテーブルを囲んで賑やかに話しながら飲むのがいちばん好きです。

それからもうひとつ。私の一番の趣味はヒルウォーキングです。スコットランドの3000フィート以上の山々をリストアップした「マンロー・リスト」の全284座のうち、これまで186座に登頂しており、制覇まであと98座です。その一つひとつの山頂で、登頂を祝って必ずラガヴーリンを飲むのです。眼下にスコットランドの大地を眺めながら飲むマイ・ホームウイスキー。ほかの何にも代えがたい、幸せな瞬間です。
   
 マンロー・リスト Munro List
スコットランドの3000フィート(910m)以上の山のリスト。作成者マンロー男爵の名を冠したこのリストには284座の山頂が記載されている。リストの山々を登頂することは「Munro-bagging」と呼ばれ、英国の多くのヒルウォーカーたちの目標になっている。英国における「日本百名山(深田久弥著)」のような存在といえる。  
 
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投稿者:   一考  日時: 2018年07月10日 02:25 | 固定ページリンク




地下神殿  | 一考    

 世の中は水浸しである。玉津町今津地区は避難地域になったが、後60センチほどで明石川は氾濫していた。東京にいたとき、首都圏外郭放水路、別名「地下神殿」が完成し、170ミリの洪水に耐えられると都は胸を張っていた。今回の大雨は場所によって1600ミリだったという。四国や広島でなく東京に1600ミリの雨が降れば山手線や地下鉄は壊滅状態になる。170ミリとの基準がわたしにはさっぱり分からない。
 東日本大震災のとき、直接の被害はなかったものの東京の交通機関は完全に麻痺した。今回のような大雨が降れば麻痺ではすまない。数千あるいは数万人の死者が出る。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月09日 00:47 | 固定ページリンク




海藤花  | 一考    

 にらみ鯛に限らず、尾頭付きの鯛を丸ごと焼いた塩焼きは愛媛の養殖鯛だったり、ニュージーランド産の冷凍鯛だったりする。明石で穴子は獲られない。家島から送られていたが、最近は韓国産ガ多く、焼あなごの高砂下村商店も韓国産を用いている。明石焼き(蛸焼き)も聞くところによると一軒は明石産の蛸を使っているようだが、他はインド洋産である。
 他人のことはいわれないが、のれそれの躍り食いを食していて穴子が手に這入らないとはこれいかに。もっとも、のれそれはマアナゴのレプトケファルス(稚魚)であるというが種名は定かでない。石巻魚市場にはギスのレプトケパルスが水揚げされていて、こちらも「のれそれ」と呼ばれる。シラスなどのような生臭みは全くなく美味といえば美味である。

 海藤花については何度か当掲示板で書いているが、明石の漁師ですら誤解が多い。蛙の列なった卵を想起させる産卵後の蛸の卵・海藤花を吸い物で頂戴するとき、一緒に入れる浜ぢしゃの新芽と松の実の幽けき香を楽しむのが料理の醍醐味だと聞かされて育った。割烹料理には欠かせない珍味のひとつだった。ところが、産卵前の蛸の卵を海藤花と称するひとが明石にはたくさんいらっしゃる。どこが藤の花なのかお訊きしたいものである。ケシ粒大の卵粒がつらなり、垂れ下がるのが藤の花房に似ることから、江戸時代に明石藩の儒者・梁田蛻巌によって「海藤花」と命名されたのでなかったか。

 お国柄というものがあって、その土地、土地に名物がある。それはそれで結構なはなしだが、魚などが名物になるのであろうか。2016年4月1日現在、日本国内には2,866の漁港がある。それぞれの漁港は家(うち)の魚は日本一と固く信じている。明石界隈の漁港では垂水が第三種、林崎が第二種に這入っているのみで、他の塩屋、舞子、松江、藤江、魚住は第一種漁港である。要するに明石浦は漁港ですらない。わたしにいわせると明石の魚と比して千葉の魚は特段に旨かった。比較にすらならないというのが忌憚のない意見である。しかしそのようなことよりも、お国自慢の前に為すべきことがあるのでないだろうか。家(うち)が一番というような排他的な考え方そのものが安倍をはじめとする似非右翼をのさばらせているのであるまいか。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月08日 23:44 | 固定ページリンク




moonさんへ  | 一考    

 先ほど、久しぶりに女房と話しました。引っ越してきてはじめてでなかったかと思います。ですぺらの閉店について話し合ったのです。1年間は赤字がつづく覚悟はしていたのですが、その1年を経て、家賃すらおぼつかないのではどうにもなりません。
 開店の折はまだ身体が不自由で、周さんとmoonさんのお世話になりました。それゆえ、真っ先にご連絡を。詳細は後日改めて。

 ところで、明石川も鴨川と似た状況です。今日も終日強雨、天気予報では土曜日の明け方がもっともひどい雨のようです。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月06日 02:44 | 固定ページリンク




塵取り  | 一考    

 ツバメの子が3羽、賑々しく騒いでいる。親の餌付けは一日100回から300回に及ぶという、無事に巣立ちを迎えられればよいのだが。玄関口は糞に塗れている。百均で買ってきた塵取りを置いているのだが、このところ風が強くて役に立たない。ブリキの塵取りが欲しかったのだが、生憎とプラスティックのものしかない。わたしは気にしないが、お隣はさぞかし迷惑に違いない。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月05日 17:24 | 固定ページリンク




井陘の戦い  | 一考    

 一週間客がなかった。天候がすぐれないのもあろうが、晴れた日もあった。こういうときは店を開けているのが嫌になる。明石ならこのようなこともあろうかと思うが、いっそ閉店しようかと迷うのである。先日、高麗苑がいらした折、どこぞで働けば少なくとも金になる。その点、商売は望むべくもない、と。確かに、若ければわたしだって仕事がしたい。10万でも15万円でもよいと思う。しかし老いさらばえ、あまつさえ障害者となれば働けるところなどあろうはずがない。働く場所は自分で拵えるのほかないのである。
 背水の陣などというが、歴史上ことごとくの武将が敗れ去っている。成功したのは井陘の戦いのみでなかったか。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月04日 01:50 | 固定ページリンク




PRAMクリア  | 一考    

 人工透析の時のように背中が痒い。尿毒素が悪戯をするわけがないので、理由は他にあっておそらく薬である。医師に体調不良を訴えたところ、明日病院へ来いと云われた。明日すなわち7月4日は土砂降りである。このところいくら雨が降ろうがオートバイで店へ通っている。お客がないので駐車場代が捻出できないのである。しかし、病院へは四輪で行くしかあるまい。

 店のパソコンが起動しない。moonさんに電話をしようにもガラケーの電源が切れている。起動しないまでもパソコンの電源が這入っていれば電話への充電はできる。PRAMクリアの方法を教えてもらい、無事パソコンは起動。ありがたい友人である。


投稿者: 一考      日時: 2018年07月04日 01:42 | 固定ページリンク




東京奠都  | 一考    

 藤江屋分大が創業した1818年は化政文化の真っ直中、花見酒が軒昂だった。その酒のあてとして開発されたのが桜餅と羊羹だった。往時の酒は甘く、甘さを甘さで打ち消すといった案配だった。隅田川ほとりの長命寺門前の茶屋山本屋の桜餅や本郷の藤村羊羹はつとに知られるが、江戸時代は煉羊羹の全盛時代でもあった。「虎屋黒川」が「京風羊獎」で駿河屋と並び称されるようになったのは、明治維新の東京奠都に伴って東京に進出した後のことであった。時の権力者に阿り、東京を代表する屋号となったが、仔細はさておき伊藤敬さんから頂戴したとらやの羊羹セットは忘れられない。
 大坂から江戸への砂糖の輸送は、当初、菱垣廻船によって行われていたが、西宮の酒を江戸に送るための樽廻船がはじまると、砂糖輸送も樽廻船を使うようになった。その権利をめぐってしばしば刃傷沙汰になったという。
 和菓子のなかでも羊羹は棹物(さおもの)に分類される。そのため、1棹、2棹と呼ばれる。西日本の主に近畿地方では丁稚羊羹、練羊羹との違いは水分の含有量と若干の作り方である。近々、分大の丁稚羊羹を買いにいこうと思っている。

追記
 先日、分大さんが来店、前回に続いて砂糖のはなしになった。前項で触れたてんさい糖は20年ほど前に、94年量産化に成功した岡山林原のトレハロースもいち早く用いている。さまざまな実験を繰り返しているのだと愕く。最近は喫茶店でラ・ペルーシュのキューブブラウンを用いるところが増えてきたが、わが国の砂糖は上白糖、グラニュー糖、三温糖、角砂糖と同じものである。日本は工場の生産ラインが決まってい、他のものは輸入するしかなさそうである。
 もうひとつ面白いはなしに、年齢から来る味覚の変化があった。味覚には、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の基本味があるが、甘味以外は顕著に衰えていくようである。老いにあって嚥下障害と味覚障害は避けられない。味覚のキーは味蕾だが、味蕾は8歳から急速に増え、12歳をピークにまた減ってしまう。ピーク時では約1万2000個あるが、大人になると半減してしまうのである。分大でも最近味が変わったという方がいるが、味はなにひとつ変わっていない、変わったのはそのひとの味覚そのものなのである。
 ウイスキーに関しても昔は旨かったがお客の口癖だが、年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。12歳でウイスキーを味わえないのが残念至極。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月28日 17:16 | 固定ページリンク




珍客  |   一考

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 玄関にツバメが巣を拵えた。泥や枯れ草、木屑のようなものが大量に落ちていたのだが、まさか犯人が鳥だとは気付かなかった。店へ行こうとして玄関を開けたとき、ツバメの帰宅と遭遇した。周章てたのはツバメの方で、わたしがいなくなるまで辺りを飛び回っていた。餌を採ってきたのであろう。1箇月ほどピーピーと五月蠅くなるが、7月の末には巣立ってゆく。わたしが住んでいるところは18戸の長屋である。その中から拙宅を選んでくれたことに感謝、一人暮らしの身には嬉しい珍客である。

追記
 帰宅後、真っ先に巣を覗いたが、親は頭を突っ込んで寝ている。尾っぽは巣からはみ出ている。ちょっと小さいようである。天井灯の金具の部分に張り付くように設えているが、夜通し電気は点いている。ツバメは薄暗いところを好むのでなかったか。


投稿者:   一考  日時: 2018年06月24日 18:42 | 固定ページリンク




立ち居振る舞い  | 一考    

 日曜日、寝具の洗濯と夏物への交換、ライダースーツの洗濯と交換、そして家中に散らばっている段ボールの除去と掃除に明け暮れた。1日では到底処理しきれないが、足下は若干片付いた。老人の一人暮らしはあっという間にゴミ屋敷になってしまう。有るときは書物に埋もれ、有るときはサイクルパーツに、また有るときはウイスキーが溢れ、ヤフオクで生計を立てるようになってからは段ボールの山である。ものを持つのがよろしくないのは分かっているが、そのものがあればこそ、発症してからの8年間、医療費と生活費と家賃がなんとか捻出できた。
 「見過ごすと危険、妻の無言は「怖い最後通告」」として「夫源病」なる病が多発しているそうな。わが国の亭主の身勝手さはわが身を振り返ればよく分かる。うまく行っているのは別居しているからに他ならない。一緒に暮らせば間違いなく一週間で最後通告を突きつけられるに違いない。一人暮らしは気の向かないことはしなくて済む。その代わり、炊事洗濯など家事万般は自分でするしかない。
 病気になってよく分かったのは明日のことは誰にも分からないということ。身体だけは自分で読み切られないのである。医師に云わせると3度死んでいるようだが、臓器移植の後も下血で死にかけている。その内2度は危篤ということで、女房子供共々、埼玉の病院へ呼び出されている。通常は危篤となれば死ぬのが当たり前なのだが、わたしは死ななかった。よほどの強運か悪運の持ち主なのであろう。二度とも輸血で命ながらえた。一度は21単位、一度は12単位の輸血である。2日に及ぶ輸血の後も身体はベッドに縛り付けられたまま、身体を動かせば看護師が駆けつける。センサーが取り付けられているのである。そして身体もベッドも排泄物で汚れてしまう。ひとは死に向き合ったときですら立ち居振る舞いには気を遣おうとする。立ち居振る舞いがままならないと分かっていても。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月22日 02:34 | 固定ページリンク




高麗苑  | 一考    

 高麗苑の高野さん来店、彼とは旧い付き合いである。1982年から85年に東京中野新橋へ転居するまでの4年間、わたしは太寺3丁目に住んでいた。いま調べてみると、井筒典久さんの家と道を隔てて100メートルも離れていない。30代半ばのことである。
 往時、明石駅へ行くに東仲ノ町商店街を歩いていた。その中程に高麗苑があった。長田の婆さんが造っているどぶろくを飲みながら、金がなくて何時も決まっててっちゃんを食べていたのを思い起こす。行く度に、同じく一人前のてっちゃんを大事そうに食べている客がいて親しくなった。どちらも儲からない客だったが、高野さんは嫌な顔ひとつせず接してくださった。高野さんから聞いたのだが、客すなわち岡本書店の息子さんはフェリーから身投げして亡くなられたそうな。神経質だが、どこかしら人懐っこさを覚えさせる素敵な青年だった。彼と酌み交わしたどぶの甘酸っぱい味は忘れまい。
 後年、赤坂でですぺらをはじめた時、NTTの木村さんが焼き肉を所望された。あの折の焼き肉は高麗苑から取り寄せたものである。全国焼肉協会の寄り合いがある度に高野さんはですぺらへいらっしゃる。面倒のかけっぱなしで気がひけて開店の挨拶にも行かれなかった。高野さんがですぺらを見付けたのはまったくの偶然である。肝臓を悪くして2箇月ほど入院なさったとか、随分と痩せていたので瞬時どなたか分からなかった。
 一考さんも随分と髪が薄くなってと高野さん。昔はダンディだったのに、と。彼はわたしより6歳下だが、老いというものは等し並みに訪れる。わたしはこの等し並みとの言葉が好きである。そこには差別がないからである。彼は在日ゆえ、謂われのない差別と闘ってきた。だからこそ、わたしは彼と親しくなり、家族付き合いもしてきた。二人して抱き合って再会を喜んだのは云うまでもない、生きていてよかったねと。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月22日 02:29 | 固定ページリンク




立ち転け  | 一考    

 2日連続で雨に打たれた。大蔵海岸の駐車場で同い年の老人から珍しい車に乗っていますねと声をかけられた。キャブ使用ですからと応えると、それにしても磨きが足らないようでと云う。こちとら土砂降りでも二輪に乗っているのですよ、いちいち磨いてられるかと、ここは堪えて和やかに笑う。ライダーらしく「お達者で」と挨拶を交わして別れた。
 久しぶりに晴れたのでタバコを買いに舞子まで走る。歩道へ乗り上げたところでいきなりエンスト、煽りを食らって立ち転けと相成った。この30年ほど立ち転けとは無縁だったが、寄る年波には勝てぬ、何時か倒れるだろうと思いつつ、そのためにこそ足つきの良い小型バイクに乗り換えたのだが、倒れるときに大型も小型もないと分かった。それよりも、学生と思しき妙齢の女性が3人駈け付け、バイクを起こそうと手伝ってくださる。立ち転けが恥ずかしいという年齢はとっくに過ぎた。本音をいえば、女性と一緒にいたいがためにそのまま引っ繰り返っていたかったのである。

追記
 ブレーキレバーの先端が折れてどこかへいってしまった。運転には支障ないが、アルミ製品は役に立たない、鉄製のレバーがあれば良いのにと思う。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月22日 02:21 | 固定ページリンク




赤坂一ツ木通り店のカタログより  | 一考    

 ですぺらの店主はライダーですが、決してバイクおたく、旧車マニアではなく、走りを目的とし、自ら整備し、雨風に打たれるのを快感とするライダーです。従ってモルト・ウィスキーを取り扱うのも、それがたまらなく好きであり、幾たび宿酔の悪夢に魘されようが懲りもせずに飲み続ける、要するに単なる酔っ払いなのです。
 昨今、通信ネットが発達し、日々各所でオークションが催され、さらなるレアものも容易に入手できるようになりました。特に伊太利亜では盛んなようです。国内を振り返っても、レアものや旧ボトルを取り扱う業者が増え、今では専門の業務店も存在します。しかし、人は時代の子。生体解剖に興味は有っても、死体解剖に店主は些かの興味も抱きません。シュルレアリストにしてシングルモルトの先達、神大の仏文学者、故小島輝正氏の三千本を越えるコレクションも震災であえなく瓦解。目前にごろんと転がる現実、要するに与えられた条件の中で、いかに気軽にモルト・ウィスキーを嗜みかつ愉しめるかに、ですぺらの本意があります。
 酒の世界にあっては本質が実存に先立ちます。人に親しまれ飲まれてこその存在。たかが酒ではありませんか、蘊蓄やこだわり等豪快に嗤い飛ばして飲みましょう。

  ≪いたずらに生きのびし意志弱行の者たち
       やるせない遠吠えの咽をうるおすために
                  誰あらん 美酒一献≫


投稿者: 一考      日時: 2018年06月14日 01:10 | 固定ページリンク




ノンブレンディングの個性  | 一考    

 先日、東京から戸井田和重さんがいらした日、三宮の「スランジバー・エーボ」の岩田秀史さんと同席となった。戸井田さんとは一ツ木通りの店舗からのお付き合いだが、岩田さんとはごく最近である。エーボはブレンディングウイスキーを主となさっているようである。ブレンディングは元々ウイスキーの原点である。モルトウイスキーは個性が強く、複数のモルトを掛け合わせることによって個性を中和し、飲みやすいウイスキーに仕立てたものである。よって、おらが村の酒はこれに限るといったふうに地元の少数者によって飲み継がれてきたのがシングルモルトである。
 シングルモルトがわが国で飲まれはじめたのは1980年頃のようだが、ピュアモルト、ノンブレンディングなどと蒸留所によって呼び名はまちまちだった。それを統一したのはUD社(ユナイテッド・ディスティラリーズ)、現在は6箇所に絞り込まれたが、往時は約半数の蒸留所を抱えていた。傘下の蒸留所に声をかけ、呼称をシングルモルトに統一、2003年のことである。
 わたしがバーをはじめたのは1994年だが、シングルモルトなる飲み物の存在に気付かされたのはそれからである。従って、まだ24年にしかならない。バランタインのメインモルトがグレンバーギ、ジョニー・ウォーカーのメインモルトがカーデュなどと云われても、メインモルト、キーモルト共々わたしにはさっぱり分からない。岩田さんによると個別に味が分かるとのことだが、1本のボトルに入っているモルトはたかだか3パーセントか多くても10パーセントまで、キーモルトはそのうちの僅かに3パーセントほど、1本のブレンディングウイスキーのなかに2ccである。それがタリスカーであれクライヌリッシュであれロイヤル・ロッホナガーであれ、わたしにはちんぷんかんぷんである。もっとも本職のバーテンダーではないので、岩田さんにかなうわけもないのだが。
 英国に住む友人からジョニー・ウォーカーは外貨を稼ぐためのウイスキーであって、地元のスーパーではジョン・ウォーカーとの安酒が売られていると土産に貰った。現在わが国で売られているジョン・ウォーカーとは違って、本当にモルトが這入っているのかと疑いたくなる不味い酒だった。

 わたしがシングルモルトに惹かれたのは好き嫌いは別にしてその強烈な個性である。グレンアギーのポマードのような香りと苦みを伴う濃厚な味わい。オルトモーアの徐光液を想わせる特異な香りとココナツや胡桃を擂り潰したオイリーな味わい。グレン・ギリーの草木染に用いる露草や湿った海苔、コスメティックな香り、バイオレット・フィズを想わせるオイリーな味わい。コールバーンの輪ゴムを噛みしだくような味わい。ダラス・ドゥーの潤いを含んだ樽、雨降りの製材所の臭い、雨に打たれた整髪料を想わせる味わい。コンヴァルモアの初手からフィニッシュに至るまで、甘味の中に粗塩のような薬品臭がつきまとう味わい。ベンローマックの根生姜、がり、茗荷を思わせる苦み、飲むにつれ、もろみ味噌が恋しくなる。もろきゅうでもよろしいが、胡瓜のサクサクした食感はウィスキーには馴染まない。北京味噌もしくはしゃもじに塗りつけて焼く蕎麦味噌のような焼き味噌が相応しい等々。けだし、それらは立派な個性。超個性的な香味を内包する。
 一方にグレンロッシー、リンクウッド、ロイヤル・ロッホナガーなどというソフィスティケーテッドなウイスキーがあり、他方、グレン・グラント、グレンフィディック、グレンリヴェット、ダフタウン、トーモア、トミントゥール、ミルトンダフ、マクダフ、バンフ、ロイヤル・ブラックラ、グレンロッキーのようなすべてに於いて物足りないモルトというかモルト風味のウイスキーもある。わたしは後者のウイスキーを飲みたいとは思わない。同じ飲むなら個性を個性として楽しみたい。「誰も責任をとらない」との標語をかかげるわが国のサラリーマンのようにはなりたくないのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月14日 01:03 | 固定ページリンク




しのぎ盃  |   一考

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 江戸時代初期の伊万里 白磁 しのぎ盃。寸法は口径約6.2cm、 高台径2.5cm、高さ5.5cm。買う気はないが、良い味わいである。ろくろ引きした後に施されるしのぎである。


投稿者:   一考  日時: 2018年06月11日 07:11 | 固定ページリンク




403 Forbidden  | 一考    

 掲示板にコメントを掲げようとすると403 Forbiddenとなります。アクセス権の問題で、Terminalで訂正できるようなのですが、わたしには分かりかねます。どなたかご教示いただけないでしょうか。
 拙宅はJ:COM(ジェイコム)で繋がっていて問題は生じないのですが、店の方はフレッツひかりとso-netで繋がっています。そちらが403 Forbiddenの頻発で困惑しております。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月10日 10:04 | 固定ページリンク




ハリイカ  | 一考    

 月曜日からつづいていた下痢が治まった。久しぶりの食事に舌鼓を打つ。一週間分の食料の買い出しは日曜日にまとめて行うが、今週は食料の大半を捨てざるを得なかった。特に野菜は刻んだものを買ってくるので日持ちしない。
 鳥取や島根の白いか(ケンサキイカ)同様、明石のまえもんハリイカ(コウイカ)は旨い。コウイカの新イカは東京ではキロあたり1万円を超える超高級品だが、当地では安い。親イカなら200円から300円で手に這入る。松戸では墨がついたまま出荷していたが、こちらでは洗い落としたり洗わなかったりといろいろである。同じコウイカでも大型のモンゴウイカは好きでない。ガムを食べているようで興がが湧かない。そのハリイカを二枚買ったのだが、どうせ食べられない。よって綺麗に掃除をし、冷凍庫に保管した。明日にでも山椒焼き(塩焼きが駄目なので)にしようかと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月10日 09:52 | 固定ページリンク




シュリンクフレーションの逆  | 一考    

 牛乳、チョコレート、ポテトチップ、マヨネーズ、チーズ、ハム、ソーセージ、いつの間にか容量が減っている商品は数多い。その一方で食パンのように増えているものもある。近隣のスーパーで購入する食パンがトースターに這入らなくなって困っている。食パンなど全国どこへ行っても同じ大きさだと思っていた。大きく造らなかった家電メーカーが悪いのか、それとも、サービス精神旺盛なパン屋が悪いのか定かでない。
 戦後のうどん屋は一貫して一人前100グラムだった。これは茹でた後の重量で、茹でる前だと70グラム弱だった。定食だとそれにいなり寿司が2個付く。それが今でははなまるうどんの小が210グラムで丸亀は並で250グラムだとか。みなさんこのように馬鹿食いするのであろうか。明石にもうどん屋,そば屋で行きたいところがあるのだが、いずこも一人前300グラムとやら、それを聞いただけで怖気を振るってしまう。食えるわけがなかろうに。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月09日 02:34 | 固定ページリンク




助六  | 一考    

 先日、女房がサントリーの山崎を取りに来た日、寿司を持っていた。巻きが4巻に稲荷が2つのどこででも売っているもっとも安価な盛り合わせ、すなわち助六である。子供が結婚して出て行ってからはこのようなものを食べていると。これで1日ですかと訊くとそうですと応える。彼女の体重は20代の頃から変わらない、30キロ台に留められている。お茶でも淹れようかと云うと、食欲がないので結構ですと。

 サントリーのはなしになる。同社が生産調整に這入ったのは2006年、2008年末からハイボールブームが起きているので生産調整はおそらく3年はつづいたと思われる。ブレンディングウイスキーの響17年が元に戻るのは2025年になるのでなかろうか。それよりなによりブレンディングに使う輸入原酒(バルクウイスキー)が高騰している。昨年のウイスキーの売れ行きベスト20の内、インドのウイスキーが過半数を占めている。インド産ウイスキーはスコットランドのモルトにインド産のグレンウイスキーを混ぜて造っている。ニッカと同じく、カリラ、ベンネヴィス、トマーチン、ボウモアなどが使われている。スコットランドはわが世の春を謳歌しているが、わが国も今までのようなニューポットだけでなく、10年ものを仕入れないとジャパニーズウイスキーは休売、終売の繰り返しになる、他にもダフタウン、アードモア、グレンダラン、カードゥなど生産量の多い蒸留所はある、などと私見を述べた。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月09日 02:32 | 固定ページリンク




嘉之助蒸溜所  | 一考    

 洋樽ではマルエス洋樽製作所、有明産業、昭和洋樽などがあるが、昭和洋樽はフローリングに転業、マルエスはニッカとイチローズモルトの樽をつくっていたが、今は焼酎メーカーを主としている。京都の有明産業は海外との取引が多く、嘉之助蒸溜所が持っているソレラシステムで80年使用したシェリー樽も有明産業から仕入れたもの。
 一言触れておきたいのはマッカランが用いるオロロソカスクは酸化熟成した辛口ワイン、モスカテルやペドロ・ヒメネスのような甘口ではない。それよりなにより、新樽をスペインへ持ち込んで2年ほど使った後、ウイスキーを詰めるとのインスタント作業で樽の善し悪しは二の次なのである。このような方法にわたしは異議を感じる。
 嘉之助蒸溜所はイングランドとドイツのモルトスターからモルトを輸入している。その内、イングランドのシンプソンからはヘビリーピートのモルトを引いているようである。12年前に山崎から頒されたヘビリーピートのシングルカスクもシンプソンだと聞いた。山崎のヘビリーピートはアードベッグよりもピート値が高く、頗る美味だった。
 亜熱帯で生み出されるシングルモルトウイスキーとして台湾のカバランを上げることができる。カバランは2010年、ウイスキーの本場スコットランドで行われたテイスティング大会で「カバラン・クラシック・シングルモルト・ウイスキー」が見事1位を獲得したのを皮切りに、世界で最も権威あるウイスキー賞といわれるWWA(ワールド・ウイスキー・アワード)で「カバラン・ソリスト・バーボン樽シングルカスク・ストレングス」が「ベスト・レスト・オブ・ザ・ワールド・シングルモルト・ウイスキー」を受賞している。
 嘉之助蒸溜所は本年はじめてニューポットを限定発売した。そのテイスティングノートがすこぶる振るっている。

 COLOR(色):クリアだが、上質のオイルのようなとろみ
 NOSE(香り:焼きたてのパンのような香ばしさ、ベリー系ジャムのかすかな酸味を感じる濃厚な甘い香り
 TASTE(含み:はじめ甘く、次第にまろやかさが現れ、りんご系のエステル香が鼻に抜ける
 FINISH(余韻:モルト由来の含み香の特長が長く感じられる

 飲み方:そのままでもお楽しみいただけますが、ほんの数滴の水を加えてください。香りが華やかに開きます

 分かりやすい日本語で好感が持てる。カバランはヘビリーピートを扱っていない。嘉之助蒸溜所に期待している。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月08日 01:03 | 固定ページリンク




ワインカスク  | 一考    

 アルベール・ビショーのボージョレ・ヌーボー2007年の樽(15リットル)を買った。ボージョレ・ヌーボー全盛期、六本木や麻布くんだりのワインバーで同樽が持て囃されていたのは知っていたが、入手に至らなかった。有明産業の5リットルのミニ樽は24000円もする。本品は8000円だったが、チャーではなく、トースティングのミディアムが施されている。
 取り敢えず、慣らしに不味かったモンゴメリーズのロングモーンを入れている。兎にも角にもモンゴメリーズのシングルカスクコレクションは安いのが取り柄で碌なものがない。3箇月ほど馴らしてからアイラモルトのカスクストレングス(ラガヴーリン)を入れるつもりにしている。2リットルや5リットルのカスクと違って15リットルあれば、熟成が可能である。1年後の楽しみが増えた。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月08日 01:01 | 固定ページリンク




新薬と下痢  | 一考    

 サーティカンという免疫抑制剤がある。一部グラセプターの代用品なのだが、2018年 2月に売り出された新薬である。心移植、腎移植、肝移植患者のT細胞の増殖を抑制する。医師からは肺結核の予防になると聞かされたが、どこにもそのようなことは書かれていない。副作用としてとんでもない下痢をもたらすが、そのようなこともどこにも書かれていない。下痢のひどさは医師も了解したようで、サーティカンの処方を半分にし、グラセプターを一錠増やした。
 それにしても爾来、定期的に下痢になる。下痢になると必ず微熱が出る。恰度風邪を引いたような案配なのである。昨日もズボンとパンツを汚してしまい、介護用紙おむつを装着した。それもあって、こちらでは女性とのおつきあいは遠慮願っている。戸田では紙おむつは病院から支給されていたが、神戸では個人で購入している。

追記
 免疫抑制剤としては「サーティカン」、悪性腫瘍治療薬としては「アフィニトール」の名で製造・販売されている。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月08日 00:59 | 固定ページリンク




眞野公一さん  | 一考    

 iMac A1311は購入時に10.7がインストールされていた。一気に10.13.5にバージョンアップして使っている。ただしメールが消えてしまった。三種類の方法があるようなのだが、ことごとく失敗、USBで2台のPCを繋ぐというのがどうしても成功しない。もっとも、過去のメールを置いていても仕方あるまい。

 昨日、眞のマスター来店。ポートエレンとアードベッグを飲まれたが、ポートエレンははじめてとか、正直な方である。アードベッグがボトラーに樽の販売を止めてから随分になる。その代わり、オフィシャルのシングルカスクを頒しているが、値は20万円以上である。1993年蒸溜の21年ものマキロップチョイスが6万円ほど、蒸留所に任せるとサントリーと同じことになる。
 それにしてもオフィシャルボトルは拙い。蒸留所のブレンダーの好みとあれば仕方ないが、すべてに於いて香味が重い。GMのスピリット・スコットランドは9本ぐらい頒されているが、その内の3樽はシェリーカスク、抑制が効いていて絶品である。
 眞の店舗は西明石の駅からちょっと離れている。今度西明石か明石へ引っ越すそうな。できれば明石へ転居していただきたいと願っている。ウイスキーのはなしができる友にもっとも相応しいのが眞野公一さんなのである。


投稿者: 一考      日時: 2018年06月06日 21:48 | 固定ページリンク




ジャパニーズウイスキーの高騰  | 一考    

 女房から久しぶりに電話があって客から山崎を探してくれと頼まれたようである。彼女の依頼とあればどのような無理をしても調達はする。しかし、5000円だったノンエイジの山崎は現在14000円、13000円だった12年シングルカスクは26000円に高騰している。なんでここまで値上がりしてからと思う。
 原酒不足が理由だが、10数年前はひとはこぞって酎ハイ、ウイスキーなんぞ誰も見向きもしなかった。よってサントリーもニッカも生産調整、その影響がいまごろ出てきたのである。スコッチの売れ行きに応じて生産調整または生産拡大をスコットランドの蒸留所は繰り返してきた、スコッチの歴史は暴落と高騰の連続である。ところが日本人は中国人の買い占めが理由だという。
 前項で書いたように山崎の本物は最安値でも182000円である。ボトルに一割のモルトを入れて他はエチルアルコールで埋めたにせよ18200になる。中国人は本物のモルトウイスキーしか買わない。日本人はインチキを承知で安い似非ウイスキーを買う。中国人を莫迦ににするなといいたい。
 今回の暴騰を起こした張本人は酒屋である。昨今の酒屋は定価販売に無頓着である。アマゾン、楽天、ヤフーショップで競うように値を上げているのはすべて酒屋である。現時点ではヤフオクがもっとも安価である。ジモティーやメルカリはさらに高い。このような時こそストラスアイラ、ハイランドパーク、グレンマレイなどを飲んでいただきたい。ジャパニーズウイスキーの値上がりは2年前からだが、まだ5.6年は続く。買うのは控えた方がよろしいかと。

追記
 女房の山崎だが、蒸留所で販売していた300ミリリットルのボトルを調達した。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月30日 06:01 | 固定ページリンク




iMac A1311購入  | 一考    

 2005年製のマックを使っている。PowerPCなので、ネットにはまったく不向きだが、まずは文章が書かれるようになっただけでも良しととするしかない。ところが、ヤフオクが6月1日からPowerPCを切り捨てるようである。ヤフオクへ繋ぐ度に使えなくなりますとのテロップが流れる。
 困惑していても仕方がないので、iMac A1311を購入することにした。はじめてのiMacである。Core i3 3.06GHzを積んでい、Core i5やCore i7の下位モデルである。オンラインゲームには無縁なので、クアッドコアでなくデュアルコアで十分である。
 それよりなにより、中古で求めるとMac miniよりiMacの方が安いのである。ディスプレイが付いている分、高くなりそうに思うのだが。到着が待ち遠しい。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月26日 06:35 | 固定ページリンク




高級ウイスキー  | 一考    

 高値のウイスキーは置かないつもりだったが、リンリスゴウ(セント・マクデラン)、ブローラ、ポート・エレンの3種を置くことにした。81年、82年蒸留の最終バージョンである。リンリスゴウはマキロップ、ブローラはシグナトリー、ポート・エレンはダグラス・マクギボン、3本ともカスクストレングスである。
 セント・マグデランはレア・モルトよりゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルもしくはマキロップ・チョイスの方が好みである。トライすべきミディアムボディ、充実したボディはバランスがよく、シェリー風味のソフトな美酒に仕上がっている。
 ブローラもレア・モルトよりザ・ボトラーズもしくはダンカン・テイラーのものが好きである。レア・モルトは総じてシェリー樽由来のナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さが勝ち、クライヌリッシュと比してドライまた極めてスモーキーな味わいや噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュが稀薄になる。要するに、レア・モルトは旨すぎて小首を傾げたくなる。本品は70年代の鮮烈な煤けた味わいはないもののメロンを思わせる香りがあって、それ自体ひとつの個性として楽しまれる。
 マクギボンのポート・エレンはジョン・ミルロイの手になるセレクション。兄弟会社のダグラス・レインのオロロソシェリー樽はオフィシャルボトルとして販売されたが、マクギボンは61.7度、61.3度、62.2度、55.1度の4樽をそれぞれボトリングしている。ミルロイの撰だけあって絶品。他に特筆しておきたいのは82年蒸溜の20年もの46度のポート・エレンはとりわけスモーキーだった。大半がシェリーカスクだが、81年蒸溜の18年もの43度のみダーク・シェリーだった。誰一人云っていないが、ダグラス・マクギボンのポート・エレンは一本ずつに個性が異なる。値はハーフショットで2500円を予定している。


投稿者: 一考      日時: 2018年05月26日 05:48 | 固定ページリンク




藤江屋分大  |   一考

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 先日、井筒典久さんが分大の安藤さんと連れだっていらした。久しぶりに羊羹や砂糖の話で盛り上がった。藤江屋分大は1818年創業、爾来、明石の地で和洋菓子の製造・販売を手懸けてきた老舗である。もなか、丁稚羊羹、藤の沢、ざろん梅などで識られる。
 アメリカ独立戦争の遠因になった砂糖だが、わが国では1700年代末に精糖方法が確立され、四国で和三盆が生まれる。和三盆は貴重な特産品として諸国へ売りに出され、全国の和菓子や郷土菓子の発展に大いなる貢献を果たした。
 子供の頃、米粉に水飴や砂糖を混ぜた落雁を「はくせんこ」と称して大事にしたものだが、和三盆だけで型押しした高級な落雁もあった。現在では粗糖を使って和三盆に類似した、和菓子用の加工糖がつくられている。
 砂糖は、製造法によって含蜜糖と分蜜糖とに分けられる。含蜜糖を代表するのが黒砂糖と和三盆、分蜜糖のカテゴリーにはザラメ糖、グラニュー糖、上白糖、三温糖、角砂糖などが這入る。分蜜糖すなわち白砂糖と比してきび糖・黒糖・てんさい糖など精製があまく茶色く色が残った含蜜糖の方が身体に良いのは当然。近頃売られている三温糖は上白糖を着色しただけのものが多く、ほとんど意味をなさない。フランス料理では砂糖大根やビートから採られるてんさい糖が一般的だが、食材のおいしさを引き立て味わいに深みを出すには最適である。とりわけ血糖値が気になる方は是非てんさい糖をお薦めあれ。いい加減に日本人も上白糖から解放されるべきである。

 分大の包装紙は戸田勝久さんの手になるもの、機会があれば一緒に来られるとか、西明石のですぺらでお会いして以来である。開店を祝って泥牛造の盃を頂戴した。白釉の線が面白い景色を生み出している。わたしの宝物である。


投稿者:   一考  日時: 2018年05月26日 04:51 | 固定ページリンク




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