部屋替えによって見られなくなったが、前の病室の下には児童公園があった。幼児から小学生が対象である。小学生に個体差が出るのは当然として、幼児にも顕著に現れるのを見ていろいろと考えさせられた。
小学生の方から書くが、毎日来るグループのなかに、いささか体力に自信ありげな少年がいる。彼だけはランニングシャツで一回りがたいが大きい。そして何かにつけてボディビルや空手を思わせるような恰好をする。ところが今はサッカー全盛である。ボディビルは流行りでない。彼も走りとなるとさっぱりである。俊敏さに欠けるというか、ボールは遠くに行っているのにひとり取り残されている。
ある日、グループでトラブルがあって、喧嘩の真似事がはじまった。当然、がたいの大きな子が勝つかと思ったが、豈図らんや、サッカーに長じた痩身の弱そうな子が勝った。まわりもその子を後押ししている。これは流行りの勝ち負けであって、個々の図体の問題でない。
幼児の方である。最初に気付いたのは縄跳び。覚えの早い子は縄を回す前に身体が動いている。リズムを取っているのである。こういう子は二重跳び、三重跳びも軽くこなす。一方、間怠っこい子は回した縄を見詰めていて、足下にきてから足を上げる。よって頻繁に縄に足が引っかかる。なにごとも経験という、確かに経験がいつの日かじれったさを補ってゆく。それまではひたすら跳び続けるしかない。
ももいろクローバーZとかいう健康的なアイドルグループがあって、身体を空中で海老反にする演出がある。ある幼児がそれを真似していたのだが、見事な運動神経だと思った。また、走り出すとその差はうんと強調される。先頭の子が走り出しているにもかかわらず、2番手3番手はまだ用意どんの段階である。
さて、個体差を強調したのは他でもない。幼稚園児、要するに3歳児のお襁褓が禁止された。それが理由で幼稚園へ入園できない子供が続出している。お襁褓の禁止にどのような意味があるのだろうか。1歳、2歳でお襁褓が取られれば結構でないか。そしてなかには4歳、5歳でお襁褓が必要な子だっている。このようなことは文部省が決めるようなことではない。鈍臭いのは役所の大人の方である。